シューマンとブラームスが最後にどこにたどり着いたのか? ヴァイオリニスト・岡本誠司、リサイタルシリーズVol.4 ”最後の言葉”への想い

インタビュー
クラシック
2024.5.13

――ブラームスにとって最後の”ソナタ”となった2曲のクラリネット・ソナタは、作曲家自身の編曲によるヴィオラ版もよく演奏されますが、今回はヴァイオリンで演奏されるのですか?

ブラームス自身によるヴァイオリン編曲版があるのです。僕はその事実を世に更に広めていきたいと思っています。

最初にクラリネット版があり、ヨアヒムの依頼でヴィオラ版が作られました。もちろんヨアヒムはヴィオラでこの曲を弾きましたし、その演奏をブラームスも聴いたはずです。そして、僕は、ヴァイオリン版もヨアヒムの提案があったと思っています。ヴァイオリン版では、ピアノ・パートももう一度書き直され、魅力的な変更がいくつもなされています。ヴァイオリンが弾く尺が増えていて「えっ、そこでヴァイオリンも弾いているの?」というところや、逆にクラリネットやヴィオラ版にある音でヴァイオリンも弾ける音のはずなのに休符になりピアノのみになっていたりもします。

ソナタ第2番は変更点が多いですね。たとえば、第1楽章の第2主題に入る前の小節の4拍目は、クラリネットやヴィオラ版ではまったくの休符で間が空くのですが、ヴァイオリン版ではピアノの音が入っていて次につながります。第1楽章の一番最後もピアノのバスに変更があります。

そのほか、第1番第1楽章のコーダに入る前では、ヴァイオリンのドーラ、ファーラのメロディで(他の編曲にはない)転調のネタバレがあったり、第1番第4楽章の鐘を模倣した音が、クラリネットやヴィオラではずっとファー、ファー、ファーですが、ヴァイオリンでは途中でドー、ドー、ドーになっていたりもします。それらは、ブラームスの中にあったこの曲の可能性であると思うと非常に興味深いですね。意外と、作曲家の中では、「これもいいじゃん?」と考えていたのかと思うと、ブラームスに対する(厳格な)考え方が少し変わるような、カルチャー・ショックでした。この作品120の2つのソナタに対して、ブラームスも頭の中でいろいろなオプションを考えていたのですね。

今、集中的に取り組んでいるからという理由もあるかもしれませんが、僕はこの2つのソナタが3曲のヴァイオリン・ソナタよりも好きなのかもしれません。

筆を折りかけていたブラームスが、クラリネットの名手(注:リヒャルト・ミュールフェルト)と出会い、また創作の意欲がわいた時期の作品です。この2つのソナタを書いた時点でブラームスはほとんど60歳になっていましたが、その60年間は、ドラマティックな、変化のある人生だったと思います。そして、彼はある一つの境地に達していたような気がします。それは、シューマンの崖の際の危うさではなく、ある意味、すべてを赦し、受け入れているかのような境地。クララとの手紙を読むと、ブラームスは、頑固で不器用な、しかし深い愛情があった人物だったと思います。

ヴァイオリン・ソナタ第2,3番は、肯定的でありながら、自分はどこか孤独であるというようなところがあります。リサイタルシリーズのvol.3のとき、共演の北村(朋幹)くんと「ブラームスって切ないよね」という話をしたのを思い出します。音楽は肯定的で、懐の広さも感じる。しかし、それは、全人類を抱きしめるかのような無限の愛情ではなく、自分の親しい人を包み込む、パーソナルなものだと思います。抱きしめたからといって、100パーセントの充足感は得られていない。それが彼の長調の作品の切なさの原因かもしれません。

第1番のヘ短調にはブラームスの中に葛藤が残っているし、第2番第2楽章でもまだ燃え尽きていないと感じます。それでも、諦観はしていないけれども達観しきっている。何かしらの距離感を感じます。激しい時間は、若い頃の作品と比べると長続きはしません。いろいろなドラマを感じ取っていただける作品ですが、シューマンとは正反対です。妄想にあがくのではなく、すべてを肯定したあとのドラマなのかなと思います。

僕にとって、30歳になる前の最後のリサイタルです。ブラームスの60歳の達観した境地はまだ見えませんが、30歳前後の自分たちの感性だけで真っすぐに解釈するとただの穏やかで平和な音楽で終わってしまいます。一度達観した人間がまだ表現したいドラマがあるという方向性で解釈しないと、この作品の真の魅力を引き出すことはできません。今の僕たちの演奏ですが、今の自分たちだからできる演奏ではなく、それとは真反対の視点で取り組んでいきたいと思います。

――共演は、前回のvol.3に引き続き、北村朋幹さんですね。北村さんについてお話ししていただけますか。

昔からとても尊敬しています。彼の取り組みやその内容も尊敬しています。二重奏をしていると、彼ほど、いろいろな引き出しがあり、その瞬間でのフレキシビリティに富んでいる人はなかなかいないと思います。そしてその引き出しに入っているものがどれも魅力的なことに、一緒に弾くたびに驚きます。彼は、作品に対して深く勉強し関わり、作品を常に頭で掘り下げながら、しっかり心で感じて取り組み、更にそれを本番の瞬間に全て解放して表現しようとしていらっしゃるのだろうなと思います。

彼とはリハーサルからシビアにたくさん議論をしますね。最初の意見を知った上で、違う意見をぶつけて、二人で合意したり、合意しなかったり。合意しなくても、音楽上、それはそれで存在していいと思います。安易に妥協して摺り寄せるようなことは行われない。もしかしたら「室内楽かくあるべき」と思いました。つまり、作品の様々な可能性やオプションを持ってリハーサルに臨み、本番のその瞬間に感じたものを生の状態で表現しようという演奏が前回のリサイタルでできました。それは、自分と作曲家とのぶつかり合いでもありましたし、ヴァイオリニストとピアニストとの技の掛け合いといいますか、二人だからこそできる丁々発止の会話や葛藤であり、それこそが、生演奏の、二重奏の面白さだと思いました。今回もそういう方向性の演奏になると思うし、そういった演奏が合う作品たちだと思います。

――最後にメッセージをお願いします。

今回演奏するのはシューマンとブラームスの亡くなる2,3年前の作品たちですが、彼らが、どれだけ死を予感していたかはわかりません。でも、両者とも人生の終わりに近いことを心のどこかで悟っていたという気がします。“最後の言葉”だからこその、究極の美しさ、それは「永続的な美しさなのか?ここには存在しない美しさなのか?」。ブラームスとシューマンとでは大きく違いますが、いずれにしても、日常生活では普段感じることのできない究極の美がそこにある気がします。そして、ドイツを代表する二人の作曲家の作品ですから、骨のあるドイツらしい表現もしっかり残っています。シューマンとブラームスが最後にどこにたどり着いたのか、是非、目撃していただきたいと思います。

取材・文=山田治生 撮影=池上夢貢

公演情報

岡本誠司リサイタルシリーズ Vol.4 “最後の言葉”
 
日程 2024年6月14日(金)18:30OPEN 19:00START
会場 浜離宮朝日ホール
料金 ¥5,000 / U30 ¥3,000(指定・税込)
 
出演
ヴァイオリン:岡本誠司
ピアノ:北村朋幹
 
内容
シューマン: おとぎの絵本 Op.113
シューマン: ヴァイオリンソナタ第3番 イ短調 WoO 2
ブラームス: クラリネット(ヴィオラ)ソナタ 第1番 ヘ短調 Op.120-1
ブラームス: クラリネット(ヴィオラ)ソナタ 第2番 変ホ長調 Op.120-2
 
主催 朝日新聞社/浜離宮朝日ホール/NEXUS
制作協力 イープラス
特別協賛 DMG森精機

公演情報

反田恭平プロデュース JNO Presents リサイタルシリーズ
『ヴァイオリン岡本誠司の世界 2024』
 
日程 2024年6月13日(木)19:00START
会場 なら100年会館 中ホール
料金 ¥5,000 / U30 ¥3,000(指定・税込)
 
出演
ヴァイオリン:岡本誠司
ピアノ:北村朋幹
 
内容
シューマン: おとぎの絵本 Op.113
シューマン: ヴァイオリンソナタ第3番 イ短調 WoO 2
ブラームス: クラリネット(ヴィオラ)ソナタ 第1番 ヘ短調 Op.120-1
ブラームス: クラリネット(ヴィオラ)ソナタ 第2番 変ホ長調 Op.120-2
 
主催 Japan National Orchestra
制作協力 イープラス
特別協賛 DMG森精機
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