勘九郎・七之助に託された『きらら浮世伝』(横内謙介脚本・演出)37年ぶり初の歌舞伎化! 『鞘當』『醍醐の花見』も~『猿若祭二月大歌舞伎』昼の部観劇レポート
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昼の部『きらら浮世伝』(左より)蔦屋重三郎=中村勘九郎、遊女お篠=中村七之助 /(C)松竹
2025年2月2日(日)に歌舞伎座『猿若祭二月大歌舞伎』が開幕した。11時開演の昼の部をレポートする。
一、鞘當(さやあて)
舞台は吉原遊郭の仲之町。正面に伸びるのはメインストリートで、中央に桜が植えられ、左右両サイドに妓楼が並ぶ。舞台上手側から二度、続いて対角線上にある下手後方の揚幕から二度、ジャン、ジャンと金棒引きが音を響かせる。客席の前後左右から空気が立ち上がり、芝居が立体化し始めたところへ、二人の男が現れる。このふたりがすれ違う時、腰の刀の鞘が当たってしまい……という名場面だ。
昼の部『鞘當』(左より)名古屋山三=中村隼人、不破伴左衛門=坂東巳之助 /(C)松竹
一人は名古屋山三(中村隼人)。浅葱色の羽織に「雨に濡れ燕」があしらわれている。もう一人は「雲に稲妻」の羽織の不破伴左衛門(坂東巳之助)。二人は深く笠をかぶり、顔は見えない。すると意図せずとも、声や衣裳に意識が向く。「丹前六方」と呼ばれる独特の歩き方は、粋をまといながら、運命が近づく瞬間をスローモーションで描くよう。顔がみえなくても、どちらも少しも見逃したくない気持ちになる。しかし、二人は場内の端と端から、派手やかにゆっくりと進むものだから、台詞の行き来につられて片方に目をやると、もう一方が視野から消える。そう思える俳優がキャスティングされてこそ、焦れったいけれど心が華やぐ劇場体験が生まれるにちがいない。やっとすれ違い、やっと鞘が当たり、やっと顔を見せた瞬間は、気づいた時には身体がすでに拍手をしていた。大向うがかかり、客席も拍手で沸いた。さらに、中村児太郎の茶屋女房が登場する。駆け寄ってくる時のたっぷりとした存在感がたまらない。様式美の伴左衛門と山三の争いに、「ああ、もし」と世話物のようなリアルなお芝居で割って入るのに違和感がない。喧嘩をおさめるが新事実が明らかに……と、ここでお芝居は幕となる。長いお芝居のスリリングで恰好良さに痺れる名シーンを切り出した作品だ。何も解決せず、ほとんど始まってもいないので、当然「ここからどうなるの!?」と思うのに、「歌舞伎みた! 格好良かった!」と爽快な満足感で結ばれた。
昼の部『鞘當』(左より)名古屋山三=中村隼人、茶屋女房=中村児太郎、不破伴左衛門=坂東巳之助 /(C)松竹
二、醍醐の花見(だいごのはなみ)
慶長3(1598)年、京都の醍醐寺で豊臣秀吉主催の大規模なお花見が催された。その宴をモチーフにした、長唄と箏曲が彩る舞踊劇だ。
幕が開くと、そこは醍醐寺三宝院。北の政所(中村魁春)と利家正室まつ(中村雀右衛門)が桜を楽しんでおり、そのふたりも音も景色も、あらゆる要素がひらひらと麗らかだった。
昼の部『醍醐の花見』(左より)北の政所=中村魁春、豊臣秀吉=中村梅玉 /(C)松竹
豊臣秀吉(中村梅玉)が花道より登場。少しも威張らず自然体のまま、天下人の風格を漂わせる。加藤清正(坂東彦三郎)、福島正則(坂東亀蔵)、大野治房(尾上左近)や、御伽衆の曽呂利新左衛門(中村歌昇)が続く。武将たちは、お花見の御趣向で庶民の恰好に扮し、踊りを披露。遊び慣れていないたどたどしさにも個性があり、それでも華と大きさがあった。淀殿(中村福助)、前田利家(中村又五郎)、豊臣秀頼(中村秀乃介)も揃い、秀吉と北政所の連れ舞に歌舞伎座は一層華やいだ。
昼の部『醍醐の花見』(左より)曽呂利新左衛門=中村歌昇、大野治房=尾上左近、福島正則=坂東亀蔵、加藤清正=坂東彦三郎、淀殿=中村福助、豊臣秀吉=中村梅玉、豊臣秀頼=中村秀乃介、北の政所=中村魁春、前田利家=中村又五郎、利家正室まつ=中村雀右衛門 /(C)松竹
史実では、栄華を極めた秀吉もこの年の夏に人生の幕を引く。その生涯のグランドフィナーレを寿ぐ宴のようでもあった。桜が舞う非日常的な華やぎの余韻の中、儚さを思う気持ちが一瞬だけ胸をかすめた。
三、きらら浮世伝(きららうきよでん)
1988年、横内謙介の脚本により、十八世中村勘三郎(当時勘九郎)主演で初演された『きらら浮世伝』。当時はストレートプレイとして上演された本作が、初めて歌舞伎として上演される。このたびは中村勘九郎が、主人公の蔦屋重三郎を演じる。
江戸時代の版元で名プロデューサーの蔦屋重三郎を中心に、彼が見いだした才人たちが織りなす物語。歌舞伎俳優の華、色気、強さ、巧さ、情熱が迸る舞台だった。観劇は好きでも「歌舞伎だから」という理由で観る選択肢に入らない(そもそも視野に入らない)方にも届いて欲しい。
昼の部『きらら浮世伝』(左より)恋川春町=中村芝翫、蔦屋重三郎=中村勘九郎 /(C)松竹
ある日、朝帰りの恋川春町(中村芝翫)が吉原大門の前で、貸本屋の蔦屋重三郎(中村勘九郎)と出会う。重三郎は、遊郭帰りの旦那衆を相手に吉原ガイドブックを売りにきたところだ。そこを偶然、女衒の六(市村橘太郎)と幼い女の子が通りかかる。後の遊女お篠だ。少女は泣きながら、たった今、春町が出てきた遊郭の中へ連れていかれるのだった。
幕が開いたままの舞台転換では、舞台装置がダイナミックに変化する。暗がりで大きく動くセットは、一体何を表すのだろうかと想像を掻き立てる。思えばここは、『鞘當』で見たのと同じ新吉原。しかし今は監獄のようだった。同じ日に、同じ舞台でみるからこそ表裏一体なのだとより強く感じられた。
重三郎は自分の眼を信じ、皆を巻き込みながら、人気の版元となっていく。お篠は、自分の居場所でプロとして仕事を全うする。それがあの環境で、人としての尊厳を守り生き抜く、数少ない手段だったに違いない。初めて重三郎に呼ばれた時の少女のようなうれしそうな顔が、あまりにも美しかった。遊女お菊(中村米吉)は、見た目はお人形のような愛らしさ。心の芝居で観るものの共感を呼ぶ。女方として、数えきれないほど遊女を勤めてきた七之助と米吉だからこそ、遊女の人間としての表情が浮かぶ瞬間に心を揺さぶられた。同様に、武士の身分である大田南畝(中村歌六)、恋川春町(芝翫)もまた、歌舞伎俳優が演じるからこその厚み。南畝の「洒落ていこうぜ」という物腰からは知性と粋が滲み、観客を一気に惹きつけた。春町の懐の深さ、器の大きさは、ある場面で、思いがけない方向で大輪の華を咲かせる。勇助(のちの喜多川歌麿。中村隼人)は、重三郎と出会い、あることをきっかけに創作に没頭していく。天才的な感性と野性味から発露する色気は、遊女を抱く時より、絵筆を走らせている時にこそ強烈だった。
昼の部『きらら浮世伝』(左より)喜多川歌麿=中村隼人、蔦屋重三郎=中村勘九郎 /(C)松竹
37年前の初演は、勘三郎がいたからこその伝説の舞台だったと聞く。その舞台が今、勘九郎の舞台として奇跡のように上演されている。台詞の後ろで流れる音楽には、初演当時のものも使われており、1980年代らしいはっきりとしたシンセサイザーのメロディに勘九郎の独白がのる。「今に見てろよ、このやろう」。37年前に観られなかった勘三郎の重三郎がよぎった。そしてあくまでも今、目の前の歌舞伎座の舞台にいる勘九郎の重三郎に心が震えた。
山東京伝(中村橋之助)、滝沢馬琴(中村福之助)、葛飾北斎(中村歌之助)、弥次喜多を体現する十返舎一九(中村鶴松)など、重三郎が見いだし集った皆が、それぞれの個性で熱演。西村屋与八郎(市村萬次郎)や遊女玉虫(中村芝のぶ)は、一癖ある存在感でスパイスとなっていた。初鹿野河内守信興(中村錦之助)は芝居が進むほどに、はじめのお座敷の場面で、自らを「無芸」と称していたことが悲しく思い出される。
浮世絵は、今でこそ版元と絵師の名前しか残っていないが、絵師が筆で描いた線を木から彫り出す彫師、その版木を預かり、墨一色だった下絵にグラデーションから黒雲母摺り(くろきらずり)まで色をのせる摺師たちまで、皆の腕があってこそ出来上がるもの。彫り師の親方彫達(嵐橘三郎)、摺り師の親方摺松(中村松江)が率いる職人たちの活躍、溢れるエネルギーは劇場の客席で体感してほしい。重三郎と勇助とのファイトシーンや、勘九郎の二役目も見逃せない。
昼の部『きらら浮世伝』(前)左より、彫り師の親方彫達=嵐橘三郎、摺り師の親方摺松=中村松江(後)蔦屋重三郎=中村勘九郎 /(C)松竹
幾度も逆境に立たされた重三郎。挫けかけても新たなアイデアを手に再び立ち上がれたのは、仲間たち、そして摺り物を楽しみに待つ人たちの存在のおかげだった。隅々の出演者にまで、そこにいる意味が有機的に描かれ、『きらら浮世伝』という作品の枠をこえ、あらゆる創作者たちへのエールとなる舞台。創作と無縁に思える人さえ、客席にいる自分さえも、影響を与えあい共に進む“チーム写楽”なのだと肩を組んでもらえたような幕切れだった。
松竹創業百三十周年『猿若祭二月大歌舞伎』は、2025年2月2日(日)~25日(火)までの上演。
取材・文=塚田史香
公演情報
『猿若祭二月大歌舞伎』
会場:歌舞伎座
昼の部 午前11時~
其俤対編笠
一、鞘當(さやあて)
茶屋女房:中村児太郎
名古屋山三:中村隼人
中内蝶二 作
今井豊茂 脚本
二、醍醐の花見(だいごのはなみ)
利家正室まつ:中村雀右衛門
淀殿:中村福助
福島正則:坂東亀蔵
大野治房:尾上左近
豊臣秀頼:中村秀乃介
曽呂利新左衛門:中村歌昇
加藤清正:坂東彦三郎
前田利家:中村又五郎
北の政所:中村魁春
横内謙介 脚本・演出
三、きらら浮世伝(きららうきよでん)
遊女お篠:中村七之助
遊女お菊:中村米吉
喜多川歌麿:中村隼人
山東京伝:中村橋之助
滝沢馬琴:中村福之助
葛飾北斎:中村歌之助
十返舎一九:中村鶴松
女衒の六:市村橘太郎
彫り師の親方彫達:嵐橘三郎
摺り師の親方摺松:中村松江
西村屋与八郎:市村萬次郎
初鹿野河内守信興:中村錦之助
恋川春町:中村芝翫
大田南畝:中村歌六
一、壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
阿古屋
岩永左衛門:中村種之助
榛沢六郎:尾上菊市郎
秩父庄司重忠:尾上菊之助
長谷川時雨 作
二、江島生島(えじまいくしま)
旅商人:中村萬太郎
中臈江島/江島に似た海女:中村七之助
三遊亭円朝 口演
榎戸賢治 作
三、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)
女房お兼:中村七之助
長兵衛娘お久:中村勘太郎
手代文七:中村鶴松
小じょくお豆:中村秀乃介
遣手おかく:中村歌女之丞
家主甚八:片岡市蔵
鳶頭伊兵衛:尾上松緑
和泉屋清兵衛:中村芝翫
角海老女将お駒:中村萬壽