小林古径の《清姫》がそろう、山種美術館の企画展『日本画の挑戦者たち ー大観・春草・古径・御舟ー』開幕レポート
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山種美術館「日本画の挑戦者たち」エントランス
山種美術館で、2018年9月15日から11月11日にかけて『[企画展]日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち ―大観・春草・古径・御舟―』が開催されている。小林古径の代表作《清姫》全8点が一堂に介するほか、会期の後半(10月16日~11月11日)には、重要文化財の速水御舟《名樹散椿》も特別出品される。18日に行われたプレス向け内覧会より、山種美術館顧問の山下裕二氏(明治学院大学教授)の解説とともに、見どころを紹介しよう。
日本美術院創立120年を記念する展覧会
日本美術院は、今年で創立120年を迎える研究団体。岡倉天心が東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の校長をつとめた後、1898年に、橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らと創設した。日本美術院が主催・運営する日本画の公募展『日本美術院展覧会』は、「院展」の呼び名で広く知られる。
現在、山種美術館で開催中の『日本画の挑戦者たち ―大観・春草・古径・御舟―』は、そんな日本美術院で活躍した画家たちの作品を、同館のコレクションより紹介するという試みだ。
展覧会は全3章で構成され、「日本美術院のはじまり」「再興された日本美術院」「戦後の日本美術院」と分かれている。展示室では、小林古径の《猫》が看板ネコのように迎えてくれる。耳をたてて、こちらを見据えている様は、エジプト神話の猫の女神「バステト神」のよう。古径がヨーロッパに滞在していた時期の写生の中にも、バステト神と思われる猫の絵が確認されているのだそう。
小林古径《猫》1946(昭和 21)年 山種美術館
第1章「日本美術院のはじまり」で、最初に展示されているのは狩野芳崖の1872(明治5)年頃の作品《芙蓉白鷺》。山下氏は本作を「江戸時代以前の絵じゃないの? とも思われるスタイル」だと紹介する。
「岩の描き方は、典型的な狩野派です。芳崖はこのような基礎を身につけた上で、岡倉天心やフェノロサの指導により新しいスタイルを模索していきます」
狩野芳崖《芙蓉白鷺》1872(明治 5)年頃 山種美術館
壁ぎわの展示ケースに広がる大パノラマは、横山大観の初期の水墨画《燕山の巻》。大観が中国を旅行した体験をもとに、北京城壁や万里の長城など、中国の風景を描いたもの。そして山下氏によれば、大観の代表作《生々流転》のプロトタイプとも言える作品でもあるのだそう。その片鱗を感じさせる描写として、風景の中に描かれた建物に、意識的に用いられたとみられる遠近法などがある。鑑賞の際は注目してみてほしい。
内覧会では、横山大観と山種美術館のコレクションを築いた山崎種二(1893-1983・山種証券[現SMBC日興証券]創業者)は、親交があったことも語られた。
横山大観《燕山の巻》1910(明治 43)年 山種美術館
下村観山のマッチョな不動明王
山下氏が「これはおもしろいですよ」と紹介したのが、下村観山の《不動明王》。雲に乗ってやってくる不動明王が描かれているが、古典的な仏画にはまず見られない構図。日本四大絵巻のひとつ《信貴山縁起絵巻》の中で、護法童子が雲に乗って飛来する場面を意識しているとのこと。
「ギリシャ彫刻のような立体感をもって表現されています。観山が英国留学時代の作品と考えられ、ヨーロッパ美術に触れ、その影響で描いたもの。よくみれば落款の横の署名も、ローマ字でKANZANと記載されています」
解説中には「不動明王がなんともマッチョな……」とのコメントに、一同が笑いに包まれる一幕もあった。6つに割れた腹筋など、西洋風の肉体表現にも注目だ。
下村観山《不動明王》1904(明治 37)年頃 山種美術館
日本で酷評され、アメリカで売れた朦朧体
「朦朧体」と呼ばれる画風は、岡倉天心からの「日本画で空気や光をなんとか表現できないか」という命題にこたえる形で、大観と春草が模索し生み出したスタイル。輪郭線を排除した濃淡の表現は、菱田春草の《雨後》でみることができる。
山下氏は「発表された当初、このスタイルの作品は日本国内で大変批判されました。しかしその後、アメリカで作品を発表したところ、かなりの好評。アメリカで多くの作品が売れ、美術館に入ったものもあれば、個人が所蔵していたものもあり、それらが最近になって確認されるケースもあります。大観、春草における朦朧体の意味は、今後さらに考えていくべきテーマではないか」と語った。
菱田春草《雨後》1907(明治 40)年頃 山種美術館
清姫伝説を描いた、古径の代表作8点
日本美術院は、朦朧体への酷評や、主要メンバーの日本不在、経済面の悪化などが重なり、天心の死後は一時休止状態にもなったのだそう。それでも1906年の天心の一周忌を機に、横山大観、下村観山らオリジナルメンバーに加え、今村紫紅や小林古径らが再び集まり、日本美術院を再興する。
山種美術館『日本画の挑戦者たち』展示風景
小林古径は、1883(明治16)年に新潟県上越市で生まれ、大正から昭和の前半にかけて活躍した日本画家。大和絵や琳派などの伝統的な日本画の基礎を研究した上で、近代的な感覚を取り入れた画風は「新古典主義」と評価された。
展覧会の第2章「再興された日本美術院」では、山種美術館のコレクションより、古径の代表作のひとつ《清姫》シリーズ全8点がそろって展示されている。
清姫は、和歌山県にある道成寺(どうじょうじ)というお寺に伝わる説話の登場人物。僧・安珍に、清姫は一目惚れをする。しかし修行中の安珍は、清姫の気持ちに答えず、逃げるように姿を消してしまった。清姫は、怒りと嫉妬で蛇の体となり安珍を追いかけ、命を狙い、道成寺まで行き着くといった話。
小林古径《清姫》のうち「清姫」1930(昭和 5)年 山種美術館
人形浄瑠璃、能、歌舞伎など、さまざまなジャンルでモチーフとなり、人物の設定なども多様に描かれている物語だが、「古径は説明的な要素を排除し、道成寺の物語の象徴的な場面だけを抽出。かなりモダンでポップな画面に仕上げている」と山下氏は言う。たしかに道成寺物では、清姫のこじれた情念を恐ろしく描かれるケースが多い中、古径の《清姫》には、安珍を必死で追いかける後ろ姿にさえ愛らしさがある。
「旅立」から「寝所」、「熊野」、「清姫」、安珍が逃げる「川岸」、清姫が追う「日高川」に、蛇と化した清姫が道成寺の鐘ごと安珍を焼き尽くそうとする「鐘巻」。そして、境内にある「入相桜」まで。余白の中に物語を思い浮かべ、鑑賞を楽しみたい。
山種美術館「日本画の挑戦者たち」展示風景。小林古径《清姫》。
重要文化財の速水御舟は10月に登場
《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯》は、昆虫をリアルに描いた速水御舟の作品。会期前半の10月14日まで、来場者も作品の撮影が許可されている作品だ。会期後半の10月16日からは、特別出品される御舟の《名樹散椿》(重要文化財)が撮影OK。
速水御舟《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯》のうち「粧蛾舞戯」1926(大正 15)年 山種美術館
さらに展覧会の第3章「戦後の日本美術院」では、安田靫彦や、奥村土牛、前田青邨らの作品が展示されている。織田信長が桶狭間の戦いの後に、『敦盛』を舞ったといわれるシーンを描いた《出陣の舞》は、靫彦の作。
速水御舟《和蘭陀菊図》1931(昭和 6)年も、和菓子のモチーフに。
山種美術館を訪れるなら、エントランスフロアにあるCafe椿も見逃せない。青山の老舗菓匠「菊家」が、展示作品にあわせて制作するオリジナル和菓子をいただくことができる。和菓子は、御舟の《和蘭陀菊図》をモチーフにした「まさり草」や、古径の《清姫》をモチーフにした「小夜」など全5種。見た目にも味にも、親しみやすさと品を兼ね備えた和菓子で、展覧会の後のひと時を過ごすことができる。
ミュージアムカフェ「Cafe椿」で期間限定で提供されるオリジナルの和菓子。左上は、「清姫」をモチーフにしたもの。
日本美術院の画家たちの作品を縦軸に、山種美術館のコレクションを紹介する展覧会『日本画の挑戦者たちー大観・春草・古径・御舟ー』は、9月15日(土)から11月11日(日)までの開催。
イベント情報
日本画の挑戦者たち ―大観・春草・古径・御舟―
※すべて山種美術館蔵 ※出品内容・展示期間には変更が入る場合があります。