ねことねこの面影と祈りについて
拝啓
僕がねこの面影と暮らし始めて、ちょうど一年経ちました。
ねこじゃなくてねこの面影です。ああ、もちろん、オモカゲという名前のねこではないですよ。名残り、残像、あるいは僕がもう少しロマンティストであれば、幽霊と表現していたかもしれません。
それは実体を伴わない、記憶の影法師です。
ねこの面影と暮らす前は長い間、ふつうのねこといっしょに暮らしていました。実体を伴った、なんでもない茶色いねこです。ずいぶん長生きしてくれましたが、彼が死んだその日からバトンタッチする形で、僕とねこの面影は生活を始めました。
ねこの面影との生活はなにかしら奇妙なものです。なにせねこ自体はそこに存在しておらず、ねこの面影だけがそこにあるわけですから。
夜、ベッドに入る時に、ねこが入っていそうな布団の膨らみを潰さないようにしてしまいます。また、ねこがゲロを吐く直前に(ねこは本当にすぐゲロを吐きます)ゲホゲホえずいている声に似た音を聞くと、どんなに深く眠っていても飛び起きてしまいます。床に転がっているねこやねこのゲロを踏んづけてしまわないように、足元に注意して家の中を歩いてしまいます。つまりこれがねこの面影との生活です。
もちろんねこそのものはもういなくて、いるのはねこの面影なんですから、豪快にベッドにダイブすることも、ゲロの始末を気にせずにぐっすり眠ることも、足元なんか見ないで家の中を歩き回ってもいいのですが、いやあ、頭ではわかっていても、いまだについつい気を使ってしまうんですね。
あるいは死者に縛られているようで、気の毒に思われるかもしれませんね。なんだかいちいち面倒くさそうだとも。でもぼくはねこの面影を感じた時に「あ、またあいつがいるな」とちょっとうれしくなります。ねこの面影との生活も、案外悪くないですよ。
それに僕は忘れ去ってしまうことが嫌なんです。
どんなに大切に保存しようとしても、記憶は性質上、時間の経過とともに薄れてしまいます。髪の毛とおんなじです。幸い僕の頭はまだ薄くなっていませんが(たぶん)、死から一年が経って頭の中のねこの記憶は薄れつつあります。実を言えば、ねこの面影も最近では姿を現わすことがずいぶん少なくなりました。たぶんこの先いつかは、ねこの面影すらも僕のもとから去っていくのだと思います。そういうものです。
そのことについて、なにも僕は悲しんでいるわけではありません。僕は彼の死の悲しみをとっくに乗り越えていますし、彼の残した面影がやがて消滅することも、そしてそれについて僕自身がなんとも思わなくなってしまうであろうことも理解しています。
でもただ少し。それがほんの少しだけさびしいんです。彼への慈しみすら、過去のものとなってしまうことが。
だから僕は時々祈ります。
ねこの面影が布団の中で眠っていたり、ゲロを吐きそうになっていたり、足元を通り過ぎたりする時にです。
「どうか彼が幸せでありますように」と。
まあ、死んでいるので幸せもなにもないんですが、そうしている間は少なくとも彼のことを忘れたりしませんから。
あなたも少しだけ祈ってくれませんか。彼のために。
……いや、僕のためですね。
どうか僕の死んだねこと、彼の面影を思ってください。
あなたが祈る姿を思い浮かべれば、彼への愛情をまた思い出すことができます。
すっかり寒くなってきたので、お体には気をつけてくださいね。
あなたまで面影だけになってしまったら嫌ですよ。
それでは。
いつかまた宇宙のどこかで。
敬具
チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。