和田唱がTRICERATOPSでの活動を止めてもバンドに拘る意味、そして新たな可能性を秘めたライブへの想いを訊く

2025.6.6
インタビュー
音楽

和田唱

画像を全て表示(7件)

TRICERATOPSでの活動を休止し、ソロアーティストとして活動している和田唱がバンド形態でのライブ『SHO WADA and His Band ~TOKYO/OSAKA~』を6月15日と21日に東京と大阪で開催する。率いるバンドの名前は「SHO WADA and HISBAND」。TRICERATOPSがLINE CUBE SHIBUYAで“無期活動休止ツアー”のファイナル公演を行ったのは2025年1月10日だった。TRICERATOPSでの活動を止めて、なぜまたバンドなのか。そんな疑問を抱く人もいるかもしれない。これは、そんな人にこそ読んでほしいインタビューである。和田が率直にバンドへの思い、エレキギターへのこだわり、そして挑戦することについて語っている。TRICERATOPSが初めてライブを行ったのは1997年のLa.mama。今回のステージは和田にとって、第2のデビューライブと言えるかもしれない。どうなるのか、誰にもわからない未知だらけのライブ。和田は「エピソード0」と表現している。0は無限の可能性を秘めた数でもある。未知を楽しむレアなステージになるのは間違いないだろう。

――話は少し遡りますが、TRICERATOPSの2025年1月10日のステージが終わって、バンドが無期活動休止となった直後の心境は、どんな感じでしたか?

そうだなぁ...TRICERATOPSとして過ごした年月は自分の人生の半分以上ですからね、変と言えば、変な感じでした。50歳を目前にして、新人になったみたいな気分、あと、学校を卒業した時の気分にも似てたかも。

――TRICERATOPSは学校に似たところもあったんですね。

TRICERATOPSとして活動することで、学んだこと、成長したことはたくさんありますよね。それに、TRICERATOPSの一員となってからは、どこかでずっと守られてる状態だったんだと思います。今は自分を守っていたものが全部なくなった状態ですね。進むべき道も自分で決めなければ見えてこないし、何も始まらない。先日、藤巻亮太くんと行った『Two Chairs』も今回の『SHO WADA and His Band ~TOKYO/OSAKA~』もそうですよね。しかも、成功するのかどうかの保証もないので、歳はいってますが、まっさらな新人の気分です(笑)。

――TRICERATOPSでの活動で、悔いはありませんか?

モヤモヤしたものはないです。全員一致で「止めよう」と決めたことですし、TRICERATOPSに関しては、いったん更地にしたかったんですよ。次にやる時があるならば、ゼロからスタートしたかった。でもいざ気が付くと、バンドを止めたことによって、“俺って何もなくなっちゃったんだな”という気持ちにはなりました。これまではソロ活動をやっていても、帰る家があったわけじゃないですか。今は帰ろうとしても家の鍵がかかっていて、入れない状態。でも今のところその鍵を探そうとは思っていないという。

和田唱

――シンガーソングライターとして活動していく、という意識を持っているのですか?

これまではどこかで“ロックじゃなければいけない”という意識があったんですよ。エレキギターをかき鳴らしていなければいけない、みたいな。もともとそれが自分の憧れでしたしね。でも今は、シンガーソングライター的な存在も悪くないなと思っている自分がいます。実際に、ミュージカルの曲を手掛けたり、ロックではない仕事にも手応えを感じていますし。

――活動が自由になっているという印象を受けます。

小田和正さんの『クリスマスの約束』(2011年、2014年~2017年、2019年、2021年、2024年)にゲストとして出演させていただいたことも、自分にとって大きかったです。小田さんが見事に僕のロックではない、でも得意な部分を引き出してくれました。ありがたかったし、うれしかったですね。映画音楽を弾き語りするのは楽しいな、自分にフィットしているなという気づきもありました。ロックじゃなくてもいいんだと改めて思わせてくれたのは小田さんです。

――もともと映画音楽は、和田さんのルーツミュージックとしてあるものですよね。

和田 そうなんですよ。ただ、若い頃はロックが自分にとっての手っ取り早い武器だったと思います。僕は自分に自信のない子どもだったんですよ。背も小さくて、背の順も前のほうで。小学校、中学校の頃って、好きな女の子が自分よりも背が高いのは男子にとっては非常につらいんですよ(笑)。僕のことなんて見てくれていないんだろうな、(恋愛の対象として)無理なんだろうなって、自分で一方的に決めつけてましたね。当時の俺は劣等感だらけの人間で、学校の授業も苦手で、窓の外をボーッと眺めているか、ノートに漫画を描いているか、どっちかでした。授業中に先生から当てられても、話を聞いてないから、何も答えられず、ずっと黙って立っているだけ、みたいな。だから常に自分が強くなれる武器を探していた気がします。そこで見つけたのがエレキギター。エレキギターが僕を変えてくれたんですよ。

――人生を切り拓くアイテムを見つけたわけですね。

そうですね。音楽はもともと大好きだったので、そこで趣味と武器とが結びついたって感じです。ギターを手にする前と後とでは人生が一変したと言ってもいいくらいですね。最初は当然、全く弾けないわけですけれど。

――でも上達するのは早かったんですよね。

熱中すると、とことんやるタイプなので、今までくすぶっていた鬱憤を晴らすかのように、ギターにのめりこみました。ギターと出会って、自信が持てるようになっただけでなく、TRICERATOPSとしてデビューできて、自分のやっている音楽を「いい」と言ってくれる人が増えたんだから、自分にとってこんなうれしいことはないわけですよ。だから自分の中では、ギターに対する強い感謝の気持ちは今も変わらず持っています。ただし、少し変わってきたところもあって。若い頃はエレキギターを持って照明を浴びてキャーキャー言われるロックスターへの憧れが強かったんですよ。もちろんその憧れも無くなりはしないですけど、歳を重ねてきて、そうではないタイプの音楽を表現したくなってきた自分もいて。

――そのきっかけが『クリスマスの約束』だったわけですね。近年、アコギを弾きながら歌ったり、インストでジャズギターを演奏するケースも増えています。

人間って成長するものだし、ずっと変わり続けていくものだと思うんですね。音楽に関しても、自分は変化し続けている気がします。とはいえ、27年間、同じメンバーで、TRICERATOPSとして活動してきたんだから、そんなにコロコロ変わるタイプではないのかな?どうなんでしょう?(笑)

和田唱

――3ピースバンドで、しかもサポートメンバーが入ることなく、27年続けてきたのだから、かなりレアなほうだと思います。

バンドへの憧れが強かったことも大きいと思いますね。僕はもともとチームワークが苦手だったんですよ。体育でも側転とかでんぐり返しとか、個人競技は大好きでしたけど、サッカー、バスケットボールのような球技、つまり団体競技はまったくダメでした。ゴハン会でも、長テーブルで大人数でワイワイするのは今でも苦手。だからロックへの憧れとともに、チームの一員として活動することへの憧れがあって。その両方の憧れが同時にかなったのが、TRICERATOPSだったのかもしれませんねぇ。バンドとして一丸となって目標に向かっていく、みたいなことをずっと夢見ていました。ただし、一丸になることに関しては、実現できなかったところも多かったかな、とは思います。

――ステージで、TRICERATOPSの一丸となった演奏、何度も目撃しましたよ。

ステージではうまく転がっていけましたし、魅力的な形を見せることができたので、その点では僕らは成功したと思ってて。ただし、ステージに持っていくまでは、なかなか思うようには一丸とならず、苦労したところは正直ありました。ある意味、“類は友を呼ぶ”なのかな。僕自身が団体行動が苦手だったので、自分が引き寄せた現実だったのかもしれない。林も佳史もチームの中で熱くなるのが好きなタイプではないですからね。2人に対して、自分と同じくらいの熱量をバンドに注ぎ込むことを求めていたんですが、そのこだわりがここまで強くなかったら、また違う在り方をしていたのかなとも思います。

――TRICERATOPSでの活動を止めて、シンガーソングライターとしての活動がありつつ、「SHO WADA and His Band」としての活動も始まります。エリック・クラプトンも一時期、「Eric Clapton and His Band」という表記を使っていました。

ソロアーティストでも、“ソロ活動・イコール・自分とバックバンド”という形で活動している人のほうが多いと思うんですね。だからTRICERATOPSと並行してソロ活動をやっていた時期でも、この形でやっていてもおかしくはなかったんですよ。でも自分のバンドがあるのに、他のミュージシャンと別のバンドを組むのはやっぱり抵抗があって。そこは自分として、こだわっていたところですね。バンドから離れた時に、まず何をやりたいかと言ったら、すべて1人でやることでした。それでまず、『一人宇宙旅行』という弾き語りツアーをやりました。1人でステージをやる力量を上げるための修行でもあったんですけどね。そのツアーを何回かやり、ある程度、自分の中で自信が付いてきて、今回TRICERATOPSとしての活動を止めたこともあるし、今まで1回もやっていないことを50歳になる前にやっておこうと思ったんですよ。

――それが「SHO WADA and His Band」ですね。

ソロではあるんですが、バンドのメンバーがいると、楽曲の幅が広がるんですよ。

和田唱

――ソロアルバム収録曲の「クロノロジー」を始めとして、バンド編成で聴きたいソロ曲が
たくさんあります。


ソロアルバムの曲でも、ステージでやっていない曲がいっぱいあるので、それらの曲をバンド形態でやりたいという思いがまずありました。あとは、TRICERATOPSでもずっとやっていない曲が結構あるわけですよ。そういう曲に再びスポットライトを当てることにも興味があって。もう1つ、大きかったのは鍵盤を入れたバンドでやりたいということですね。

――鍵盤を入れたいと思った理由は?

もっと力を抜いて音楽の中に入りたいというか。例えば先日のツーマンライブで、藤巻亮太くんと2人で「FEVER」をやりましたけど、ギターが2人いるだけでも余裕が生まれるんですね。Aメロのギターは亮太君が弾いて、俺は歌だけ、とか。そういう、和音の出る楽器が他にもいることの楽しさですよね。TRICERATOPSで演奏する時には、和音が出るのは僕のギターだけなので、大変なんですよ
。セッションなんかに参加すると、僕以外にも和音を奏でる人が何人かいるじゃないですか。それの何が楽しいかというと、出たり入ったりできること。本来それがアンサンブルの魅力だし、引く楽しさを味わいたんですよ。

――確かに、基本的にTRICERATOPSのライブは、3人がほぼフル稼働ですもんね。「3人でここまでできるのか」ということが大きな魅力になっていました。

TRICERATOPSがステージでやっていることは、ほとんどアスリートなんですよ。音楽でありつつ、半分はスポーツだなと自分でも思っています。それくらい指も喉も頭もいっぱいいっぱい(笑)。いいステージをできた日は大きな充実感があるんですが、それって結局、全力を投入して限界に挑んだ充実感なんですよ。最近はもっと音楽的な充実感を追究したくなってきました。肉体的に大変なことに挑戦するよりも、音楽表現をもっと楽しみたくなってきた。そのためには、僕以外に和音の出る楽器がひとり必要だなと思いました。ギター2本というのも考えたんですが、その場合、俺より魅力のあるギターを弾く人じゃないとダメなので。それはハードル高いでしょ?(笑)。ライブ中に「なんだ、俺のほうがいいギターを弾くじゃないか」なんて思いたくないし、同じステージに立つ以上、互いにリスペクトしあえる関係でいたい。鍵盤プレイヤーだったら、大体俺より上手いので、問題ないなと(笑)。

――バンドのメンバーを教えていただけますか?

ベースが奥貫圭一朗くん、ドラムが大野達哉くん、キーボードが川口ケイくん。みんな、若いです。20代後半から30代だから、ひと回り以上違いますね。経験を重ねたベテランの方々とやるのは安全・安心かもしれないけれど、「こんな感じでやってください」とお願いする場合でも、気を使ってしまうじゃないですか。そういう余計なことに神経を使わずに、クリエイティブなことに集中したかったんですよ。あとは単純に、優秀な若いミュージシャンと一緒にやることで、フレッシュなエネルギーももらえるし、20歳くらい離れていると、音楽体験も違うから、曲の解釈の違いもあるだろうし、そこが楽しみなんですよ。色々と刺激をもらえそうだなぁって。

――このメンバーはどんな基準、どんな経緯で決めたのですか?

色々な人に、「誰かいい人がいたら、紹介して」って声をかけました。みんな、親身になってくれて。「こんなミュージシャンがいますよ」って、データをLINEで送ってくれて、スタッフにも相談して、最終的には俺が直感で選ばせてもらいました。バンドって、コーラスが重要だと思ったので、コーラスができることは、条件に入れていました。でもまだ誰とも会っていないので、ドキドキですね(※この取材をしたのは5月上旬で、取材の数日後に飲み会を開催したとのこと)。「初めまして」でいきなり楽器を持ってプレイするのではなく、まず一緒に飲んで、人として慣れてからリハーサルに入ろうと。絶対その方がいいです。

――飲み会で議論になったりするかもしれませんよ(笑)。

それは、僕にとってはウェルカムなんですよ。意見を言ってくれるのはクリエイティブなことだと思うから。どんどん言ってほしいですね。

和田唱

――メンバーと会うところから始まるのは、ワクワクしますね。

そうなんですよ。考えてみれば、TRICERATOPSの時も初めてのライブはドキドキでしたもん。とりあえずやってみるかという感じで、1997年に渋谷のLa.mamaで初ライブをやったんですよ。

――その時は手応えを感じましたか?

手応えを感じる余裕もなかった気がしますね。学校の友達にを売りつけて、10人くらい呼んで、彼らを目の前に演奏しました。俺にとって冒険だったのは、自分で作った日本語の歌詞を、連中の前で歌ったこと。ハンパない恥ずかしさで、途中でやめようかと思いました(笑)。それまで俺は学園祭で洋楽のカバーしかやったことがなかったので、まったく違うんですよ。歌詞を自分で作るだけでも恥ずかしいのに、日本語のラブソングの歌詞を彼らの前で歌うのが、嫌で嫌でしょうがなかった。でもやらなきゃしょうがないからやったら、数曲目で恥ずかしさが吹っ飛んで、乗り越えることができました。1回やっちまうと、図々しくなれるんだなと思いました(笑)。あの時のLa.mamaは、21歳になった頃ですね。

――今回が49歳だから、ほぼ30年前ですね。

今回のライブはあの時とよく似ている気がします。TRICERATOPSは初めて自分で作ったバンドで、オリジナル曲をやる大冒険をして、そこでの最初の一歩がずっと今まで続いてきたわけなんですよ。今回はあの時以来の初めてのバンド。しかも今の時点でまだ会ってもいないし、リハもしていません。メンバーを直感で選びましたけど、どうなるかまったくわからないわけで。ドキドキしながらも、次の最初の一歩を踏み出そうと思っています

――リハーサルもまだだと、曲目も決まっていないわけですね。

ある程度はリストアップして、音源を渡してあります。普通は譜面を渡すんでしょうけれど、TRICERATOPSは譜面を使わないバンドだったし、俺も譜面を使わないので、音源だけ渡しています。「必要なら、自分で書いてください」というスタイルです(笑)。

――今回のメンバーで当分やっていくのかどうかも、まだわからないんですよね。今の時点では先のことはまったくわかりません。

サポートメンバーなので、入れ替えがあるかもしれないし、どうなっていくかは、やってみた手応え次第ですよね。だからずっとドキドキです(笑)。

――年齢が20歳くらい離れているメンバーもいるわけですよね。

そこは楽しみですね。俺がデビューした頃に生まれているってことですもんね。新しい刺激を受けたいです。

――SHO WADA and His Band、統率力も求められるかもしれません。

そのあたりはデビューして30年弱で、培われてきたところはありますね。実はもともと制作現場で音楽的に仕切るのは嫌いじゃないんですよ。『クリスマスの約束』の時も、あの小田(和正)さんに対して仕切らせていただいたこともありましたし(笑)。小田さんも僕の仕切りに対して喜んでくれた節もあるんじゃないかと思いますね。音楽をクリエイティブに作っていきたいと思っている人って、実は意見を言ってくれることをのぞんでいるケースが多いと思うんですよ、自分も含めて。

和田唱

――ライブの話に戻りますが、まだメンバーと会っていない段階ではありますが、こんなライブにしたい、目指したいというイメージや理想像はありますか?

音楽に没頭したいし、音楽を楽しみたいですね。自分が作ってきた曲を必死になってやるのではなく、楽しみたい。と言っても、結局必死になると思いますが(笑)。そこは僕の悪いクセですね。野球でもゴルフでも力を抜いたほうが飛ぶというじゃないですか。それって、音楽にも当てはまると思うんですね。俺はコレまで力むことが多かったので、ここらで力を抜いて飛ばしたい。鍵盤もいるから、任せるところは任せて、曲の中に入り込んで音楽を楽しみたいです。あと、ソロ活動ではアコギを弾くことが多かったんですが、今は単純にエレキギターが弾きたいです。シンガーソングライターを目指したいという気持ちもありますが、同時に、エレキギターは自分は原点ですから。鏡の前でギターをぶらさげて立つとしたら、アコギじゃ違うんですよ(笑)。エレキギターじゃないと、テンションが上がらない(笑)。

――バンドって、見た目のかっこ良さも大切です。

そこは常に大事だと思っていますね。飲みながら、ステージで何色の衣装を着るか、ということも話し合いたいですね。今はともかく、踏み出すことが大切だと思っています。1997年の初めてのLa.mamaでのライブで、もしも、「自分の書いた日本語のラブソングを歌いたくない」と言って辞めていたら、いまだにデビューしてなかったかもしれない(笑)。怖いことは怖いんですが、「嫌」と「怖い」は違いますから。例えば、長テーブルに座る大人数の飲み会に誘われたとすると、「怖い」じゃなくて、「嫌」なんですよ。嫌なところには行かなくていいし、嫌なことはやらなくていい。でも、「怖い」はやってみる価値がありますね。「怖い」はクリアすることで、選択肢が広がるからです。未来への可能性が広がるならば、やるべきだと思います。「SHO WADA and HIS BAND」は、すべてがゼロからのスタートです。映画で言えば、「エピソード0」。観客のみなさんも、新たな始まりのワクワクドキドキを、ぜひ一緒に味わいに来てください。


取材・文=長谷川誠 撮影=大橋祐希

和田唱

ツアー情報

SHO WADA and His Band ~TOKYO/OSAKA ~
6月15日(日)東京/日本橋三井ホール※SOLD OUT
open1615 start1700
席種:全席指定 ¥6800(税込)+1ドリンクオーダー

6月22日(日)大阪/心斎橋Janus
open1615 start1700
席種:整理番号付き全自由 ¥6800(税込)+1ドリンクオーダー
  • イープラス
  • 和田唱
  • 和田唱がTRICERATOPSでの活動を止めてもバンドに拘る意味、そして新たな可能性を秘めたライブへの想いを訊く