『オワリカラ・タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!』 映画『光』にも出てくる「音声ガイド」ってなに? 映画の「視覚障害者向け音声ガイド」の現在を体験してきた【後編】
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左から、佐藤浩章、タカハシヒョウリ 撮影=高橋定敬
ロックバンド『オワリカラ』のタカハシヒョウリによる連載企画『オワリカラ・タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!』。毎回タカハシ氏が風来坊のごとく、サブカルにまつわる様々な場所へ行き、人に会っていきます。
今回は映画『光』にも登場する、映画の音声ガイドに着目。音声ガイドを制作するバリアフリー映画鑑賞推進団体「シティ・ライツ」さんの御協力のもと、ガイド制作現場の様々な場面に立ち会わせていただいています。
7月末からオワリカラの全国ツアーがはじまり、前編と後編の間が空いてしまったことをお詫びします。
というわけでお待たせしました、「音声ガイド」の取材・後編。前編では、映画『ブランカとギター弾き』モニター会の取材、そして視覚障害者モニター・正子さんへのインタビューを通じて、「音声ガイド」の世界と、それに関わる人たちの熱量に触れることができました。
そして、やはり「自分で作らないとわかんない!」という結論に達した風来坊。この後編では、より具体的に「音声ガイド」の世界を紹介するべく、バリアフリー映画鑑賞推進団体シティ・ライツさんの「音声ガイド制作ワークショップ」に参加し、実際に音声ガイドを制作した体験記をお届けします。
いうなれば今回は「実践編」です。さらに、シティ・ライツのメンバーで若くしてバリアフリー映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」の支配人として現場で音声ガイドを届けようと奮闘している佐藤浩章さんとの対談もあり、またも信じられないほどの大ボリュームに。
一回で読みきれなくても、ぜひ最後まで読んでほしい後編の開幕。
2017年7月。
バリアフリー映画鑑賞推進団体「シティ・ライツ」が主催する「音声ガイド制作」のワークショップに参加した。
正直なところ「すこし音声ガイドの説明を受けて、ちょろっと1シーンの音声ガイド制作を体験するくらいのもんなのかなー」と思っていたのだが。これがもう「このワークショップが終わった頃には、お前にも立派な戦力になってもらうぜ……」っていうピッコロによる悟飯の修行くらい本格的なものだった。
このワークショップ、音声ガイドの概要を体験するところから始まって、実際に短編映画(『ハナとオジサン』約20分)まるまる1本分の音声ガイドを制作し、視覚障害者モニターの方に意見をもらう、という実際の音声ガイド制作と同じ手順も体験できる。
つまり4回のワークショップを通じて音声ガイド制作のポイント、醍醐味、面白さ、そして何より難しさをしっかり味わうことができる、大リーガー養成ギブス的な「超実践型ワークショップ」なのだ。
撮影=荒川潤
さて、ここでもう一度「音声ガイド」の概要に触れておこう。
音声ガイドとは、目の不自由な方々に映画を楽しんでもらうために、セリフの合間に映画の視覚情報を言葉で補い、映画鑑賞を補助するナレーションのことだ。映画ではわからない人物の動きや場面の様子を、セリフの邪魔にならないタイミングに挿入していく。そのままでは映画を見ることのできない人たちと、映画を楽しむ体験を共有していける試みだ。
日本では、1995年・劇団昴の舞台公演に音声ガイドが付いたのがはじまりで、以降しんゆり映画祭や上映会で自主的な音声ガイド付きのバリアフリー上映が行われた。しかし、日本で公式に劇場公開時から映画に音声ガイドが付いたのは2005年『武士の一分』以降のことで、その本数も年間で20本ほどとまだまだ数が少ない。最近では、「UDCast」というアプリで自動的に映画と同期した音声ガイドを聞くことができるシステムが主流になったり、東宝が自社作品すべてに音声ガイドを付けると発表したりと普及の兆しを見せているが、アメリカでは公開されるほぼすべての映画に音声ガイドがついていることを考えると、日本での音声ガイドはまだ発展途上の分野と言えるだろう。
撮影=荒川潤
そんな中で、2001年からボランティアベースで様々な音声ガイド制作と普及に取り組んでいるのがバリアフリー映画鑑賞推進団体・シティ・ライツだ。このシティ・ライツさんの活動の原点の一つは、「最新の映画を解説付で見たい」という声に応えてはじまった「シアター同行鑑賞会」。これ、視覚障害者の方の隣に座って、コソコソと映画を解説しながら一緒に見るというのだから、ものっすごいアナログな取り組みだ。映画を見ながらクドクドと解説しては「うるさい!」と怒られるウンチク好きの諸兄には「解説し放題」なんてたまらない話かもしれないが、これが予想以上に難しかったという。最初に同行鑑賞会が行われたのは2001年『千と千尋の神隠し』だったが、同行者もはじめて見る映画の内容を把握しながら状況を説明するのは至難の技だったそうだ。「お……おかっぱの少年が!」「ハクですねー」と視覚障害者の方に逆に教えてもらう場面もあったという。
ただ、この取り組みは視覚障害者の方々から好評で回を重ね、そこからFMラジオを使ってライブ実況の音声ガイドを行うシステムを導入し年間50回の上映会を開催、さらに日本初のバリアフリー映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」も運営、「お節介にならずに、感動をおしつけるのでもなく、作品を極力ありのままに伝える」を目指して活動を続けている。
撮影=荒川潤
そして、今回参加したのは、シティ・ライツさん主催のもと「音声ガイドの概要から制作」まで体験できる週1・全4回の本格的なワークショップだ。今年は河瀬直美監督の音声ガイドを題材にした映画『光』の公開もあって、例年以上にワークショップへの参加者も多かったとのことで午前と午後の部が開催、僕はその前半2回に出席させてもらった。
ワークショップの初回は、画面を消して映画を「聴く」ことで、音だけでどれだけの情報が理解できるか、視覚障害者の映画鑑賞を体験するところから始まる。
撮影=荒川潤
とても簡単なことなので、読者の皆様もぜひやってみてほしい。初めて見る映画のDVDを再生して、目をつぶるだけだ。「こんなに何もわからないのか……」というくらい、音だけではわからないことだらけ。自分たちが、どれだけ無意識に目から入ってくる情報を処理しているか。意識的に見ている情報、たとえば動きや表情、場所や人と人の位置関係だけではない。空の色を見て時間帯を、通行人の服装から季節を。ぼくたちは、文字にしたらノートいっぱいくらいの膨大な情報を、瞬間的に視覚から得続けているのだ。
音声ガイドは、言葉でこの視覚情報を補って、映画を想像する手助けをする。そのノートいっぱいの情報から必要な物を抜き出して、音声としての言葉に変換するのだ。ワークショップの次の段階は、実際に映像を見て、音声ガイドを作るステップに進む。
撮影=荒川潤
実際にやってみて、その難しさに悶絶した。何を伝え、何を伝えないか。何を伝えられ、何を伝えられないか。時間は限られている。セリフとセリフの間の時間。ここに、動きを入れるのか、風景を入れるのか、いや、何も入れないのか。動きの中で、どれが映画の世界を伝えるうえで重要な動きなのか。書き手には、常に取捨選択の連続が襲いかかってくる。目の前に「見えて」いるのに、そのまま「見せる」ことはできない。
なんだか、ムズムズする。
撮影=荒川潤
なんとか書き上げた音声ガイドを持ち寄り、視覚障害者モニター・正子さんに聞いてもらう。そこで、次々わかる自分の想像力、いや共感力の無さ。
冒頭のシーン。女の子が玄関から出て、少しあたりを見回してから道に出てくるシーン。「ちょっと寂しげなそのシーンに、あまり情報を詰め込むと叙情性が失われる……」そう考えた僕はシンプルな音声ガイドを付けた。
「玄関から出てくる少女、門を開けて道へ出る。」
しかし正子さんは、「服装がわからない」と言った。そうだ、少女は白いニット帽にマフラーをしている。彼女の服装は場面が冬だということを想像させる大事なアイテムで、しかも彼女自身の姿を想像できるパーツでもある。
無意識に服装を処理していた僕は、マフラーを言語化することができなかった。視覚障害者の方にも、それぞれの経験に基づく「色」のイメージがあるので、「色」も大事な要素だという。
撮影=高橋定敬
自分の思う叙情性なんかよりも、ここには伝えるべき情報がたくさんあったんだ。終始、こんな驚きがつづく。
平塚千穂子 撮影=荒川潤
シティ・ライツの代表・平塚さんの言葉が思い出される。
「音声ガイドは、個性よりもわかりやすさ。”究極の思いやり”なんです。」
自分が無意識に処理している情報に意識を向けることには、途方もない想像力が必要だ。「自分でない誰か」になる、その難しさ。それを、技術と経験が補強していく。
音声ガイドに正解は無い。視覚障害者の方々には経験の個人差があるので、すべての人にわかる音声ガイドは事実上あり得ない。
しかし時間をかけて、正子さんの意見を聞き、平塚さんのアドバイスを参考に、ワークショップの参加者の皆さんのガイドを組み合わせていくと、何か自分たちにできる最適解のようなものが自ずと組み上がっていく。
少しずつ、「表現欲」や「思い込み」のエゴが削ぎ落とされて濾過されていくと、いつの間にかそこには、「この映画を伝えよう」というシンプルな想いだけが存在していた。
とても簡単な言葉でいえば、「この映画面白いんだよ! 一緒に楽しもう」ということで、結局その一つの形が「音声ガイド」なのではないか。
そりゃ、そんな想い、広がってほしいに決まってる。
撮影=高橋定敬
ワークショップを終えた僕は、音声ガイドの「現在」を知るために、バリアフリー映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」の支配人・佐藤浩章さんに会いに行った。
対談 「シネマ・チュプキ・タバタ」支配人・佐藤浩章×タカハシヒョウリ
~僕らはぜんぜん見えていない~
撮影=高橋定敬
佐藤浩章(以下、佐藤):今回、音声ガイドを作ってみていかがでしたか?
タカハシヒョウリ(以下、タカハシ):いやー、難しかったです。正子さんの意見や、他の参加者の方のガイドを聞いてみて「あー! そういう発想があったのか。気がつかなかった」と思うこと、たくさんありましたね。それを組み合わせて、やっと理解できました。
佐藤:『ハナとオジサン』は、コミカルな笑いとダイナミックな部分を、どう表現するのかっていうところがとても繊細な作品だなと思います。どちらの要素もあるのでバランスの良い作品なんですよね。
タカハシ:最初の課題にしては、結構難しいのやらせるなー、と思いましたよ(笑)。
佐藤:最初の課題としては本当ありえないくらいに難しいと思います。笑いと風景と人の心理描写と場面転換を、いかにわかりやすく伝えられるかとか。あと世界観や、短編だという点も含めて難しいと思いますね。
タカハシ:ホント、アタマ使いましたね。もうちょっと、じっくりやってみたいなとも思いました。あとは、「気遣い」ですよね。「気遣い」ができないと作れないもんだなと。
佐藤:思いやりは大事ですよね。前回も話されていましたけど「共感力」は必要だと思います。
タカハシ:そうですね。自分たちが普段、これはもう当然だと思っていることが多すぎるなと実感しました。例えば、『ハナとオジサン』にはピエール瀧さんが出演しているじゃないですか。僕からしたら、ピエール瀧さんがやっていたら普通の動きでも「面白い」っていうイメージがついてきちゃう。だから、瀧さんが演じる役の動きの描写もさらっと書いてしまうけれど、彼の顔も見たことも無い人からしたら動きだけ聞いても面白くないよな、と思ったりしました。日頃いかに自分たちが無意識で情報を処理しているかを実感したっていうか。
佐藤:普段、僕らは全然見えていないんですよね。僕らって世界を見えているからないがしろにしているというか、過信している部分があると思うんですよ。
タカハシ:それは本当にそうですね。例えば、劇中に出てくる人が着ている服とかって、自分たちは無意識の中で情報を処理しているけれど、それをもう一度文章化していく必要があるっていう。
佐藤:音声ガイドって、「ある/ない」が表裏一体であることを、すごく浮き彫りにするテーマだなと思っていて。「ない」世界を知ってしまうと、こういう想像力の使い方があるんだと次のステップに繋がるんですよね。
撮影=高橋定敬
タカハシ:今回ガイド制作をやってみて、すごくムズムズしたんですよ。もどかしいというか、自分の表現力のなさを感じて。伝えたいことは浮かんでいるのに、言葉として具現化することのムズムズ感というか。
佐藤:出来上がったとしてもムズムズしてますね(笑)。
タカハシ:ああ、なるほど(笑)。
佐藤:毎回、伝えきれずにこぼしたものっていうのがたくさんあるんです。『ブランカとギター弾き』なんかもそうで、あんなことやこんなことももっと入れたいけれど、あの尺の中で言葉をチョイスしていかないといけない。一つ一つ責任をもって言葉を選んでも、取りこぼしたのはかなりある。その、やってもやっても拭えない感じや、ムズムズ感みたいなものは、制作中も出来上がった後もありますね。
タカハシ:佐藤さんは音声ガイドに携わるようになってどれくらいになるんですか?
佐藤:僕は3~4年ぐらいしか経ってなくて、まだ短いんですよね。僕自身、もともと映画に従事したいというのはずっと思っていたんです。でも父親がリストラされちゃって、大学を中退しました。それから何年間か、映画業界に勤めたいけれど大学中退で雇ってもらえないっていう状況だったときに、いろんな映画祭に関わるようになって。それで平塚さんが関わっていたシティ・ライツの映画祭に行くようになったんです。そこで、視覚障害者の方と一緒になって映画を見たら、彼らがめっちゃ笑ったり泣いたりしていたんですよ、全然周りを気にせず。それに衝撃を受けました。会場一帯が共鳴して、漫画みたいに「ドッ!」「ワー!」っていうリアクションが聞こえたんですよ。それがすごいなと思うと同時に、これは世界に必要だと思ったんです。僕的に視覚障害者の方に手を差し伸べなきゃ!っていうような発想ではなくて、これを広めたいなっていう気持ちだけだったんです。そこで平塚さんに「音声ガイドを広めたいです」ってお話をさせてもらいました。その時たまたま平塚さんが映画館を作ろうと思っていたタイミングでもあったので「どう?」って言われて、「わかりました、やります」と。
タカハシ:そうだったんですね。
佐藤:「でも、あなた何も知らないから、とりあえずまずガイドの原稿書いてみなさい」って言われて。僕、平塚さんから一切なにも教わらずに書いてみたんですよ。
タカハシ:はははは。ムチャぶりですね(笑)。
佐藤:無茶ぶりじゃないですか!(笑) 講習とかも受けずに、すでにできている原稿をパッと見せられて「こういう感じで作ってるから、はい作って」って。それで作ってみて、検討会に持っていったらボコボコに言われて。
タカハシ:はははは(笑)。
撮影=高橋定敬
佐藤:「本当に人のことを考えていないよね」みたいなことを言われて。「いや、そもそも作り方教わってねえよ!」みたいな(笑)。それからは、いろいろと勉強しました。「ダメなガイド例と良いガイド例のDVDを貸してください」と言って、全部見てみたり。
タカハシ:なるほど。
佐藤:平塚さんみたいに10年以上やっている先人には敵わないわけじゃないですか。完全に引き出しがないなと思ったので、いろんなDVDを借りて映像コードを引っこ抜いて音だけで見てみて、それで原稿を書いたりとか。
タカハシ:ちょっとずつコツを学んでいったんですね。
佐藤:そうですね。徐々に学んでいきました。情報を全部入れたらいいっていうもんじゃないな、とか。ガイドでバーっと喋られても、映画の世界を味わうっていうよりも情報を味わうっていうようなことになっちゃうんです。でも芸術ってそこじゃないなって思うんですよね。
タカハシ:そうですよね。
佐藤:作品を心に残すガイドにするために、いかに心地よい言葉の運びにするのかっていうところに重点を置いて描くようになってからは、すごくメキメキと書いたなと思います。それでも『ブランカとギター弾き』みたいな作品が来たときに、まだ引き出しがないんですよね。
タカハシ:そうなんですね。
佐藤:ああいう世界観のものがポンと来たときに、ないんですよね。主人公になりきれなかったり、作品に入りきれなかったり。そのときに絶望するんですよ。「うわ、まだねーわ」みたいな。やってもやっても、その作品ごとの課題が必ず与えられる。だから、たくさん書いていってもうまくなったという実感はなくて。ギターを練習して耳が良くなっていくのと同じような感覚で、別にギターが上手くなったという気はないんですよ。
タカハシ:ああ、なるほど。むしろダメなところがわかってくる。
佐藤:あとは、ライブ感ですよね。原稿書いていて作品と芯が繋がる瞬間があるんですよ。自分が作品の中にぐっと入り込むというか。音楽のライブでも、パンッと入れたっていう瞬間があるじゃないですか。
タカハシ:すごい自然体で入っていける瞬間ですよね。ありますね。
佐藤:それを求めちゃってるんです。ただ、全ての作品でそうなれたたかというとノーで……。でも、やるからにはそれを目指していきたいよねと思っています。
タカハシ:いくつか音声ガイドを制作された中で、これは自分の中で納得がいくレベルに達したな!という瞬間はあったんですか?
佐藤:『湯を沸かすほどの熱い愛』は、超聴いてほしいぐらいに自分の中では手ごたえがありました。それこそ作品と芯が繋がった。僕はそれまでずっと音声ガイドを作るのが辛かったんですよ。書いても書いても虚しいし、ムズムズするし。音声ガイドを聴く人は、人数的に言えば絶対数が少ないわけじゃないですか。
タカハシ:普通に映画を見る人に比べたら、それはそうだよね。
佐藤:この人数に対して僕の労力は見合っているのか……?と。
タカハシ:ああ、なるほど。
佐藤:そういうことを考えちゃうと、「なんでやっているんだろう俺」っていう瞬間があって。もやもやしながら苦しいけれど書き続けていた時に、『湯を沸かすほどの熱い愛』のオファーをいただいたんです。で、作品の内容を見たときに僕の経験がそのまま描かれているような内容だったんですね。
タカハシ:リンクしていた、という感じですね。
佐藤:そうです。「あ、これ俺でしか書けないや」って思うくらい、自分の経験の引き出しの中にあるものが色んなシーンに詰まっていた映画だった。なので、あの作品の中に入って自分の中で納得するものができた瞬間に、号泣してしまって。書き終えて、監督にも見てもらって、「OK!」ってもらった瞬間、足がガタガタ震えて、膝から落ちちゃって。
タカハシ:その時に「報われた」瞬間があったっていうことですよね。
佐藤:そうですね。現状、ほんとにその一瞬だけですね。報われたと思った瞬間は。
タカハシ:まあ、そういうものですよね。報われないですからね、ものを作るっていうのは。「ああ、報われているな」ってずっと思っていたら、もう作り続けないですから。
佐藤:そうなんですよね。続けられないと思います。
タカハシ:どっかで報われるんじゃないかと思いながら野垂れ死んでいく、みたいなね。でもさっきの、絶対数が少ないっていうのは確かにその通りなんですよね。例えば、産業として普通の映画と音声ガイド用の映画で比べたらどっちが大きいかと言われたら、普通の映画の方がそりゃ大きいわけじゃないですか。でも、「それまで絶対に見られなかった人たちが見られる」っていうのは、すごいことですよね。
佐藤: 1人にとっての価値、ですよね。僕、『湯を沸かすほどの熱い愛』をやってから、人に対して求めなくなったなと思っていて。それまでは人に対して求めていたと思うんですよ。「もっと見てもらいたいな、知ってもらいたいな、苦労していることを感じてもらいたいな」とか。でも、そのエゴがあの作品を書いた後にすーっと消えたんです。人のためじゃなくて、自分のために書いているんだと。それが最終的には、他の人のためになる。
タカハシ:なるほど。
佐藤:人に感動してもらうためにどうすればいいかっていうのを、自分の中で戦いながらやり進めていくっていうような感じなんですよね。
タカハシ:ちなみに今おいくつですか?
佐藤:27歳です
タカハシ:なんか、悟るのが早いですね(笑)。
佐藤:はははは(笑)。
~理想と数~
タカハシ:この映画館については、採算も含めて運営されているんですよね。そういうビジネス的なところも担当されているんですよね?
佐藤:そうです。ビジネスとしてどうあるべきなのかということと、自分の中の芯ってなんなんだろうという2つを考えています。ただ映画館が儲かればいいっていうのではない。お客さんが入る作品って、興行の初週実績を見れば大体わかってしまうんですよ。そういう感じで、その数字でしか見ていなかったツケが僕ら世代に回って来ている気がしていて。原発とかいま起きている社会的な問題って、経済的な問題を追った結果なんじゃないかなと……。だからこそ、僕らはどうあるべきなのかっていうのを試されているような気がするんです。だから採算を取れればいいというよりかは、自分のやりたいことをやって採算が取れなければいけないと思っています。
撮影=高橋定敬
タカハシ:なるほど。いま自分の周りを見ていても思うんですけれど、数の力って実はすごく強くなっている気がするんですよ。いろんな産業がすごく落ち込んでいるからっていうのは影響していると思うんですが。
佐藤:確かにそれはありますね。
タカハシ:今は、とにかくまず数、っていう感じで。それが無いものをサポートする余裕が無いのかな。でもその中で、映画は少しずつ気を吐いている気もしてしまう。例えば、ファンベースで発声可能上映とか、いろいろと自由に挑戦しているじゃないですか。けれど、自分たちが30代に突入しているというのもあると思うんですけれど、周りをみていると「もうちょっと数字じゃないところで始めたんじゃなかったっけ?」って思うことが結構多いんですね。かといって、数字が出なかったら続けていけないから、常にそこの狭間で揺れ動くものだと思うんですけれど。
佐藤:いつも戦わなきゃいけないですからね。月給30万くらい欲しいなとか思うこともありますよ(笑)。ミニシアター系の人たちは、みんなヒーヒー言ってますね。
タカハシ:なくなってしまうミニシアターも最近多いですもんね。先程の「数と理想」「数とロマン」みたいなところの話って、すごく大事な話だと思います。人間、どこかで開き直る瞬間があると思うんですよね。「しょうがないじゃん、食っていけないんだから」とか「しょうがないじゃん、続けられないんだから」とか。その開き直りみたいなのが、俺はすごくもったいないなと思うんです。
佐藤:踏ん張りや忍耐がきかなくなってしまうときですよね。
タカハシ:でも、誰もがそんな辛いことにずっと耐えられるわけではないとも思う。例えば、映画館をずっと続けられないっていう現実もあると思うし、ミュージシャンでもやっていけないって人がいると思う。でも、そこでそれを始めた時の自分さえ否定しちゃうっていうのはすごくもったいないなと。それだけはつまんない。佐藤さんから、自分くらいの年齢の人って、やっぱりそこの狭間で苦しむ人が多いなと思います。
佐藤:リスペクト……尊敬っていうのが、キーワードになってくるかなと思います。他者に対しても自分に対しても尊重してあげること、自分らしいことを認めてあげる勇気が必要かなと。自分を愛せなかったら、他者にも与えることはできないと思うし、他者のことを想像する余地もないと思うんです。
タカハシ:佐藤さんは今は苦しいこともあるけれど、やっぱり楽しいっていうことなんですよね。
佐藤:そうですね。
撮影=高橋定敬
タカハシ:楽しんでいない自分は愛せないもんね。そこはとても難しいですよね。年収1千万と自分がやりたいことを楽しむというのが両立するかといったら、それはわからないし。
佐藤:楽しむうえで、「慣れ」っていうところには気を付けたいんですよね。昔は、お客さんが1人でも映画館に来てくれたら嬉しいっていう気持ちがあったのに、段々慣れていってしまう。それが嫌なんですよね。慣れない自分のままで、一つ一つにちゃんと向き合って、他人の言葉や所作に感謝しなければ多分潰れてしまう。
タカハシ:それって音声ガイドの作り方と全く一緒ですよね。俺らは服装とか空の色とかに慣れているからほとんど見ていないけれど、慣れずに見てみるとすごくいろんなことが起きていることに気付ける。
佐藤:(自分として)面白くない映画のガイドをやらなきゃいけない時があるんですよ。でも、その面白くないっていう価値観は自分の人生観なんですよ。それをどれだけ自分の感覚に慣れずに崩せるか、っていうのが大事で。自分の価値観や感性それもリスペクトしながら、その作品に対して感動できる自分にならないといけない。そのチャンネルの切り替えができるようにならないといけなくって。
タカハシ:なるほど。すごいね。
佐藤:僕の主観でつまらないと思っても、この映画超面白いって思う人は絶対にいるわけですよ。世の中にいるその人に届けるにはどうしたらいいんだろうということを追い求める。そうすると、音声ガイド制作って、最終的には自分をなくすっていう作業になるんだと思います。
タカハシ:職人ですよね、ある意味。
佐藤:こう聞かせて自分の存在感を出したい、みたいなこともあるんですよ。でもそれを超えた無の自我こそが自分なんですよ。それを認めてあげられるかどうかですね。だからまあ……「修行」かな。
タカハシ:はははは(笑)。
佐藤:仏教徒みたいな(笑)。
~音声ガイドの現在と未来への“ムズムズ”~
タカハシ:僕が音声ガイドを知るきっかけになった『光』っていう映画には、シティ・ライツさんがすごく関わっているんですよね?
佐藤:そうですね。モニター役の正子さんは、シティ・ライツでもモニターをしてくださっている会員さんですし、劇中ではシティ・ライツからもじった「ホワイト・ライツ」っていう名前で音声ガイドの団体が登場したりもしています。
タカハシ:僕も『光』を見させていただいて、すごくいい映画だなと思ったんですよね。たぶん『光』を通じて、音声ガイド制作をやりたいっていう人は確実に増えうるわけじゃないですか。それについてはどうですか?
佐藤:とりあえず嬉しいですよね。関心を持ってくれる方が増えるのはすごく嬉しいことだと思います。ただ、そこに仕事として割りふれるほどの数が現状ないんです。職業的にはまだまだ確立はできていないので、しっかり考えていかなければいけないという状況ですね。
タカハシ:実際、今音声ガイドつけていらっしゃる方というのはどういった人たちなんですか? ボランティアみたいな人たちっていうことですか。
佐藤:シティ・ライツで書いてくださっている方には、ボランティアの方もたくさんいらっしゃいます。それでもマンパワーはまだまだたくさん必要だなと思いますね。
タカハシ:海外では、映画にはほとんど音声ガイドが付いているって言われていますよね。
佐藤:付いています。96%とかそれくらいです。アメリカだと「ADA法」というのが1990年に施行されています。日本では2015年の4月に「障害者差別解消法」ができました。「禁止」ではなく「解消」、つまり「出来る限りなくしていきましょうねー」っていう法律ができた程度なんですよ。
タカハシ:なるほど。海外では音声ガイドを付けなければいけないんですね。義務なんですね。それはだいぶ違いますね。
佐藤:それこそネット配信とかどんどん流行ってきて、映画界全体が変わってきている中に、発展途上の音声ガイドというものがある。そこで、僕が次に目指すべきところは「音声ガイドをエンタメ化する」ということだと思っています。8月に『ガールズ&パンツァー』っていう作品の上映が決まっているのですが、その音声ガイドを本編に出演している女性声優さんがやるという企画を進めています。それは音声ガイドをエンタメとして認めてもらうための起爆剤になればということで、挑戦させていただいています。
撮影=高橋定敬
タカハシ:それはすごく良いですね。話題になって、音声ガイドの存在を知る人は多いでしょうね。
佐藤:声優という職業も日本独自のものなんですよね。職業として確立している声優さんと組み合わせていけたらなと。
タカハシ:一番親和性が高い。声だけで表現するという点では。
佐藤:そうしたチャレンジをしていって、業界に「こうすれば音声ガイドで違うターゲットのお客さんが入るかもしれない」という流れができればいいなと思っています。
タカハシ:話題づくりというか、プロモーションの1つにもなりますしね。
佐藤:そうですね。音声ガイドが、視覚障害者の方に見せるものとしても、違うツールとしても使えるようになればいいなと思っていて。パソコンとかiPhoneとかって、もともとは一般の人に対して作られたものではなくて、ごく一部の人のために作られたものだった。それがこれだけ多くの人たちに使われるようになったわけですよね。音声ガイドに関しても、そういう発想をこれからしていったら面白いんじゃないかなというのは思っています。そういった流れで映画界全体が音声ガイドをつけようと盛り上がってくれれば、小さな配給会社の人たちも音声ガイドつける気になってくれるかなと。
タカハシ:モニター会で正子さんのコメントを聞いて思っていたのですが、すごく面白いイマジネーションで世界を見ているじゃないですか。音声ガイドや視覚障害者の方に触れられなかったら感じられなかったイマジネーションというものが、確実にある。要するに、音声ガイドって僕らの選択肢を広げていくことにもなるなって思った。なにも知らないときには「ここ」しか見えていなかったのが、音声ガイドを知ることで選択肢があと3個ぐらい増える、というような。そういった感じで世界の選択肢が増えていったらいいなというのは思います。僕自身、文章で何かを紹介するというのも、誰かにとってチャンネルを増やすことになるんじゃないかなと思ってやっているところがある。もともと音楽もそういうつもりでやっている部分もあるけれど、音声ガイドについては「見える人」にも「見えない人」にも新しいチャンネルを増やしてくれる可能性を秘めたものっていう感じがしますね。
佐藤:新しいチャンネルって、すごくおっしゃる通りだと思います。視覚障害者の方と触れ合うことで自分のチャンネルは確実に増えると思います。正子さんに関連することで面白かったのは、服の色かな。正子さんは、その人の喋っている声とかで、その人の着ている色が何色かだいたいあてられるんですよね。
タカハシ:えー! すごいですね。
佐藤:「河瀬監督は赤です」って言って、本当にその時河瀬監督が赤い服を着ていたりっていうことがありました。その人の色のイメージがあるらしいんですよね。ああいうのを見ると、「見えない可能性」を感じさせられます。「見えないことでの可能性」「見えないことでのチャンネル」といいますか。それを僕らの勝手な価値観で、「見えないことは悲しい」とかって言うのは、とてもおこがましいなと思います。視覚障害者の方には、もしかしたら僕らよりもすごく豊かな世界が見えているのかもしれないなと思うんですよね。
タカハシ:例えば障害者の方がいて、どんなにその人のことを心配したりだとか、敬ったりしても、「その人自体」にはなれないじゃないですか。何事も自分視点で考えるしかない。でもそういうひとたちの存在を考え、想像する、共感しようとすることによって、チャンネルが増えていくことっていうのはすごく豊かなことだと思いますね。単純に俺は「楽しい/楽しくない」でしか人生を考えていないんで(笑)、チャンネルは多い方が楽しいじゃないですか。
佐藤:そうですよね!
タカハシ:1チャンネルより12チャンネルのテレビのほうが楽しい、みたいな。そういう感覚で、ちょっと違う世界を見ている人同士でも、お互いチャンネルを増やしあえるような関係性っていうのはいいですよね。そういうものの可能性は音声ガイドには感じています。
佐藤:言葉の可能性、日本語の可能性みたいなことも音声ガイドを通じてすごく感じますね。言葉ってやっぱり音やリズムなんだなっていうことを実感させられる。音声ガイドでは、はっきり読まれても伝わらないんですよね。感情をのせて「こういう情景なんだよ」と伝えようと思った瞬間に、すごくいい音が鳴ったりする。まだまだナレーションや言語の可能性は感じますね。言語の可能性に対しても、僕らはまだまだわかったつもりになっていると思うんです。
タカハシ:無意識で使っていますもんね。音声ガイドを作りながら、すごく不思議な感覚でした。日ごろ使っている箸なのに、なぜか使えないみたいな。
佐藤:そうですね、そうですね。
タカハシ:あのもどかしさね。あのもどかしさは、すごくいいもどかしさだなと思いました。すごく自分のことや自分が生きているときの無意識さを考えるというか。鏡みたいな感じになっていて。
佐藤:鏡、確かにそうですよね。自分をみるんですよね、音声ガイドを書くと。自分がこうしたかったとか、過去をみるんですよ。
タカハシ:それは書いてみてすごく思いました。映画の場面のなかで、どの部分をチョイスするかって自分が生きてきた結果なんですよね。そこがすごく面白いなと思いました。でも、自分が生きてきた結果であり、かつ、それが他人を想像しながら書いていくという摺合せの作業になりますよね。「共感力」っていうのは、本当にその通りだと思います。最近、障害者の飛行機搭乗に関するニュースが話題になったじゃないですか。あの一件には、すごく開き直りがあった気がしたんですよね。「障害者は障害者、健常者は健常者」というか。別にそこは理解しあう必要はないじゃないか、むしろそれぞれの権利を主張する、っていう開き直りみたいなものを感じた。でも、そっちのほうに未来はないなと。すごくもどかしくて、ムズムズするけれど、想像力を使う方が絶対未来があるなっていう感じはあります。
佐藤:これからいろんな国のひとが増えて多様化していくなかで、僕は障害者というのが価値観を壊すキーワードにもなると思っています。小学校のなかにそういう子が一人いるだけで、この子に対してどう接したらいいのかっていう課題が生まれるじゃないですか。その課題を、みんなでどうやってクリアしていくのかっていうところに、未来があると思っていて。それをないがしろにしているからいろんな人を大切にできなかったり、うまく人間関係築けなかったりしてしまうのかなと思います。
タカハシ:そうですよね。子供のころに感じる、あのムズムズ感を大事に育てていくっていうのはすごく必要かなと思いますね。久々にこんなにムズムズを感じました、音声ガイドを作るなかで。
佐藤:あーなるほど。いますごいハッとさせられました。確かにこのムズムズって、小さいころにありましたよね。
タカハシ:ありました、ありました。
佐藤:伝えたいのに伝えきれないっていうか。音声ガイドは、自分の言語だったり、感情のコントロールだったりをあらためて再確認させてもらえるものだと思います。
タカハシ:ほんとにそうですね。あのムズムズは新しいチャンネルが生まれるムズムズですよね。それを育てたらチャンネルが生まれるのかもしれないムズムズ。
佐藤:そういう感覚って忘れられないんですよね。忘れちゃいけないんだと思うし、それを感じる人が素敵だなと思います。結局、引き出しをどれだけ多くできるかっていうのが重要ですよね。その引き出しを増やすために、自分の価値観を壊してくれるさまざまな人と会っていくっていうのはすごく大事なことだなと思います。
タカハシ:本当にそうだと思います。では最後に、そのほか劇場の宣伝などなにかあればお願いいたします。
佐藤:8月に音声ガイド付きで『この世界の片隅に』を上映するので、ぜひいらしていただければと思います。
タカハシ:ありがとうございました!
左から、佐藤浩章、タカハシヒョウリ 撮影=高橋定敬
音声ガイドの話から、業界をどう生きていくか、というような話まで、佐藤さんとは色々な話をできた。
というわけで前後編での音声ガイドの記事をついに書き終わったわけだが、この原稿を通して音声ガイドという存在を知ってもらうことが少しはできただろうか。
今回、はっきり言うと福祉的、道徳的な視点よりも、まずは「見える人にとっての音声ガイドの現在」の視点で書くようにした。ある種、作り手側に偏った部分があるかもしれないが、僕は目が見えて、映画が好きで、ミュージシャンで、物書きであって、その視点から掘り下げることが一番説得力があると思ったのだ。
これは「僕にとっての音声ガイド」を紹介する原稿。
正子さんの言うように、佐藤さんにとっての、平塚さんにとっての、正子さんにとっての、長谷井監督にとっての、ワークショップに参加した人たちにとっての、あなたにとっての、それぞれの音声ガイドがある気がする。
音声ガイドは、それくらい可能性と広がり、様々な視点に満ちた物だと思う。その多様性も、できるだけの想像力と、いろいろな人の話を聞くことで少しだけ補強できたと思う。
正子さんの話を聞かせてもらえたことは、視覚障害者の方の視点を原稿の中に残せた、自分の中でもそれに触れられた、とても大事な時間になった。
取材させていただいたシティ・ライツさん、平塚さん、佐藤さん、正子さん、『ブランカとギター弾き』の長谷井監督、ワークショップにお邪魔させていただいた皆様、ありがとうございました。
興味のある人は、シティ・ライツさんで定期的に開かれている上映会やワークショップ、またシネマ・チュプキ・タバタに足を運んでみてほしい。そうでなくても、ここまで読んでくれた人には、「音声ガイド」という取り組みがあるってことだけでも覚えておいてほしい。
もしかしたらいつか、あなたがこのチャンネルを知っている、ということが少しだけ世界を豊かにするかもしれない。
さて風来坊、次回はどこにまろび出るのか。
映画は娯楽の王様として生まれた。
娯楽っていうのはつまり、生きるためには必要ないってことだ。
そんな世界に「ムダ」っていう言葉は根底の部分では通じない。
理屈じゃわりきれない、ムダを愛せるのが人間の特権だ。
ムダを広めるために、明日もどこかに出没します。
乞うご期待。
電話番号:03-3917-1995
公式サイト:http://www.citylights01.org
シネマ・チュプキ・タバタ公式サイト:http://chupki.jpn.org/