大人の条件とベンおじさんとおしり拭き力について
拝啓
さっきからずっと「大人」について考えています。オトナ。うーん、大人って一体なんなんでしょうね。子供じゃないのは確かなんですけど。自分が大人なのはおそらくまず間違いないと思うんですが、もっともらしいその根拠はなんなのか掘り下げていたらよくわからなくなってきました。ちょっと整理してみます。
大人って言葉は文脈によってずいぶんいろんな意味を持っています。「彼は大人だ」と言った時に大人という言葉の意味は、彼の年齢を指しているのかもしれないし、考え方を指しているのかもしれない。はたまた「偉い人」という意味でも使われたりします。
一番わかりやすいのは、やはり成人した人という意味でしょう。日本の法律では、満二十歳以上の人物を指しますね。成人していればお酒は飲めるし、タバコも吸えます。いろんなことが自由に行えるようになります。反対に、成人すると自由に伴った責任も生まれます。今までは子供だからって多めに見てもらっていたことが、成人では言い訳できなかったりしますよね。例えば、通常は同じ罪を犯したとしても、子供に比べると成人は受ける処罰がより厳重です。
スパイダーマンの劇中に登場する有名なセリフとして「大いなる力には大いなる責任が伴う(With great power comes great responsibility. )」というものがありますが、ある種の大いなる力であるところの自由には、その足元に影のように責任がくっついているということをベンおじさんに誓って僕は心に刻んでいます。
しかし、成人していてもずいぶん子供っぽい人っていますよね。自分勝手で無責任で。図体だけでかくなりやがって、ほんとに。僕としてはあんなやつらを「大人」とは断固認めたくないわけです。
なんだか私怨が入ってしまいましたね。失礼。話を戻しますが、反対に成人していなくてもこの人は大人であると感じさせる人物はいます。大したものです。年齢はずっと下でも、僕よりうんと大人らしくて尊敬に価する人物です。そういう人はたとえ未成年であっても大人と呼んでいきたい。
あ、なんだかわかってきた気がします。
いろんな人を頭に思い浮かべながらここまで書いてきましたけど、そうしていたら僕が大人だと思う条件がかなりはっきりと見えてきました。早速教えてあげますね。
僕の考える大人の条件、それは「おしり拭き力」の高い人物であることです。
おしり拭き力とは、そのままですが尻ぬぐいのうまさ、すなわち失敗をうまく処理する力のことです。漏らしてしまったあと、どう立ち回るかということですね。どんなに注意していても誰しも失敗はあります。肝心なのはその後の失敗の扱い方で、できる限りきれいに後始末できる人物こそが大人であると僕は考えているようです。
おしり拭き力が高い人がどのような人物かというと、まずは失敗から目をそらさないということがあげられます。失敗を失敗であると認めることができる。そして他人に迷惑を掛けている時はきちんと謝罪をすることができる人たちです。
おしりを拭くということは、漏らしてしまっていることを認めるところから始まるわけです。反対に他人の目から見て明らかな失敗をもみ消そうとしたり、なかったことにする人物はおしり拭き力が低いですね。大人とは認めたくありません。はっきり言って、彼らのパンツの中はすでに大変なことになっています。
もちろん、それだけではありません。失敗を認めるだけなら子供でもできますからね。その後に失敗の穴埋めを丁寧に行うことのできる人物こそがおしり拭きの達人、すなわち大人であると言えます。失敗を認めたうえで、いかに現実的で有効なリカバリー策を考えて実行できるかですね。100%取り返すことはできなくても、少しでも損失分の補填をする。
僕はこのような一連の行動を取れる人のことを大人だと思うことが多いようです。
大人とはなんなのかという問いに対する僕なりの答えが見つかってずいぶんすっきりしました。これで僕もより大人らしい振る舞いを意識することができます。
いやあ、風の噂であなたが「オトナな人」が好みだという話を聞いたものですから。どうすればいいか悩んでいたんですけどね。はやくあなたの前で大失敗して、僕のおしり拭き力を存分に発揮したいものです。
それでは。
いつかまた宇宙のどこかで。
敬具
チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。 過去の手紙はこちらからお読みいただけます。