小川家勢揃いの吉原の祝祭、勘九郎×七之助×松也による鶴屋南北の緊迫の修羅場 歌舞伎座『六月大歌舞伎』夜の部観劇レポート
夜の部『盟三五大切』(左より)笹野屋三五郎=尾上松也、薩摩源五兵衛=中村勘九郎、芸者小万=中村七之助
『六月大歌舞伎』が歌舞伎座で開幕。2026年6月3日(水)~25日(木)の公演となる。吉原の祝祭と、鶴屋南北のサディスティックな趣向を一晩で浴びる「夜の部」をレポートする。
一、華舞於河賑(はながまうおがわのにぎわい) 俄獅子(にわかじし)
舞台は、江戸吉原の仲之町。長唄『俄獅子(にわかじし)』の変化に富んだ曲と踊りが、廓の風景や恋模様を描き出す。
幕が開くと、中村梅玉の鳶頭、尾上松緑の鳶頭、尾上辰之助の芸者。品と色気のある姿の良さに、ひと目で心が躍った。この3人の呼び込みを合図に、花道には“小川家の皆さん”がずらりと並ぶ。タイトルにある「おがわのにぎわい」とは、昭和の名女方・三世中村時蔵を先祖に持つ、苗字が「小川」の歌舞伎俳優たちのことなのだ。舞台いっぱいに並ぶ顔ぶれが、タイトルどおりの賑わいを作り上げる。
夜の部『華舞於河賑 俄獅子』
鳶頭の中村歌六を先頭に、鳶頭は中村又五郎、中村錦之助、中村獅童。家紋を染めた首抜きの着付けにたっつけ袴がかっこいい。芸者は中村萬壽、中村時蔵、中村米吉。鳶は、中村歌昇、中村萬太郎、中村種之助、中村隼人。さらに、時蔵の息子・中村梅枝、歌昇の息子・中村種太郎と中村秀乃介、獅童の息子・中村陽喜と中村夏幹、萬太郎の娘・小川加奈絵というちびっ子たちによる手古舞も。
夜の部『華舞於河賑 俄獅子』
夜の部『華舞於河賑 俄獅子』
歌六が懐から手を出し顎に当てれば、ぴたりと決まった形に得も言われぬ色気があり、松緑と時蔵は「これぞ江戸のイケてる男女!」の説得力をみせる。小さな手古舞たちも、すでにそれぞれの個性を感じさせた。梅玉と萬壽はしっとりとした上質な艶で観客を魅了。ふたりの視線が交わった瞬間は、胸が射抜かれるような心地がした。米吉の芸者が、若い者を凛と美しくテンポ良くあしらい、「おがわ」の傘がパッと開けば客席は拍手に溢れた。威勢の良い獅子舞には、萬太郎と隼人、歌昇と種之助という贅沢さ。手古舞たちが、扇を胡蝶に見立ててひらひらと見せる。小川家に留まらない、歌舞伎の将来に希望を感じる一幕だった。
二、通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
四世鶴屋南北が、実在の連続殺傷事件を扱った狂言『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』と、『忠臣蔵』のエッセンスを綯い交ぜにした作品。
浪人の薩摩源五兵衛と船頭の三五郎を、中村勘九郎と尾上松也が役替わりで演じる。観劇したのは、源五兵衛に勘九郎、三五郎に松也のAプロだ。芸者小万をつとめるのは、中村七之助。
夜の部『盟三五大切』(前)左より、芸者小万=中村七之助、薩摩源五兵衛=中村勘九郎、(後)左より、廻し男幸八=澤村宗之助、内びん虎蔵=中村種之助
塩冶家に仕える侍だった源五兵衛は、公金を紛失し、今は浪人の身。やがて主君は刃傷沙汰を起こして切腹に追い込まれ、源五兵衛はその仇討ちに加わるべく金百両を必要としていた。ところが芸者小万に入れあげてしまい、ようやく手に入れた百両も、小万の身請け金として差し出してしまう。実はこれは、三五郎と小万が仕組んだことだった。さらに二人の関係を明かされ、源五兵衛は金も小万も失って……。
なによりの見どころは、物語の軸となる3人が立ち上げる、濃密な空気だ。松也の三五郎は憎々しく、色気に湿度があり、小万との痴話げんかさえ情事の始まりのようだった。ただ、その内には、短慮で嫉妬深い男がいる。源五兵衛に「小万の夫は自分だ」と言わずにはいられず、小万の腕の「五大力」を書き換えずにはいられない。そんな一つひとつの積み重ねが、悲劇を加速させる。松也は愚かさも憎らしさも色気も手放さないまま、三五郎を熱く哀れな男として観る者に印象付けた。
夜の部『盟三五大切』(左より)芸者小万=中村七之助、笹野屋三五郎=尾上松也
芸者小万は、劇中で「妲己(だっき)」とあだ名されるほどの悪女として語られる。たしかに三五郎とグルではある。しかし七之助の小万を、悪女だとは感じなかった。源五兵衛のそばにいる時の小万は、自然体で純粋に楽しそうだった。源五兵衛に対しては、お金のために留まらず、はしゃぐ仔犬を愛らしく思うような情愛もあったのではないだろうか。結局、三五郎に言われるがまま金を巻き上げ、夜は三五郎にしどけなく寄りかかる。その美しさと弱さが、人間らしくもあり哀れでもあった。
夜の部『盟三五大切』(左より)薩摩源五兵衛=中村勘九郎、笹野屋三五郎=尾上松也、芸者小万=中村七之助
そして勘九郎の源五兵衛は、ひたすら一途だった。序幕から、愛らしいほどに純粋でもあった。だからこそ怖いのだ。一途さは、ベクトルが変わればターゲットを逃がさない執着に変わる。「五人切」の場では、窓から伸びる源五兵衛の白い脚に、刃物を突き付けられたような冷たい恐怖を感じた。歌舞伎では、血や暴力が型によって抽象化される。だから殺しの場さえ美しい。斬り上げた時の勘九郎の身体は、美しい線を描いていた。ただ勘九郎は、そんな様式的なことを突き抜けて、生々しい殺気で観客を黙らせ、生々しいまま美しくみせていた。
※以降、当月の舞台演出について具体的に触れます。
南北の筋立ては容赦がない。「四谷鬼横町」の場では、家主弥助(坂東彦三郎)の大らかな笑いが長屋の匂いを作り、使用人・八右衛門(中村歌昇)との時間が涙を誘う。しかし泥沼の修羅場は、さらなる血みどろの悲劇へと展開する。源五兵衛が長屋を後にする時、外は雨。昔ながらの歌舞伎の雨音に本水の雨が重なり、雨粒が床を打ち鳴らす。どしゃ降りの雨を浴びた源五兵衛が天を仰ぐ。血が流れ落ちて、色彩が消えていく。そこに心はなく、解き放たれたような解放感さえあった。雨粒と飛沫、白塗りの顔が鈍く輝き、色気をまとう。心神喪失を追体験するような光景だった。ボロ傘を差して花道を行く。懐には小万の首。そこへ向ける表情が悲しかった。
夜の部『盟三五大切』薩摩源五兵衛=中村勘九郎
幕切れは、『忠臣蔵』の要素が色濃く打ち出される。南北の生み出す遊び心と悲劇のギャップに眩暈がした。勘九郎の凄まじい殺気にあてられた。ひどい話だった。それでももう一度観たい。多くの方に観てほしい。そう思う『盟三五大切』だった。松也が源五兵衛を、勘九郎が三五郎を演じるBプロにも期待が高まる。
取材・文=塚田史香