カペルマイスターとしての頂点へ 「ベルリン・フィルと指揮者たち」2
バイロイト音楽祭公式サイトより
「ドイツの最高のマエストロ」として
さてシリーズ「ベルリン・フィルと指揮者たち」、今回は決定前に本命視されていた二人のうち、特にドイツ的とされる演奏をベルリン・フィルハーモニーに期待する人たちが熱心に支持したクリスティアン・ティーレマン(1959-)の話をしよう。
個人的な記憶を手繰れば、彼の最初の印象は1996年にリリースされたCDを試聴して感じた「これは本気でやっているのか?」というものだ。昔のこととはいえ乱暴な物言いだとは自分でも思うが、「録音に遺された”ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのような”演奏を目指した」と思われる演奏が新譜として現れたことを、どう受け止めたものか正直に言ってよくわからなかったのだ。
当時のことを少し思い出してみよう。ニコラウス・アーノンクールとヨーロッパ室内管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集は世界的に絶賛され(録音は1990~1991年)、ピエール・ブーレーズは大々的に指揮活動を再開し(1993年ころからドイツ・グラモフォンへのレコーディングが始まっている。1995年には日本でも大々的にブーレーズ・フェスティバルが開かれたことも思い出そう)、「バーミンガム市交響楽団のサー・サイモン・ラトル」がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を繰り返していた(1993年に定期演奏会初登場)、等など。そうそう、ギュンター・ヴァントがベルリン・フィルの指揮台に登場したのも1996年の1月のことだ。いろいろな意味で20世紀ももう終わろうというそんな時期に、「時計の針が半世紀ほども戻ったような演奏が登場した」ように感じられてしまった当時の私の戸惑いをご理解いただけるだろうか。
……昔話が長くて申し訳ない。それにしてもこれがほぼ20年前の話なのか、と思うと少し気が遠くなる。それだけの時間が経って、今なら昔の自分に迷いなく答えることができる、「彼は本気だよ」と。その道を迷わず進み、「ベルリン・フィルのポストの最有力候補」とまで言われるような大指揮者になるんだよ、と。
録音を中心に受容されてきた日本ではその頃に突然頭角を現したように感じられたティーレマンだが、彼のキャリアはオペラハウスを舞台にそれ以前から地道に積み重ねられていた。コレペティトゥアとしてピアノを弾いて歌手に稽古をつけ、副指揮者やアシスタントとして各地で経験を積み、といった伝統的で典型的な指揮者の修行時代である。わずか4歳しか離れていないサイモン・ラトルが地方のオーケストラでしかなかったバーミンガム市交響楽団を率いることで世界をリードするに至ったこととのコントラストたるや。
そんなオペラ指揮者の「本道」を歩む彼がドイツ各地の歌劇場にポストを得て、その活躍を世界が知るようになるのは1990年代以降のことだ。ドイツ国外での活動の初期のものとして、1994年に上演されたメトロポリタン歌劇場での「アラベラ」のDVDが残されているが、この頃にはすでに彼の美点である歌手を引き立てつつ、随所で印象的なデフォルメを施すスタイルが確立されていることがわかる。
そしてその後には前述したフィルハーモニア管との録音があり、さらにベルリン・ドイツ・オペラ、ミュンヘン・フィル、そして現在も首席指揮者を務めるシュターツカペレ・ドレスデンとの仕事があるわけだけれど、それらはあえて私から紹介する必要もないだろう。
彼が独墺圏のカペルマイスターとして極めるべき高峰はもう、ウィーンにしかないのではないだろうか?などとぼんやり考えてはじめていたこの6月のことだ、「彼がバイロイト音楽祭の”芸術監督”に就任した」という噂が流れたのは。「駐車場にそう書かれたプレートが貼られている」という、リハーサルの開始時期などを踏まえて考えればなかなかリアリティのある話だったが、その時点ではまだベルリン・フィルの次期首席指揮者は決まっていないわけで、はてこれは何を意味するものかとしばし考えたものだ。
皆さまも御存知の通り、その後6月22日にはベルリン・フィルの次期首席指揮者はキリル・ペトレンコと発表され、7月には「ティーレマンがバイロイト音楽祭に新設される芸術監督に就任する」と発表されて噂が事実だったと判明する。彼自身熱望し、そして彼のファンが期待した「ベルリンで生まれ育ったベルリン・フィルの首席指揮者」は誕生しなかった。
いろいろな噂はあるけれど、このオーケストラの選択については推測しかできない。ひとつ確実に言えるのは、1972年生まれのペトレンコよりもラトルに年の近い彼を3年後にシェフにすることがためらわれただろう、ということだ。こればかりはめぐりあわせであり、彼にもオーケストラにも、もちろんファンにもどうすることもできない。
オーケストラ指揮者としてドレスデン、そしてオペラ指揮者としてはワーグナーの聖地バイロイト、とティーレマンの活躍の舞台は一周してドイツ国内へと戻ってきた感がある。もちろんその高さは以前とははるかに異なるもので、いまの彼はドイツ音楽の伝統の守護者にも擬されている。しかしその在り方が「現在のベルリン・フィルが求めるもの」とは違っていた可能性もあるのはなんとも皮肉だけれど、これもまためぐりあわせというもの、なのだろう。ともあれ、ベルリン・フィルと彼の進む道は分かたれたけれど、それぞれの道でより高い場所へと我々聴き手を導いてくれることを期待しよう。
なお、7月に開幕した今年のバイロイト音楽祭でクリスティアン・ティーレマンは「トリスタンとイゾルデ」の新演出を指揮して大絶賛されている。その上演は収録されたとのことだから、きっと年末にでも我らが公共放送で放送されるのではないだろうか、と期待を込めて申し上げておこう。
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本シリーズ第三回では、今回のティーレマンに続いて「もう一人の本命」と言われたアンドリス・ネルソンスについて取り上げる。