【THE MUSICAL LOVERS】 ミュージカル『アニー』 [連載第7回] 『アニー』に「Tomorrow」はなかった?
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Season 2 ミュージカル『アニー』
先日、舞台『リトル・ヴォイス』製作発表会見で「人生を変えた一曲は?」との質問に、主演の大原櫻子はミュージカル『アニー』の「Tomorrow」を挙げた。『アニー』ファンである筆者は、それを知って歓喜した!
彼女に限らず「Tomorrow」を聴いて、人生が開かれた、あるいは人生が変わったという人は決して少なくあるまい。筆者だって何度この歌を口づさんで苦境を乗り越えたことか。あのニュー・ディール政策も、これがきっかけで誕生した……ということになっているほどだ(【第5回】参照)。ミュージカル『アニー』が名作たる所以は、この「Tomorrow」の存在にあるといっても過言ではなく、『アニー』と「Tomorrow」は切っても切り離せない関係にあるといってもいい。
ところが、そんな「Tomorrow」について、ちょっと穏やかでない話がある。今回はそのことを取り上げる。
■「Tomorrow」は別のミュージカルの曲だった?
ミュージカル『アニー』と聞いて、何を思い浮かべるだろう。赤いワンピースの赤毛少女と犬。そして「Tomorrow」と、誰もが答えるのではないか。
ミュージカル『アニー』を観たことがなくても、「Tomorrow」を知っている、聴いたことがある、という人は多い。世界中でたくさんの歌手にカバーされてきた。日本だけでも、例えば Chara、misono、缶コーヒーのCMで和田アキ子が歌った「トゥモロー~ジョージアで行きましょう~」などはお馴染みだ。また、2015年にソニー・ピクチャーズ映画『ANNIE』が日本で公開された際には、平井堅がカバーし、Flowerも「TOMORROW ~しあわせの法則~」という題名で歌った。人々はこの曲を通じて『アニー』を知り、その魅力に憑りつかれてゆく。
しかし、そんな『アニー』の象徴曲ともいうべき「Tomorrow」が、実は『アニー』のために書かれた曲ではなかったと語る人物がいる。そんなことを言うのは誰あろう、作家のダニエル・キイスである。そう、『アルジャーノンに花束を』や『24人のビリー・ミリガン』などの著作で有名なアメリカの作家だ(1927-2014)。
彼の代表作『アルジャーノンに花束を』は、1959年中編小説として発表されヒューゴー賞を受賞、さらにそれを発展させて1966年に発表された長編小説がネビュラ賞も受賞し、キイスの名を世界中に知らしめた。主人公は知的障碍者のチャーリイ。彼は実験的な脳手術を受けてたちまち天才となるが短期間でその効果が消えてしまう、その顛末を描いたSF(サイエンス・フィクション)である。1968年に『まごころを君に(原題:Charly)』というタイトルで映画化された。監督はラルフ・ネルソン、主演はクリフ・ロバートソンだった(このロバートソンの名は後々何度か出て来る)。1978年には、邦訳本が早川書房から出版され、わが国でも多くの読者を得てきた(※文中「チャーリー」ではなく「チャーリイ」とする表記は、この早川書房邦訳本に準ずる)。
1999年、キイスの自伝『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』が発表され、その邦訳も2000年に早川書房から出版された。それによると映画化の7年後(1975年)、今度は『アルジャーノンに花束を』をミュージカル化する話が持ち上がった。その作曲は、『アニー』の公演を控えていたチャールズ・ストラウスが担当することになった、とある。そのうえで、キイスは次の二点を述べている。
[1]もともと「Tomorrow」は、ストラウスが、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』の主人公・チャーリイのための歌として書いたものだった。
[2]しかしストラウス作曲のミュージカル『アニー』が、ワシントンD.C.郊外における上演のあいだにいろいろと問題を起こし、その結果として、ストラウスは「Tomorrow」を『アニー』の中で使ってしまった。
キイスの自伝『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』
「Tomorrow」がもともとミュージカル版『アルジャーノンに花束を』の劇中ナンバーとしてストラウスによって作曲された、ということは、すなわち同曲がミュージカル『アニー』のために最初から用意されていたわけではない、ということだ。しかも『アニー』において何らかの問題が生じた際に、ストラウスが「Tomorrow」を『アニー』の劇中ナンバーとして持ち出して使ってしまった、と、キイスの言い分はそのように受け取れる。
これが本当であれば筆者には衝撃だ。『アニー』の「Tomorrow」に格別の愛着を覚えてきた者としては、「はい、そうですか」なんて、あっさりとは聞き流せない。そこで、まずはミュージカル版『アルジャーノンに花束を』の製作過程を通して、キイスの言い分を確認してゆこう。
■ LET TOMORROW SHINE
アマチュア劇団のために『アルジャーノンに花束を』の戯曲版を書いたことのある劇作家デイヴィット・ロジャーズが、「今度は『アルジャーノンに花束を』をミュージカル化したい」と最初にダニエル・キイスにもちかけたのは、1975年のことだった。その作曲は、最新作のミュージカル『アニー』がまもなく公開されることになっていたチャールズ・ストラウスに頼んでいた。1977年後半か1978年初頭の上演を目指していたという。
キイスは、ロジャーズとストラウスに、映画でチャーリイ役を演じたクリフ・ロバートソンに「right of first refusal」があることを告げた。「right of first refusal」は直訳すると「第一拒否権」となるが、これは「先買権」「優先交渉権」を意味する。つまり上演ライセンスの売り手となるキイスは、まず買い手希望として優先交渉権を持つロバートソンと交渉し、ロバートソンが申し出を拒否した後でなければ、次の買い手希望(この場合ロジャーズとストラウス)と交渉できない、ということになる。(ちなみに筆者私物の早川書房初版では【right of first refusal】が【第一先売権】と訳されているが、「第一先買権」とすべきではないだろうか)。
つまり『アルジャーノンに花束を』のミュージカル化については、ロバートソンがその話から手を引かないかぎり、ロジャーズとストラウスはキイスと交渉することができない。しかしロジャーズとストラウスは「ロバートソンは舞台のミュージカルには興味はないだろうから、なんの問題もないはずだ」と自信を持っていた(緑字部分はすべて自伝からの引用)。
だがロジャーズとストラウスの考えは甘かった。ロバートソンから異議を申し立てられてしまったのである。これにより、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』は「ロスアンゼルスで調停に持ち込むのに三年を要した」「ミュージカル化権に関する複雑な調停裁判のおかげで、ショウのオープニングは遅れた」。
これに続いて問題の文章が現れる。
「ストラウスのほかのミュージカルが、ワシントンD.C.における市外上演のあいだにいろいろと問題を起こしたので、彼はチャーリイの中心になる歌のひとつを新しいショウに使ってしまった。《トゥマロー》は、《アニー》をヒットさせるのにおおいに役に立った」。
この部分、キイスの英語原文をあたると「ワシントンD.C.における市外上演」とは、out-of-town、すなわち「ワシントンD.C.郊外」となる。また、文脈からして「ストラウスのほかのミュージカル」「新しいショウ」とは『アニー』のことであろう。つまり、『アニー』が、ワシントンD.C.郊外における上演のあいだにいろいろと問題を起こしたので、ストラウスは『アルジャーノンに花束を』の中心になる歌のひとつ「Tomorrow」を『アニー』のほうに使ってしまった、と読みかえることができる。
ちなみにキイスの自伝には、「Tomorrow」が、いつどのようにして『アニー』に移ったかの具体的な記述はない。それ以前に「Tomorrow」がどのようにして作られたかの説明もない。「Tomorrow」に関するその他の記載は「《アニー》は、チャーリイの歌だった《トゥマロー》を手に入れた」というくらいである。
さて、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』は「Tomorrow」を失ったまま、まずロンドンで開幕した。しかし、29回の上演で打ち切りとなってしまった、とキイスは書いている。ロンドンでのオープニング週にVAT(付加価値税)が施行されたため、人々は生活必需品の買い物に走り、劇場には行かなくなった、という。ここでキイスは年代や日付を明記していない。そこで調査したところ、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』のロンドンでのオープニングは1979年の6月14日。しかしVATの施行は1973年(あれ?)。 さらに調べると1979年の6月に、VATのレイトがこれまでの8%から15%へと大幅に上昇されていたことがわかった。キイスの述べたことは、そのことを指しているのだろう。
ロンドンでの興行は成功しなかったが、このときチャーリイ役で主演したのがマイケル・クロフォードだった。彼の歌と踊りはアンドリュー・ロイド・ウェバーの目にとまり、『オペラ座の怪人』の初代怪人役となった、とキイスは述べている。これにより、ミュージカル史上に燦然と輝く大傑作の誕生に貢献できたようだ。
さて、ロンドンでの上演後、タイトルを『チャーリイとアルジャーノン』に変え、今度は「特別興行のミュージカル」としてブロードウェイでの上演が実現した。このブロードウェイ「特別興行のミュージカル」の台本は『Charlie and Algernon: A Very Special Musical』というタイトルで書籍になっており、インターネットでもかなりの部分をプレビュー閲覧できる。
その台本を読み進めるうちに、もし「Tomorrow」が最初にミュージカル『アルジャーノンに花束を』のために作られたのだとしたら、「ここだ!!」と思えるぴったりの箇所を筆者は見つけた。第一幕ラスト近くに、チャーリイの父母が「LET TOMORROW SHINE」と連呼する場面がある。ここで「Tomorrow」のナンバーを脳内再生すれば、たしかに、ぐっと締まるのだ。
とはいえ、それが<「Tomorrow」は、ストラウスが、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』の主人公・チャーリイのための歌として書いたものだった>というキイスの言い分を決定的に証明できる材料たりうるのかといえば、否であろう。せいぜい状況証拠にしかなりえない。結局のところ、キイスのその言い分をはっきりと裏付ける根拠は、今日まで見出せていない。
その一方で、実はひとつだけ明確に言えることがある。「Tomorrow」の音楽的原型はミュージカル『アルジャーノンに花束を』よりずっと前に作られていた、ということだ。1970年にアメリカで発表された短編映画『Replay』(ロバート・ドゥーベル監督)の中で、2分27秒~と5分53秒~、6分53秒~の部分で、音楽担当のストラウスが作曲した歌が出て来る。聴けばわかるが、これは明らかに「Tomorrow」の原型である。すなわち「Tomorrow」のメロディは、ミュージカル『アルジャーノンに花束を』のために、完全にゼロの状態から作曲されたものではなかった、ということだ。ストラウスはいつか何らかの形で“Replay”を文字通りReplayすることを目論んでいたのではないだろうか。
■満ち溢れる曖昧さ
さて、ブロードウェイで開幕した『チャーリイとアルジャーノン』は「ニューヨーク・タイムズ」で批評家フランク・リッチに酷評されてしまった。主にロジャーズの台本と歌詞が批判されたという。
キイスは回想する。「《トゥマロー》が、もとはチャーリイのために作曲されたものだということを知らずに、リッチは不満を述べている。"なるほど、ストラウス氏の《アニー》の《トゥマロー》の精神的昂揚をあからさまに改ざんしようとしたナンバーはいくつかある"」。この批評の影響もあってなのか、続演は30日間だったとキイスは述べる。ミュージカル『チャーリイとアルジャーノン』がブロードウェイでもヒットしなかったのは「Tomorrow」の喪失と関係がある、とでも言いたげである。
ここにも上演年が書かれていなかったので筆者はインターネット上の複数のサイトで調べた。ブロードウェイでの上演は、1980年9月14日から同月28日までの14日間だった。プレビュー12回上演を経て、本公演が17回でクローズとなった。本公演が14日から28日までの14日間だとして、その中で17回の上演があったとするなら、それに先立つおよそ10数日の間にプレビュー公演12回がおこなわれたと考えられる。それらを合わせて、続演が30日間だった、とキイスが書いたのだろう。もっとも、30日間というのが単にキイスの記憶違いである可能性もある。キイスの自伝は今回、翻訳だけでなく原文にもあたってみたが、年代を書かない、誤記がある、指示語が何を指すかわかりにくいなど、概して不明瞭さが否めない。多分に記憶違いも、ないとはいえまい。その曖昧さゆえ、読んでいて、色々な誤読や混乱が生じる。
あくまでも仮定の話だが、もし「Tomorrow」誕生のいきさつをストラウスに聞けば別の答えが出る可能性だって十分にある。ある事象は他の人から見たらそれぞれに見え方も言い分も違うから、それぞれにとっての異なる事実が出てくることはえてしてある。例えば芥川龍之介『藪の中』のように。また、劇団ハイバイの『て』という作品(作・演出:岩井秀人)のように。
だから、先に紹介したキイスのもうひとつの主張、<『アニー』が、ワシントンD.C.郊外における上演のあいだにいろいろと問題を起こしたので、ストラウスはチャーリイの中心になる歌のひとつ「Tomorrow」を『アニー』に使ってしまった>についても、キイスの自伝だけを頼りにしていては十分な検証ができそうにない。だから、他の(『アニー』側の)関係者からの言い分も参照していきたい。
そこでたいへん役立つのが、2004年にソニーミュージックが発売した『アニー オリジナル・ブロードウェイ・キャスト』CDなのである。同封されたライナーノーツは、脚本を手掛けたトーマス・ミーハンや作詞・演出を担当したマーティン・チャーニンによって執筆され、ミュージカル『アニー』の製作過程が記された史料として非常に有意義なものだ。さらに音源としては、1977年ブロードウェイ初演『アニー』のオリジナル・サウンド・トラックに加えて、なんと「1972年に行なわれた『アニー』バッカーズ・オーディション(出資者を募る試演会)」の音源がボーナストラックとして入っている。
また、「Tomorrow(first public performance)」という音源も入っている。これが『アニー』バッカーズ・オーディション(1972年)の音源の一部なのか、それとも「first public performance」とわざわざ注釈がついていることによってバッカーズ・オーディション音源とは別物なのかが判然としない。「first public performance」には「初演」という意味もあるが、そこで聴ける声は少女のものではなく、おそらくストラウス本人が歌っていると推測されるので、いわゆる本公演の「初演」という意味ではないと思われる。ということは、やはりバッカーズ・オーディション(1972年)の音源の一部なのか。CDの裏ジャケットなどの表記を見ても、そのように受け止めていいようにも感じられるのだが……。
CD裏ジャケットの表記。17~27は、すべて1972年の音源と捉えてよいのだろうか?
もし、そうだとしたら、1972年の段階で「Tomorrow」は『アニー』のために用意されていたことになり、キイスの主張は退けられることになるのだが……。ライナーノーツの中でチャーニンは「公の場で上演された“Tomorrow”の初録音だ」と書いているが、その上演がいつどこでのものなのか、肝心なことはどこにも明記されていない。ともあれ、その謎を残したまま、CDのライナーノーツとボーナス音源を参照しつつ、順を追って『アニー』製作の経緯をみていこう。
「アニー オリジナル・ブロードウェイ・キャスト Soundtrack」CD
■「Tomorrow」はワシントンD.C.郊外公演よりも前に『アニー』で歌われていた
ミーハンがミュージカル『アニー』の脚本を執筆し始めたのは1972年である(【第4回】 参照)。2月からとりかかったが、脚本のミーハン、作詞・演出のチャーニン、作曲のストラウス、いずれのクリエイターも他の仕事が忙しく、『アニー』がミュージカルとして最終的に完成したのは翌1973年夏だった。
『アニー』バッカーズ・オーディションの音源が1972年のものだとすれば、同年2月~12月のどこかで行なわれたことになる。バッカーズ・オーディションとは、製作資金を集めるために支援者候補(投資家、有力プロデューサー、劇場主など)を招待し、パフォーマンスすることである。製作資金が得られそうだと判断すれば、どの段階でも試演できる。
『アニー』バッカーズ・オーディションは、作曲のチャールズ・ストラウスと作詞・演出のマーティン・チャーニンが初稿を持ってプレゼンした。完成前の途中段階なので、ミス・ハニガンもミス・アズマ(ぜんそく、の意)という名前になっている等、現在の完成版とは役名その他でいろいろ異なる。
前述のとおり『アルジャーノンに花束を』をミュージカル化する話が持ち上がったのが1975年。ということは、キイスの主張に従えば、1972年の『アニー』バッカーズ・オーディションに、「Tomorrow」はまだ劇中ナンバーとして入っていない可能性があるといえる。
そして上記のライナーノーツ内、ミーハンの言葉によれば、「ミュージカルを書くよりも資金源を見つけることのほうがよほど困難であったため」(1972年のバッカーズ・オーディションではあまり集まらなかったということか?!)、『アニー』はこの先、1976年まで上演されていない。
ミュージカル『グーテンバーグ!』で描かれたことでもおなじみ、「バッカーズ・オーディション」
1976年8月10日にようやく、コネティカット州のグッドスピード・オペラ・ハウスで、ミュージカル『アニー』はお披露目され、そこから10週間のトライアウトとなった。トライアウトとは実際の観客の反応をみて変えてゆく試験興行なので、現在の完成版とは異なる。
では、このときに「Tomorrow」はあったのだろうか?
これは文献やライナーノーツを探ってもわからなかった。しかし唯一見つけたのがこの Youtubeの投稿 だ。1976年8月10日のライブ音源との説明がついている。これが正しければ、トライアウト初日の1976年8月10日から、このときにアニー役だった、クリスティン・ヴィガードによって「Tomorrow」が歌われているのだ。
このトライアウトで、ミュージカル『アニー』は、『卒業』などで知られる著名な映画監督で舞台演出家でもあったマイク・ニコルズの目に留まった。ニコルズは自身がプロデューサーとして立つ初の舞台製作の作品に『アニー』を選んだ。コロンビア社から出ている初演CDのクレジットも「マイク・ニコルズ プレゼンツ『アニー』」となっている。
マイク・ニコルズ プレゼンツ『アニー』:出資してリスクも背負うプロデューサーが冠を担う
ちなみにトライアウトでのアニー役クリスティン・ヴィガードは「役の解釈が甘い」というプロデューサー判断により1週間で降板させられる。その後9週間のトライアウトは、それまでペパー役だったアンドレア・マッカードルがアニー役に昇格し、そのまま彼女が初代アニー役としてブロードウェイの舞台に立つこととなる。その交替劇が、後のブロードウェイ20周年記念公演(【第3回】 参照)の時のような大きな問題になった、という記録は特に見当たらない。
このコネティカットのトライアウト公演ではなく、「ワシントンD.C.郊外における公演」で「いろいろと問題があった」とキイスが述べていることは既に説明したとおりだ。では、1976年8月~10月までのコネチカット州でのトライアウト後、ブロードウェイでの正式上演までに、『アニー』はワシントンD.C.郊外で公演を行なっていたか。
例のライナーノーツには、『アニー』のプロデューサーとなったニコルズが、ビジネス・パートナーのルイス・アレン、およびロジャー・L・スティーヴンスとジェイムズ・ネーダーランダー、スティーヴン・R・フリードマン、アーウィン・メイヤーという製作者を引っ張り、彼らが共同で製作にあたった「5週間にわたるケネディ・センターの上演」という記述がある。
ケネディ・センターとは、ワシントンD.C.西部にある「The John F. Kennedy Center for the Performing Arts」のことであろう。記録 によれば、ここでの『アニー』の上演は、1977年の3月1日から4月2日。1977年4月21日のブロードウェイ開幕の直前である。
キイスの言い分に従えば、この1977年ケネディ・センターの公演で『アニー』がいろいろと問題を起こした結果、「Tomorrow」を使ってしまったということになる。だが、先述のとおり、すでに1976年グッドスピード・オペラ・ハウスの時点で「Tomorrow」が歌われているのだが……?
では、ワシントンD.C.で問題があった作品は、『アニー』ではなく、「ストラウスのほかのミュージカル」なのだろうか。しかし「ストラウスのほかのミュージカル」が1975年~1977年にワシントンD.C.郊外において上演されていた記録は、筆者には見つけられなかった。となると、キイスの主張が訳のわからないものとなってくる。ともあれ、ワシントンD.C.郊外の公演で問題が起こったから「Tomorrow」が初めて使われた、という事実はなかったのだ。
あとは、件のCDのボーナストラックとして収録された「Tomorrow(first public performance)」がいつどこで録音されたものかが明確に特定できれば、本当にスッキリする。これまで見てきた状況から推測するに、1972年バッカーズ・オーディションから1976年8月10日(グッドスピード・オペラ・ハウスでのミュージカル『アニー』お披露目日)までの間のどこかと考えることはできる。しかし結局、それ以上のことは現時点ではやはりわからない。「Tomorrow」のことは本当にわからないことだらけだ。「Tomorrow Never Knows(明日のことはわからない)」とはよく言ったものである。
■本当に「問題」となったことは何だったのだろう?
さて、当初1977年後半か1978年には公開する予定だったミュージカル『アルジャーノンに花束を』(または『チャーリイとアルジャーノン』)は、1978年まで調停裁判が続いていたようである。つまりミュージカル『アニー』のブロードウェイ初日(1977年4月21日)の時点で決着はついていなかった。そういう状況では、複雑で長い裁判の間に、『アルジャーノンに花束を』のミュージカル化がおじゃんになる可能性だってあったはずだ。
これはあくまで筆者の推測だが、ひょっとしたらストラウスは、没になりそうなミュージカルから、せめて「Tomorrow」だけは救い出したかったのかもしれない。短編映画『Replay』の時から温めてきた名曲だけに、並々ならぬ愛着があったであろうことは想像に難くない。
キイス側も、ストラウスが「Tomorrow」を『アニー』に使ってしまったと言いつつも、「無断で」とはどこにも書いていない。もしストラウスがチャーリイのための楽曲を『アニー』に無断で持ち出して使ってしまったならば、それこそ大きな問題になり、揉め事を引き起こしたのではないだろうか。
そもそもキイスは、ロバートソンとは長年の付き合いで、「right of first refusal」を持たせるほどの関係だった。なぜミュージカル化の話が持ち上がった際、キイス自らロバートソンに連絡して、うまく仲介してやれなかったのだろう。また、なぜキイスは、ロジャーズとストラウス側の「ロバートソンは舞台のミュージカルには興味はないだろうから、なんの問題もないはずだ」という根拠のない自信を鵜吞みにしたのだろう。権利関係のことは特に、きちんとした手続きで文書として申し出ないと「言った・言わない」の勘違い話になることは明白だ。そんなこと、キイスだって百も承知のはずなのに、なぜハッキリさせなかったのだろうか(まさか、ほぼありえないだろうけど、例えばキイスはストラウスの「Tomorrow」を単に聴いただけで、それをチャーリイにピッタリな歌だと思い込んでしまったのか……?)。
そして、やはり気になるのは、キイスが言っている、「ワシントンD.C.郊外における公演」で起こった「いろいろな問題」とは何だったのか、だ。「Tomorrow」がワシントンD.C.以前に『アニー』で歌われていたことは、これまで見てきたとおりであるが、それにしてもワシントンD.C.もしくはいつかどこかの場所で起こったいろいろな問題とは何だったのだろうか? ここでさらなる筆者の推測を述べさせてもらうと、もし『アニー』が製作過程で「いろいろと問題を起こした」とするならば、【第5回】 で取り上げたホワイトハウスのシーンに関することではないだろうか。
というのも、「THE COMICS JOURNAL」 によれば、ミュージカル『アニー』の原作となったコミック『小さな孤児アニー』の作者ハロルド・グレイは、ローズベルトのニュー・ディール政策を嫌っていた、というのだ。同サイトによるとグレイは「人は自給自足すべきである」という考えの持ち主だった。現にコミックの中で、アニーはウォーバックスにもらわれるものの、すぐに孤児院に戻されたという。さらに、実際にローズベルトが亡くなる1945年4月まで、ウォーバックスはコミックの中に出てこなかったそうだ。
コミックでは、「政府の犬になって肥えるくらいなら、貧しくとも自立せよ」というグレイの意志をアニーが背負っている。上記サイト以外にも「Harold Gray new deal」でインターネット検索すると、この種の話が多数出てくる。つまり、「ローズベルトが出てくる」のみならず「アニーがニュー・ディール政策発案に大きくかかわる」、さらには「ウォーバックスにもらわれることがエンディング」というのも、すべてがグレイの思想と真逆なのだ。よりにもよって筆者のツボであるシーンばかりなので、それが問題を起こしたとは思いたくはないが、可能性として否定はできないのではないか。
グレイは1968年にガンで死去した。つまり『アニー』がミュージカルとして製作される時点で既に亡くなっていた。脚本のミーハンも、原作からは「世界一貧しい少女」「世界一金持ちの男」「犬のサンディ」の設定しか使用しておらず、あとの物語はまったくの創作だと述べている。しかしコミックはエリオット・キャプリンなど5人の作家によって描き継がれ、2010年まで実に86年間も連載が続いていた(【第4回】参照) 。グレイの遺志を継ぐ続投の著者たちや遺族からミュージカルのストーリーに対して抗議が出てもおかしくはないのではないか。
話を「Tomorrow」に戻そう。
現在、キイスの言い分は「Tomorrow」のウィキペディア にまで「The song was originally written for a musical production of Daniel Keyes's Flowers for Algernon. The switch was made because Annie "was having problems during its out-of-town engagement in Washington D.C."」(この歌はもともとダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』のミュージカル・プロダクションのために書かれた。しかしワシントンD.C.郊外公演で問題が起きたので『アニー』の曲に変更された)と記載されている。
さらに、キイスの自伝を読んだ人の感想や書評をインターネットで探すと、出てくるのは、キイスの主張をそのまま記載したものばかり。キイスの言い分を検証したと思われる記事や書籍は、筆者には見つけられなかった。このままでは、キイスの書いたことがすべてになってしまう。これほどいろいろな矛盾が見えてくるというのに。だから『アニー』ファンである筆者としては、どうしても別の角度から検証したかった。
とはいえ筆者の検証だって、筆者が見つけられる範囲の話でしかないのだ。できることならば、ここまでに出てきた関係者全員から、ぜひとも今すぐに、それぞれの言い分を聞いてみたい。また、もし事の真相をご存知の方がいたら、ぜひとも、SPICE編集部経由でご連絡やご指摘などいただきたい。
そして、これだけは言っておこう。ミュージカルというのは、口ずさめる曲、単体でも良曲、代表曲となりうる曲が必要だ。作詞・演出のチャーニンもライナーノーツで「スコアとショウの中核をなす」のが「Tomorrow」だと明言している。キイスも言うように「Tomorrow」は『アニー』のヒットに大いに役立ったことだけは、誰が見ても明らかだろう。
2012年に女優のアマンダ・サイフリッドが映画『レ・ミゼラブル』のプロモーションで日本を訪れた際も「(自分が)歌の勉強を始めたのは、『アニー』のオーディションを受けるためだった」と言っていた。
ミュージカル『アニー』のナンバーは全て名曲だと思うが、やはりこの「Tomorrow」がなかったら、『アニー』はここまでメジャーに生き残っていたかどうか? 「Tomorrow」がなかったら、大原櫻子もアマンダ・サイフリッドもいなかったかもしれない!
次回につづく
トーマス・ミーハン著 三辺律子訳『アニー』(2014年、あすなろ書房)
ダニエル キイス著 小尾芙佐訳『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』(2000年、早川書房)
Daniel Keyes『Algernon, Charlie, and I: A Writer's Journey』(2004年、Houghton Mifflin Harcourt電子書籍)
Book and Lyrics by David Rogers, Music by Charles Strouse『Charlie and Algernon: A Very Special Musical』(1981年、The Dramatic Publishing Company)
CD『アニー オリジナル・ブロードウェイ・キャスト』ブックレット内 歌詞およびライナーノーツ(2004年、ソニーミュージック)
■日程:2017年4月22日(土)~5月8日(月)
■会場:新国立劇場 中劇場
■日程:2017年8月10日(木)~15日(火)
■会場:シアター・ドラマシティ
■日程:2017年8月19日(土)~20日(日)
■会場:東京エレクトロンホール宮城
■日程:2017年8月25日(金)~27日(日)
■会場:愛知県芸術劇場 大ホール
■日程:2017年9月3日(日)
■会場:サントミューゼ大ホール
[スマイルDAY]
4月24日(月)17:00公演
4月25日(火)17:00公演
全席指定:特別料金6,500円(税込)
[わくわくDAY]
4月26日(水)13:00公演 / 17:00公演
来場者全員にオリジナルグッズプレゼント
(「犬ぬいぐるみ」「ハート型ロケットペンダント」「アニーのくるくるウィッグ」「非売品Tシャツ(Sサイズ)」4点のうちいずれか1点をもれなくプレゼント)
(入場
※ 4歳未満のお子様のご入場はできません。
※
■
■作曲:チャールズ・ストラウス
■作詞:マーティン・チャーニン
■翻訳:平田綾子
■演出:山田和也
■音楽監督:佐橋俊彦
■振付・ステージング:広崎うらん
■美術:二村周作
■照明:高見和義
■音響:山本浩一
■衣裳:朝月真次郎
■ヘアメイク:川端富生
■舞台監督:小林清隆・やまだてるお
野村 里桜、会 百花(アニー役2名)
藤本 隆宏(ウォーバックス役)
マルシア(ハニガン役)
彩乃 かなみ(グレース役)
青柳 塁斗(ルースター役)
山本 紗也加(リリー役)
ほか
■協賛:丸美屋食品工業株式会社
<チーム・バケツ>
アニー役:野村 里桜(ノムラ リオ)
モリー役:小金 花奈(コガネ ハナ)
ケイト役:林 咲樂(ハヤシ サクラ)
テシー役:井上 碧(イノウエ アオイ)
ペパー役:小池 佑奈(コイケ ユウナ)
ジュライ役:笠井 日向(カサイ ヒナタ)
ダフィ役:宍野 凜々子(シシノ リリコ)
アニー役:会 百花(カイ モモカ)
モリー役:今村 貴空(イマムラ キア)
ケイト役:年友 紗良(トシトモ サラ)
テシー役:久慈 愛(クジ アイ)
ペパー役:吉田 天音(ヨシダ アマネ)
ジュライ役:相澤 絵里菜(アイザワ エリナ)
ダフィ役:野村 愛梨(ノムラ アイリ)
ダンスキッズ
<男性6名>
大川 正翔(オオカワ マサト)
大場 啓博(オオバ タカヒロ)
木下 湧仁(キノシタ ユウジン)
庄野 顕央(ショウノ アキヒサ)
菅井 理久(スガイ リク)
吉田 陽紀(ヨシダ ハルキ)
<女性10名>
今枝 桜(イマエダ サクラ)
笠原 希々花(カサハラ ノノカ)
加藤 希果(カトウ ノノカ)
久保田 遥(クボタ ハルカ)
永利優妃(ナガトシ ユメ)
筒井 ちひろ(ツツイ チヒロ)
生田目 麗(ナマタメ レイ)
古井 彩楽(フルイ サラ)
宮﨑 友海(ミヤザキ ユミ)
涌井 伶(ワクイ レイ)