ミュージカル『イリュージョニスト』観劇レビュー「なにが真実でなにが幻影か」
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
美しく、美しく、美しく、そして残酷
劇場に広がる”完璧なトリック”とはーー。
英国の演劇プロデューサー、マイケル・ハリソンと梅田芸術劇場とのタッグで誕生したミュージカル『The Illusionist-イリュージョニスト-』が世界初演の幕を下ろした。
演出を手掛けたのは英国演劇界の鬼才、トム・サザーランド。梅芸との共同創作は『タイタニック』『グランドホテル』『パジャマゲーム』に続き『イリュージョニスト』が4作目となる。
千穐楽後ということもあり、ここでは物語の結末も含めたレビューを綴っていきたい。
舞台は19世紀末のウィーン。ハプスブルク帝国の終焉が近づく中、イリュージョニストのアイゼンハイム(海宝直人)は、興行師のジーガ(濱田めぐみ)とともに訪れたこの地で、幼い頃、互いに恋心を抱いていた侯爵令嬢のソフィ(愛希れいか)と出会う。が、ソフィは皇太子・レオポルド(成河)の婚約者。帝国の傾きを憂い、過激な正義感に支配されるレオポルドの行動に疑念を抱いたソフィは、次第にアイゼンハイムと気持ちを通わせていく。
そんな2人の関係を知ったレオポルドは、怒りに任せ、剣を手にソフィの後を追う。その夜遅くに死体となって発見されるソフィ。事件の真相を探るウール警部(栗原英雄)は、関係者の証言からソフィ殺害の謎を解こうとするのだがーー。
さまざまな状況が重なり、今回はコンサートバージョンでの上演となった『イリュージョニスト』。といっても、俳優がマイクを手に歌うスタイルではなく、日生劇場に広がっていたのは非常に演劇的な世界。舞台装置や当初予定されていた大掛かりなイリュージョンはカットされたものの、ミュージカルとして充分成立し得るクオリティであった。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
アイゼンハイム役の海宝直人は端正なビジュアルと渾身の演技、圧倒的な歌唱力で若きイリュージョニスト役を完璧に魅せる。じつはこの事件のすべての”絵”を描いていたのがこのアイゼンハイムなのだが、海宝自身が醸す真っ直ぐで誠実な佇まいにすっかり騙されてしまった。難曲を歌いこなしながら、観客すべてに”幻影”を見せる様は見事。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
侯爵令嬢・ソフィを演じた愛希れいか。恵まれた生まれでありながら、権力や身分に引きずられることなく、自らの意志を貫く女性像を魅力的に造形。儚さと強さの両方を宿すソフィーのキャラクターが、アイゼンハイムの行動に説得力をもたらしていた。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
幼少時からアイゼンハイムを育て、イリュージョニストとしての彼をマネジメントしてきた興行師・ジーガ役の濱田めぐみ。母や姉のような情をもってアイゼンハイムに接する姿と、彼を商品として扱う興行師としての打算……その両面を的確に見せる演技が光る。歌の素晴らしさは言うまでもないが、いかがわしさとピュアさを併せ持ったジーガのキャラクター構築が、この作品のテーマのひとつ”人間はどこに光を当てられるかでまったく違う印象になる”を体現していると感じた。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
皇太子・レオポルドを演じた成河はまさに逆算の芝居を完璧にやってのけた。今作での皇太子は徹底的に酷い人物であることが必要。彼が悪に見えれば見えるほど、ラストの”真実”ですべての闇が光になり、光が影になる構造がより鮮明に浮きあがってくるからだ。帝国の斜陽、父親へのコンプレックス、婚約者への屈折した思いというカードを手に、成河は氷のような冷たさと炎のような激しさを内包する皇太子役を見事に演じ、私たちに終幕の驚きを贈ってくれた。しかしこの人は、一体何枚の仮面を隠し持っているのだろう。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
狂言回し的な役割も担う警部・ウール役の栗原英雄。登場人物の中で、もっとも観客に近い視点で物事を見ているキャラクターだ。真実を追うという一点に集中し、ソフィ殺害の犯人と確信した皇太子に罠をかけ、勝負に勝ったと思った直後に地獄に突き落とされる。それまで自身が信じてきた真実の重さと尊さを自らが壊し、後戻りができなくなってしまう難役をベテランの凄みをもって見せていた。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
ミュージカル『イリュージョニスト』の原作となっているのが、エドワード・ノートンが主演した映画『幻影師 アイゼンハイム』と同名の小説。梅田芸術劇場と英国側は5年の準備期間をかけ、作品の上演に向けて動いてきた。本来ならば、大掛かりなイリュージョンを含めた形で上演されるはずであったが、今回はコンサートバージョンでの5公演。が、コンサートバージョンと言い切るのは惜しいほど演劇としての輝きを放っていたと思う。
舞台奥に組まれたオーケストラスペース、ステージ中央台のアクトエリアとキャストの人数分配置された椅子。そしてトム・サザーランドによる緻密な演出と美しい照明に照らされる絵画のような数々の場面。まるで自分も19世紀のウィーンの劇場に観客として座り、アイゼンハイムの仕掛ける壮大なイリュージョンを体感しているかのような時間だった。
重ねてになるが、ソフィ殺害事件の”絵”を描いたのはアイゼンハイムである。皇太子からの愛のない仕打ちに耐えきれなくなったソフィを助け、2人でウィーンを抜け出すために彼は事件を偽装し、皇太子に罪を着せたのだ。警部・ウールを利用して。
観客には最後の種明かしの瞬間までその真実が明かされない。見事なトリック。愛する人を救えなかったと自らを責め、人々の前で悲嘆にくれていたはずのアイゼンハイムがじつは皇太子を陥れ、ウール警部を一生晴れることのない闇の世界に放り込んだ張本人。容疑者として捕らえられた農民を皇太子が拷問し、自白を迫る場面で、私たちはそこに皇太子の残虐性と卑劣さを見るが、彼は自らの殺人を隠し、その農民に罪をなすり付けようとしていたわけではない。死の間際まで語った通り、皇太子はひとつも嘘をついていなかったのだから。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
物事には光と影があり、表の面と裏の面がある。人はどこにスポットを当てられるかでまったく違う印象に映るーー。『イリュージョニスト』はその一瞬の反転を鮮やかに、そして残酷に映し出した。それまでとは正反対の真実が現れた瞬間、19世紀のウィーンで起きた悲劇が、2021年の日本に生きる私たちにリアルに迫ってくるのだ。「あなたが今、その目で見ているものは真実ですか?」と。
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
最後になったが、初日前日のゲネプロ(最終舞台稽古)終了後に、アイゼンハイム役・海宝直人が語ったメッセージをお伝えする。
「この作品は本当にたくさんの山を乗り越えてここまでたどり着きました。三浦春馬さんを失い、その中で果たしてどのような形で公演を行うべきなのか、それとも行わないべきなのか、僕自身も悩み、いろいろな方に相談させていただきました。その中でも(演出の)トム・サザーランドさんをはじめとするクリエイターチームの皆さんの”この作品を絶対に上演するんだ”という強い決意をZoom越しに伺い、そこに共感して何とかここまでやってまいりました。その後も、コロナのことなどさまざまな状況もありましたが、全員があきらめず、前を向いて今日まで来ました。本当に、皆さんを尊敬しています」
『イリュージョニスト』(撮影:岡千里)
『イリュージョニスト』は、初見と2度目以降の観劇で大きく見方が変わるミュージカルだ。それも含め、いつかカットされたイリュージョンと舞台装置を加え、本来の衣装をまとった俳優たちによる完全版が上演されることを心から願う。できれば、今回のver.と全員同じキャストで。
ブロードウェイやウエストエンドの劇場の灯が消える中、東京で世界初演の幕を開けた本作。さまざまな山を越え、ここまでのパフォーマンスを見せてくれたすべての俳優陣と関係者全員に大きな拍手と感謝の気持ちを贈りながらこの文章を閉じたい。
いつかまた、アイゼンハイムと劇場で出会えることを祈りながらーー。
取材・文=上村由紀子(演劇ライター)