新国立劇場『ジークフリート』でタイトルロールを歌うステファン・グールドにインタビュー
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ステファン・グールド (PHOTO:安藤光夫)
新国立劇場で2015年から2017年にかけて上演中のワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』4部作。2014年度からオペラ部門の芸術監督を務めている指揮者、飯守泰次郎による肝いりのプロダクションということもあり公演前から話題沸騰だったが、実際に蓋を開けてみると期待以上の評判をとっている。とりわけ昨年10月に上演された『ワルキューレ』は、2016年のベスト公演として挙げる音楽評論家もいるなど、非常に高い評価を得た。
『ジークフリート』の上演が6月に迫る中、そのタイトルロールを歌うステファン・グールドから話を聞けた。彼は世界トップクラスのヘルデンテノール。新国立劇場『ニーベルングの指環』では、『ラインの黄金』でローゲ役、『ワルキューレ』でジークムント役、そして『ジークフリート』『神々の黄昏』でジークフリート役と、4部作全てに出演する。
『ワルキューレ』より(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
――前回の『ワルキューレ』を聴かせていただきましたが、今までジークムントを演奏会形式でしかやったことがないというのが俄かには信じられないほど、素晴らしいものでした。とりわけ不安にさいなまれたり、あるいは反対に自信過剰になったりと、ジークムント個人のなかでの葛藤の表現に激しく心を打たれてしまいました。
そのような内的葛藤というのは音楽自体でも表現されているものなので、分かってくださり嬉しいです。
――ジークムントをはじめてフルに演じてみて、ご自身にとっての手応えはいかがでしたか?
とても、とても、とても良いものでした(笑)。
――それに比べると、次に演じられるジークフリート役は『ジークフリート』でも『神々の黄昏』でも既に50回以上演じていらっしゃるそうですね。ジークムントは神の子でありながら、しかしすごく人間臭いキャラクターだと思います。対してジークフリートはより天真爛漫で、神の子孫であることがよりはっきりと打ち出されているように感じます。グールドさんは、両者をどのように演じ分けなさるのでしょうか?
ジークフリートとジークムント……似たような名前を持つ二人で、ワーグナー初心者の方には同じようなキャラクターに見えてしまうというのがとても困るんですね。まずジークフリートのほうは「勝者」なのです。その名前自体に「勝利を収める者」という意味合いがあり、平和や幸せを自らの力でもたらす存在として描かれます〔※註:ドイツ語で“sieg”は“勝利 victory”、そして“fried”は“平和 peace”という意味〕。
対するジークムントの“ムント Mund”の部分は、“口 Mouse”という意味もあるし、“スピーチ”、“言語”というような意味もある。本当は勝者となるべきように生まれついていたにも関わらず、選べるものなら幸せになりたかったろうけども、悲しみや慟哭の方の世界に行ってしまうのがジークムントなんです。では、なぜそうなってしまうのかについては、『ワルキューレ』の中でジークムント自身が語っているところがあります。でも実は、彼には本当の深いところはわかっていない、理解していないんです。
それからヴォータンという名前も、実はこれ、マイナスのイメージを持つ名前なんです。そういった意味でワーグナーという作曲家は、登場人物の名前から性別から台本からと、あらゆるところに意識が非常に高い人で、感情のみに焦点を合わせるのとはまた一線を画した作曲家だということを、楽しんでいただけるのではないかと思います。
――なるほど。ところで、これまでジークフリートを演じてこられた50回あまりというのは、何年間くらいの間に到達されたことだったのでしょうか。
2006年のバイロイトからのことなので……驚いた! いま聞かれて数えてみましたが、2016年はちょうど10年という区切りの年だったのですね。演じたのは65回ぐらいだと思うのですが……はい、どう少なく見積もっても60回以上は確実に歌っていますね。
――なんと! では、その60回以上歌われた中で、とくに印象に残っている舞台とか、または大変だった経験はありますか?
アクシデントはいつだってありますよ(笑)。いろんなプロダクション、いろんな演出家の作品に出たことによって、よりその内容の理解が深まりました。ウィーンでやったスヴェン=エリック・ベヒトルフさんの演出は良かったですし、アムステルダムでやったピエール・オーディさんの演出も本当に素晴らしかった。オーディ演出の舞台では、オーケストラ・ピットがステージ上に作られていて、聴衆と歌い手の距離も手を伸ばせば届きそうなくらい近く、それだけにディテールについてもかなりこだわっていました。ただ……アクシデントがあって、金属片が刺さってしまい病院に行って取り除いてもらわないといけないということもありました。フィジカル的にもかなり難しいチャレンジだったということです。
――グールドさんが、レパートリーから『ジークフリート』のジークフリート役をそろそろ外される意向をもっているという話は本当ですか? それは、やはりこの役が過酷だからですか? それとも、本来もっと若い役だからなのでしょうか?
私ももう55歳ですから、あと2~3年で、新演出による『ジークフリート』にはもう出演しないつもりです。急に代役で求められれば出ていくかもしれませんが、積極的にやっていくということはなくなるでしょう。その理由は、ジークフリートが中年向けまでの役柄だからです(笑)。肉体的にも声楽的にも非常にハードな作品ですしね。『トリスタンとイゾルデ』ならいくつになっても出来るし、『神々の黄昏』も出来るでしょう。でも『ジークフリート』は内容的に考えても、その役柄自体がとても若い10代の若者ですからね。
今回、日本での『ニーベルングの指環』では全作品に出演させていただくことになっていますが、これはもう本当にグッド・タイミングでした。ウィーン国立歌劇場での『ナクソス島のアリアドネ』に出演したとき、「もうこれだけ長いことやってるのに、『ニーベルングの指環』の全作に出演したことはないんだよなあ」って不満を言ったら、後日電話が来て「新国立劇場で、全作に出ないか」って言われんです。すごいグッド・タイミングで、もう最高に嬉しかった!
――すると、グールドさんの演じられる若いジークフリートを日本で観られるのも、もしかすると今回が最後になってしまうかもしれないのですね……ますます見逃せません。さて、ここからは今回のプロダクションについてです。新国立劇場ではすでに2015年の『ラインの黄金』と2016年の『ワルキューレ』、2作に出演されましたが、ゲッツ・フリードリヒさんという、もう亡くなられているかたが15年ぐらい前に演出された舞台をやることに対して、何か難しさなどはありましたか?
私は以前、トンネル版とも呼ばれるベルリン・バージョンに出演した経験はありますが、今回のヘルシンキ・バージョンに出たのは今回が初めてです。そして『ラインの黄金』でローゲを演じるのも初めてでしたし、『ワルキューレ』のジークムントをフルステージでやるのも初めてでした。ところが、何も難しいと思ったことはありませんでした。
敢えていうなら、舞台が斜めになっていることだけ。転ばないように気をつけましたけどね。でも、コンセプトは非常に良いと思いました。ウケ狙い的なところや、安っぽいところも全然ありません。非常に現代性があって、それでいながらディテールに対するこだわりも感じられますね。
実は、ゲッツ・フリードリヒのご夫人であったカラン・アームストロングさん〔註:ソプラノ歌手〕がいらして、最終的に細部までご覧になって下さったんです。そういう意味ではフリードリヒ演出を正確に、かつフレッシュに実現できたと思います。というのはベルリンのトンネル版というのは幾度もやられているために、ある意味古さが否めないんですね。でも、今回のヘルシンキ・バージョンで彼は、違う角度でアプローチをしていて、それがとても新鮮なんです。新国立劇場が上演するに値する演出だと思います。
――今回、4部作全てで共演する指揮者の飯守泰次朗さんや、今回のプロダクションのオーケストラやスタッフについての印象はいかがですか?
飯守さんとの共演は2015年の『ラインの黄金』が初めてだったんですけれども、それより前に何かの音楽祭でお会いしていると思います。とてもオーガニックで、そして声楽のことを本当によく分かっていらっしゃるので、とても歌いやすくさせていただいています。『ラインの黄金』で」も『ワルキューレ』でもオーケストラも若くて才能のある団員に恵まれていて、本当に素晴らしかった。それからこの劇場はスタッフが非常に優秀だし、音響もすごく良いので大好きです。
――この『ニーベルングの指環』が作曲されてからおよそ150年近く経つわけですけれども、この21世紀に上演される意味についてどのようにお考えか、最後にお聞かせください。
直接的・間接的であるかを超えて、現代において作られているヒーローや神話の物語というのは、すべてこの『ニーベルングの指環』に繋がっていると思います。たとえば若い人に馴染みのある映画『ロード・オブ・ザ・リング』(2001-03)もまさにそうです。『ニーベルングの指環』は今日においても何ひとつ古臭いものではなく永遠性を持っています。
権力も文化も文明も、あらゆるものがひとつの大きな流れの中にあって、人間というのはひとつのサイクルの中でぐるぐると回っています。そして神々の世界で起きたことというのは、実は我々の社会の中で起きていることなんです。美しい音楽なので、すごくポジティブな物語に聴こえてしまうかもしれませんけれど、実際に暗示しているものはそんなことではないのです。神々の社会の中で繰り返されてきたことは、神々が滅びて人間の社会に反映され、人間の社会もまた悲しいかな……同じ運命を辿る繰り返しをしてしまうのです。
それは、たとえばシェイクスピアの『リア王』(※17世紀初頭の作品)もそうですし、『リア王』を原作とする黒澤明さんの映画『乱』でもそうでしたよね。偉大な王、あるいは権力や社会といったものを描いた物語として、この『ニーベルングの指環』もまた、いま現在においてこそ見られるべきで、現在の文化にこそあてはまるんじゃないかと私は考えています。日本映画『七人の侍』も決して古びることがないように、ワーグナーの『ニーベルングの指環』も決して古びることはないでしょう。
――『ジークフリート』、さらには最後の『神々の黄昏』でグールドさんのジークフリートを観れる日が本当に待ち遠しいです。本日はありがとうございました。
取材・文=小室敬幸 通訳=久野理恵子 撮影=安藤光夫
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第2日『ジークフリート』[新制作]
全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
■日程:2017年6月1日(木)~17日(木)
■開演時間:
2017年6月 1日(木)16:00
2017年6月 4日(日)14:00
2017年6月 7日(水)14:00
2017年6月10日(土)14:00
2017年6月14日(水)16:00
2017年6月17日(土)14:00
■演出:ゲッツ・フリードリヒ
■配役:
ジークフリート:ステファン・グールド
ミーメ:アンドレアス・コンラッド
さすらい人:グリア・グリムスレイ
アルベリヒ:トーマス・ガゼリ
ファフナー:クリスティアン・ヒュープナー
エルダ:クリスタ・マイヤー
ブリュンヒルデ:リカルダ・メルベート
森の小鳥:鵜木絵里、九嶋香奈枝、安井陽子、吉原圭子
■管弦楽:東京交響楽団
■公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/opera/siegfried/