香川県高松市から始まる現代サーカスの胎動を聞け!

2015.9.20
インタビュー
舞台
イベント/レジャー

田中未知子さんとサーカス図書館

現代サーカスの土台を支える仕組みを作りたい。

高松がけっこう熱いと聞く。瀬戸内国際芸術祭では開催地のひとつであり島々への入り口となった。大きな大道芸フェスティバルが二つある。四国学院大学に身体表現と舞台芸術マネジメントがパフォーミングアーツのコースが刺激を注入したのかもしれない。そういえば、東京デスロックの多田淳之介が高松市のアートディレクターにもなった。私の知り合いで木工芸のスター、三谷龍二さんがディレクターになって手しごとの瀬戸内生活工芸祭も行っている。実は、そんな高松に現代サーカスの拠点をつくった田中未知子という人がいる。なぜ高松なのか、なぜサーカスなのか聞いてみようと思った。

◇瀬戸内サーカスファクトリーを立ち上げるまでの経緯を教えてください。

 北海道新聞事業局時代の2004年に、フランスから13人、札幌のダンサーたちと現代サーカスを共同創作した時ですね。実際にサーカスの人々の視線を見た瞬間、その後の運命が決まったと言えるほど「サーカスと生きたい」という気持ちになりました。それで「これ一冊あれば現代サーカスがわかる」という、日本にはない概説書を出版しようと新聞社を辞めフランスに渡ったんです。そのころは日本とフランスの文化の懸け橋になる事業を始めたいと思っていました。そして『サーカスに逢いたい』という本を現代企画室さんから出版でき、その縁で親会社の代表だった北川フラムさんのアートフロントギャラリーの社員として、大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭のパフォーミングアート担当をさせていただいたんです。それは良い経験でしたが、一方で自分の知識、経験不足を思い知らされて。しかし巨大な芸術祭に参加したことで、本当にやりたいことはどんなに規模が小さくても、自らお金を集め、自らの責任でやろうという思いも生まれたのも確かです。

 それで香川県高松市に住み、まずは夕方から夜中まで割烹でバイトしながら、「千と一夜」というサーカスの映像とトークの定期イベントを始めました。最初は5人とか、誰も来ない?という時もあるほどの規模でしたが、毎回、お客さんがある種の興奮状態で帰っている、という実感だけはありました。そうこうするうち、やはり本物の舞台を見てもらわないと、という思いが湧いてきて本格的なサーカス創作と公演の実施を考え始めました。そして2012年、ことでん(高松琴平電気鉄道)の現役の整備工場を借り切って『100年サーカス』を上演したんです。もちろん言い表せないほどの苦労があり、強行突破のような感じでの実現でしたが、多くの観客、メディアを集め、無我夢中で呼びかけたスタッフの中から、サーカスファクトリーのメンバーが集まってくれたんです。

映像は『100年サーカス』

 

◇なぜ、高松だったのですか?

 地方で、とだけは決めていました。日本各地に豊かな文化拠点があって、文化が血流のように国の隅々まで流れることが、あらゆる人にとって幸せではないかという信念があったからなんです。瀬戸内国際芸術祭で初めて訪れた高松市は農村歌舞伎や人形浄瑠璃、獅子、ちょうさ…1年中、生活に寄り添い、彩る芸能や祭事があるんです。サラリーマンなのに歌舞伎役者みたいな方がいっぱいいて、劇場と観客という、近現代的な役割分担で人間の重層性が失われたと感じていた自分にとっては、目が覚めるようでした。また高松港に立つと海と体がつながったみたいに感じられたんですよ、どれほど心豊かに癒されるかわかりません。それでこの場所で自分のサーカスをやりたいと思ったんです。もちろんパフォーマーもアーティストもほとんどいないのに、無謀だとは思いました。でもそんな小さな現実よりも、いつか「ここがいいじゃないか!」と住みつくアーティストたちが出てくる、そして彼らと生活と文化をともにできる住民たち、そんなイメージを実現したかったんです。

◇これまでの手応えを教えてください。

 ゆるやかに上昇し、広がっているかな(苦笑)。現代サーカスからもっとも遠い場所で始めたようなものですから当たり前ですが、それで食べていけるわけではないので辛いこともあります。けれど、2014年に滞在制作したカミーユ・ボワテル(現代サーカスの旗手と言われる)が1年後に来た時、「サーカスファクトリーの動きは、去年とまったく違う。驚くほどスキルも対応力もあがっているよ」と言ってくれました。それは心からうれしかったですね。 

◇第1回創作サーカスフェスティバル SETOラ・ピストについて教えてください。

 『100年サーカス』同様、始めなければ、始まらないという信念だけで、やることを決めました(笑)。これは現代サーカスを作り、育て、広めるための機会であり、仕組みだと思っています。柱は、滞在制作でのサーカス創作と公演、未完成でも挑戦している創作を見てもらう機会を設ける「実験劇場」、技術講習です。ほかに伝統芸能や伝統文化と現代アーティストが出会う取り組み、国内外の現代サーカス関係者が話し合う場作り、私の専門性を生かした展示なども行います。

◇アーティストが滞在制作する『NAIMONO ないもの』の内容について教えてください

 うーん、はっきり言ってまだ演出の目黒陽介さんの頭の中です(笑)。プロデューサーの立場で言える最大のセールスポイントは、技術的には今までの作品の中でもっともサーカス的、演出はコンテンポラリーで未知。アーティストは空中にいるでしょう、けれど必ずしも「エアリアル」という意味でなく…これまでに決してないものになる、とだけは言えると思います。

 ◇最近、現代サーカスがブームというか、招へいが増えています。それはなぜだと思われますか?

 世界の潮流で言えば、これまで静かだったことの方が不思議なくらい(笑)、期が熟したということではないでしょうか。 まず公共劇場や大きな劇場が現代サーカスを招へいするようになっています。これはフランス政府のプッシュ力の勝利!といっても過言ではありません。シルク・ドゥ・ソレイユが毎年のようにツアーし、驚くことに全国津々浦々その名が知られている。ものすごい時間をかけてそういう状況になった。一方で、群馬のサーカス学校から才能が育ってきたりエアリアル専門の教室ができたり、全国で大道芸祭があり、シルク・ドゥ・ソレイユが突出した状況から、いろんな要素がつながり好循環を生み始めたように私には見えます。その中で、自分たちの役割は、土台を支える部分−−創作環境整備、創作支援、技術支援、ネットワーク構築など、一過性のイベントにしないための仕組み作りと提案を続けることだと思います。「観る」だけでは文化は育たない。「演じる」「創る」「参加する」人が増えないと、生きた文化にはならない、というのが実感です。まさにそのために瀬戸内サーカスファクトリーを始めたようなものです。

<田中未知子>
瀬戸内サーカスファクトリー/サーカス堂ふなんびゅる代表理事。オール・レ・ミュール(フランス国立大道芸サーカス情報センター)日本特派員。
北海道生まれ。1996年に北海道新聞社入社、事業局にてピカソ展、安田侃展、円空展、レオナール藤田展などを手がけける。2004年『ヴォヤージュ』フランス現代サーカス公演の準備段階より、フランスとの交渉窓口として通訳翻訳業務を担当。2007年に退社、渡仏。オール・レ・ミュール(仏国立大道芸サーカス情報センター)を拠点に取材、執筆。2008年、アートフロントギャラリー入社し。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「 瀬戸内国際芸術祭」にて、舞台芸術部門の運営を担当。2011年「サーカス堂ふなんびゅる」(屋号)として独立。2012年、フランス外務省からの招聘を受け、パリでの現代サーカス国際会議に参加。ことでん仏生山工場にて「100年サーカス」公演、瀬戸内生活工芸祭で「サーカスパレード」を実施。2014年、日仏共同創作公演「キャバレー」実施、ヨコハマ・パラトリエンナーレ パフォーミングアーツ部門ディレクター、東京都ヘブンアーティスト審査員などを務める。
 
イベント情報

瀬戸内サーカスファクトリーPRESENTS
第1回創作サーカスフェスティバル SETOラ・ピスト『NAIMONO ないもの』

日時:2015年10月11日(日)18:00、12日(月祝)12:00/18:00、10月13日(火)19:30〜
会場:ないもの特設会場(香川県香川町川東上2598)
演出:目黒陽介
出演:清水ひさお(綱渡り) トモコ・アルバ(空中芸) 宮野玲(ジャグリング) 坂本弘道(チェロ) 片岡正二郎(役者・音楽) 長谷川愛実(エアリアル・空中芸) ヴァロンタン・ベロ(空中芸) 三原貴嗣(フットバッグ)
料金:一般4,000円/中高生2,500円/小学生1,000円 当日は500円増 ※未就学児無料(保護者の方と同席)
予約:瀬戸内サーカスファクトリー http://www.setouchicircusfactory.com/reservation.html
問合せ:瀬戸内サーカスファクトリー Tel.080-2977-5469、メール:setouchicircusfactory@yahoo.co.jp