シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第五十三沼 『808!沼』
「welcome to THE沼!」
沼。
皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?
私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。
一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れることを
「沼」
という言葉で比喩される。
底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。
これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。
毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。
第五十三沼(だいごじゅうさんしょう) 『808!沼』
今日が何の日か知っているかい?8月8日。
『808』の日だ。
当時そのサウンドを初めて聞いた時、イスから転げ落ちるほどの衝撃を受けた。
Roland TR-808のハンドクラップの音。
1980年、武道館で行われたイエロー・マジック・オーケストラのライブでの「千のナイフ」の演奏で使われたTR-808の印象的なハンドクラップのサウンド。
実はその時点ではまだプロトタイプだったようだ。
後にアフリカバンバータやマービンゲイを始め、世界中のトップミュージシャンが使用する事になるTR-808。
現在はもちろんディスコンになっているが、発売から40年もたった今でも愛用者が後を立たず、クローンやソフトウェア化されたTR-808もどきが次々に発売されている。
そして、なんと先日 このTR-808を設計した博士『菊本忠男氏』にお会いする機会を得たのだ。
菊本さんと言えば、その後Rolandの「難解シリーズ」と呼ばれたTB-303やTR-606、そしてTR-909など、40年も50年も先を行き過ぎた機材を手がけていた張本人だ。
退社後も伝説の人物として世界中のダンスミュージッククリエーターから大リスペクトされている人間国宝のような方なのだ。
もっと言えば、菊本さんがいなければ、現代のクラブミュージックシーンのサウンドが鳴って居なかったはずである。
つまり、テクノもヒップホップも生まれなかった可能性がある。それ程の重要人物なのである。
その菊本さんが、本日8月8日にとんでもないモノを発表するというので、私も召集されたわけだ。
TR-808の各々のサウンドは、当時Rolandシンセサイザーのフラッグシップモデルである巨大モジュラー『SYSTEM-700』(当時280万円)を使って作られている。
しかし、TR-808を作る際には「1000ドル以内で収まる価格」という難題がのしかかった。
そこで、やむなく安い素子などを工夫して使用し、なんとか製品化までたどりついたが、関係者のファーストインプレッションはとても酷いものだったと菊本さんは言う。
「こんなのドラムの音じゃない!w」
と笑い者にされ悔しい思いをしたと語っていた。
確かにPCMと比べて、全てをアナログ回路で発音しているTR-808はとてもシンセサイザー的でプラスティックのような質感をもった非現実的なサウンドである。
しかし、その未来的な音は多くのミュージッシャン達に大歓迎されたのだ。
先ずは、沢山のインスト音源を自由にプログラム出来るリズムマシーンがほとんど無かったため、TR-808はとても重宝された。
同時に全てのインストをパラアウトできるという事で、スタジオでの作り込みがとても容易にできた事も喜ばれた。
さらに、当時の電子音楽シーンで欠く事のできなかった同社のデジタルシーケンサー『MC4』との同期もMIDIが誕生する以前であったが、『DIN規格』というプロトコルで簡単にシンクロする事ができたのも人気に火をつけた要因の一つだろう。
そして菊本さんの想像がその後も次々と具体化する中でTR-909やTB-303など、現代の音楽シーンに無くてはならない名機を生み出して行く事になる。
しかし…当時はPCMの技術が急激な進化を見せ、世の中はLinn Drumを始めとするリアルなPCM音源のリズムマシーン一色になる。
その陰で、「偽物のリズム音しか鳴らない」TR-909は苦難の道を余儀なくされたのだ。
TB-303も同様に、音色だけで無く、とてつもなく難しい打ち込み方法もあいまって、中古市場では叩き値で売られる事になってしまったのだ。
そして、1987年。
全ての「点」が「線」となる一大事が起こる。
お金の無い若いアマチュアミュージシャン達が、ほぼ捨て値状態のTB-303やTR-707、そしてTR-909などを買い込み、自宅でトラックを作り始めた。
時を同じくして、現在のファンクッションワンの前身であるターボサウンドなどの登場により、クラブのサウンドシステムが信じられない程のハイパワーサウンドを鳴らし始めたのだ。
つまり、それまでRolandのリズムマシーンといえば「ポコポコ」といった軽い音の印象しかなかったのだが、重低音が再生出来るサウンドシステムがクラブに導入され、初めてTRシリーズの恐るべき本性が牙を剥いたわけだ。
今聴き比べてもLinn DrumとTRシリーズとでは、低域の成分が雲泥の差である事は拭えない事実である。
予定通り(?)90年代に入るとそれまでLinn Drum一辺倒だった音楽シーンにおけるリズムマシーンも完全に淘汰され、手のひらを返したようにTRシリーズの音源一色に染まった。
無念の菊本さんがニヤリとした瞬間だったのではなかろうか。
それから30年経った現在でも、淘汰される事なくTRシリーズの音は世界中で最も使われているリズム音になったのだ。
さて、話を戻そう。
なぜ808の日にあわせて私が呼び出されたか。それは…
菊本さんが、ソフトウェアーで新しい『808』を発表するというのだ!
しかも、当時 製作段階で大きな制約があったわけだが、その制約を全て解き放ち、全ての音源をSYSTEM700(より精度の高い回路)で作るという贅沢極まりない仕様のNew808。
その名は『RC-808』。
なんと!無料で!配布するというのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!
これは事件だ。
制約無しで出来た808の音はどんなものなのか、菊本さんにお会いする前日は一睡も出来なかった。
そして当日、私は40年ぶりに再びイスから転げ落ちた。
一切の制約の無い808の音は、言葉で言い表すのが難しい程、新しいものだった。
「808の音なのに新しい!」
もうこの言葉しか見つからない。
サウンドパラメーターを自由にエディットするとこれまたすごい。
なんと909や、PCMのはずの707系の音まで出てくる。
そして、音色の成り立ちをフーリエ解析で見せてもらったのだが、おもわず気を失った。
まあ、私が言葉で説明するよりも、百聞は一見に如かず。
こちらからDLして、実際に鳴らしてみてほしい。
【ダウンロード】
◎Windows版 ⇒ RC-808
◎Mac版 ⇒ RC-808(準備中)
そして、もう一つ大ニュース。
瀬戸内芸術祭で行われるDOMMUNE SETOUCHIに、なんと菊本忠男博士が登壇してくれるそうだ!
これは世界中の注目を集める事は間違いない。
是非8月22日はこちらからDOMMUNEにアクセスしてほしい。
生で菊本さんの話が聞けるはずだ。恥ずかしながら私が司会をつとめさせていただくが、抜かりなく質問責めに合わせる予定だ!
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