ピアニスト菊池亮太が綴る音楽と記憶のエッセイ――2年ぶりツアー『人生の階段』大阪公演レポート

2026.1.15
レポート
クラシック

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2025年11月22日(土)に大阪のザ・フェニックスホールで行われた菊池亮太のリサイタル『人生の階段』が開催された。それはまるで、タイトルのように菊池が今日(こんにち)まで上ってきた“階段”を、音楽で回想する公演だった。

まずは前半、飄々と舞台に姿を現した菊池は、ツアーの表題曲である「人生の階段」で静謐な空気を纏いながら演奏を開始する。そこからシームレスに、ショパンの「ノクターン 作品9-2」とサティ「ジムノペディ」第1番を展開。まるで清い水を一粒ずつ落とすかのような繊細さがある一方で、こちらが触れようとしてもつかめないような不思議な漂いがあり、思わず追いかけたくなる引力を秘めた演奏だ。メドレーのままプッチーニのオペラ『トゥーランドット』より「誰も寝てはならぬ」をドラマチックに演奏して、ドラマチックに聴衆の耳をグッとつかみ、クライマックスはラフマニノフの作品群で畳みかけ。およそ300席というコンパクトなホールに、熱気が一気に充満していくのがわかった。

奇しくもその熱気にもっとも強く影響されたのが菊池本人だったようで、演奏終了後に「ザ・フェニックスホールは皆さんとの距離が近いからか、今とてもホットな気持ちです。この空間の温度、高すぎませんか。そう思うの、俺だけ?(笑)」とフランクに客席と距離を詰める様子もあった。

こうして客席とコミュニケーションをとりながら、そのままリクエストコーナーに突入。リクエストしたい曲のある観客は挙手をし、菊池がランダムで指名。10曲ほどを即興メドレーで演奏した。映画『ひまわり』のヘンリー・マンシーニによるテーマソングでメランコリックに始まり、久石譲の「人生のメリーゴーランド」などの映画音楽、ラヴェル「水の戯れ」やシューマン「献呈」などのクラシック、ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」やジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」などの洋楽など。オリジナルの魅力を押さえつつ、菊池イズムで華を添える聴き応え抜群のメドレーだった。

前半の最後は、この公演のために新しく書き下ろされたMBSテレビの天気予報(2025 冬)『MBSお天気部』テーマ曲になったオリジナル作品「雪風の街」を披露。朗々とした語りで爽やかさと懐かしみを兼ね備えた作風で、奇しくも音楽を軸に人生を振り返る後半パートへの布石とも感じられるような演奏であったように思う。

休憩が明けた後半パートはヴィラ=ロボス「赤ちゃんの一族」の第一組曲「お人形たち」より「道化人形」で勢いよくスタート。「私は電気のブレーカーを落とすことがいちばんの喜びであるほど、活発な赤ちゃんでした。それを象徴するのがこの作品です」と自ら選曲の理由を説明する様子を見て、これから菊池のこれまでの“階段”を辿る時間が始まろうとしていることがわかった。

続いて演奏したアイアランド「Decorations」より第一組曲「島の呪文」は、活発な子どもであったゆえに、海水浴で小さな島に引き寄せられ溺れかけたエピソードに紐づけて選曲したそうだ。夢想するような柔らかな演奏でありながら、かつて菊池を呼び寄せることになった引力さながら、恐ろしさと美しさが同居しているようである。そして、ドビュッシーの「前奏曲集」第1集より「沈める寺」を続けて演奏。海底に沈んだ都市や寺にまつわる伝説に着想を得たという作品だ。当日配布されたパンフレットで、菊池は溺れかけた自分を助けてくれた男性への感謝の言葉を記した。きっと今も忘れがたい記憶であり、今の菊池をかたちづくることになった大きな出来事でもあるのだろう。その海に、もしかすると菊池は今も魅せられ続けているのではないか――そう感じる演奏だった。

次に、生まれ育った秋田から東京に移り住んだ小学生時代を回顧しながら、グリーグ「抒情小曲集」より「郷愁」、そしてスメタナ「我が祖国」より「モルダウ」を演奏。チェコに生まれたスメタナと、ノルウェーに生まれたグリーグは、どちらも祖国の文化や音楽に強くインスパイアされて音楽を書いた作曲家だ。どこか憂いと懐かしみの帯びた演奏であった「郷愁」と、激しさと優しさを両立させた「モルダウ」に、菊池自身がかつての故郷を慈しむ気持ちが垣間見られた。

続いて、菊池が参加するバンド・アノアタリの楽曲「ママレード」のピアノアレンジ版、菊池の中学・高校の友人である松田怜が編曲を手がけたサン=サーンス「動物の謝肉祭」より「白鳥」も演奏され、学生時代から現在までの菊池の足跡を辿るような時間となった。「ママレード」はオリジナルのポップでレトロな雰囲気からガラリと情緒的にアレンジされ、優美な「白鳥」となだらかに繋がり、その音楽にゆったりと身を委ねたくなる時間であった。

そして、前半に続いて再び「人生の階段」を間髪入れず演奏。菊池がこれまで登ってきた階段を振り返るかのような、穏やかでありながらも何かから解き放たれたような爽やかさが漂い、一つのクライマックスを迎えた瞬間であった。

プログラムの最後は、スクリャービンの「焔に向かって」。世界が炎で焼き尽くされる様を描いたとされ、スクリャービンによる終末への強い視線を感じる本作品。菊池はこれに自身を重ねたそうで、「年齢を重ねるごとに、生まれ変わりたい気持ちが増していく。いつまでピアノが弾けるのだろうか、と考えることもあるけれど、過去の自分を燃やし尽くしながら新しいことに挑戦していきたい」と前向きに語り、演奏を始めた。力強い言葉の通り、菊池本来の確かな技術力で裏打ちした説得力ある演奏で、情熱と理性を見事なバランスで調和させて渦を巻くように音楽を締めくくった。

私たちは、いま過ごしている1秒1秒を何気なく過ごしてしまいがちで、気づけば頭の奥底にしまわれて忘却されることの方が多くなるものだ。しかし音楽と紐づくことで当時のことが思い出されたり、何でもないと思っていた出来事に大きな意味が与えられたりもする。今回はまさに菊池が音楽と記憶を結びつける様を目の当たりにできるプログラムで、まるで菊池による上質なエッセイや記憶史に触れられるような特別な時間でもあった。

アンコールは、ガーシュウィンの「ピアノ協奏曲」第3楽章のピアノアレンジ版のほか、「やっぱ好きやねん」などの大阪の音楽とジャズ・ナンバー「A列車で行こう」を交えた即興演奏(なんと、客席に応えて「六甲おろし」も即席ではさみ込むサービスも!)、そして菊池本人による「パガニーニ変奏曲」のオリジナルバージョン。圧巻のラストに向かいながら勢いを増させていくその様子は、これからも菊池が “焔”に向かいながらパワーアップしていくだろう未来を予感させた。

取材・文=桒田萌 撮影=福家信哉

公演情報

菊池亮太 Piano Recital TOUR '25 - '26『人生の階段』

公演日時:2026年1月25日(日) 13:30開場/14:00開演
会場:福島県国見町観月台文化センター
全席指定 4,000円(税込)
 
公演日時:2026年2月1日(日)
①15:00開場/15:30開演 ②18:30開場/19:00開演
会場:渋谷CLUB QUATTRO (東京都)
全席指定 7,000円(税込)
※SOLD OUT

『のだめカンタービレ クラシック・フェスティヴァル in 秩父ミューズパーク』
 
公演日時:2026年5月3日(日祝) 12:00開場/13:00開演
会場:秩父ミューズパーク 野外ステージ (埼玉県)
出演:指揮・音楽監修:茂木大輔/石井琢磨(Pf)/菊池亮太(Pf)/角野未来(Pf)/高木凜々子 (Vn)/新倉瞳(Vc)
のだめ祝祭管弦楽団 / コンサートマスター:東 亮汰(Vn)
指定席(前方エリア):¥11,000 / 芝生席(後方エリア):¥6,600
 
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