《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 14 豊竹藤太夫(文楽太夫)

インタビュー
舞台
2026.1.20


「藤太夫」への改名

文字久太夫から現在の「豊竹藤太夫」に改名したのは、2019年のこと。

「僕の先祖は滝原の北氏という豪族なんです。代々当主として継いできた名が『北與五郎』で、江戸時代には本陣も営んでいましたが、一方で伊勢の御師もやっており、その際には『藤太夫』を名乗っていたようです。ある日、夢の中で僕が北家の本陣の前を掃き清めていたところ、塗りの駕籠が到着し、すっと降りてきた人が草履を履く。僕が『本居先生!』と走っていくと、立ち上がりかけていた初老の方が『やあ、與五郎さん』と言う。この夢を、10日おいて2回見たんです。しかも目が覚めた時、とても気持ちがよくて。一度目はその日に文楽協会の賞をいただいたので、二度目もまた良いことがあるかな?と待っていたところ、何も起きない。でも、春日大社の権宮司をなさっていた岡本彰夫さんにこのことを話したら、『それは先祖が自分のことを調べなさいと言っているんですよ』。それで伊勢神宮文庫に行って色々と調べるうちに、自分が200年前の北藤太夫の生まれ変わりなのではないか、芸名をこの名にするべきではないかと考えるに至ったんです」

自身の前名でもあった文字太夫を十代目として継がせるつもりだった住太夫は激怒したそうだが、意志は揺るがなかった。文楽には過去に歌舞伎の竹本連中に行った「竹本藤太夫」という人物がいたため、名字は「豊竹」に。

「改名して、別人のように人生が変わりましたね。『ふじたゆう』と読まれてしまうからまず『とうだゆう』だと知ってもらうためにFacebookを始め、2年前にはYouTubeも開設。新たな出会いに恵まれ、良いことだらけです」

2月公演では「文楽名作入門」と銘打たれた第3部『勧進帳』で富樫之介正弘(とがしのすけまさひろ)を語る。能『安宅(あたか)』をもとに歌舞伎として創られ、文楽に移植された演目で、兄である源頼朝に追われた源義経一行が山伏に変装して奥州へ落ち延びる途中、安宅の関で関守の富樫之介正弘から呼び止められ、弁慶がとっさに持ち合わせた巻物を東大寺勧進の勧進帳であると偽って読み上げ、無事に関を通過するまでを描く。

「歌舞伎の『勧進帳』では長唄の綺麗なメロディが聴きどころの一つですが、文楽は文楽として楽しんでいただけたらと。歌舞伎はずっと松羽目ですが、文楽は関所を越えてからは、バックが海の景色になるんですよ。富樫の台詞から始まりますから、そこで松羽目物の大きさを出さないといけません。弁慶も富樫も過去にやっているからわかるのですが、弁慶は富樫次第。弁慶にズバッズバッと切り込んでいく鋭さが大事ですね。丹田を使った武士の呼吸で、錣太夫さんの弁慶を追い詰めたいと思います」

昨年70歳になった藤太夫さん。70代というと円熟期にあたるが……。

「普通はそうですけど、丹田の深い呼吸をすると20歳は若くなると思うので(笑)。とにかく、自分の好き勝手な語りではなく、作者が言いたいことをそのまま、僕の身体を通して素直に語りたいですね。住太夫師匠がいらした頃は形にとらわれてしまっているところがありましたが、最近組むことが多い三味線の鶴澤燕三兄さんからは『自分自身の息で語れ』という感じで弾いてくださるので、少しずつ自分の浄瑠璃を語れるようになってきている気がするんですよ」

2025年5月文楽公演『芦屋道満大内鑑』加茂館の段より。          提供:国立劇場

2025年5月文楽公演『芦屋道満大内鑑』加茂館の段より。         提供:国立劇場


 

≫「技芸員への3つの質問」

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