エンタメの今に切り込む新企画【ザ・プロデューサーズ】第十一回・須田剛一氏

インタビュー
音楽
アニメ/ゲーム
2016.10.19
ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

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編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。それは”エンタメを動かしている人たち”だ。それは、例えばプロデューサーという立場であったり、事務所の代表、マネージャー、作家、エンタメを提供する協会の理事、クリエイターなどなど。すべてのエンタメには”仕掛け人”がおり、様々な突出した才能を持つアーティストやクリエイターを世に広め、認知させ、楽しませ、そしてシーンを作ってきた人たちが確実に存在する。SPICEでも日々紹介しているようなミュージシャンや役者やアスリートなどが世に知られ、躍動するその裏側で、全く別の種類の才能でもってシーンを支える人たちに焦点をあてた企画。

それが「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そして現在のシーンを、裏側を聞き出す企画。

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今回のプロデューサーズは今までの音楽業界から離れ、なんとゲームクリエイター須田剛一氏へと直撃。スーパーファイヤープロレスリングの制作秘話から、最新作「LET IT DIE」まで。ゲームというフィールドで世界へはばたく気鋭のクリエイターの本音を掘り出した。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏


――ゲームつくりはじめたのって、どういうところからスタートなんですか?
 
そもそも僕は目指していなかったんですよね。というか、この業界に入れるとは思っていなくて。僕が丁度業界入る直前ってスーファミの時代だったんですけど、そもそも作っている人の顔なんて当時は見えなかったんですよ。

――そうですよね。

だから僕、ゲームは博士みたいな人が作っていると思っていたんです。博士たちがでっかいコンピューターいじって、ガチャって押すとガチャーンってソフトが出てくる、みたいな (笑)。 そういう作り方をしていると本気で思ってたんですよね。それで、業界入る直前にグラフィックデザインの仕事をした事があって、その時にSEGAさんの仕事を事務所が受けていたんですよ。会社案内のデザインを組んだあとに『バーチャレーシング』っていう鈴木裕さんが作られたアーケードゲームがあって、当時AM2研というスターチームが作っていたんですけど、そこのゲーメストの広告のデザインもお願いされたんですよ。

――なるほど。

それではじめて開発部署に連れて行ってもらったんですけど、そこはもうほんとに聖域で。当時PR担当も一回も入ったことない場所らしいんです。そこでゲームを一通り二回くらい遊ばせてもらって。そうしたらですね、勿論そこで働いている人たちがいるんですよ。オフィスに。博士じゃないんですよね(笑)。 あれ、博士がいないぞって思って。みんな私服で、ヘッドホンつけながらカチャカチャやってて、案内されているときに横通ったりしたらCDとか置いてあって、聞いてる音楽とかもあんま変わりないんですよ。同年代の人たちが作ってて、あれって思ったんですよね。俺もここで働けるんじゃないかって。

――自分に近い人達がゲームを作っていたんですね。普通の人達が作っていた。

そう、働けるんじゃない?って思ったのがきっかけなんですけど、とはいえ出入り業者なんで。そのあとに僕葬儀屋を10カ月くらいやっていたんです、なかなか食えなかったんですけど葬儀屋ってギャラが良いんですよ。だから業界に骨埋めようと思ってたし。たまにお小遣いもらえたりすることもあって(笑)。

――僕の友達もやってましたけど、結構シフトの融通聞いたりするみたいですね、葬儀業って。

そうそう。そういうのもあるし、稼ぎが良いんですよ。だから安定する。で、何社から社員にならない?って声かけてもらって。でもその時に、妻が……当時もう結婚してたんですけど、そういうことをやりたいがために東京出てきたわけじゃないでしょ、って言われたんです。何か夢があるんじゃないのって。でも僕これといった具体的な夢はないんですけど(笑)。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

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――そんな(笑)。

でも、ものを作る仕事をしたいなってのはずっとあったんです。ただ僕自身もなんのベースもないですし、学校行ってたわけでもないので。でも、いや待てよと。ゲーム業界いけるんじゃないかって。前述のSEGAさん行ったときに、同年代の人たちが働いているのを見て、ゲームはずっと好きだったので、作れるんだったら作りたいなって思って。

――はい。

就職雑誌をぶらぶら眺めてたらアトラスとヒューマンが募集してたんですよ。両方とも書類送ったんですけど、アトラスは書類で落ちて、ヒューマンは面接しましょうって風に連絡がきて。

――アトラスに入ってたらもしかしたらペルソナシリーズとか作ってたかもしれないですね。

かもしれない(笑)。 で、ヒューマンに面接に行ったんです。でもしばらく面接の結果が来なかったんですよ。それでこれ落ちたなって思ってたんですよ。だからもういいや、葬儀屋で生きていこうと思ってたら、また妻が連絡来てないんだから連絡しないとわからないじゃん、連絡してみなよって言うんです。でも落ちてるのをわざわざ電話して知るのって男として恥ずかしいじゃないですか(笑)。  「絶対落ちてるから!」って言って喧嘩になっちゃって、逆切れして確認の電話したんですよ。そうしたら、ちょっと待ってくださいねって、ザワザワしてるからなんだろうと思ったら「今週これます?」って再度面接があったんです。

――落ちてる確認をしたら再面接ですか。

ええ、行ってみたら、当時の企画課の課長とか、この間とは違うメンバーが面接に来てくれたんですけど、それでいろいろ話をして、すぐ採用になったんですよ。

――受かっていたんですね。

いや、実は僕落ちてたんですよ。それでその連絡を僕にし忘れたみたいで。でも僕が電話をしたタイミングでファイプロ(編集部注:ヒューマンが制作・販売していた家庭用プロレスゲーム『ファイヤープロレスリングシリーズ』の略称)を作ってるデイレクターが会社をやめるって辞表を出してたんですね。ところが、当時の企画課にはプロレス詳しい人間が誰もいなかったんですよ。ファイプロ看板タイトルなのにどうしようってときに、そういえば一人プロレス詳しいやつがいたってなって、面接担当の方が僕のことを覚えてくれていて、急遽面接になって。ほんと滑り込み……じゃないんですけど。そもそも滑ってたんで(笑)。 ちょっと別の方法で入ったという。それでこの業界にまんまと入り込んだんです。偶然と奇跡が重なったというか。

――それはもう“持ってる”んですよ、たぶん。

なんですかね。たぶんプロレスの神様に呼ばれたと思っていて(笑)。

――カール・ゴッチでしょうか?(笑)。

ゴッチ先生に呼ばれたのかなって、ほんとプロレスには感謝してますね。プロレスの一芸だけでこの業界入ったので。

――すごいですね、この話。でも色々な方の話を聞いていると、そういう風な入り方している人ばかりですね。偶然行ってみたら入れた、とか。

案外そういうことなんでしょうね。

――でも、今の仕事をするきっかけは奥様なんですね。

そうなんですよ。妻がそういうむごいこと言わなければ……男ってプライドがあるんで。でも女性はそういうの関係ないので。そこはもう背中にドロップキックで押してくれましたね、思いっきり。

――それで、ヒューマンでゲームを作り出した、と。

そうですね。ど素人でしたけど、ほんとプロレス力だけで作りましたね。プロレスの詳しさだけで。僕当時24~5歳だったんですが、たまたまヒューマンって若い会社だったんですよ。ちょうどスクールもあって、スクールから出てきた子たちが二十歳くらいで、僕は年上の方だったんですよ。年長者がほとんどいない。営業とかにはもちろんいるんですけど、周りが年下でやりやすかったんですよね。年下の先輩に敬語使わなくて済むので。

――そのころは全体を統括して見てらっしゃったんですか?

僕の場合は『スーパーファイアープロレスリング3』のど頭からなんですね。1月10日に入社したので。大体年末で2が出た後ですよね。3のキックオフ後に前任者がやめて。3日間の引継ぎがあって…引継ぎ3日間だけなんですよ。そこで「ファイプロとはなんなのか?」っていうファイプロ魂を教えてもらって。まずファイプロを作るにはファイプロを誰よりもうまくなれ、と。もうそれだけなんですよ。

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――ゲームを上手くなれ、だけなんですね、凄いな。

そこからもう現場に入ったんですが、当時ディレクターって概念がないんですよね。いちプランナーなんですけど、どんどん仕切っていって……っていう感じでやっていましたね。3もまた年末発売なので、締め切りは決まっているんですよ。年末に確実に発売するには、マスターアップが10月。当時だとマスターは任天堂に二か月前に提出しなきゃいけなくて……。 だからあの10カ月間は鬼のように働きましたね。

――レスラーを増やしたり、ストーリーを考えたりでしょうか?

3はまだストーリーないんです。とにかく2のアップデートですね。スーパーファミコンではじめてレスラーエディット機能を入れたのは3からなんですよ。それが売りだったからエディットの機能をつめて、登場選手は全部自分で決められるので決めて、名前も考えて……。

――ファイプロシリーズは選手名も有名ですよね。子供ながらにこの名前のもじりかたは凄い!って笑ってました。

あれは僕が考えたのもあるんですけど、名人がやるんですよ。山崎さんっていうファイプロネーム番長みたいな感じの。それで僕とお互い出し合って、で、良いほうを選んでいくって感じで決めてましたね。

――あれはセンス良いですよね。ジャンボ鶴田が「トミー・ボンバー」って最初誰だかわからなかったですけど、やってみると凄いしっくり来る。

結構評判になりましたね(笑)。

――シリーズでいうと『スーパーファイヤープロレスリング スペシャル』のシナリオが衝撃的でした、あれはなぜああなったんですか?

そもそもファイプロ3って最終作の予定だったんですよ。シリーズはもう終わるって宣言のもと作ってたんですけど。任天堂初心会っていうのがあるんですよ。これ要は受注をとる見本市なんですけど、問屋さんが来て、各メーカーのタイトル見てその場で本数決めたりするんです。そこで営業ががんがん交渉して、今回こういうゲームありますってやってた時に、そこでの受注が良かったんでしょうね。9月くらいになって続編はあるよーって。いやいや今回ファイナルバウトって銘打ってるじゃない!次絶対あっちゃだめですよ!って食い下がったんですけど、特別編、スペシャルとしてやろうってことで(笑)。

――反応がそれだけ良かったんでしょうね。

それで次のファイプロは須田くんの好きなように自由に作ったほうがいいよって言ってもらえたので、じゃあほんとに自分の作りたいファイプロを作ろうと思ったんです。僕が一番やりたかったのがストーリーなんですよね。当時、活字プロレスってことで、週刊プロレス等のメディア側から、プロレスとはなんぞやってことを発信していくのがムーブメントとしてあったんです。活字プロレスと本物のプロレス。これが連動しあって、イデオロギーのぶつかり合いがあって……。 プロレスの多面的な面白さってものが爆発してた時代だと思うんですよね。

――確かに90年台のプロレスは概念として「プロレスとは何だ?」みたいな意識の中でのブームはありましたよね。

うん、僕はファイプロってものは遊び場ではあると思ってて。でも、場だけでいいのかなって。ファイプロ自体が団体だとしたら、いや、違うな……むしろ団体だと。ファイプロってのは新日本プロレス、全日本プロレス、FMWとリングスとかいろいろありますけど、ファイプロっていう団体だって自分で勝手に思ってたんです。俺からプロレスとはなんぞや?って発信しようと思って、ストーリーモードをやろうと思って決めたんですよね。僕の中のプロレス愛とかプロレスに対するいろんな情念がすべて言葉として吐き出されたのがあのシナリオなんですよ。無意識で書いてた感じがあります。

――須田剛一がプロレスを発信するとどうなるのか?っていう集合体なんですね。

でもそもそも文系じゃないので、シナリオなんて書いたことないんですよ。最初書くつもりもなかったんですけど、当時企画課20人くらいいて、実は10人くらい暇なんですよね。仕事がないんですよ。制作してても全員呼ばれるわけじゃなくて、何人か暇な人間がいるんです。彼らにシナリオお願いしようと思ったら、プロレスなんて知らない、書けない、と。しょうがないから自分で書いたんですよ。最後まで書いて、冴羽明の妹と純須杜夫こと主人公がデキちゃって海外追放になってアジアにいったりとか、そういう妄想があって。それでUFC(編集部注:アルティメットチャンピオンシップ、アメリカの総合格闘技大会)で優勝してからの世界戦みたいな。

――今思い出しても熱い展開ですよね、あれ。

一応ハッピーエンドとバッドエンドの二つ用意したんですね。最後チャンピオンのディック・スレンダーに勝つか負けるかによって分岐するんですけど。そもそもプロレスラーの世界に分岐なんてないと思ったんです。

――最初は分岐があったんですね。

あったんです。でもやってくうちに、俺が今ここで分岐というものを入れてしまうと、これから先、自分のゲームデザイナー人生に分岐というものに頼って、甘えたものを作ってしまうんじゃないかと。そうじゃなくて、自分が発する言葉に責任を持つためにはひとつの結末でなければならない、と勝手に思ったんですよ。だからひとつのエンディングにしようと思って、最後優勝して、真っ白になった後に自殺という……。

――正直最初ぽかーんとしましたよ。えーっ?終わった……?みたいな(笑)。

神の領域に行ってしまったんですよ、彼は。その先ないんですよね。ある種ニルヴァーナのカート・コバーンが僕に宿ってしまったのかもしれないですけども。ショットガン抱えて……。

――ああ、だから銃自殺なんですね(笑)。

そうですそうです。それをファイプロといういわゆる工業製品でやっちゃったものですから、ハガキが凄くてですね。これまでのアンケートはがきの倍どころじゃないですね、十倍くらい届いて、段ボールに何箱も(笑)。  全部死ねとか金返せ、とか凄かったですね。半端ないくらいの苦情が来て。でもその中の2割~3割は面白いとか言ってもらったりして。でもあれで覚悟はできましたかね、自分の言葉で世に出して、しかもファイプロっていう会社の看板商品で、自分のエゴを出しまくってしまって、もうそこからは怖くはない、というか……。ファイプロってその当時30万から40万本売れる商品だったんです。なので40万〜50万人の人たちに、自分の言葉を読ませるわけで、その恐怖心はすごくあったんですけども……。 でも自分で出しきったことによって、自分がこの先何かゲームというもので表現をしていこうっていう、踏ん切りはつきましたね。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

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――なるほど。今にもそれはつながっているんですか?

完全つながっていますね、あれが根っこですね。

――須田さんは表現が普通のゲームクリエイターさんよりも、そこいくんだ、っていう所に持っていく人だと思っていて。それで今お話を聞いていて、なるほどって思いましたね。

最初にリミットを破ったのが良かったのかもしれないですね。ファイプロでストーリーモードで自分が大事に育てたキャラクターが最後死ぬなんて俺でも許さないですからね(笑)。 

――それはそうですよ!僕もそうでしたから(笑)。

でも、プロレスラーが背負っているのはそういうものなのかなって。それは一瞬でも考えてもらえるだけでもストーリーモードを作った意味がある気がしますね。正直プロレスラーの死にざまって美しいものばかりじゃないじゃないですか。無残な死に方されてる方もたくさんいますし。でもそれがその人たちの生き様だったりもするんですよ。

――伝説に残るってそういうことですもんね。人の記憶に残るって、すべてにおいて、生きてる時も死に方も。

そうなんですよ。ステロイドがんがん打って、体ぶっ壊して死んでいく方もいれば、天龍さんみたいにいい引退して、芸能活動してる方もいて。そういうの見るとちょっと安心しますよね。

――やっぱりリアリティみたいなところって、須田さんの中で大切なのかなっていう感じなんですかね。

直接も妄想も含めてなんですけど、自分の体を通過してたものを出したいとは思っていますね。必ず体っていうか血液というか沈殿物のようなものなのかわからないんですけど、自分の中で一回咀嚼したものを煮詰めた形で出したい。なんでもアウトプットすればいいとかは思ってないですけどね。

――そんなヒューマン時代がありつつ、で、そこからこのグラスホッパー・マニファクチュアを立ち上げるに至るわけですが。どんな思いがあって立ち上げられたんですか?

ヒューマン時代、僕オリジナルのゲーム一本も作ってないんですよ。ファイプロ二本やって、その後にホラーゲームの『トワイライトシンドロームシリーズ』っていうのがあって、これ元々会社にあった企画なんです。その後にその続編の『ムーンライトシンドローム』っていうのを作ったんですけども、それを作ったあたりでオリジナルがなかなか通らないというか、ヒューマン自体の経営も危うくなってきた時期もあるんですね。でもやっぱり自分のゲームは作りたい、どうしようかって時にたまたま当時のアスキーから声がかかって、うちにこないかって。もしチームごとであれば、数人であれば会社をつくるよっていう。アスキーがそういう支援をしている時期だったんですね。その話にちょっと乗っかって、ムーンライト作った後にすぐに動いて準備して、っていう。それでアスキーのバックアップで二本契約でグラスホッパーを立ち上げましてた。


――それで今は好きなものを作る、と。二本契約とおっしゃってましたけど。


ええ、そのときはアスキーの二本契約で『シルバー事件』っていうゲームと、『花と太陽と雨と』というゲームですね。『花と太陽と雨と』を作っている途中ですかね、マスター前くらいにゲーム用語でいうとベータ版っていうのがあるんですけども、ほぼ完成して、発売時期も決まったタイミングの時に、アスキーが当時の人気タイトル『ダービースタリオンシリーズ』以外ゲーム事業全撤退が決まったんです。要はもう発売する部署ごと解体だったんですね。そこではじめて路頭に迷ったというか、僕にとって社長としての最初の試練なんですよね。これまでアスキーがなんでもやってくれたので。営業とかもやったことがなくて。完全にずっと現場の人間なので。

――ああ、そうですね、ずっと制作現場だったんですね。

社に入って予算組みとかスケジュール組みとかは経験したんですけど。そもそも銀行の借入れにも行ったこともないですし(笑)。 そういった経緯で初めて自分で営業に動いて、まずは『花と太陽と雨と』の発売先を決めるので、その営業でいろんなメーカーさんを回って。ビクターさんが買ってくれたので、ビクターから発売がきまったんですけど。そのあとはもう企画書持って営業ですね。ヒューマン時代って横のつながりが全くなかったんです。ほんと軍隊みたいなところがあって、外との交流も一切ダメですし、インタビューのときにそもそも製作者の名前出ることが少ないんですよ。僕がファイプロのときに名前がのったのが5年ぶりくらいですよね。ずっと名前出しを禁止されてたんです。

――それは何か理由があったんですか?

当時ゲーム界って、名前が出ると引き抜きがかかるっていう。

――なるほど、特に優秀なクリエイターはってことですよね。

そうなんです。そういうことがあってですね、全く横のつながりがないので。人脈がないからいろんな人に紹介してもらって。一個一個営業あたるっていうのが始まったんですけど、それがいまのグラスホッパーの骨格になったかな、いろんなメーカーさんと仕事ができるようになっていきましたね。

――そこからいろんなリリースがあって、最新作は『LET IT DIE』ですが、現状CERO(編集部注:コンピューターエンターテインメントレーティング機構、表現内容により、対象年齢等を表示する制度)が厳しい中で、性的描写も暴力的描写も結構尖ってるものを作られてる印象がありますが。

そもそもCEROを気にしたことないですね。CEROができたのが丁度、『killer 7』というゲームを作ったときなんですね。『killer 7』が国内のタイトルではじめてレーティングZ、18歳以上のみ対象がついたんですよ。国内第一Z指定が『killer 7』なので、もう気にしてもしょうがないかなって(笑)。 『killer 7』から海外に向けてゲームが作れるっていう意識が凄く広がって。海外にファンベースができあがったっていうのも大きかったですね。全世界のマーケティングを考えると、CEROを意識してもしょうがないんですよね。海外の人たちがどういうゲームを求めているのか、どういうゲームに興奮していくのかを考えていくと、なんとなくZになっちゃうなって感じなので、あんまり気にしてないです。

――須田さん自身はああいう過激な表現がお好きなんでしょうか?

嫌いじゃないと思いますね。性的描写は必要なときにやりたいんですけど、どうしてもパブリッシャーから求められることもありますね。国内はエロが売れますから(笑)。 そこはだから、たまに自分が作り上げたキャラクターがきわどい恰好させられると、ちょっと泣きたくなりますよね。自分の娘がこんな格好させられた、みたいな。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

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――たしかに自分の娘ではありますもんね。

製作段階でチェックするじゃないですか。衣装できました、って見るととんでもない水着を着させられてる、という(笑)。 それを見るとあぁー!可哀想に……売れるためにこんなことを……って。崖っぷちアイドルみたいな感じで(笑)。 ここまでやらないと売れないのかな……売るのって大変だな、って心境ですね。女性キャラクター達は特にかわいそうですね。もっと女優さんみたいにきれいな恰好だけでなんとかなればいいな、とはいつも思っているんですけど。

――なるほど。やっぱ須田さんって北米の方に須田マニアというかファンがいるイメージ があるんですが。

はい、ヨーロッパとかも、意外といましたね(笑)。 

――須田剛一が受け入れられているって、自分の中でこういう部分なんだろうなってのは あったりしますか?

なんなんですかねぇ……。いや、あんまり意識はしてないんですよね。ただ、インタビューとかはすごく大事にしていますね。多分僕のこと知ってくれてる人たちって、いろんなインタビュー記事だったり、youtubeに出ているインタビュー映像を見ていると思うんですけど、そういうときにゲームの内容だけじゃなくて、自分の作ったゲームの根本的な面白さっていうのを伝えようとしてますね。真面目に喋ってもたぶん見てくれないんですよ。このゲームのもっとわかりやすい、手前にある面白さっていうのを、一個一個のメディアに対して、丁寧にやってきたっていう自負はありますかね。アメリカとかヨーロッパとかプロモーション回ってると、多いときは一日30メディアとか取材があるんですけど。同じことを何回もいうわけじゃないですか。それをなるべく、初めて言うかのように、メディアの人たちに丁寧に面白く伝えていったりとか。メディアが応援してくれて、面白がってくれるってことはその裏にいるゲーマーたちも喜んでくれると思ってて。それはすごい意識しています。

――確かに、僕らメディアはオモシロイと思ったものを伝えたいと思っています。その考え方は僕らからしてもありがたいですね。

知ってもらうために、なるべく面白い言葉を使って、自分がピエロになってもいいから、ゲームを知ってもらいたいってことは真剣勝負でやってきましたね。先日『PAX EAST 2016』というボストンで行われたイベントがあるんですけど、これが完全ゲーマーイベントなんですよ。業界のイベントというよりは、ゲーマーしか来ない。一日で7万人くらい入るんですけどが一時間で完売したりとか。ほんとゲームが好きな子しか来ないイベントなんですよ。その人達が僕に会いに来てくれたりすると、なんか伝わったのかなっていう感じはありますね。

――マーケットがありますもんね。北米は特に。

そうなんですよ。そこは特に大事にしてきましたし、もちろん、ゲームの中身で伝えることもそうなんですけど、日本のゲームって今、そう簡単に流行る時代じゃないと思うんですよね。やっぱりAAAクラスの海外ゲームのクオリティは圧倒的にすごいし、プロモーションにかける費用も圧倒的なんです。だから多くの日本のパブリッシャーが海外でいろんな工夫をして、知ってもうために頑張ってる。バンダイナムコさんのツアーにも一緒に行かせてもらったんですけど、あのバンナムさんでさえ、アメリカや欧州ではパブリッシャーとしてまだまだ名前が知られていないからって、知ってもらうってことを丁寧にイベント打って、各国巡業して真剣にプロモーションやってるんですよね。僕らなんてまだまだ名前なんてない会社なので、とにかくメディアの人たちに応援してもらって、ゲーマーイベントでゲーマーの人たちに会ってっていう。直接触れ合う機会を大事にしたいなって思っています。

――お話伺ってると、須田さんの作られてるものと、他が作っているものだと尖り方が違うのがなんかよくわかりますね。

国内市場意識してしまうと、ひょっとしたら海外で受け入れられる大事な要素が欠落してしまう場合もありますよね。とはいっても、うちのゲームはニッチですよね。世界中のニッチに向けているのかもしれません。

――改めて新作、『LET IT DIE』の何が面白いのかっていうところを須田さんから聞きたいですね。

そうですね、挑戦としては、フリートゥープレイをPS4のマーケットに対して出すんですね。日本ではどうなるか調整中ですが。内容としては僕らがこれまで作ってきたアクションゲームの延長ですが、更にそこにハック&スラッシュっていう要素も入れてですね、ローグライクなアクションゲームだけど、ストーリーベースじゃなくて、一周回ってエンディングで終わりっていうのではなく、ずーっと長く遊んでいける運営型のゲームになります。そういう新しいチャレンジを今回PS4の市場でしてますね。

――楽しみですね。まだ言えないという部分もあると思うんですけど。これだけでも、E3にも出されて話題にもなっている中で、これだけ情報出していかないっていうプロモーションは逆にすごく新しいっていうか、言えないのかなって。

そうなんですよ。出さないっていうか、言えない(笑)。
 
――楽しみ方的には『ロリポップチェーンソー』的な爽快さを持って長く遊べるよっていう感じでしょうか?

そうですね。デイリーで楽しめる遊びもありますし。今回非同期オンラインの要素もありますので、そこで特別なモードも用意したりとか。新しい遊びは提供できると思いますね。

――『ロリポップチェーンソー』であった彼氏の生首連れて戦う!みたいなぶっ飛んだ設定もあったりするんですか?

そういう設定だともっとぶっ飛んでるものがところどころ用意されています(笑)。

――なるほど(笑)。

ボスファイトもありますので、このボスファイトがなかなか、エグイかなっていう……(笑)。良い仕事できたかなっていう達成感はありますね。

――すごい楽しみなんですよね、今回。須田さんが作ってきた中でも僕の中ではブッチギリで楽しみで。最近買うタイトルが向こうのゲームが多いんですよね。ローカライズされてるゲームが面白い。それこそ最近だと『オーバーウォッチ』とか、向こうのゲームが勢い強い気がするんです。そこにカウンターとしてくるんじゃないかって僕は勝手に思ってるんですけど。

そうですね、そうなったら嬉しいですね。

――海外のゲームが、特にハイスペック機、PS4などで売れてるっていうのはなんか、須田さんから見てゲーム業界の現状じゃないですけど、なんか思うとこってあったりするんですか?

現状はちょっとわかんないですよね。分析しないで作ってきてるってのもあるので。あえて分析もしないようにしてますね。感覚で見えてるものだけかなっていうところではあるんですけれども。でも、僕はXBOXも頑張ってほしいですかね。もちろん任天堂ハードがもっと盛り上がれば最高ですし、やっぱりいろんなハードが切磋琢磨した方が業界って盛り上がるので。ほんとに多くのゲーマーがどのハード買うか迷うくらいの方がやっぱり、PS4一択じゃないほうが僕は健全だと思いますし。ソニーさんもそう思ってるんじゃないかなっていうくらいですね。そこは次の任天堂のNXは楽しみですね。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

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――やっぱプレイステーションがあって、サターンもあって、64もあってっていう。あの時代はよかったですね。

良かったですね。面白かったですね。今もうオールプラットホームでマルチになっちゃってますからね。それもいい時代だと思いますけど。

――僕、ゼルダやりたくて64借りましたからね、本体を(笑)。

確かに!僕の場合、任天堂のハードってゼルダの為に買うんですよ。それはもう使命なんで。

――今お話し聞いてると、わがままにというよりは、作りたいものを作って、プロモーションをされててっていうところで、迎合してしまうこともあるじゃないですか。それこそマーケットに対してとか、コンシューマーに対してとか、それはやっぱりされないという印象を持ちました。

でも自分は社長やってるので、まずは食っていかなきゃいけないってこともあって、迎合されるつもりもないんですけども、時と場合によってはそれも必要かなってときもありましたし、自分が正しいって思ったことを否定された時期っていうのもあったんですね。『シルバー事件』と『花と太陽~』終わった後くらいですかね、何人かの人たちに須田さんの作ってるゲームって間違ってますよね、ということを言われたりとかしたんですよ。作るゲームを変えないとだめですよ、みたいな。

――それは何をして間違っている、という定義なんですかね。

こういう売れないゲームを作ってたらダメですよ、っていうことだと思うんですよ。そういう、主流とは違うゲーム、新しいゲームって言っても売れなきゃ意味ないってことだと思うんですよね。そうかぁ、そこはもう切り替えていかなきゃなって思ってた後に、当時カプコンにいた三上真司さんに呼ばれて、『killer 7』を作ることになったんですけども。三上さんは僕に対してすごい勇気づけてくれて。「須田さんは何も変わる必要ないですよ。須田さんの作りたいものを作ってください」って言われたんです。とにかく三上さんが僕のこと後押ししてくれて、絶対世界に通用するってことも言ってくれましたし、僕がちょっと書いたシナリオ読んで、そこらへんの作家さんよりすごいテキストだから、全部須田さんが書いてくださいって言われて。

――全面の信頼ですね。

途中『killer 7』に出てくる細かい文章があるんですよ。手紙とか。それを全部シナリオライターさんにお願いしたら見抜かれて、これ須田さんじゃないですよね、須田さん書いてくださいって言われて、全部俺が書き直したんですよ。そのくらい、ものを作る人間として僕のことをかってくれたんですよね。三上さんって、『バイオハザード』を生み出した凄い方じゃないですか。もちろん尊敬してますし、この人が自分のことを認めてくれたってことは自信もって作ろうって、そこでスイッチというか、折れかけた心じゃないんですけど、作りたいものを作っていくってことをやめなきゃいけないかなって時に、ねじを巻いてくれて。そこでまた背中を押してもらったんですよね。ある意味僕の師匠なんですよ。三上真司って人がいないと今の僕もないんですよね。

――どちらかというと須田さんはアーティストに近いですね。アーティストクリエイター っていうか。

自分では思ってないですけどね。職業監督出身というか、ヒューマン出身なので、東映の監督の深作さんじゃないんですけど、言われたものはなんでも撮る覚悟はあるんですけども。でもやっぱ深作イズムじゃないですけど、撮りたいときに暴走するっていう。商業映画でとんでもないもの仕掛けてくるじゃないですか。その精神だけは失わないようにしたいなって思ってます。

――毎回インタビューが最後のほうにいくにつれて、こういうことを聞くんですけど、音楽業界であれば、CDが売れなくなりました、サブスクが入ってきてます、で、今どこでマネタイズをするんでしょう、これからどこに向かうんでしょうって話をよく聞くんです。ゲーム業界もおそらくソーシャルゲームが入ってきた、というところで、もちろん違うものだとは思いますけれど、言い方を変えればマーケットは変化していると思います。そういうとこにあって、今後のゲーム業界ってどこに向かわれると思います?

結局ですね、僕はかなりよくとらえてる方だと思っていて。ゲーマーが増えたと思うんですよ。ソーシャルゲームからしかり、スマートフォンからのゲームが良い流れでできてきて、世界的なゲームも何本か出来上がってしまって。人間がゲームを遊ぶ占有率が上がって。でも、それだけゲーマーが増えたってことですよね。ゲームに慣れる人が増えたってことは、そこから濃いゲームを求める人が増えると思うんですよ。最終的にはコンシューマーに行き着くんですよね。テレビで映画をみた人たちが劇場に足を運ぶように。それと同じように、ビデオゲームの流れというものも、いわゆる最終的な最高峰のものっていうのが据え置きのコンシューマーゲームであるっていうのは、その王座っていうのは変わりようがないんじゃないかって気はしますね。

――なるほど!

だからその手前が大きければ大きいほどいい。逆に言うとビデオゲーム自体の業界基盤が大きくなっていって、『コール・オブ・デューティー』とか一タイトルで3000万本売れるわけじゃないですか。こんなことになるとは誰も思ってなかったと思うんですよね。日本だとその現象はすごく肌で感じにくいんですけども。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

――プロゲーマーなんて職業が出てくるなんて以前は誰も考えてなかったとかもありますね。

そうなんです。そのマーケットが既に、悠然とあるというのは勇気をもらえますし、ビデオゲームっていうものがひょっとしたら世界中のエンターテイメントのキングになってるんじゃないかなっていう。そしてより、向こうだと敵対関係がないんですよね。もうビデオゲーム、映画、音楽、ドラマもそうなんですけど、みんなゲーマーであっても、音楽好きだし、映画もみるし。仲間なんですよね。エンターテイメントの。そういう人たちが一緒に組んでもの作ろうよってなっていることが、ビデオゲームがこれだけ浸透した理由だと思うんですよ。

――それ間違いないですね。絶対そのリレーションが必要。

いろんな人たちが応援してくれてますし、そもそも多くのミュージシャンがゲーマーとして遊んでるわけじゃないですか。ああいうのってやっぱり、業界同士のうねりによって出来上がったと思うんですよ。それはこれからも大きくなるんじゃないかなって気はしますし、日本でうねりがないのが残念なんですよね。日本はまだまだ隔たりがあるというか。今回『LET IT DIE』で、100バンドっていうコラボレーションしましたけど、ようやくこの時代になって、多くのミュージシャンがゲーマー出身というか、みんなゲームを触れて育って、ゲームに対して多分なんの隔たりもない人達になってきたと思うんですよ。映画業界もたぶんそうですし。アニメ業界もそうなんですけど、昔はゲーム業界っていうと馬鹿にされたんですよね。ゲームってあれでしょ、子供の遊ぶもんでしょ、って感じだったんで。それこそ『シルバー事件』作ったときなんて、すっげぇ馬鹿にされましたからね。

――そうなんですか?

実写パートがあるんですけども、当時ってハンディカムとかもない時代で、全部業務機じゃないと実写が取れかなかった時代だったんですよね。その時にお願いした映像屋さんがとにかく馬鹿にしてきて。今はそういう時代とは明らかに違ってきてるので。

――そうですね、逆にゲームに参加したい、っていう人のほうが多いかもですね。ゲーム世代のミュージシャンたちは、こういうゲームの音楽やりたいなって思うでしょうね。そういうアーティスト、僕世代では多いと思いますね。

日本でもようやくうねりが起こせるかな、ってところですね、今。

――音楽だけではなくて、エンタメの定義って難しいじゃないですか。ゴシップも別にエンタメと言われてしまうし、僕なんかは音楽が好きでアニメが好きでプロレスも好きで、っていろんなものが好きな中でクロスオーバーして自分ができあがってるんですけど、未だにやっぱ若い女の子とかって、音楽だけ、そのライブのフェスにいくだけ、って人がすごく増えちゃった。いわゆるバイラルメディアが増えちゃったことで、能動的にものを探しに行くってことになってしまっているから、昔と違ってマスがないので、ようするに多ジャンルをツモれる機会が減ってると思うんですよね。そんな今だからこそクロスオーバーしているものに注目したいし、自分自身もそうありたいと思うんです。

そうですね、まったく同じです。僕も最近漫画描いてたりしてるんです。ジャンル関係なくやりたいなって思っているので。やっぱり刺激しあっているんですよ。せっかくだからうちくらいは、とにかく他のジャンルと関わって、日本でもすげぇってものを、うちのゲームを媒介にしてもらって、うねりとして届けたいんですよね。そういう日本のパワーみたいなものって、もっともっとあると思いますし。

――素晴らしいな、それ、ぜひもっとやっていただきたいです。

はい。『LET IT DIE』だけでなく、これからいろんな人の力を借りてやりたいな、と思ってます。


――須田さんを見てて、向こうのインディーのイベントとかもよく出てたりするじゃないですか。それで、これからゲームを作る人って、それこそ博士じゃないってことはみんな知ってるじゃないですか(笑)。 なのでこれからゲームを作ろう、クリエイターになろう、って思っている人、ゲーマーからクリエイトの方にいこうと思っている人に対して、何かメッセージをって言われた時は、何て伝えますか?

もうバンド感覚でゲームって作れちゃうんですよね、僕がここ10年で一番好きなゲームが『ホットライン・マイアミ』っていうんですけど、これを作ったDennaton Gamesのデニス・ウェディンとジョナタン・ソーダーシュトロムと友達になったんです。彼らも僕のゲームが好きで、もうお互い友達なんですけど、今スウェーデンで二人で作ってるんですよ。完全この二人だけで作ってるのに、めちゃくちゃ面白いんですよ。スーパーバイオレンスアクションゲームなんですけど。『ホットライン・マイアミ』の1を作っているとき、デニスは昼間保父さんやりながら、夜はデザインして、血みどろの絵を作ったりとかしてて。ジョナサンは家にこもりながらですかね、プログラム組んだりとかしてて。オフィスもないんですよね。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

――オフィスがないんですか?

そう、お互い家が職場なんですよ。たまに喫茶店で打ち合わせして、友達感覚でゲーム作ってて。それがインディーで世に出たらどかんと売れて。あとデボルバーデジタルっていう活きのいいパブリッシャーがいるんですよ。彼らともこの間仲良くなったんですけど。世界中で面白いインディーゲームがあったら、パブリッシュサポートをして、プロモーションも仕掛けてあげて、応援して世界に自由に売るってこともしている。そういう流れが出来上がってるんですよね。彼らみたいな、ほんと二人組で、ツーピースバンドみたいじゃないですか。それで世界で注目されてるなんて、かっこよすぎるんですよね。勝てねぇなってくらい。

――確かにそうですね、凄いカッコいい。

でも、そういう子たちが自分のゲームで影響を受けてものづくりしてくれたって思うとうれしくて。彼らみたいな存在がいるってことを、日本のゲームを作ろうって思っている人たちに知ってほしいと思うんですよね。センス一発じゃないけど、作りたいゲームをとにかくプライベートな時間だけでつくって成功している連中もいるんだから、ほんとバンド組んで音楽やるのと一緒で、仲間で集まってゲームが作れる時代になったんだなって。インディーゲーム、ごろごろ良いのたくさんあるんですよ。やっぱり面白いゲームを世界中のゲーマーって買うんですよね。金がかかっているゲームでも面白いものもあれば、面白くないものもあるし(笑)。 インディーもピンからキリまで、ガラクタみたいなゲームは腐るほどあるんですけど、クソ面白いゲームもたくさんあるんですよね。結局、面白ければみんな遊んでくれるので、そこはもう信頼できる。規模に関係なくて、面白いことやって新しいゲームを作っていると、世界中のゲーマーが応援してくれるっていうのは最近肌で感じますね。

――音楽業界も一緒ですからね。DTMが発達して、ひとりでボカロPみたいなのができちゃって、世界的に売れちゃう人が出てきて……同じですよね。

同じですね。全くそう。

――テクノロジーの進化は、才能を世に出す装置になってると思うので。

そうですね。

――敢えて聞きますが、ご自身もゲームをやられる中で面白いゲームの定義って須田さんの中ではなんでしょうか?

僕はですね、やっぱ衝動を感じることですかね。遊んだ時にこのゲームはやらなきゃいけない、これはもう使命としてプレイしないといけないっていうものを時たま感じるんですよ。そういうゲームはそんなに多くないんですけど。それって結局、向こう側で作ってる人間の情熱が伝わった瞬間だと思うんですよね。その人たちのクリエイティブなエネルギーが強すぎちゃって、ビンビン感じてしまったとき、それが僕にとって面白いって事の一番の理由ですかね。その後に手触りとかいろいろあるんですけど、そんなのどうでもいいんですよね。その彼らの衝動性っていうのが自分とハマった瞬間みたいな。

――音楽に近いですね、その衝動っていうのは。

近いかもしれませんね、好きになる音楽って自分の衝動に合ってたりしますし。お笑いもそうかも。僕は極楽とんぼが大好きなんですけど、この間復活してすごい嬉しかったんですけど。彼らの笑いも衝動なんですよ。映画とかもそうだな。

――全部衝動ですよね。アメリカのロックバンドはファーストアルバムがやばいなっていう印象があるんです。衝動が全然違うんですよね。これで世の中倒してやるっていう。

そうなんですよね、エネルギーがあって。二作目はその苦悩がでますからね。

――色気出してきちゃう(笑)。

そうそう、でもそれもまた良い。

――僕、今日ずっとお話を伺って、先ほどのファイプロのストーリーモードやったときに活字のプロレスやりたかったっていうのにすごい納得がいって。夢を膨らませてたじゃないですか。今みたいにネットでも見れない試合を、会場に行くしかないんですよ。

そうですね、ライブですもんね。

――だから活字を読んで試合をイメージするという、文学でしたね。

そうですね、哲学であり文学でした。それでビデオとかみて答え合わせしたりとか。

――今凄く、懐かしいことを(笑)。 なんていうんですかね20年前に戻った感じですね。

そうですね、甘酸っぱい感じもちょっとあって。当時密航って言葉流行ったじゃないですか。当時は東京ベイNKホールがあって。あそこでやるプロレスが良かったんですよね。たそがれてるっていうか、あのへんて何もないじゃないですか。みんなでタクシー相乗りしたりとか、結構みんな一人で来てる人多いんですよ。で、100%埋まってなくて、8割くらいなんですよね。で、リングのとこだけ煌々と光ってて、この、なんていうか密航感。

――今のプロレスもすごい好きなんですけど、あのころ、90年代とか2000年頭位のプロレスってノスタルジーがあるんですよね。そう考えるとあのファイプロのストーリーは、ノスタルジーを感じるというか、憧憬を感じるんですよね。

ほんとですか、ありがとうございます。僕が見てきた景色を言葉にしたのかもしれない。

――そういわれたら須田さんが作られているゲームって、須田さんを透過してみてるので、なんか憧憬というかノスタルジーを感じるんですよね。

『シルバー事件』もそうかもしれませんね、自分の中の原体験というわけではないんですけど、何か自分の中を通過したものがたくさんありますかね。

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

ザ・プロデューサーズ/第11回 須田剛一氏

――なんでしょうね、切ないのと甘酸っぱいの間みたいな感覚になるんですよ。

やっぱ田舎者なので、東京出てきて東京の中で居場所が見つからない時期が凄くあって。仕事でも定職につけなかった時期があったわけだし。居場所探ししてたんですね、この業界に入るまで。で、その居場所を探していた自分みたいなものが自分のゲームの中かもしれないですね。いろんな場面でも自分の居場所みたいなものを自分の作品の中に入れ込んでいるのかもしれません。居心地のよかった場所だったりとか、ずっとここにいたいって思う場所だったりとかね。

――やっぱり須田さんは感覚がアーティストですよね。自分の人生を追体験してもらっ てる感じ。

そこはそうですね、どこかにありますね。

――モノを作っても、それ以上にもそれ以下にもなれないじゃないですか。

そうなんですよ。それ以上でもそれ以下でも嘘になっちゃう。嘘じゃないものを届けたいっていうのがあるんですよ。

 

 

【編集後記】
今回は初となる、音楽業界ではないプロデューサーへのインタビューでした。正直私が子供の頃にリアルタイムで「スーパーファイヤープロレスリング」や「スーパーフォーメーションサッカー」などのHUMAN作品をプレイしていたこともあり胸アツな話がおおかったのですが、この須田剛一という人は、ゲームクリエイターでいながら、音楽アーティスト以上にアーティストでした。

そして、作品やコンテンツが持つ底力を信じているんだなと。ソシャゲが入ってきたとしても、その作品の力を信じているから、マーケットが大きくなりゲーム好きが増えるんだというポジティブなとらえ方もできるのかなと。

最近多くのプロデューサーといわれる方とあっておもうのは、皆一様に、コンテンツや作品の力を信じ、それを突き詰め、完成といわれるクオリティに近づけることが至上、という原点的な部分に皆帰り着いている気がします。素晴らしいものを作る、そしてその人たちが手を組んでカルチャーを作る。本当にそれぞれのプロフェッショナルが「日本」のエンタメを真剣に変える時がきているのかもしれません。

SPICE総合編集長:秤谷建一郎

 

 

編集・企画・インタビュー=秤谷建一郎  インタビュー・文=加東岳史  撮影=中原義史

 

プロフィール
須田剛一/SUDA51
株式会社グラスホッパー・マニファクチュア
代表取締役/ゲームデザイナー

1993年にヒューマン株式会社にプランナーとして入社。『スーパーファイヤープロレスリング』シリーズ、『ムーンライトシンドローム』を手がけた後独立し、1998年に株式会社グラスホッパー・マニファクチュアを創立。多くの作品でディレクター、脚本、ゲームデザインを務めている。

代表作には『シルバー事件』をはじめ、『killer7』『ノーモア★ヒーローズ』シリーズ、『シャドウ オブ ザ ダムド』『LOLLIPOP CHAINSAW』『KILLER IS DEAD』がある。

最新作は2016年予定のPS4専用タイトル『LET IT DIE』及び『シルバー事件』HDリマスター版。この他2015年4月に公開となったスタジオカラー×ドワンゴ短編映像シリーズ「日本アニメ(ーター)見本市」第16話『月影のトキオ』は須田剛一原作・脚本による初の本格短編アニメーション作品。また2015年8月より「月刊コミックビーム」で須田剛一原作の漫画『暗闇ダンス』が連載中。

◆代表作:
『シルバー事件』
『killer7』
『ノーモア★ヒーローズ』シリーズ
『シャドウ オブ ザ ダムド』
『解放少女(GUILD01収録)』
『LOLLIPOP CHAINSAW』
『KILLER IS DEAD』
『SHORT PEACE  月極蘭子のいちばん長い日』 

Twitter:@suda_51
Facebook:Realsuda51

◆受賞歴
VIGAMUS Award 2013

 

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