1万人のゴールド・シアターは、少子高齢化問題に一石を投じる企画だった! ~企画・構成の加藤種男氏に聞く
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:宮川舞子
2016年12月7日。さいたまスーパーアリーナ。東京2020公認文化オリンピアード「1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』」を見にいった。久しぶりの事件、それも文字通り「大」が付く事件な気がした。もう、こういう破天荒が次にいつ生み出されるかもわからないし、そうそうできる時代ではなくなってきている。さいたまスーパーアリーナへは格闘技を見に足を運んだことは何度かあったが、客席についた途端、彩の国さいたま芸術劇場大ホールのステージ上での稽古に果たして意味があったのかと思わされるほど、巨大な空間を目の当たりにした。この空間を想像し、戦った演出のノゾエ征爾、そしてスタッフはまさに頑張った。本来だったら頑張ったなんてなんの褒め言葉でもないのかもしれないけれど、今回は最大級の敬意を込めてそう声をかけずにはいられない。なんてたって、身体は言うことを聞かずとも、どこまでも自由奔放な高齢者たち約1600人が相手だったのだから。
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:宮川舞子
巨大な高齢者施設で、利用者と職員が一緒になって作りあげる『ロミオとジュリエット』。1600人の出演者、だれもがロミオであり、だれもがジュリエットとしてその時間を生きている。芝居を見ながら「歳と共に誰もが子供に帰っていくと 人は云うけれどそれは多分嘘だ 思い通りにとべない心と動かぬ手足 抱きしめて燃え残る夢達」という、さだまさしの『療養所』が脳裏をリフレインする。せりふがスッと出てこなくても、車椅子や杖を使っていようとも、家族を失い独り身になろうとも、夢を持ち続けることは、生き続ける力とイコールなのだ。そのことを改めて発見し、そして夢を見続ける喜びに満ちた老出演者たちの笑顔に涙がちょっぴり込み上げてきた。
この「1万人のゴールド・シアター」企画・構成の加藤種男氏に話を聞く機会を得た。
加藤種男氏 撮影:宮川舞子
蜷川さんには演出しない演出に挑戦してほしかった
––「1万人のゴールド・シアター」の仕掛け人は加藤さんだったそうですね?
そう、ですかね(苦笑)。何かのシンポジウムの席で、蜷川先生が「さいたまゴールド・シアター」をやっていらっしゃるから、あれを1万人に増やしてできないものでしょうかと話したのですが、彩の国さいたま芸術劇場・事業部長の渡辺弘さんがすぐに蜷川先生と連絡を取ってくださって「いいんじゃないか」という返事をいただいたんです。「え、あれを本当に?」とそんな感じのスタートでしたね。
––加藤さんとしては、どういう意図を持っていらしたんですか?
まあ1万人はともかく、できるだけ多くの人数でやりたいと思っていました。かと言って1万人もいたら演出なんかできませんよね。でもそこで蜷川幸雄という大家が、演出しない演出をどう見せてくださるのかを見てみたかったわけです。
それで後日、企画書を持ってお会いして、僕がなにをゴールとして考えているかも伝えたんです。そしたら「演出は自分がやる、脚本は加藤さんが書いて」と返されました。「それはちょっと…」と言って話がついえてはいけないので、「やります」と言ったわけです。最初は全体の構成案を考えて、劇作家さんに思いを話して脚本にしてもらおうと思っていたんですが、蜷川先生の具合が悪くなり、早く脚本を出さないといけない状態になった。それでノゾエさんを紹介していただいて、とにかく年寄りが夢を語り続けないとダメだ、夢を語り続ける演劇を作ってほしいとお願いしました。
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:宮川舞子
––脚本は蜷川さんから加藤さんへの挑戦状だったわけですね。
僕はいろんなジャンルのアートを見てきましたけど、必ずしも演劇に詳しいわけじゃないし、蜷川先生ともそれほど親しくお付き合いしていたわけではありません。埼玉県芸術文化振興財団の理事や評議員を長く務めていた中で、蜷川先生が芸術監督になられて、僕のことも認識はしてくださっていた。蜷川先生とは、どういう劇場を目指したいかをいろいろお話する機会があって、共感することも多かったですね。
また蜷川作品をたくさん見ているわけではないんだけど、一番共感したのは2012年の『ハムレット』(さいたまネクスト・シアター)。こまどり姉妹が出てきて「幸せになりたい」を歌った。それは物語と直接関係ないんだけれど、「そうか、『ハムレット』のテーマはみんなが幸せになりたいということだったのに、全員が不幸になってしまった、だから悲劇なのだと。こまどり姉妹の登場で、そういう思想に光が当たったんだ」と気づいて。この人はすごい人だなと感心したんですよ。
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:宮川舞子
地方に誘致した若い演劇人が、お年寄りに芝居を伝授しつつ、自分たちの芝居も作る
––今お話いただいたのは演出家・蜷川幸雄への思いです。作品としての狙いもあるように思うのですが?
例えば、さいたま市の人口が120万で、高齢者は20万、いやもっといらっしゃるかもしれない。日本はもう何年も少子高齢化と言われていますが、その解決モデルを提案するときに、少子については保育園の待機児童をなくそう、子育て支援はこうしようという話が出てきます。それは非常に必要なことです。しかし高齢者問題への対策はあまりなされていない気がします。もちろん介護保険など世界的に見ても充実していますよ。でもどこかで高齢者は社会のお荷物という風潮がぬぐいきれないのも事実。これから年金がもらえない時代が来ると言われているでしょ? 若者層は年寄りのおかげで自分たちが割を食うと思うし、お年寄りは若い世代から疎外されていると感じて生きがいも見出せない。そういう悪循環に陥ってしまっている。でもそうじゃなくて、こんなにたくさんお宝がいるでしょう、と。そういう双方の不幸を解決する方法がないのかとずっと考えていたんです。
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:宮川舞子
––なるほど、そういった発想が根底におありになるわけですね。
もちろん都会にも独居老人がいっぱいるけれど、その多くは地域に取り残されています。逆に若者は一極集中で首都圏ほかいくつかの都会に住んでいる。まあ、若者が一度は都会を見てみたいと思うのは当然です。しかし、そういった実態に、ますます地域社会に疲弊をもたらしているのが少子高齢化です。仮にお年寄りが亡くなると、遺産相続が発生するでしょ。地方のお年寄りの遺産は、都会の子供や孫に引き継がれるんです。それでなくても富は地域から都市に流れ込む傾向にあるのに、遺産相続すらそう。地方になんとか富を残す方法がとれないか、若い人のUターン、Iターンを促進したい、そのためには地域社会に「お年寄りファンド」を作ったらいいんじゃないかと思ったんです。
––お年寄りファンド? それはどういうことです?
お年寄りにお金を出すわけではなくて、お年寄りがお金を出す。お金をもらうのは若い人。たとえば演劇をやるお年寄りがちょっとずつお金を出してあって、若い舞台人を支援するわけです。
鳥取に「鳥の劇場」というカンパニーがあります。東京で活動していた劇団が、鳥取に行って演劇だけで食っていくと宣言したわけです。彼らは珍しく才覚も僥倖もあって成功したけれど、すべてがうまくいくわけではない。けれど、そういう活動をやりたい若者を地域へ誘致して、地元のお年寄りが金を出し合って支援する。そのかわり「出演料を出すから演劇やらせてくれないかなあ」と。それが「1万人のゴールド・シアター」の私なりのゴールなんですよ。さいたま芸術劇場では継続してもらえそうですが、そうやって全国津々浦々に演劇がある状況にしたい。ただお年寄りだけでは演劇は作れないので、若い人はお年寄りに芝居を伝授しつつ、自分たちの芝居も作る。幸か不幸か全国には廃校が山とあるので、そこに芝居小屋を作って。そうやってお年寄りは宝だという状況が作れればいいなあと。お年寄りが健康でいてくれれば、医療、介護の費用もある程度削減できますから。さらには若い人にお年寄りのお金が流れ、それが地方の中で循環する。都会になるべく流さないということも重要です。
––そこに演劇をつなげた理由はなんですか?
声も出す、体も動かす、頭も使う。まあ、演劇でなくてもいいんでしょうけど、スポーツと違っているのは、すべての芸術活動に言えることかもしれないけど、ルールが厳格ではないところがいい。スポーツはルールさえ覚えれば参加できる。でも演劇はルールが発明されていく。そこが演劇の面白いところ。誰でもやれるし、ほとんどの人はうまくならないかもしれないけど、お年寄り向きの表現活動なんですよ。
表現活動こそが高齢者の生きがいに
1万人のゴールド・シアター2016 『金色交響曲~わたしのゆめ、きみのゆめ~』 撮影:引地信彦
––そんな壮大なお考えはいつからお持ちだったのですか?
地域社会をなんとかしなければいけないと考えているのは15年くらい前からですけど、お年寄りの表現活動が重要だと思い始めたのはこの5年くらいです。それは東日本大震災が大きなきっかけでした。お年寄りたちが避難所にいても、何もすることがない。その時に太鼓が欲しいという話を聞いたんです。なぜか聞くと、完全な形ではないけれど祭り的なことができるかもしれない、太鼓でみんなを元気づけられるかもしれない、と。つまり郷土芸能やお祭りという表現活動、その復活が高齢者の生きがいになる。我々が思っている以上に実は地域にはいろいろな郷土芸能が残っている。そういうものがなくなってしまった地域には、新しい表現活動が必要だし、やがては若い人を惹き付ける新しい表現活動も必要だと思うんです。若い人に理解を得られ、年寄り自らを元気づける手法となりうる。
––東日本大震災の起きた地域で郷土芸能やお祭りが失われていくという話はよく聞きます。と同時に、若者が減っている地域でも同じ状況だと。そして、郷土芸能やお祭りどころではなく集落がなくなるとも。
ですよね。それらにも課題がいくつかある。一番大きいのは次世代の担い手がいないということです。閉ざされたコミュニティに所属し、さらに選ばれた人でないと参加できない。でもそれを言っているとできなくなってしまうから、女性を入れる、近隣の集落と一緒にやる、我々のようなよそ者にもやらせるとか、コミュニティが開かれる可能性が生まれてきています。つまり消滅するよりはいいということなんです。さっきお話した演劇でも、お年寄りにしたら地域の神楽、伝統芸能の方が面白いと言うかもしれない。だったら若者に逆に伝授できるかもしれないし、演劇に組み込んでやれるとなおいいと思います。
都会では、若い人が雇用されるといっても非正規だし、アパート代も払えない、今月は仕事があるけど来月はわからないという不安定な状況。だったら田舎に帰って、仕事が少ないのは事実だけれど、いろんな仕事を発明していくのはどうだろうか。もしかしたら仕事がないというのは、必ずしも本当ではないかもしれない。都会みたいに最低このぐらいはないと生活できないということもないし、人間関係も濃密で、自然もある。ようく考え直したら、どっちが人間の生活として幸せかはわからないですよ。そうやって田舎にどんどん移住する環境を作り出す、田舎の魅力をどんどん引き出す。それには芸術活動が一番効果がある。僕は田舎で芸術活動をして生活していく制度を作れればいいと思っているんです。
最後になりますが、「1万人のゴールド・シアター」に出演された高齢者の皆様には、心からお礼を申し上げたいです。おかげ様で、形が見えてきましたね。
埼玉県芸術文化振興財団評議員、公益社団法人企業メセナ協議会 専務理事
1990 年から2013年まで、アサヒビールで文化活動を中心に、幅広く社会貢献を担当。アサヒアートフェスティバル、アサヒビール大山崎山荘美術館の立ち上げなどに関わる。アサヒグループ芸術文化財団顧問などを歴任。また企業メセナ協議会の研究部会長として、「ニュー・コンパクト」を取りまとめるなど、積極的に文化政策を提言し、2012年から同協議会代表理事専務理事。企業の立場からNPO の環境整備に取り組み、全国の関係機関とともにアートNPOフォーラムを立ち上げる。アートNPOリンク理事、芸術資源開発機構理事。2004年から2010年まで、横浜市芸術文化振興財団専務理事として、芸術文化創造都市横浜の推進に取り組む。その他の主な現職は、「さいたまトリエンナーレ2016」総合アドバイザー、おおさか創造千島財団理事、新潟市「水と土の芸術祭2015」アドバイザー、アーツカウンシル東京アドバイザリー・ボード議長、文化審議会政策部会委員など。2008年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。