《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 14 豊竹藤太夫(文楽太夫)
豊竹藤太夫(文楽太夫)
劇団「新國劇」の俳優から文楽の太夫に転身するという異色の経歴の持ち主。2019年には、これまた異色の改名で現在の芸名となった。丹田を鍛え、「20歳は若い」と自負してパワフルに活動中の豊竹藤太夫(70)の半生と現在に迫る。
劇団四季の浜畑賢吉に憧れて
豊竹藤太夫さんというと、2つの正反対なイメージが浮かぶ。1つはドキュメンタリー番組ではおなじみだった、師である人間国宝の故・七世竹本住太夫の稽古で厳しく指導される姿。もう1つは2年前に開設したYouTubeチャンネル「とうだゆうチャンネル」での陽気でハイテンションな姿。
そんな藤太夫さんのルーツは、伊勢神宮の別宮「瀧原宮」がある、三重県度会郡大紀町滝原。自然豊かな環境で育ち、小学校に上がるタイミングで松坂市内に移り住んだ。中学校3年生の時には生徒会長に立候補し、全校生徒1500名の前で演説してトップ当選。人前に出る快感を知り、高校では演劇部に入部する。
「女子は5〜6人いましたが、男子が僕一人だったので、入ってすぐ主役ですよ。初舞台は、“男”“女”“演出家”しか出てこない、谷川俊太郎さんの『部屋』というお芝居でした。転機は、学校から『そろそろ進路を決めなさい』と言われた高校2年生の頃、NHKの金曜ドラマ『男は度胸~徳川太平記より』を観たこと。劇団四季にいらした浜畑賢吉さんが主役の徳川吉宗役を射止められて、すごい人気になったんですよ。『浜畑様』と、世の奥様方が大騒ぎで。とにかくカッコよくて、『めっちゃ儲かるし、めっちゃモテるよな、将来の仕事はこれしかない!』と(笑)。同じ頃、演劇部の先輩と津市まで劇団四季の『ハムレット』を観に行きました。平幹二朗さんのハムレットでオフィーリアが影万里江さん。これが初めて観たプロの舞台です」
ただし、父は銀行員で母が小学校の教員という家庭。俳優になると言えば反対されると考えた藤太夫さんは、演劇の実技を教えていた玉川大学を受験することにし、親には「玉川大学文学部を受験する」と説明する。
「届いた書類に『文学部芸術学科』とあって親は『ん?』と。とはいえ親たちも戦争で自分の好きなことができなかった世代だけに、堅い家でありながらも子供にはやりたいことをやらせてやろうという気持ちがあったようで、さほど反対されずに済みました。実技試験の朗読の課題は、なんと初めて観た舞台と同じ『ハムレット』。『あるか、あらぬか、それが問題だ』とやって、無事に合格しました」
大学時代に劇団四季を受験
大学に入ってすぐ、授業の一環で創った舞台は『ジーザス・クライスト・スーパースター』。あの劇団四季がレパートリーにしているアンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカルだ。
「大学に入ってからも劇団四季や日生劇場のミュージカルを観ていましたから、『これだー!』という感じ。ペテロを演じ、『よっしゃ、ミュージカルだ、劇団四季だ、浜畑賢吉だ!』と、2年生になる時に劇団四季のオーディションを受けに、参宮橋の事務所まで行きました。浅利慶太さんが真ん中にいて、その横に影万里江さん。影さんが『今、玉川大学なんですね』などとおっしゃるので、『影さん、平幹二朗さんのオフィーリアを拝見しています』なんて答えて。朗読の課題は『オンディーヌ』か何かだったと思いますが、意味もわからず棒読みで言っているだけ。まだ学生だし、問題外という感じでした」
しかし、大学の名誉教授だった演劇研究者の今尾哲也が演出する授業では、いつも大きな役がついた。
「今尾先生は当時の歌舞伎学会の会長で、僕の卒論の指導教授にもなってくださったのですが、先生の授業では2年生の中で一人だけ抜擢されて3年生と4年生の芝居に人斬り半次郎という役を演じましたし、和風オペラ『吉四六昇天』では主役の吉四六さんで、最後は宙吊りで飛んでいきました。僕だけかつら屋さんに行かされることも多く、時代劇だと良い役がつくんだなあと思っていましたね。4年生の時、その今尾先生に『この先どうするんだ』と聞かれ、『歌舞伎は好きなんですけど、世襲制度だから』と答えたら、『新國劇はどうだ』『ちょうど歌舞伎座で新國劇創立60周年記念公演をやっているから見て来い』。名優・辰巳柳太郎先生の台詞を聴いて『歌舞伎じゃん』と。今尾先生に『新國劇行きます!』と言うと、台詞の勉強のために常磐津をやりなさい、動きのために日本舞踊をやりなさい、と。それで、常磐津は文字増師匠のもとに習いに行き、日本舞踊は授業で習う坂東流のほかに、自分で花柳流も習いに行きました」
60周年記念公演中の歌舞伎座の楽屋で試験を受け、見事合格。既に学校の単位をほとんど取っていた藤太夫さんは、卒業を待たずに新國劇に入った。
≫新國劇で辰巳柳太郎に鍛えられて