エリソ・ヴィルサラーゼ、インタビュー 「ピアノに無限の可能性」 『ピアノ・リサイタル』
エリソ・ヴィルサラーゼ
2020年1月17日(金)浜離宮朝日ホールにて、グルジア出身のピアニスト、エリソ・ヴィルサラーゼが『ピアノ・リサイタル』を開催する。ジョージア(グルジア)の音楽一家に生まれ、モスクワ音楽院で学んだヴィルサラーゼ。20代でチャイコフスキー国際コンクール、シューマン国際ピアノコンクールに入賞して演奏活動をスタートさせた彼女が、1月のリサイタルではロシアものとシューマンというプログラムを披露する。ヴィルサラーゼへのインタビュー記事が届いたので紹介する。
あえてテンポを落とす
前半は、「繊細な技術が求められるとても難しい作品」だというチャイコフスキーの「四季」。そして、プロコフィエフからは若き日の作品である「風刺」と「トッカータ」を取り上げる。
ヴィルサラーゼ:プロコフィエフは天才でした。音楽がたくさんのことを伝え、絵画的でもあります。現代的で、まるで今日書かれたかのようです。なかでも『トッカータ』は、テンポを落として弾くことで魅力が生まれます。指を速く動かしたくなる音形が散りばめられていて、そのタイトルのように速いテンポで走りたくなりますが、あえて速く弾かないことを心がけます。音楽の中にすでに緊張感がみなぎっていますから、テンポを抑えても十分なのです。
いま改めて向き合うシューマン
後半は、リヒテルに最高のシューマン弾きと称えられたことでよく知られる、得意のシューマンから「8つのノヴェレッテ」第8番と「幻想曲」を演奏する。いずれも、いま心から弾きたい作品だという。
ヴィルサラーゼのシューマンは、実に多くのことを語る。
ヴィルサラーゼ:『幻想曲』は、3つの楽章それぞれが主張を持ちますが、全体を一つの作品としてまとめなくてはいけません。ソナタ形式の1楽章、雰囲気の変わる2楽章、そして、ベートーヴェンの最後のソナタを思わせる3楽章へと続く。"終え方"がとても難しい作品です。すべてを言い尽くし、あとに続く言葉が見つからない。そんな余韻に浸る終わり方が理想です。
長らく演奏し続ける中で、シューマンへの理解に変化はあるのだろうか。
ヴィルサラーゼ:変わる部分と変わらない部分があります。若い頃は"直感的に"弾く傾向にありますが、経験を重ね、形式や時代背景はじめさまざまな知識を蓄えることで、音楽を深く理解できるようになります。ただし一方で、初めて作品を弾いたときの感動、子どもの頃の一生懸命さは持ち続けねばなりません。直感、熱意は保ったまま、そこに成熟や深い理解を足していくことで、音楽に演奏家ごとの色がついていくのです。
若きピアニストたちへ
ヴィルサラーゼは、ネイガウスやザークという名教師に学び、リヒテルとの交流を経て育んだ音楽を、演奏、教育活動の両方を通じて長きにわたり人々に届け続けてきた。ロシアン・ピアニズムの継承者といわれる彼女が若い世代に伝えたいことは、なんなのだろうか。
ヴィルサラーゼ:グローバル化が進んだ今、何がロシアン・ピアニズムかを定義するのは難しく、私にもわかりません。ただ、私が教育を受けた旧ソ連のピアノメソッドで一番重んじられていたことは何かといえば、それは"歌う音"です。どんなに指を速く動かしていても、歌うことを決して忘れてはなりません。
ピアノという楽器には、無限の可能性があります。演奏者がすべきことは、楽器の音を通して、作曲家の想い、心情、魂を伝えること。ピアノはハンマーで弦を叩いて音を出す楽器ですが、決して打楽器的になってはいけません。叩いて出す音を、いかに多彩に響かせることができるか。そのヴァリエ―ションに限界はありません。音色のイメージをまず自分の中で限りなく広げ、大きな世界でとらえながら、実際に音にすることが大切です。
珠玉のレパートリーを通し、その秘技を存分に味わうことになりそうだ。
取材・文=高坂はる香
クラシック 音楽情報誌『ぶらあぼ』 2019年12月号 Pick Up より転載
公演情報
『ピアノ・リサイタル』
場所:浜離宮朝日ホール
<演奏曲目>
チャイコフスキー:四季 Op. 37b より
プロコフィエフ:風刺(サルカズム) Op.17
プロコフィエフ:トッカータ ニ短調 Op.11
シューマン:幻想曲 Op. 17