色と光に満たされるリビングルームような美術展! 『杉戸洋 とんぼ と のりしろ』をレポート
国内外から注目を集めるアーティスト・杉戸洋さんの個展『とんぼ と のりしろ』が、2017年7月25日(火)から10月9日(月・祝)にかけて東京都美術館で開催されています。
これまで杉戸さんは、宮城県立美術館、ベルナール・ビュフェ美術館、豊田市美術館などで多数の個展を行ってきましたが、東京の美術館では今回が初の個展となります。今回、本展の見どころを東京都美術館 学芸員 水田 有子さんに解説していただきました。
タイルの釉薬が奏でる色彩のハーモニー
会場に入ってまず目に飛び込んでくるのは、幅約15メートル/高さ約4メートルの最新作《module》(2017)。
釉薬(ゆうやく)で着色されたタイルが幾重にも積み重なり、光に反射して輝く様子はさながら色彩のオーケストラのよう。カラフルなハーモニーを奏でています。
水田さん:この作品は、愛知県常滑市にある「水野製陶園」のタイルを用いています。実は、東京都美術館に敷かれているタイルも同 じ常滑で作られたもので、杉戸さんは今回、この空間から着想して作品を制作しました。タイルを釉薬で着色する作品は初めてなので、思い通りの色を出すのに苦労したそうです。
タイルの他にも発泡スチロールや綿など、様々な素材が組み合わせられている。
作品の背面にもまわることができます。裏側は遊び心満載! 屋根裏部屋にこっそり宝物を隠すように、ユニークな発見が集められています。
こちらは舟越桂氏のアトリエにあったオカピのピンナップ写真(左上)。 三沢厚彦氏の彫刻作品「Head」シリーズ《animal》2008もこんなところに!(右下)
「とんぼ」の部屋と「のりしろ」の部屋
気になるのが個展のタイトル「とんぼ と のりしろ」。トンボとは、印刷物を制作する際、仕上がりの位置を指定する印のこと。そして、のりしろとは扉や口絵などを貼るときに糊付けする幅「糊代」を指しています。本展においてこの二つは、それぞれ「抑えるところ」と「解放させるところ」の関係を表しているのだそう。
出発点は「前川建築」
本展を楽しむツウな方法をお伝えしましょう。それは、この美術館を手掛けた前川國男の建築について頭の隅に置いておくこと。
東京都美術館の地下に広がる吹き抜けの空間は、タイルの床やコンクリートを削った壁など、前川による建築独特の質感と佇まいを持っています。前川の師匠は、世界遺産である国立西洋美術館を手掛けた建築家ル・コルビュジエ。モデュロールとは巨匠コルビュジエが考え出した尺度体系です。人はぴったりする大きさの家に住み、文字通り身の丈に合った暮らしをすることが大切と考え、建築物などの設計のために人の寸法や黄金比にもとづいたたこのモデュロールという尺度の基準をつくりました。
これはフランス語のModule(寸法)とSection d’or(黄金分割)を語源としてル・コルビュジエが作った造語。人を中心に快適な空間を作ったり、使い勝手の良い家具や道具を作るのための尺度として用いられます。私たちが「なんだか居心地のいい空間だなぁ」「しっくりくる家具だなぁ」と思うとき、じつはこのモデュロールが適用されていることがあるのだとか。前川もこの黄金比を取り入れ、東京都美術館を設計しています。
さて、「とんぼ」の部屋も「のりしろ」の部屋もこうした空間に合わせた様々なしつらえが施されています。
地下3階のギャラリーB「とんぼ」の部屋。 作品の展示の高さや重なりも意識してみると面白い。
どこからが絵で壁なのか? 絵と展示空間について考えてみる。
地下2階 ギャラリーC「のりしろ(別称:琴のうみ)」の部屋は、加工した発泡スチロールが、キャンバスに巻かれて壁際にぐるりと敷き詰めてあります。さりげないしつらえで作品の存在する空間が落ちつきます。
リビングルームのようにくつろぎながら感じる光と色彩
地下に広がる吹き抜けの大空間はかつて「彫塑室」と呼ばれた場所。いまでもタイルの床やコンクリートを削った壁など、前川建築特有の風格を維持しています。個展とはいえ、自身の作品を中心に置くのではなく、展示室の空間を日常的な感覚で捉え直し、愛着を持って空気を整えていくのは杉戸さんならではの考え方といえます。
水田さん:本展にあたり杉戸さんは「展示室を自分のリビングルームに見立て、この空間そのものを綺麗に見せたいと思った」と話しています。
吹き抜けの展示室に抜ける途中には、本展準備を手伝った東京藝術大学の学生が日頃使っているソファと、この空間に合わせてつくった屋根が。 座って見るのも楽しい。ひさしの形は展示室の天井のアーチの形と呼応している。
水田さん:窓に貼られたカラーシートが壁に虹のような影を投げかけています。これも杉戸さんの空間のしつらえのひとつ。お昼から夕方にかけてこの光の投影の様子が刻々と変わっていくのがとても綺麗なんです。ぜひ見てほしいですね。
下から眺める《module》(2017)。海底から見上げる箱舟のようにも、ストーリーの詰まった地層のようにも見えてくる。
中央には、杉戸さんの作品はなく、前川がデザインした4色のソファが並ぶのみ。ここに腰掛けてリビングルームようにくつろいで空間を眺めてみました。赤、青、緑、黄は前川がデザインした東京都美術館公募棟のテーマカーラーで、ソファも同色のバリエーション。そして杉戸洋さんが選んだ色もこれらに呼応しています。
展示空間の捉え方について杉戸さんは、「展示室は現状復帰が基本で壁や床材を変えたりはできない、いわば賃貸の部屋のようなもの。そういった制約も含めて楽しんだ」と話しています。
エスカレーターやガラス窓にもカラフルなしつらえが施され、いつもとは違う美術館の表情を感じられる。
日常への眼差しが新しく開かれていくような感覚。ここでしか味わうことのできない作品との出会いを探しにお出掛け下さい。
文=五十嵐 絵里子
写真=丸山 順一郎、新井 まる