《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 14 豊竹藤太夫(文楽太夫)

インタビュー
舞台
2026.1.20


住太夫の熱血指導を受けながら

こうして1982年、竹本文字久太夫を名乗り、朝日座で初舞台。舞台上でラーメンのことを考え、「自分は役者に向いていない」と思った藤太夫さんだが、太夫では大丈夫だったのだろうか?

「三味線とのやり取りもありますし、ずっと息を詰めて丹田に力を入れていますから、一瞬たりとも、ボーっとしている暇がないんです。それに、師匠の稽古がとにかく厳しいわけです。たった一言の台詞でも、舞台が終わって『有難うございました』と挨拶にうかがうと『あそこ、ああやで』『こうやで』と言われますし」

前述の通り、住太夫の熱血指導は有名で、藤太夫さんが叱られる風景はしばしばドキュメンタリー番組に取り上げられていた。

「結局、3つのことなんですよ。1つ目はハラ。丹田と言い換えることができます。文字増師匠からも辰巳先生からも同様のことは言われていました。辰巳先生がずっとつけていた腰紐を『新調したから古いのをお前にやるわ』とくださったのを、僕は大事に使っています。奥様による“タツミ”という刺繍が入っているんですよ。2つ目は白毫(びゃくごう)。インドで言う第6チャクラですね。ここを響かせないといけない。住太夫師匠にはよく突かれましたし、先代(五世鶴澤)燕三師匠からも道行のお稽古で高い声を出す時、『ここや、ここや』と。敢えて憎たらしく言って『なにを!』と思わせるんですよね。3つ目はオン。住太夫師匠に『オンや。オンがないわ』と言われ続けて、その時はわからなかったけれど、倍音のことです。文楽の語りは声で作るのではなく、蝶形骨洞にまず息を入れ、前頭洞、篩骨洞、上顎洞の3つを使いながら、4つの副鼻腔で発声するのだと、僕は考えています。住太夫師匠が亡くなられたあと、尺八奏者の中村明一さんの『「密息」で身体が変わる』と『倍音 音・ことば・身体の文化誌』に出会ってはっきりとわかりました。亡くなる前にわかったらよかったけれど、でも師匠も最後の方は『わしがおらんようになったらわかるわ』とおっしゃっていました。ご自身も二世野澤喜左衛門師匠に散々怒られていて、いなくなって重しが取れてからきっちりとわかったのではないでしょうか」

それにしても、辰巳柳太郎といい、住太夫といい、厳しい師匠につく運命なのだろうか?

「辰巳先生は『バカ!』とバチーンと叩いてそれで終わりでしたし、住太夫師匠も『バカ!アホ!』と怒鳴られても稽古が終われば仲良くといいますか。何時間も稽古で絞られて、足も痛くて……という状態から『有難うございました』と師匠の家を出て帰宅する頃には、なんだかさっぱりしたような、稽古に行ってよかったなあという気分になっていたんですよ」

文楽の顔とも言うべき存在だった住太夫。2012年に大阪で文楽への補助金支給を巡って騒動が起きた時には、当時の橋下徹大阪市長から名指しで批判され、脳梗塞に倒れるもリハビリの末、翌年に舞台復帰を果たした。

「復帰して『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』に出た時の凄い拍手はいまだに忘れられません。今までの文楽で最高の拍手だったのではないですか? 住太夫師匠が教えたかったことを僕が体現して、それをまた次にしっかりと伝えていかなくてはと思いますね」

ストラトフォード=アポン=エイヴォンのシェイクスピアの生家の前で。竹本住太夫(右)と。          提供:豊竹藤太夫

ストラトフォード=アポン=エイヴォンのシェイクスピアの生家の前で。竹本住太夫(右)と。          提供:豊竹藤太夫


≫「藤太夫」への改名

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