ロベルト・アラーニャ「人生は難しい時もあれば、美しい時もある——それを声で表現していくことが歌い手の使命」~スーパーテノール待望の来日へ 60歳を迎え”大きな挑戦”
日本は、世界でキャリアを築くための勇気を与えてくれた
Roberto Alagna 2 (C)Simon Fowler
——1990年に『椿姫』で初来日されそれ以降も何回か来日されています。アラーニャさんにとって日本はどのような存在でしょうか?
日本は大好きな国です。最初の『椿姫』で来日した際に共演した日本の音楽家の皆さんのプロフェッショナルな姿勢に心打たれました。その後、オペラだけでなくリサイタルなども開催しましたが、日本のコンサートホールは音響が素晴らしく、お客様がいつもあたたかく迎えてくださったことが嬉しかったです。
そして何よりも、デビューしたてのごく若い頃に日本に呼ばれたということが、私に世界でキャリアを築いていくための勇気を与えてくれました。まだ若かった私の可能性を信じてくれた日本の聴衆の皆さんや共演者の皆さんからあたたかい評価を得たことが、当時キャリアを歩み始めた私自身に何よりも大きな自信を与えてくれたのです。
——テノールとして長いキャリアを築き、そして今なお第一線で活躍され続けています。その秘訣は何でしょうか?
つねに勉強と情熱を持ち続けることです。そして健康も大事です。この仕事を始めた時に、自分の魂の中に燃えさかる炎を感じたものですが、その炎は40年たった今でもますます燃えたぎっています。
もちろんキャリアの中で、何度も難しい時期はありました。でも、そういう時期も自分がより良くなるための糧になったと感じています。長いキャリアの中では紆余曲折がありますが、それをいかにして自らの中で有益なものにしてゆくかということが大切なのだと思います。
Roberto Alagna (C)Stella Vitchénian
——今、円熟期を迎え、ご自身の声についてどのように感じていますか?
声は人生のように美しいものだと思います。それは肉体の変化にも似ていて、例えば写真を見ると20歳の自分や30代、40代の頃の姿がまるで違うように、声においてもその変化の過程はとても興味深いものです。
私はよくテノールのエンリーコ・カルーソの声を聴くのですが、彼の1903年頃の力強い声ももちろん好きですが、亡くなる前の一年前の1920年の声にはナイーブさが加わっていたように感じています。私はその声もとても愛しています。カルーソは48歳で亡くなっていますが、「もし彼が60歳まで元気だったらどういう声だったのか?」、「さらに経験を積んでどんな声になっていたのか?」ということを自分自身で歌いながら想像することがあります。
人生は難しい時もあれば、美しい時もある——それを声で表現していくというのが歌い手の使命だと思っていますので、すべてが興味深いと受け止めています。弱さもあれば、強さもある——それが人間の声の美しさなのです。
Roberto Alagna (C)Simon Fowler
取材・文=朝岡久美子
公演情報
【会場】サントリーホール 大ホール