【3.19.ストロングスタイルプロレス後楽園決戦直前!】デビュー35周年の“甦ったサムライ”船木誠勝 2020年リアルジャパン初戦は“売名王”澤田敦士と激突!
1985年3月3日のデビューから35年を迎えた“甦ったサムライ”船木誠勝。2月にUFCでも王者に就いたレジェンドの1人、ダン・スバーンと対戦し、2020年初のリアルジャパン(3月19日、東京・後楽園ホール)では澤田敦士との対戦に臨む。10代でデビューし駆け抜けた20代、「迷いに入った」という30代から、今はまたグッドシェイプでリングに上がる。戦いに懸ける現在の思いを改めて船木に聞いた。
《セミファイナル シングルマッチ 30分1本勝負》
船木誠勝(フリー)
vs
澤田敦士(フリー)
※2019年12月大会より2度目の参戦。
■藤田戦は久しぶりに“戦った”気持ちになれた試合
――リアルジャパンでは今年初の試合となる澤田戦が決まりました。まず昨年末のチャンピオンシップ、藤田和之戦を振り返っていかがでしょう。
船木:久しぶりに“戦った”っていう気持ちになる試合ができたなと思いました。大体1年に1回そういう試合があるんですけど、去年の場合は藤田戦で、年の最後に来ましたね。普通の選手・試合とは全く別物で、試合の次の日いろんなところが痛くなって、やっぱりものが違いました。結果に関しては年齢も年齢だし仕方がないですね。昔やっても、もしかしたら同じ結果だったかもしれないし、それぐらい彼は強いと思います。
――ですが、いずれまたリベンジを狙う?
船木:そういうのは、もう全部縁というか運命に任せて、自分から「絶対やりたい」とかそういうのではなくて、自然にやるべき時は来るんじゃないかなって。以前、2年前に自分の33周年記念試合で藤田選手にオファーをしたことがあったんです。でもその時は都合が合わなくて流れちゃったんですけど、こういう形で実現したっていうことは、やる時は必ずなるようになるんだなっていう風に思います。
■運命と縁に従い戦っていく
――試合はそういった運命や縁によるものと考えるようになったのはいつからですか?
船木:フリーになってからですね。やっぱりフリーになると、こっちから売り込むとどうしても安く叩かれるんです。だから待って、本当に必要としているところにだけ行くと。そうすれば“これは必要ないな”っていうもの、自分でやりたくないことはやらなくて済むじゃないですか。今年でフリーになって5年になって、そういう感じ、考えになりました。
――ではフリーになってからは、自分のやりたいことをできていると。
船木:そうですね、はい。あと“やったことのないこと”ですね。新しいチャレンジとか。それでやって、別にどうってことなかったら次はもう断ると思います。そうやっていろいろ自分でたしかめて、やるようにしています。
――では先ほど運命と言われましたが、縁があればやるし、そうでなければそういう運命だったと諦める?
船木:そう思ってやってます。だから藤田戦も“もしかしたら最初で最後かもしれない”という気持ちでやったので、そういう気迫というかが出る試合になった気がします。
■“レジェンド”ダン・スバーンとの対戦
――はや3月となりましたが、今年の2ヶ月を振り返っていかがでしょう。
船木:2月にダン・スバーンとの試合があって(2月20日・東京チャンピオンシップ・レスリング、5分3ラウンド引き分け)、彼は61歳ですけど、3ラウンドできたのはスゴいなと思いました。 8年前ぐらいにヴォルク・ハン選手ともやったことがあるんですけど(12年12月・リングス、15分引き分け)、やっぱりみんなスゴいなと思います。歳をとってからの対戦ですけど、“若い頃だったら敵わなかったかもしれない”っていう手応えがありました。スバーン選手には今回3回ぐらい投げられたんですけど、3回とも体が壊れる投げなんですね。首を壊して、肩とアバラが次の日に痛くなりました。
――先ほどの藤田戦の後と同じく、翌日ダメージがあったのですね。
船木:一緒です。だからやっぱり芯の詰まったレスラーというか、バックボーンに本物があると、そういう風になるんだなって思います。スバーン選手はいまだにレスリングを学校とかで教えてるって言っていました。体も全盛期とそんなに変わらないから聞いてみたんです。そうしたら、やっぱり悪いものは食べないようにしている、あとはトレーニングでちゃんと自分の体をキープしているらしいです。そうすれば61歳になってもああやって試合ができるんだって思います。だからそういう手本が目の前にいたので、自分もそれを目指そうと思いました。ちょうど10歳違うんですよね。
■還暦はワンゴール
――以前話をお聞きした時「還暦まではやりたい」と言われてましたが、今も気持ちは変わらないですか?
船木:そうですね、まずワンゴールじゃないですけれども。今月51になるので、あと9年。またアッという間に来るんでしょうね。でも藤原(喜明)さんを見ていても71じゃないですか。だからスバーン選手からまた10年やったっていうのはスゴいですよね。
――船木選手も還暦を超え、その年までどうでしょう?
船木:あと20年ですか、どうですかね。でも、自分の先生がそこまで記録を伸ばすのであれば、“自分もそこまで行きたいな”って思っちゃうかもしれないですね(笑)。
■デビューから35年はアッという間
――船木選手は1985年3月3日がデビューで、ちょうデビュー35周年となります。35年を振り返ってやはりアッという間でしたか?
船木:本当にアッという間でしたね。特に20代が本当にバーッと過ぎていって、ちょうどUWFに入ってパンクラスを辞める時が31だったんです。だからその11年というのはただ走り続けていた気がします。その間はUWFとパンクラスの2つでひたすら戦っていた感じで、気持ち的に休んだ記憶があまりないです。常にイザコザとかいろんな揉めごと・問題もありましたし、なんか本当に戦争でしたね、20代は。
――ではその後、30代はいかがでしたか?
船木:30代はちょっと迷いに入りました。一度リングを降りて戦いではない生活をしていて、ずっと歩けない・進めない、足踏みをしていたような気がします。でもそれが今思えば、ヒクソン戦で負けて自分に対する罰じゃないですけど、そんな感じだったような気もします。1回引退した人間に復帰っていうのは自分の中ではなくて、だからヒクソンに負けたことによって一番大好きな“戦い”っていうものを取り上げたような形だったと思うんです。それで2007年、7年経って38の時にようやくトンネルから抜けた気がしてまた動き始めました。気持ちの部分で7年はトンネルに入っていたと思います。でも、復帰を決めてからは目まぐるしい生活がまた始まりました。
――では、今後は先ほど言われましたがまず60歳までは続けていこうと。
船木:そうですね、もう1回引退してますので、次の引退は正直ないんです。だから呼ばれなくなったら終わりっていう感じですね。もしくはどこかを故障してできなくなったとかですね。そんな感じだと思います。体の状況も、歳をとってくるとやっぱりそれまでの動きができなくなってくるので、動きも変えていかなければならないんです。そういう意味ではずっと常に変わっていなきゃいけないなと思います。去年も最後に1回骨折をしていますし、体は歳を取って徐々に来てるなとは感じるんですけど、だから動きを変えていかなきゃいけないと思うし、変えればまだまだできると思います。
■“戦い”を見せ感動してもらう
――これも以前船木選手がインタビューで話していましたが、プロレスは根底に戦いがなければいけないと。ではたとえ動きは変わっても、やはり戦いを見せていくことは変わらない?
船木:そうですね、自分がいた時の新日本プロレスは本当に“プロレス=戦い”っていうことしか教えていなかったので、相手との戦いを見せてお客さんに感動してもらう、そういう教えられ方だったんです。だからお客さんを“喜ばせるためにやる”のではなく、“自分たちの戦いを見てお客さんが感動してくれる”っていう、そういう関係でお客さんともずっと付き合ってきましたし、これからも自分はそういう風に付き合っていきたいなと思います。それが1番理想だし、自分はそれしかできないです。
――そんな中で今回は澤田選手との対戦が決定しました。澤田選手の印象はいかがでしょう。
船木:IGFで柔道ベースの選手ですよね。同じリングに上がったのもIGFの最後の頃に1回ぐらいで、本当に初対戦で未知の相手です。思い切りがいいんですよね。だから初めて戦う外国人選手だと思って、そういう気持ちでやります。
――外国人選手とやる時は少し心持ちが違うのでしょうか。
船木:自分は逆に知らない人の方がやりやすいです。なので荒ければ荒いなりにこちらも荒く行きますし、そこは相手に対応していきたいと思います。今はこうやってコロナウィルスがあっていつ大会ができなくなるかも分からないので、本当に1試合1試合、魂を入れてやっていきたいです。この状況で来てくれるファンの人たちはリスク覚悟で来ていると思いますので、自分もリスク覚悟で戦っていきたいと思います。
(取材・文:長谷川 亮)