『ルドン ひらかれた夢 幻想の世紀末から現代へ』展レポート 箱根・ポーラ美術館で、謎に包まれたルドン芸術の源泉をたどる
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左:オディロン・ルドン 《オルフェウスの死》1905-1910年頃 岐阜県美術館
箱根のポーラ美術館にて、『ルドン ひらかれた夢 幻想の世紀末から現代へ』(2018年7月22日〜12日2日)が開幕した。本展は、これまで「孤独、内向的、奇想の画家」といったイメージが定着していた象徴主義の画家オディロン・ルドンを、彼が生きた時代を改めて検証することで、ミステリアスな創作の源泉を捉えなおすもの。
オディロン・ルドン 『ゴヤ頌』より《Ⅱ.沼の花、悲しげな人間の顔》1885年 岐阜県美術館
会場エントランス
本展覧会では、岐阜県美術館のルドン・コレクションを中心に、先達の画家や同世代の印象派、自然科学の挿絵などを併せて紹介し、多方面から影響を受けたと考えられるルドンの画業をたどっていく。さらに、幻想や神秘を追求する現代作家と比較することで、ルドン作品との共通点を見出し、現代の視点からルドンを見直す世界初の試みにも注目したい。
ポーラ美術館館長の木島俊介氏は、「ルドンはフランス美術の質を深くする、大変重要な役割を果たした画家です。ポーラ美術館では、印象派画家たちの作品も豊富にそろえているので、19世紀後半のフランスが世界の美術の中心になった時代の雰囲気を、心ゆくまで味わっていただきたい」と語った。プレス向け内覧会より、展覧会の見どころを紹介しよう。
展示風景
ルドンが描いた幻想の源泉を探る
1840年、ワインで有名なフランス・ボルドーの街で生まれたルドンは、間もなくして療養のため、ボルドーの郊外ペイルルバードに里子に出された。閑散とした場所で孤独な幼少期を過ごし、その経験がルドン特有の暗く、妖しい作風を生んだと言われている。
左:オディロン・ルドン 『起源』より《表紙=扉絵》1883年 岐阜県美術館
しかし、ルドンを「内向的で閉じた世界の画家」として位置付けるのは、画家本人をはじめ、後世の批評家や伝記作家たちによる誇張だったのではないかと、ポーラ美術館学芸部の東海林 洋氏は指摘する。
「ルドンと同世代にあたるポスト印象派のゴッホやゴーギャンは、波乱万丈な人生を送っています。おそらくルドンも孤独であったことを強調し、『孤高の画家』を演出するセルフプロデュースの一環として、自らの人生を自伝の中でドラマティックに語っていたのではないでしょうか」
ルドンの生きた19世紀は、印刷技術の発達により挿絵入りの雑誌が大量に刊行され、様々な情報が氾濫する時代だった。東海林氏は、こうした情報化社会がはじまった時代において、ルドンは日々、あらゆる情報に触れながら自分の立ち位置を探ろうとしたのではないかと推測する。
左:著・ジュール・ヴェルヌ 『八十日間世界一周/オクス博士』1910年頃 鹿島茂コレクション 右:同著者 『海底二万里』1910年頃(1869年初版) 鹿島茂コレクション
右:オディロン・ルドン 『エドガー・ポーに』より《Ⅰ.眼は奇妙な気球のように無限に向かう》1882年 岐阜県美術館
本展は、ルドンの画業を「水」「翼」「花」の主題ごとに分け、制作のプロセスや創作の源泉を明らかにしていく。それらを通じて、ルドンを孤独の画家としてではなく、彼が生きた時代の中で捉えなおす展示構成になっている。
ルドンの生み出す幻想的な雰囲気は、彼に版画を教えた版画家のロドルフ・ブレスダンや、ルドンに「不確かなものの隣に、確かなものを置くと良い」と助言を授けた風景画家のカミーユ・コロー、ルドンが敬愛したロマン主義の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワの作品などが影響を及ぼしていると考えられる。東海林氏は、「豊かな下地の中で、ルドンの幻想が生まれてきた」と話す。
左:ロドルフ・ブレスダン 《死の喜劇》1854年 岐阜県美術館
左:ジャン=バティスト=カミーユ=コロー 《森のなかの少女》1865-1870年頃 ポーラ美術館 右:ジャン=バティスト=カミーユ=コロー 《家路につく牛飼いの少女》1850-1855年 ポーラ美術館
左:ウジェーヌ・ドラクロワ 『ファウスト』より《Ⅱ.空を駆けるメフィストテレス》1825-1827年 岐阜県美術館 右:ギュスターヴ・モロー 《聖セバスティアヌスと天使》1876年頃 岐阜県美術館
異なるようで似ている、同世代のモネとの比較
ルドンは初期の画業において、版画だけでなく風景画も多数残している。「作者のためのエチュード(下絵、習作)」と呼んで、画家が手元に保管していた作品では、風景を写実的に描いている。
左:オディロン・ルドン 《ブルターニュの風景》 ポーラ美術館 右:オディロン・ルドン 《風景》 岐阜県美術館
東海林氏は、同い年の印象派画家クロード・モネとルドンにおける共通項を以下のように解説する。
「写実的風景を描いた下地からイマジネーションを展開して、幻想的な風景を積み重ねていくルドンは、目で見た風景をキャンバスに残していくモネの手法や、印象派の技法に通じるものがあります」
左:クロード・モネ 《バラ色のボート》1890年 ポーラ美術館 右:クロード・モネ 《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》1900年 ポーラ美術館
一方のモネもまた、1880年代後半から睡蓮をモチーフを中心に、目に見えない世界を描き出そうとしている。《バラ色のボート》では、水面下をゆらめく水草を描くことで、目に見えない領域への関心を高めていることがうかがわれる。
国内のルドン作品101点が集結!
本展では、黒を中心とした版画作品から色彩豊かなパステル、油彩画、装飾芸術など、101点の作品を網羅することで、ルドンの初期から晩年にかけての画業をたどることができる。
左:オディロン・ルドン 《アポロンの戦車》1906-1907年頃 岐阜県美術館 右奥:オディロン・ルドン 《アポロンの二輪馬車》1907年 ポーラ美術館
左:オディロン・ルドン 《日本風の花瓶》1908年 ポーラ美術館 右:オディロン・ルドン 《花》1905-1910年頃 岐阜県美術館
左:オディロン・ルドン 《ダンテとベアトリーチェ》1914年頃 上原美術館 右:オディロン・ルドン 《ダンテの幻影》1914年頃 上原美術館
中世イタリアの詩人ダンテによる代表作『神曲』を題材にした《ダンテとベアトリーチェ》は、習作にあたる《ダンテの幻影》と比べてみると、ルドンの制作プロセスが垣間見えるようだ。東海林氏は、ルドンの独創性について以下のように語る。
「一見、物語が先行して絵を作っているように思えるが、習作をみると、絵の具の染みの中から人の顔を想像して、そこから物語をあとづけしていくような制作スタイルであることがわかります。あいまいなものの中に神秘なものを見出していく。これはルドンの独特な世界観だと思います」
左:オディロン・ルドン 《青い花瓶の花々》1904年頃 岐阜県美術館 右:オディロン・ルドン 《オリヴィエ・サンセールの屏風》1903年 岐阜県美術館
さらに、ルドンは自分の世界に閉じこもっていただけでなく、クライアントのニーズに合わせて作品を制作する装飾芸術も手がけている。展覧会終盤では、モネやピエール・ボナールなど、同時代に活躍した画家とともに、「ひらかれた」存在としてのルドンの画業が紹介されている。
現代に受け継がれるルドンの神秘性
ルドンの描く不気味で、どこか可愛らしさもあるキャラクター的なイメージは、現代の漫画家にも引き継がれている。ルドンの象徴的モチーフである「目玉」を取り入れた岩明均の『寄生獣』や、押見修造の『惡の華』が、代表的な作品として取り挙げられている。
岩明均 『寄生獣』(原画)1990-1995年 ペン、インク、スクリーントーン/紙
右:オディロン・ルドン 『起源』より《Ⅲ.不恰好なポリープは薄笑いを浮かべた醜い一つ目巨人のように岸辺を漂っていた》1883年 岐阜県美術館
また、人間の自我以前の世界に着目し、ルドンが探求した夢や無意識の世界にも共通する作品を生む現代作家の鴻池朋子や、あいまいさの中に眠る神秘を表現するイケムラレイコの作品などが、ルドン作品と併せて紹介されている。
鴻池朋子 《素焼粘土》 2013年 素焼き粘土、水彩 ⓒ Tomoko Konoike
左:オディロン・ルドン 《瞳をとじて》1900年以降 岐阜県美術館 右奥:イケムラレイコ 《Haruko Ⅱ》2017年 テンペラ/ジュート ⓒ Leiko Ikemura, Courtesy of ShugoArts
右:イケムラレイコ 《Genesis Ⅰ》2015-2017年 テンペラ/ジュート (C)Leiko Ikemura, Courtesy of ShugoArts
およそ100年前のルドンが描いた絵画と、現代アーティストの作品を比較展示することで、時を超えても通じ合う表現が感じられるだろう。
展覧会グッズ一覧
『ルドン ひらかれた夢 幻想の世紀末から現代へ』は2018年12日2日まで。時代の中で育まれたルドン芸術の秘密を知る機会に、ぜひ足を運んではいかがだろうか。