サブカル基礎教養としてワーグナーを知ろう 【シリーズ『ワルキューレ』#7】
新国立劇場『ワルキューレ』』ゲネプロより(撮影:安藤光夫)
▶ 映画『地獄の黙示録』は、なぜ《ワルキューレ》を引用するのか?
19世紀ドイツの作曲家ワーグナーが26年もの歳月をかけて書き上げた4部作のオペラ《ニーベルングの指環》。大ヒット映画『ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)』と同様に、ヨーロッパ各地に古くから伝わる「世界を支配できる魔力をもった指輪」をめぐる神話を原案とした、ワーグナー自身の台本による舞台作品だ。この4部作のうち、2番目にあたるのが楽劇《ワルキューレ》である。
このオペラを代表するナンバーといえば、映画『地獄の黙示録』(フランシス・フォード・コッポラ監督)の劇中でも使われた〈ワルキューレの騎行〉だろう。曲名にピンとこなくとも、メロディーを聴けば「ああ、これか」と誰もが納得の超有名曲である。
映画の劇中ではキルゴア中佐の指揮のもと、攻撃用のヘリコプターで敵の基地を空襲する際に「作戦の一環」として、ヘリコプターから大音量で〈ワルキューレの騎行〉が流される。ベトナム戦争の現場がどれほど狂っていたのかということを表現した名シーンとして有名だが、ほかでもない〈ワルキューレの騎行〉がわざわざ選ばれたのには、ちゃんと理由があるのをご存知だろうか。
そもそもワルキューレとは、戦場に散った戦士たちに神々の住まう城の警備をさせるため、亡骸を天馬に乗せて空を駆る9人の姉妹のこと。彼女たちは神々の長であるヴォータンを父に持つ、いわば「戦場に現れる女死神」なのだ。〈ワルキューレの騎行〉は、この姉妹たちのテーマ曲であるといえば、もうお分かりだろう。コッポラ監督は容赦なく死者を増やしていく攻撃用ヘリコプターをワルキューレの乗る天馬に見立て、20世紀の戦場における死神として描いているのだ。
▶ 実はあの国民的大ヒット作も《ワルキューレ》から影響を受けていた?
実は『地獄の黙示録』以外にも、ワルキューレを源泉としている作品がある。意外なところでは、ジブリの『崖の上のポニョ』(宮﨑駿監督)もそうした作品のひとつだ。なんてったってポニョの本名ブリュンヒルデは、ワルキューレの長女の名なのだ。実際、ポニョの制作中に宮崎監督はしばしばこのオペラの音楽を大音量で流しながら作業していた――とジブリの公式サイトでわざわざ紹介しているほど《ワルキューレ》を強く意識している。
ワーグナーの原作においてブリュンヒルデ(ポニョ)は、恐れを知らない英雄ジークフリート(つまり宗介)と結ばれるのだが、敵の策略にはまったジークフリートはブリュンヒルデのことを忘却し、他の女と結婚を決めてしまう。旦那の裏切りに激昂したブリュンヒルデは敵に弱点を教えてしまいジークフリートは死ぬことになり、最後は神々の城は火に包まれて滅亡に向かう…。
これを『崖の上のポニョ』に置き換えてみよう。劇中で描かれているのは二人が結ばれるところまで。しかし宗介はまだ5歳児であり、劇中でどんな子にも優しく振る舞っていたことを思い出してほしい。ポニョこと本名ブリュンヒルデが嫉妬し、またあの大津波を引き起こしたら世界はどうなるだろうか? 加えて、宗介の名前を拝借する元となった夏目漱石の小説『門』の主人公 野中宗助は略奪愛をした人物であるし、劇中に登場する植物グラジオラスの花言葉は「情熱的な恋・思い出・努力・忘却」である。――そう、実は『崖の上のポニョ』は考えれば考えるほど鑑賞後に不吉な余韻を残す、とっても怖い作品なのだ。
他にもポニョほど明確な影響関係はないけれど、ワルキューレたちが死者を連れ去って仕事に従事させようとするのは、まるで漫画『GANTZ』のようであるし、更にいえば「大きな問題に直面している男性主人公が女性の愛によって最終的に救われる」というワーグナー作品に通底するテーマを別の視点から読み替えると「ヒーローとヒロインを中心とした関係性が世界の滅亡に結びつく」といういわゆるセカイ系的な世界観と地続きの関係にあるのも間違いない。事実、前述したように《ニーベルングの指環》4部作のラストでは、ジークフリート(ヒーロー)とブリュンヒルデ(ヒロイン)の関係のこじれをきっかけにして、神々の世界が滅んでしまう。
また別の視点からみれば、神話に登場する人物や物の名前を参照しながら自分の物語を作り上げていくというワーグナーのストーリーテリング手法は、現代の日本においてもサブカル分野で頻繁に行われているやり方だ。例えば、前述した神々の長ヴォータンの別名はオーディンである――といえば、「嗚呼、ファイナルファンタジーの召喚獣にいたあいつね」と一瞬でご理解いただける方も多いはず。そうしたキャラ設定等の例まで挙げだすと、枚挙に暇がないほどだ。
▶ 《ワルキューレ》は、スターウォーズのアナザーストーリーである!?
でも、「ワーグナーの作品そのものは小難しいんでしょ?」……そう敬遠される向きもあるだろう。そんな方には《ワルキューレ》の登場人物を『スターウォーズ』シリーズに置き換えてみることをお薦めする。ためしに第1幕だけ、やってみよう。
【第1幕】ある日、追っ手から命からがら逃げてきた主人公(ルーク)は、たまたま通りかかった「館」に助けを求めると、そこにはひとりの女(レイア)が。女と結婚している旦那(ジャバ・ザ・ハット)がその後帰宅すると、どうやらこの旦那こそが主人公を殺そうとしている追っ手だったことが判明。翌日決闘をして決着をつけることになります。女(レイア)が機転を利かし、旦那(ジャバ・ザ・ハット)にしびれ薬を飲ませて、夜にふたりは密会。そこで互いが生き別れの双子であることに気付きます。父(アナキン aka ダースベイダー)が残した伝説の剣(ライトセイバー)を手に入れ、ふたりで「館」を脱出するのだが…。
このようにあらすじを置き換えしてみると、オペラといえども冒険と恋愛に加えて主人公の出自の謎という要素まで入った直球ど真ん中のハリウッド大作映画とあまり変わりがないことがよく分かるだろう。更に「館」を「惑星」に置き換えればもう完全に『スターウォーズ』のようなスペースオペラの出来上がりである。
単に無理やり当てはめたわけではない。一例を挙げれば、原作のスターウォーズシリーズにおいてもダースベイダーこと、アナキン・スカイウォーカーは父親不在の処女懐妊によって生まれた人物のため神性の強い人物として描かれているし、彼自身の行為によって銀河帝国が崩壊してゆくところも、神々の長ヴォータン(=生き別れの兄妹の父)を連想させるのだ。
オペラの作曲当時は映画もアニメもなかった時代である。こうして見てくると、作曲家ワーグナー自身は自分の作品が芸術ということを強く意識してはいたけれども、神話に基づく大スペクタクルの物語を19世紀に描けたのはオペラぐらいしかなかったから、ワーグナーはオペラ作曲家になったに過ぎない――といったら、さすがにワグネリアン(※ワーグナー愛好者のこと)に怒られるだろうか。でももしワーグナーが100年遅く生まれていたら、オペラではなく映画を、しかもサブカル好きが喜ぶような神話に基づく大スペクタクル映画を撮ったのではないだろうか。そんな妄想をしてみると、ワーグナーのオペラに敷居の高さを感じる必要もなくなるはずである。
▶ ワーグナーはどのようにして、150年も前に大スペクタクルを描いたのか?
ワーグナーが《ワルキューレ》を作曲したのは、今から150年以上も前のこと。現在であれば出演者をワイヤーで吊って自由自在に舞台上を飛び回らせることも、あるいはプロジェクションマッピングを使って派手な演出を行うことも難しくない。しかし当時は、舞台美術こそお金をかけて豪勢なものを準備することが出来たけれども、神々が登場するような大スペクタクルにリアリティをもたせる派手な演出はできなかった。だからこそ、音楽の力で舞台上の出来事に説得力をもたせる必要があり、そのためにワーグナーはライトモティーフ(Leitmotiv 示導動機)という作曲技法を活用したのだ。
「ライトモティーフって何?」という方のために簡単な説明をすると、『スターウォーズ エピソードⅣ:新たなる希望』でレイア姫が登場するたびに《レイア姫のテーマ》が流れたり、『エピソードⅤ:帝国の逆襲』でダースベイダーが登場するたびに《帝国のマーチ(ダースベイダーのテーマ)》が流れたりする“あれ”のことだ。日本語に直訳すると、意味を「示し導くLeit 動機Motiv」ということになる。こうしたライトモティーフによる情景描写は、21世紀現在においても数々の映画やミュージカルで広く用いられているほど。ワーグナーが後世に与えた影響は絶大なのだ。
では、それらモティーフをきちんと理解していないと楽しめないかといえば、そういうわけでもない。勘違いしないよう気をつけなければいけないのは、ワーグナー自身が「このモティーフは、××という意味」と断定しているわけではないということだ。現在世の中に流通している説明は第三者によって分類・命名されたものでしかないから、逆にいえば本当は自由に解釈していいものなのだ。
…とはいえ、いきなり「自由にどうぞ」と言われても、戸惑ってしまうのが人の性。とりあえずは下記の動画にまとめた主要登場人物と色濃く結び付けられたライトモティーフを頭に入れておくといいかもしれない。是非この動画で予習して、新国立劇場へ足を運んでほしい。
【動画内で紹介したライトモティーフの一覧】
(文:小室敬幸)
リヒャルト・ワーグナー 楽劇『ニーベルングの指環』第1日<新制作>『ワルキューレ』
(全3幕/ドイツ語上演/字幕付)
2016年10月02日(日)14:00
2016年10月05日(水)17:00
2016年10月08日(土)14:00
2016年10月12日(水)14:00
2016年10月15日(土)14:00
2016年10月18日(火)17:00
【演出】ゲッツ・フリードリヒ
【美術・衣裳】ゴットフリート・ピルツ
【照明】キンモ・ルスケラ
【フンディング】アルベルト・ペーゼンドルファー
【ヴォータン】グリア・グリムスレイ
【ジークリンデ】ジョゼフィーネ・ウェーバー
【ブリュンヒルデ】イレーネ・テオリン
【フリッカ】エレナ・ツィトコーワ
【ゲルヒルデ】佐藤 路子
【オルトリンデ】増田 のり子
【ヴァルトラウテ】増田 弥生
【シュヴェルトライテ】小野美咲
【ヘルムヴィーゲ】日比野 幸
【ジークルーネ】松浦 麗
【グリムゲルデ】金子 美香
【ロスヴァイセ】田村由貴絵
本公演は、フィンランド国立歌劇場(ヘルシンキ)の協力により上演されます
■公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/opera/walkure/index.html