【ACIDMAN 20th特別企画】唯一無二の3ピースバンド、その歴史と思想とは ~大木伸夫・後篇~

インタビュー
2017.2.20
ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

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ACIDMANの結成20周年を記念した、メンバー3人の連続ソロ・インタビュー企画。本稿はその第一回、大木伸夫の視点から見たバンドヒストリーと彼の個人史を紐解くインタビューの後篇にあたる。幼少期からメンバーとの出会いまでにフォーカスした前篇に引き続き、ここではデビュー期から現在に至るまでが語られている。最新シングル「愛を両手に」までの彼らの道程、そして今秋行われるアニバーサリーイヤーの集大成『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』へ、さらにその先へと続いていく道筋と、ともにあり続ける揺るがぬ思想に触れていただければ幸いである。

※前篇はこちら

——ボーカルの椎橋氏が抜けて、大木さんがボーカルになる。これも非常に大きい出来事ですよね。もともと、予定していた出来事ではなかったわけでしょう?

いや、でもね、ずっと言われてました。武史は「俺は音楽で食うつもりはない」「建築家になる」って、バンドを組んだ時から言ってたんです。でも俺は信じていて……音楽の楽しみがわかれば、絶対こっちの方が良くなるだろうなと。でも結局気持ちは変わらなかったので、いよいよ来たなと。みんなそれぞれの人生を本気で考える時だし、高1の時から言ってるということは、本当に建築家になりたいんだなと。

——それも見事な生き方ですね。

それから都立大学を出て、一級建築士になった。都立大学の建築科はすごく優秀で、国内でもトップクラスらしい。この間、小林武史さんとメシを食うことになって、たまたまその場に建築関係の若い人がいて、話をしていたら俺のことを知ってるっていうんですよ。あ、ACIDMANのことを知ってるんだと思ったら、「椎橋さんを知ってます」って。「なんで椎橋を知ってるの?」「椎橋さんは都立大の建築学科が始まって以来の天才だと、今でも語り継がれます」って言われて、「ええ〜!」ですよ。すごい論文を書いたらしくて、未だに教授がそれを語っているらしい。

——かっこいいなあ。面白い人材の宝庫ですね。大木さんの周辺は。

面白いです。でも武史は特に、俺の何倍も面白いですよ。

——ぜひ出てもらいたいですね。そして当時の話を聞きたい。

喜ぶんじゃないですか。嫌と言いながら喜ぶタイプなんで(笑)。

——その椎橋氏が抜けた時に、自分で歌うことはある程度覚悟を決めていたと。

いや、歌うということはまったく覚悟していなかった。誰かボーカリストを探さなきゃと思ってたんですけど、見つからなくて。じゃあ一回弾きながら歌ってみるわ、という最初のライブの時に、「良かったよ。今度CD出さない?」という話をいただいたんですよ……いや、最初じゃなくて、3回目くらいかな。下北沢GARAGEに出た時に、Nomadic Recordsのtwoさん(平山“two”勉)が観に来てくれたんです。たぶん4人体制の時代から下北沢GARAGEの出口(和宏/ディレクター)さんとかから話は行っていて、観に来てくれたのがその時だった。自分の中では嬉しい反面、武史に申し訳ない思いと、ギリギリ救われた思いとがありました。もうバンドは終わるかもと思っていたのに、“俺の歌で行けるかも”と。それは本当に、すごく大きい出会いでした。当時は今ほど、誰でもCDが作れるノウハウがない時代だったから。

——1999年とかですね。

CDを作るということが、一つの大きな目標だったんで。これで自分の夢が叶うんだという思いがあって、もしかしたらそれが今までで一番うれしかったことかもしれない。そのあと、EMIからデビューしないかと言われた時よりも、何倍もうれしかった。

——インディーズでCDを出すことに成功して、そのあとは?

その時、俺は明治薬科大学の薬学部だったんですけど、あまり勉強しなかったんです。でもせっかく大学に入ったんだから、国家試験は絶対に取りたい。で、1年後に国家試験が終わるから「1年待ってくれ」とtwoさんに頼んで。それからはめちゃくちゃ勉強して受かって、就職も考えず、終わったらすぐにレコーディングした。それがなかったら、俺は薬剤師の国家試験には受かってなかったです。あんなに頑張れなかったと思う。……電話帳7冊ぐらい覚えることがあって、むちゃくちゃ難しいんですよ。今でも月に2〜3回は夢に見て、怖くて目が覚めるぐらいなんで。

——それは、相当だなあ。

それを1年間ずっと、1日12時間勉強して。なんとか合格して、さあやっとミュージシャンになれるぞ、ということですね。

——それは、けじめとして? ミュージシャンになるなら、国家試験をスルーしても別によさそうだけれど。

そもそも大学に行かずに音楽をやりたいと言った時、母ちゃんから猛反対をくらったんですよ。それで母親が病んじゃったりもして、やばいなと思ったんだけど、“俺はそんなことじゃ負けねえぞ”と思っていて。でもある日父ちゃんに「一人暮らしさせてやるから、大学行かないか?」と言われて、そうすると話が変わってくるからそこで考えを変えて、一人暮らしするために大学に行くことに決めました。でも得意教科が3科目しかなくて、数学と英語と化学で行けるのは薬学部しかなかったんですね。薬剤師になるのはうちの血だから、その三つだけガーッと勉強して、合格して、一人暮らしを始めて。だから卒業する時も、せっかく入れてもらったんだから資格は取らなきゃ!という思いがあったんですよ。年間いくらかかってるのかも知っていたし、あとは、何て言うのかな……与えられたものから逃げたくない性格なんですよ。テストと言われたら、意地でも取りたい。不純ですいません……。

——薬剤師の資格を持ってるということは、今でも開業できるわけでしょう。

資格は持ってるけど、やっぱり経験値ですからね。一応、ある程度はつぶしは効くと思うんですけど(笑)。

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

——EMIでのメジャーデビューには、どんな思いがありますか。この間のZepp TokyoのMCで言ってたけれど、メジャーデビューするからといってあれこれ指図されることもなく、自由にさせてもらったということですけども。

そうそう。ACIDMANが大きくなった一番の理由は、メジャーデビューですね。インディーズの頃はライブハウスで100人規模の活動なわけで、周りのバンドがどんどん音楽雑誌に出たりとか、ちょっとしたコーナーに出てるだけでも羨ましくてしょうがないんですよ。ART-SCHOOLとか、ストレイテナーとか、いいなあと思っている時期が何年かあって。そんなある日、旧・東芝EMIの山口さんという、椎名林檎ちゃんのディレクターの方から名刺をいただくんです。その頃はメジャーなんて行く気がなかった。EMIの名前も知らなくて、“エミって何だっけ?”って。

——それネタでしょう?

ほんとほんと(笑)。で、メシに行こうと誘われたんだけど、メジャーに行く気ないから、「メシだけ食わせてもらって、話だけして帰ろうぜ」ってメンバー間で言っていて。……実はその時、事務所のことでいろいろぐちゃぐちゃしてる時期で、詳しくは言えないですけど、“俺は曲を作りたいだけなのに何でこうなるんだ?”という感じだったんです。でも、そこで山口さんが俺をなぐさめて、支えになってくれた。その時に“この人とやろう”と決めたんです。それだけは決めて、あとは流れに任せようと。で、うまく話がまとまって、メジャーデビューして、デビュー・アルバムが15万枚ぐらい売れたんです。それが初めて、ACIDMANが世の中に出たタイミングですね。

——人ですね。やっぱり。

人ですね。ずーっと人。ありがたいことに。

——それにしても、15万枚売れたんですか? すごいじゃないですか。

目標は3万で、それもすごい数字だなと思ってたし、俺の目標は20位ぐらいがいいと思ってたんですけど。

——なんで20位(笑)。トップ10じゃなくて?

本当はそういう気持ちはあるんだけど、ひねくれて、かっこつけてた時代だから。大手を振って街を歩きたいし、だけどある程度のお金と知名度はほしい。で、実際にトップ10に入って……すごい落ち込んじゃったんですよ。不安になっちゃった。有名人になりたいわけじゃなかったのに、これじゃ有名になってしまう、と……本当はなりたいんですよ。なりたいくせにかっこつけて、「俺はそんなんじゃないんだ」って言いたがってた。EMIのみんなは、予想の何倍も売れたから驚いてるわけですよ。「メシ会やろう!」とか言ってくれるんだけど、俺は「いや、いいです」って、みんなのテンションを下げさせるという。

——イヤなアーティストだなあ。喜べよ(笑)。

天狗になるならわかるけど、逆かよ!っていうね(笑)。本当に申し訳なかったなって、今にして思います。今の時代の15万枚とは全然違うと思うけど、デビューとしてはすごい数字で、でもその認識もなかったから、すごい有名になってしまうんだと思ってたんですよ。でも、意外とそうでもなかったので安心したというか(笑)。全然みんなに知られてないんだなという体験が続いたので。今のほうがはちゃんと、トップを取りたいという純粋な覚悟はありますね(笑)。

——そこからは2枚目、3枚目と、一つの大きな流れに乗って突き進んで行く。

そうですね。もちろんいろんな葛藤や、嫌なこともいろいろあったけど、突き進んでましたね。

——そして4枚目の『and world』の頃に、一回バンドの危機が訪れたでしょう。当時、そういう話をしたのを覚えてますけど、大木さんが突っ走って、二人とのバランスが崩れかかった時期が、ちょうどあの頃だったと記憶してます。

それは実は、最初のアルバムを出したあとからはずっとありました。俺のスタートダッシュがすごく速かったので。腹をくくった、メジャーになった、売れた、もっと結果を出さなきゃ、という発想になってたから。売れたくないとか言ってたくせに。で、スイッチを切り替えてガーッと突っ走っていたのに、二人が今まで通りに過ごしていたことを、ずっとストレスに感じていて。

——そうか。最初からあったのか。

最初のアルバムを出してすぐですね。“なんでこいつらとやらなきゃいけないんだ?”って、ずーっと思ったまま。それが爆発したのが『and world』の時でした。もう耐えられないって。……それはでも、今も変わらずですけどね。

——そんなこと言うなよ(笑)。

結局変わんねえなって(笑)。あ、でも最近思ってるのは……本当にここ数日ですけど、相変わらず「もっとちゃんとやれよ」って二人に説教している日々の中で、ちゃんとやりだしてくれていて。ここ数日で、やっと思いが伝わってきたかな?みたいな。

——ここ数日って(笑)。

やっと大切なことが伝わってきた気がする。特に佐藤くんには、俺は何も言ってこなかったんですよ。ナルシストのままでいいと思ってたんだけど、でも最近は大事なことを彼に伝えるようにしてきていて。自分のことを大事にする前に、ACIDMANのことを大事にしてくれと、ベースプレイの前に、ACIDMANのことを考えてくれと。そういうことを言うようになって、そこからだんだん、それぞれも努力して“大木はこんなに頑張ってくれてたんだ”ということに、やっと気づいてきてくれているというか。それでも治らないダメなところは、佐藤くんに関しては、「老い」ですね。もうね、老いてきてる(笑)。

——(笑)。ひどいなあ。

もう治しようがないなということに、最近気づいた(笑)。そこはちゃんと許してあげようと思ってます。だから、今はいい感じです。

——まとめた(笑)。あともう一つ思い出すのは、その危機の時代に、スカパラのメンバーに助けられたという話を、前にしましたよね。当時の取材のときに。

そうそう。

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

——それも一つの、大きな人との出会いだと思うんですよ。

そうですね。世田谷の小っちゃな居酒屋の、あの夜がなかったら。あの日はたまたま谷中さんが飲みに誘ってくれたんですよ。たぶん、察してくれたのかな。そしたら谷中さん、加藤さん、GAMOUさん、(川上)つよしさんがいて、スカパラの4人と俺という謎の飲み会で。楽しく飲んでたんだけど、信頼してる先輩たちだから“ちょっと相談に乗ってもらおうかな”と思って、話し始めたら思いが溢れちゃって。みなさん、すごくいいことを言ってくれて。ほんと、あの日がなかったらACIDMANは終わってたかもしれない。意地で続いてたかもしれないけど、いい流れにはなってなかったと思う。

——要は、「大木がバンドを引っ張れ」ということだったんですか。

そうそう。後ろを向いてる場合じゃないって。とにかくスリーピースのバンドで、正三角形は無理だから、二等辺三角形で当たり前だと。お前のほうがしんどくて、やることも多いのは当たり前なんだからって。そう言ってくれたのは加藤さんですね。で、「今やめて、ほかの奴らとやっても、絶対にいいことはない」と。例を挙げながら、「今以上には絶対行かない、絶対最初のバンドのほうがいいんだから、絶対やめるな」って。「とにかくお前が頑張れば、二人は一定の距離でついてくるから」って、「わかりました」と。……で、数年後にそれを思い返したら、一定の距離でついてこなかった二人がいて。

——いちいちオチつけなくていいから(笑)。

あの頃のままじゃん!と思って、また呼び出して話をして(笑)。「なんでおまえらはそうなの!」って。

——あ〜あ。それはもう、家族ですね。何があっても、許すしかない。

そうですね。いつもバタバタだけど、面白いですよ。でも本当に、彼らがいないと成り立たないんでね。だからそこは、全然気にしてないです。こうやってイジッてあげたほうがいいんで。

——でも、あの危機を乗り越えたあとのACIDMANの創作力の爆発は、本当にすごかったですよ。『green chord』『Life』『A beautiful greed』と、どこまで行くんだ?というぐらい、名作を連発してくれて。あの時期の曲はゾクゾクするほど大好きです。

ありがとうございます。自分では思い出せないんですけどね。昔から変な性格で、過去の感覚がないんですよ。あと“売れた”という実感もないから、俺はまだロックスターとしての自覚がないんですよ、ずーっと。だから“俺みたいなものが”という気持ちが多い中、気づけば、すごい売れてた時代があったんだなって、ウィキペディアを見て思い出すという。

——しょうがないなあ(笑)。

“すげえな、本当にトップ10に入ったんだ”とか、たまに思います。忘れちゃうんですよね、いつも。今しか考えていない。

——満足感を感じる瞬間は、ないということですか。

常に満足はしてますよ。毎日満足してます。でもそれを、また忘れちゃうから。

——だから毎回更新していけるんでしょうけどね。だって今までも、アルバムの取材に来ても「もうできちゃったからよく覚えてない」とか、「つまんない」とか、平気で言う人だったから。放心したような、暗い顔して(笑)。

そこがね、うまい人だったら、出来立てホヤホヤのさわやかな顔ができるんですけどね(笑)。もっと言うと、暗い顔をしてるのは録り終わった日からですよ。その代わり、レコーディング中はキラキラですよ。で、歌い終わってミックスが終わるぐらいには、もう飽きちゃってる。“つまんねえな、面白いことねえな”みたいな感じ。

——因果ですね。それは一生治らない。

治らないです。子供なんです、ずーっと。刺激がほしいんです。

——でもね、詞に関しては、だいぶ変わったと思いますよ。言ってることやテーマは変わらないと思うんですけど、特に今回の「愛を両手に」とか、そこに生々しく生きている人間がいるじゃないですか。頭で考えた思想や哲学というより、人生体験がしっかりと入ってきているし、死生観にぬくもりが入ってきているというか、そういう感じがすごくするんですよ。ここ最近の歌を聴くと。

そうかもしれない。それはたぶん、家族ができたこともデカいかもしれない。

——ああ、そうか。

そこから本当に言葉というものを、もっと大事にするようになってきて。もちろん音楽としてのアート性を捨ててはいないですけど、特にこういうバラードの時には、もっと大事な……今おっしゃっていただいたようなぬくもりのある、あたたかい、子供にもわかるような言葉使いをしたいと思っていますね。いつも。

——ほぼ同じ時期に、震災もありました。あれも大きかったんじゃないかと。

大きかったですね。震災で、自分の思想や価値観はまったく変わらなかったですけど、ただ最初に言った“自分の役割は悲しみを癒すことだ”ということを、なんとなく思うようになったので。涙をこらえている人に泣いてほしいし、その方の心のガス抜きみたいなことが自分の力でできるのならば。おこがましいけれど、今はそういうところに欲求がすごくあって。人の相談に乗るのも大好きだし、だけど相談とかって結局無責任だから。あなたを抱きしめることはできないけど、音楽で、残酷な抱きしめ方はできるということですね。

——残酷な抱きしめ方?

孤独を感じるかもしれないけど、俺は孤独を伝えることはできる。孤独を感じる、その覚悟はしてくれと。だけど、そこには俺もいるからね、ということなんです。

——大木さん、最近のMCで必ず、「人は死ぬんです」ってはっきり言いますよね。

そう。もしかして、そんなこと本当は聞きたくないし考えたくないから、みんな音楽を聴いてるのかもしれないけど、でも本当に悲しい人というのは……悲しみを知らない人がACIDMANを聴くと、いまいちピンとこないと思うんですよ。でも悲しみを知っている人には共感を受ける。それはすごく重要なことで、「愛を両手に」も、死を身近で経験していない人には、ピンとこないかもしれないけど、死を経験した人はみんな感動してくれる。だとしたら自分は人を悲しませたいわけじゃないから、ガス抜きの役目なのかなあと思うんですよね。涙を流してもらう、それが救いというものであれば、おこがましいけれど、少しだけ救ってあげたい。気持ちを楽にしてあげたい。そういう思いはすごくありますね。

——今日は長い時間、ありがとうございました。楽しかった。もうこれからは、バンドの危機はなさそうですかね。

これからは、老いが危機になるんじゃないですか(笑)。今年で40なので、あと何年できるんだろうということはすごく考えます。それが今の一番の命題ですね。だからといって、迎合して音楽性をゆがめてまで売れる方向に走っても、売れるわけでもないし。やりたいことを、今まで以上に丁寧に研ぎ澄ませて、これが60まで続くように。

——60ですか。見えている範囲は。

そう。61から先は、まったく見えないですね。それから先は「みんな貯金して食っていけよ」って、佐藤くんと一悟くんには言ってます(笑)。


取材・文=宮本英夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

ACIDMAN・大木伸夫 撮影=西槇太一

リリース情報
ACIDMAN 「愛を両手に」
発売中
「愛を両手に」

「愛を両手に」

初回限定盤(CD+DVD)
TYCT-39049
¥1,800+税
<初回限定盤バンドルDVD>
ACIDMAN初ワンマンLIVE@下北沢ガレージ(2002年 5月25日)+活動最初期のLIVEシーンをダイジェストで編集 した超レア映像を20th Anniversaryの記念すべきこのタイミングに満を持して お蔵出し!
ファン垂涎のアイテムを付属DVDとしてリリース
(レーベル)VIRGIN
 
<収録曲>
M1. 愛を両手に
M2. snow light
M3. 水の夜に
M4. Live Track From 2014.10.23 Zepp Tokyo
(『世界が終わる夜』リリース記念プレミアム・ワンマンライヴ)
風、冴ゆる/波、白く/スロウレイン

iTunes: http://po.st/itaiwo
レコチョク: http://po.st/recoaiwo

 

ライブ情報
ACIDMAN 20th Anniversary 2man tour
02月26日(日) 福岡:drum logos w / SiM
03月03日(金) 石川:金沢EIGHTHALL w / The BONEZ
03月05日(日) 岡山:岡山CRAZYMAMA KINGDOM w / LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS
03月11日(土) 福島:いわき市文化センター w / THE BACK HORN
05月14日(日) 北海道:Zepp Sapporo
05月19日(金) 愛知:Zepp Nagoya
05月21日(日) 大阪:Zepp Osaka Bayside
05月27日(土) 東京:Zepp Tokyo
06月03日(土) 沖縄:桜坂セントラル
 
ACIDMAN主催『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』
2017/11/23(木・祝)
故郷・埼玉県、さいたまスーパーアリーナにACIDMAN主催『 SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』開催決定!
 
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