常田富士男追悼公演で別役実『カンガルー』を上演~演劇企画ニガヨモギ主宰・演出・出演の市村みさ希に聞く
別役実の初期戯曲『カンガルー』が、演劇企画ニガヨモギによって、2019年2月1日(金)~3日(日)にシアターKASSAI(東京・池袋)で上演される。この公演は、2018年7月18日に81歳で死去した俳優の常田富士男を追悼する公演と銘打たれている。
演出は市村みさ希。常田の孫であり、女優であり、本作に「娼婦」役で出演もする。今回の上演のために「演劇企画ニガヨモギ」を旗揚げする。
『カンガルー』は、1967年に文学座のために別役が書き下ろした戯曲。文学座アトリエでの初演の後、演劇企画集団66(企画66)により1968年7月~12月に新宿シアター・ピットインの<水曜劇場>で改訂再演。この際に、主演を務めたのが常田富士男だった。この時は別役実が「最初で最後」の演出をつとめ、学生だった及川恒平(後の六文銭のメンバー)が劇中歌を作曲、「覆面の歌手」役で歌唱した(そのうち「海賊の歌」「さよならの歌」は六文銭の演奏でアルバム『六文銭メモリアル』に収録)。
SPICEでは、今回の公演について、主宰・演出・出演の市村にインタビューをおこなった。
ーー常田さんの追悼公演の演目として『カンガルー』を選ばれた理由は?
市村 2012年に、祖父(常田)と、役者であるわたしの叔父(常田の長男・倉崎青児)の企画により、別役実さんの『赤ずきんちゃんと森の狼たちのクリスマス』という芝居をやりました。「家族で芝居を作ろう」というところから、祖父が演出、叔父が老狼役、わたしは赤ずきんちゃん役を演じました。その企画は「演劇による地域活性化、住人の繋がりを深め、子供にも楽しめる芝居を」ということがテーマとなり、祖父の自宅がある西東京市の方々と一丸となってできた舞台でした。
そのときもうひとつ候補に上がった戯曲が『カンガルー』です。候補にあげたのはわたしの母(常田の長女)でした。母が幼少期に観た企画66の『カンガルー』は強く心に残っていたものだったらしく、もう一度観たいと密かに熱望していたようで、わたしにも戯曲を読んでみてほしいと手渡されました。(そのとき、もしみさ希が演じるなら絶対、娼婦役が合うと思う、ということも言われたので今公演で娼婦役を演じることにしました)
そんな経緯から、上演する予定もなく手元に残ったままの戯曲だったのですが。祖父が亡くなった日の夜、なんでもいいから祖父の軌跡に触れたい気持ちになり、たまたま最初に手に取って改めて読みなおした戯曲が『カンガルー』でした。そのときは追悼公演をやろうとも考えておらず、ただ、わたしの中ではお祈りを捧げるような気持ちで読んでいました。
しかし、その後のお通夜の最中、祖父の遺影を眺めていたときにふと「わたしは今、芝居をやらなきゃいけない」という気持ちに駆られ、お葬式が終わる頃にはカンガルーをやろうと心の中で決まっていました。
母の思いと、たまたま手にとったタイミングに任せてほぼ直感のみでこの戯曲を選んだと言ってもいいくらいなのですが、祖父のライフワークであった別役さんの作品で、かつ物語の内容的に、わたしの中ではこれ以上ないくらい追悼公演に相応しい戯曲だったなと感じています。
市村みさ希
ーー今回、どのような演出を考えていますか。
市村 演出は、音楽や、悲劇的喜劇(別役さんの作品の中では『カンガルー』はとくにコメディ色が強い印象を受けます)という点をお客さんに楽しんでもらうことと共に、人間が本質的に持っているであろう(そうありたいと願う)〝祈り″や〝慈しみ″の気持ちに焦点を当てたいと思っています。
物語の中で、葬いをするシーンがあります。生き物が亡くなった際に葬いをする、その文化が大昔からどこの国でも人々の間に根ざしていますが、その文化の根底にある本質は祈りの気持ちからくるものだとして、戯曲の中で描かれているその人々の姿をわたしは美しく感じました。その美しさに追悼の意を込めて、祖父にとっては心身の拠点であったであろう劇場という空間を祭壇とし、演劇のもつ儀式的要素に意を委ねたいなと感じました。
そのように喜劇と共に、お客さんに、常田富士男の追悼儀式的要素を感じてもらいたいために、以前祖父が演出してわたしも出演した別役さんの『ふなや』という舞台から影響を受けた、舞いのような、身体表現から生まれる不思議な世界観造りも目指したいと思っています。同じとはいかなくても、祖父が作ってきて、ほんの少しだけ受け継がせてもらったものを表現できたらよいなと思っています。また、衣装や小道具に祖父が使用していたものがたくさん登場します。
50年前に祖父も演じたカンガルーの主人公の男役は、物語中にあるキッカケから人間社会の波に飲み込まれ、対人や運命に翻弄されていく孤独と、己の死に向き合い続けていきます。その姿を、お客さんとの橋渡しのようなイメージで演じてもらいたいと今回の男役を演じる役者には伝えています。
役者陣は、生前の祖父と共演されていた方や、祖父の演出の舞台に出演したことがある方、祖父が「いつかいっしょに芝居をやろう」と声をかけていた方、また、祖父が若い頃に劇団民藝の養成所に所属していたご縁から劇団民藝の女優さんを中心に、今回が初舞台の方もいますが、祖父に所縁のある方をキャスティングしました。
稽古写真
ーー「演劇企画ニガヨモギ」という名に込められた思いは何ですか?
市村 ニガヨモギ の花言葉には〝不在″というものがあるらしく、神話や聖書に登場するような大昔から存在する植物にも関わらず不在という花言葉がついている違和感に面白みを感じました。
と、同時に、不在という言葉そのものにわたしは惹かれました。わたしは昔から、自身の不在感のようなものといつも隣り合わせにありました。それは絶望感や存在否定とは違った「なぜ、わたしはここに居るのだろう?」という単純な疑問です。小さい頃にも突然、ふとその疑問が自分を包む瞬間、自分が何者なのかわからなくなる瞬間がたまにあったのです。人生や生き方や居場所を自分で築くことはできるとしても、根本に根付いている不在感(存在感)という問いの中でわたしは彷徨い続けるのではないかと感じています。
その感覚が演劇と寄り添っていけることを願って、演劇企画ニガヨモギ という名前にしました。ニガヨモギ という音の響きのせいか、変な名前だとよく言われるのですが〝変な名前″というイメージがつく滑稽さも、わたしは気に入っています。
ーーお祖父さんとの思い出で印象深いことは?
市村 祖父が初めてわたしを舞台に上げたのは、わたしが幼稚園生くらいの頃です。作品名は忘れてしまったのですが、初めて上がった舞台上の記憶は鮮明に残っています。
麦畑が物語の舞台で、祖父が語り芝居をして、わたしはその隣に座っておじいさんのお話を聞く女の子役でした。役といっても台詞はなく、麦の束を抱えてとなりに座り続けるというものなのですが、わたしはあのときたしかに、祖父の語り口から広がる金色の麦畑に立っていました。初めて浴びる照明の美しさにも助けられて、それはとても美しい光景でした。
物語の中で風が吹くシーンがあったのですが、わたしはその時「風が吹くなら、麦が揺れるはずだ」と感じ、本番中に、抱えた麦を少しだけ揺らしてみました。それを注目してくださっていたあるお客様から終演後、「あれはお祖父さんの演出だったの? 素敵だったわ」というお言葉をいただきました。そのときは、つい演じてしまったということに対して恥ずかしさが込み上げてしまってうやむやなお返事をしてしまったのですが……。わたしの演劇の原点は、祖父の語りからいざなわれた金色の麦畑にあります。
この経験や、先述の『赤ずきんちゃんと森の狼たちのクリスマス』や『ふなや』にも通じるところがありますが、祖父が主催や企画をする舞台にはよく、プロの役者さんといっしょに演劇未経験の方も役者やスタッフに起用されたりしていました。わたしは祖父のそういった演劇の文化を広げる活動は素敵だと思っていました。普通にお芝居を作るよりもきっと大変なことだっただろうと思いますが、そうやって、いろんな人が演劇に触れる体験ができる場を進んで作り続けていた祖父を尊敬していますし、わたしもそうやって芝居の世界を知った人間のひとりとして感謝しています。
今回はそんな祖父の追悼公演ということで祖父のやり方に沿って、プロの方といっしょに数人、演劇未経験者を招いて座組を組むことにしましたが、誰よりも稽古に真剣に励む姿勢など、未経験者の方を見て励まされる場面もたくさんあるように感じています。
故・常田富士男
取材・文=安藤光夫(SPICE編集部)
公演情報
演劇企画ニガヨモギ『カンガルー』
東京都豊島区東池袋1-45-2
http://www.kassaikikaku.co.jp/
■公演日時:2019年2月1日(金)~3日(日)
2/1(金) 18:00開場 18:30開演
2/2(土) 13:30開場 14:00開演
2/2(土) 18:00開場 18:30開演
2/3(日) 11:30開場 12:00開演
2/3(日) 16:00開場 16:30開演
■代:
前売券3500円(2/1のみ3200円) 当日券4500円(全日程共通)
■作:別役実
■演出:市村みさ希
■劇中歌作曲:中元寺隆夢 黒沼伯
■出演:
男‥宮口嘉行
そのヒモ‥石橋知泰
その妻‥利根川真夏
その情婦‥庄司まり(劇団民藝)
子分2‥伊藤健太
覆面の歌手‥中元寺隆夢
■公式facebook:https://www.facebook.com/nigayomogikikaku/
おまえさんは、カンガルーだ。
船出をしようと波止場にやってきたひとりの男。 乗船手続きをするために船長とおぼしき老人に声をかけるが、男は"カンガルー"と呼ばれてしまう。 老人は言う。「"カンガルー"は船に乗れないシキタリがある。」 自分は"カンガルー"ではないと男は否定するが、いつのまにか周囲の人間たちも男を"カンガルー"として扱いはじめていく。 途方に暮れる男の元へ、自分も〝同類〟だと告白する娼婦が現れ、男の船出を手助けすることになるが…。
生演奏で紡ぐ、音と光の物語。 男が導き出したささやかな祈りとは。 人々の孤独と生き様をコミカルに描いた別役実の音楽喜劇。