大衆演劇の入り口から[其之四十二] 親子4代、一家族が40年間芝居を続ける場所~「南ファミリー劇団」ロングインタビュー in 香川県まんのう町
南ファミリー劇団 舞踊ショーラスト
南ファミリー劇団は、大衆演劇の中でもユニークな一座だ。ほとんどの劇団が旅回りで、全国の劇場を移動するのに対し、南ファミリー劇団は40年間、動かない。香川県の南西部、仲多度郡まんのう町に拠点となる『芝居茶屋・新道しるべ』があり、月に3回程度、日曜日に公演を行っている。
南ファミリー劇団の拠点となる劇場『芝居茶屋・新道しるべ』。JR琴平駅からは車で約5分。
彼らの公演スタイルが極めてレアと評されるのは、18人の役者の全員が家族であり、親子4代に渡って公演を続けているということだ。一座の看板である座長も、初代、二代目、三代目と代替わりしている。取材日の芝居演目は、二代目座長書き下ろしの『涙の舞扇』だった。午前11時に幕が開いた。
主役は、二代目座長の次女の丘すみれさん(左)、長女の丘さくらさん(右)。『涙の舞扇』は旅役者一座の姉妹の出生の秘密と、下総高岡藩のお家騒動をめぐる物語だ。
役者の年齢も幅広い。手前が子役の丘らんさん、奥が曾祖母に当たる丘美智子さん。藩の若君と乳母を演じている。
芝居中盤、三代目座長・山口英二朗さんが、隠密役で颯爽と現れると拍手が起きた。
ラストで二代目座長・扇子家(せんすや)玉四郎さんが登場。高岡藩城主役にぴったりの、堂々たる姿と響く声。
お芝居終演後はお弁当休憩を挟んで、舞踊ショーへと続く。14時過ぎの終演後、二代目座長・扇子家玉四郎さんと、長男の三代目座長・山口英二朗さんにインタビュー時間を頂いた。
親子4代、どんなヒストリーを積み重ねてきたのだろうか?また、今年3月に新型コロナウィルスの影響で、『新道しるべ』での公演に一度終止符を打つことを発表した背景も気になっていた(その後、しばらくの公演継続が決定)。来年もこの場所で芝居を観ることはできるのだろうか? お二人の話の興味深さに、長い記事になったが、じっくり読んでいただければ幸いだ。
三代目座長・山口英二朗さん(左)、二代目座長・扇子家玉四郎さん(右)。
【取材側の感染対策】インタビュアーはワクチン接種を完了し、事前の抗原検査で陰性を確認の上、移動中も含めN95マスクを外さず着用。
【劇場側の感染対策】記事後半の<今年3月で閉じるはずが、「もう一年」>の章で、『新道しるべ』の対策内容を紹介している。観劇される方はぜひご参考に。
■きっかけはおじいちゃんの供養のため
――「南ファミリー劇団」結成は1981年。40年前、何をきっかけにこの形の公演が始まったのでしょう。
扇子家玉四郎座長(以下、玉四郎) 始めたのは、僕の父・初代山口英二朗です。もともと父は「扇子家」という旅芝居の劇団の座長で、僕の母は相手役をしていた女優でした。僕が生まれて間もない頃、父は一座を解散して、琴平で飲食店を始めました。
初代・山口英二朗座長。二代目座長の父、三代目座長の祖父に当たる。お客さんから「英ちゃんの声に惚れる」と言われるくらい、優れた声の持ち主だったという。
玉四郎 父方のおじいちゃんもお芝居が好きな方で、父や母の舞台を客席から見るのが大好きだったんです。そのおじいちゃんが年を召されて寝たきりになってから、「お芝居が観たいな」と言ったんですけれども、お医者さんはとてもそんな体じゃない、ダメだと。父は「暖かくなって、桜の花が咲く頃になったら家族みんなでお芝居に行こうか」と言っていましたが、おじいちゃんはその冬に亡くなってしまいました。父には大きな心残りになりました。こう思ったそうです。自分と妻がもともと役者なんだから、子どもたちに芸を教えて、寝たきりのおじいちゃんの目の前で、お芝居や踊りをしてあげたら、おじいちゃんは喜んでくれたんじゃないだろうか。なぜ、そのことに気づかなかったんだろうかと。
――お芝居を観に行けないのなら、その場で見せてあげたらよかったと。
玉四郎 はい。もしかして、おじいちゃんみたいに、お芝居が観たくても観れないお年寄りはたくさんいるんじゃないだろうか? そういう人たちの所へ自分たちのほうから出向いて、観ている間だけでも幸せな気持ちになってくれたら、おじいちゃんの供養になるんじゃないか。父はそう思って、「よし、じゃあ家族で劇団を立ち上げよう」と。うちは本名が南なので、「南ファミリー劇団」っていうのを作るぞということになりました。でもそのとき、僕は18歳。父と母が昔、役者をやってたというのは、アルバムで写真を見たり、後輩の役者の方たちが挨拶に来るので知ってたんですが、まさか自分がするとは夢にも思っていませんでした(笑)。当時の僕は車の免許を取って間もなくで、友達と走り回ったり、高松に何軒かあったディスコに通ったり。ディスコダンスが大好きで、頭もアフロヘアにしていました。
――『サタデーナイトフィーバー』のような青春ですね!
玉四郎 その頃の時代ですわ(笑)。だから自分が化粧して、着物着て、ちょんまげの鬘を被って、人前で演技? 無理無理無理!ってなったんですけど、「おじいちゃんの供養だから」って言われまして。僕は兄貴と弟がいるんですけど、僕が一番おじいちゃんっ子で、おじいちゃんにすごく大事にしてもらったんです。それで「わかりました」と言いました。初舞台は、満濃荘という特別養護老人ホームでした。お芝居をやるといっても、父と母しか経験者がいなかったので、僕ら素人は周りについてるだけだったんです。でも、拙い僕らの芸を見て、おじいちゃん、おばあちゃんが手を合わせて泣くんですよ。「施設に入ったら、もう二度とこんなのは見れないと思ってたのに、皆さんが来てくれた」って。「もっとこっち寄って」「鬢(びん)付け油の匂い嗅がせて」「顔よう見せて」「お芝居良かった、良かったー」……そういう言葉を言われたときに、自分が感動してしまいました。自分って、人にこんなことを思ってもらえることができるんだって。父母に、今度また行くって約束したから、今回とは違う芝居や違う踊りを稽古してくださいとお願いしました。一度が二度、二度が三度と稽古して披露するうちに、だんだん自分のほうからのめり込んでいきました。
――この場所で定期公演を打つようになったのは?
玉四郎 老人ホームへの出張公演を続けていると、地元のお年寄りの人から「自分たちもお芝居が観たいのに、施設に入っていないと観せてもらえないの?」と言われまして。さあどうしようと思ったときに、うちはこの場所で飲食店をしていて、店の中にカラオケができるような、ちっちゃい座敷がありました。「じゃあ、この座敷でお芝居やりますけど観に来ますか?」と言うたら、行く行くーとお客さんが観に来てくれて。お芝居と踊りの間に時間が空くので、お弁当も出すようにしました。
『新道しるべ』劇場内。公演スタート時からは作り変え、現在は広々とした会場だ。
二代目の語りは言葉が豊富で、声が柔らかく弾むように続いていく。インタビュー中も聞き入った。
玉四郎 そのうち、南ファミリー劇団のことがだんだんクチコミで広がって、最初は2か月に1回ぐらいの公演だったのが、月に1回、月に2回、月に3回と増えまして。ちっちゃな座敷ではやりにくくなったので、舞台も広げました。でも初めは数か月に一回の公演だったので、父が「これでは成長のスピードも遅いだろう」と、僕は役者を始めて半年くらいのとき、旅回りをしている「市川ひと丸劇団」でお世話になったこともあります。その頃の僕は芸事に興味が出てきていたので、好きな、楽しい世界かなーと甘く考えてたんですけど(笑)、毎日違う芝居を覚えるというのは本当に大変でしたね。ここへ帰ってきてからは、自分たちの公演をしながら、色んな町や市、敬老会からちょっとやってくれないかというご依頼を頂いて、そういうイベントに出ながら、かつボランティアで施設にも行きながら。それが40年間続いてきました。
■どこの家も休みの日は舞台があると思っていた
三代目・山口英二朗座長の女形。この10月は三代目の誕生日月公演だ。
――三代目は1990年生まれ。生まれてからすぐに舞台に出ているのでしょうか。
山口英二朗座長(以下、英二朗) そうですね、初舞台が生後59日目です。抱き子(※)で出ました。
※抱き子…お芝居の中で抱っこされて出てくる赤ちゃんのこと。
玉四郎 そのときは年末のNHKのチャリティー公演で、『佐吉子守唄』というお芝居でした。本来は人形の赤ちゃんを使う場面で、この子(英二朗)を抱いて出たら、お客さんが「わっ、座長の子や!」と沸きましたね。
――『佐吉子守唄』は、歌舞伎の演目『荒川の佐吉』ですか?
玉四郎 うちでは、佐原(さわら)の佐吉と呼んでいます。この子がやった赤ちゃんは目の見えない役なんですが、舞台にライトがいっぱいあって、この子が目をキョロキョロ、キョロキョロさせてて、いや見えない役なんやけどなって(笑)。
――学校に行きながら舞台をされてきたのですか。
英二朗 はい、物心つく前からずっと舞台に立ってるので、生活の一部っていう感じですね。幼稚園行きながら、小学校行きながら、休みの日はお舞台。僕はこの生活サイクルが31年間、今に至るまでずーっとです。その頃は今と同じように、毎週日曜日に公演をするようになっていましたね。
玉四郎 後になってから聞いて面白かったのが、この子ね、他のうちも、みんな休みの日は舞台があるんやと思っとったというんです(笑)。
――日曜日はどこの家も舞台なんだと(笑)。
英二朗 そうそう、友達も同じように(笑)。そう思ってるぐらい、舞台に出るのは普通のことでした。友達もみんな、僕は舞台があるということを理解してくれて、僕が遊べるタイミングで仲良くしてくれてました。土曜日は遊べたんですけど、日曜日は舞台があるし、平日に学校終わってからもお稽古があったり。どんな舞台なのかっていう説明は難しかったです。大衆演劇のお舞台を知ってるっていう子どもはなかなかいないから、「歌舞伎?」って言われたりね。歌舞伎じゃないんやけど、説明の仕方もよくわからないっていう感じで(笑)。
――三代目に続いてご兄弟6人が生まれ、今も兄弟7人全員が役者をされています。旅芝居の劇団に生まれたお子さんたちでも、大人になると他の仕事に就かれる方も当然おられる中で、7人全員が役者というのは珍しいですね。
玉四郎 子どもたちが高校を出て、社会に出るときに、「もう自分のやりたいことをやっていいんだよ」って言ったんですけれども、みんな舞台を続けたいからと。だから仕事も、劇場に来れる範囲で、しかも日曜日はお休みのところを探してくれて、ありがたいことです。
二代目座長の次男、山口金太郎さん。
三男・山口雪太郎さん。
四男・山口月太郎さん。
長女・丘さくらさん。
次女・丘すみれさん(右)。
舞踊ショーのトップステージは次男~次女がスーツ姿で賑やかに。
――7人兄弟の末っ子の花太郎さんは、2019年に劇団を離れられ、「劇団美山(みやま)」の一員として全国を回られています。ご家族が一緒に、長年舞台をされてきた中で、逆にお一人だけが外に出られたのは大きな出来事だったのではないでしょうか。
写真右、五男は里美(さとみ)花太郎さんという名前になり、今年1月から劇団美山の花形を務める。左は劇団美山・里美たかし総座長。
玉四郎 2年前、花太郎が行くときは、僕はお客さんにすごく怒られました。「座長、どうして、花ちゃんを出すのよ?!」って。昔からのお客さんたちですから、「私、自分の孫を出すような気持ちがして辛いわ」「なんで承諾したのよ?!」という人もおられて。なんで僕、怒られなきゃいかんのかなぁと思いながら、「はい、すいません」って謝りました(笑)。でも今ではそういうお客さんも、「花ちゃん、頑張ってるって噂聞いたよ」と、応援してくれています。
――この土地のお客さんにとって、南ファミリー劇団は自分の家族のような存在なんですね。
玉四郎 本当にありがたいですね。今年の1月から花太郎は、美山さんで花形というポジションを頂いていますけれども、去年の秋ぐらいに本人から連絡がありました。「花形の看板をお前に任せたいと言われたんだけど、お父さんどうしよう?」と。「自分でちょっと考えてみなさい」と言いました。看板を頂いたら、やっぱりお客さんもその看板を背負った役者を目指して観に来ますので。彼は、それに負けないように、今頑張っている途中です。
――小さい頃からみんなで舞台をやっているためか、ご兄弟7人、非常に仲良しだと聞きます。
英二朗 大人になった今でこそ、住んでいるところはみんなバラバラですけど、実家にいたときは7人揃って買い物行ったり、7人でプリクラ撮ったり、カラオケ行ったり、しょっちゅうしてましたから。リビングで7人で同じテレビ見てたりとかね。それが普通という感覚だったんですけど、友達に言うと「それはおかしい。お前んとこの兄弟はちょっとおかしいぞ」って(笑)。
―― 一緒にいるのが当たり前のような感覚だったんですね。舞台の面で見ると、歳の近い役者がたくさんいると、役替えも多いんでしょうか。
英二朗 はい、特にさくら・すみれは一歳違いで、女の子二人なので、役替えすることもあります。月に3回ぐらい公演があって、演目は月を通して同じですけど、最初の週はお姉ちゃんがこの役をしたけど、2週目は妹がするか?みたいに、ローテーションでやっていますね。
――ご兄弟間で、役をめぐってライバルになったりしないんでしょうか。
英二朗 あー……たまに、ありますね(笑)。
――それは、そうですよね(笑)。役って、役者さんにとってはすごく大切なものだと思います。
玉四郎 僕が作る演目のときは僕が配役を決めて、彼(英二朗座長)が作る演目のときには彼が決めます。やっぱり、何か月も自分の好きじゃない役が続いたら、誰しもへこんでくると思うので(笑)。そんなバランスを考えながらやっています。
玉四郎座長いわく「みんながライバルで、みんなが協力者」。その日の主役の人を立てながら、それぞれの役に打ち込む。
――お芝居の演目は、全部で何本あるんでしょうか。
玉四郎 百本くらいはあると思います。まず、僕の父や母が、「昔こういう芝居があった」と知っているお芝居がたくさんあったので、そのお芝居を僕たちが演じられるように立ててもらって、上演してきました。また僕は僕なりに考えて、書き下ろしたお芝居もあります。また、彼(英二朗座長)は彼で、若い感性を生かしてお芝居を作っています。
ただ、昔したお芝居を今するときは、そのまんま演じるのではなくて、ちょっと演出を変えることも多いですね。今のお客さんだとこれは理解しづらいから変えようとか。昔は芝居の中でこういう曲を使ってたけど、今は絶対この曲のほうがお客さんは感動するし、自分らもこのほうがやりやすいとか。大衆演劇なので、お客様にわかりやすく、喜んでいただけるように、変化しながらですね。
――稽古は台本稽古ですか、それとも口立て稽古(※)でしょうか?
※口立て稽古……その芝居を立てる人が、口でおおまかな流れやポイントになる台詞を言い、他の演者はメモを取ったり、録音したりして覚える方法。旅回りの大衆演劇では、毎日演目が替わるため、スピードのある口立て稽古がよく使われる。
玉四郎 両方ですね。(英二朗座長に)最近は、新作もある程度、台本に書くよな?
英二朗 僕たちの場合は、台本のほうが時間を省けるんです。みんなバラバラに住んでますし、仕事もバラバラだし。その中で、この日にみんな集まって稽古するってなると、通し稽古しかできないっていう場合も。だから台本をみんなに配って、集まる日までにおのおので仕上げてるほうが、集まったときのお稽古がスムーズにいくんです。その方が良いものが出来上がります。
兄弟以外の出演者。上段左から(三代目座長から見て)祖母の丘美智子さん、母の丘奈々さん、叔父の副座長・山口京之介さん。下段左から叔母の丘小雪さん、いとこの丘たんぽぽさん、いとこの山口鯉太郎さん。(伯母の丘ひろみさん、三代目の妻の丘ゆりさんが出演することも)
■お勤めと舞台と
――皆さん、平日はお勤めしているんですよね。
英二朗 はい、僕は鉄鋼の仕事をやってます。
――月曜から金曜までは鉄鋼のお仕事があって、日曜に舞台があって、さらにその間で台本を書くとなると、相当ハードではないですか?
英二朗 そうですね、台本を書いてるときは、朝3時とか4時くらいまでかかることもあります。いっつも限界が来て、気絶して、テーブルに頭コンってぶつけて、ようやく寝ようって思って、3~4時間だけ寝て、朝起きて、仕事行って、残業して、また台本書いて…っていう感じのときもありました。
――睡眠3時間はキツそうです!
英二朗 (笑)。だから自分の中である程度セーブしながら、できる限りいいものが作れるようにしています。30年以上、やってますから。自分のリズムというか、ここまで来たらここまでできるという感覚があるので。それでうまいこと、強弱をつけながら生活してます。
――お勤めされながらこれだけの舞台を続けるというのは、もちろん舞台が好きというお気持ちもあると思うんですが、好きだけではない、もっと大きな意志を感じます。
英二朗 僕は、物心つく前からずっと舞台をやってますので、もう生活の一部です。ただただ、好き、楽しいっていうだけの感情ではないですね。うまく言葉で表せないですけど、自分自身の中では特別なもので、もう人生の一部です。
“物心つく前から”という三代目座長の言葉は、今は三代目の子どもたちの舞台姿に重なって見える。左から次女の丘すずさん、長男の二代目・山口桃太郎さん、長女の丘らんさん。
ほっこり癒された貼り紙。
■お客さんに喜んでいただくには?
――初代座長の教えで、『お客様を被害者にしてはいけない』という言葉があるそうですね。とても強い言葉だと思うのですが、どういう意味合いなのでしょう。
玉四郎 自分のやりたいことだけを舞台でやるような、自己満足の舞台では、見せられるお客さんはたまったもんじゃないという意味です。それは、お客さんを被害者にしているのと一緒だから。仮に、自分がそんなに乗り気でなかったり好きではないものであっても、お客様がそれを望んでるんだから、100%やって喜んでもらうことが、プロとしての、舞台役者としての道だと、父にずっと言われておりました。自分がやりたいものをやるだけだったら、誰でもできるので。今日も子どもさんが観に来てましたが、うちの場合は若い方から年配の方まで来ます。皆さんに、何が喜んでいただけるかということを毎回考えています。
――お客さんのニーズに応えるため、どんな工夫をされているのですか。
玉四郎 外部のイベントに出るときは、参加者の男性と女性の比率、何歳ぐらいの人か、どんな集まりなのかというのを、前もってリサーチさせていただきます。たとえば、ご当地の昔ながらの伝説や物語みたいなものがあれば、その内容を舞踊ショーのラスト舞踊にしたりします。そういうときは、こちらもヒヤヒヤものです。考えたものの、ウケるかな~どうかな~って。でもお客様が帰るときに、良かったよ、あれはどこそこの話だろう、うちの孫に「じいちゃんこの話知っとるよ、あれはな」って孫と話をしながら帰ったんや、そんなことを言うてもらうとね、やって良かったなと思います。
――今、リクエストボックスを設けられているのも、お客さんのご要望に応えるためなんですね。
玉四郎 最近ね、彼(英二朗座長)が考えたんです。
お客さんの要望を聞くためのリクエストボックス。
一席ずつ、リクエスト用紙と鉛筆が用意されている。
英二朗 お客さんの観たいものをご提供できずに、自分のしたいことだけじゃ自己満足になっちゃうんで。それは、芸の押し売りなので。うちは、ひと月通して同じ演目なのに、毎週来てくれるお客様もいるんですよ。だから、そういう方に同じものばっかり見せないように、僕の個人舞踊を毎週変えたりしているんです。その中で、お客様からリクエストのあった舞踊を踊っています。コロナが始まってから、送り出し(※)ができなくなって、お客さんの声がなかなか届かなくなったのもあります。
※送り出し…終演後、演者が劇場出口で観客を見送る、大衆演劇の習慣。ここで演者と観客が話をすることができたが、コロナ禍で中止に。
英二朗 僕、送り出し、大好きだったんです。でも今は「ありがとうございました」とすら言えないので、お客さんの声が聞きたいなと思って、リクエストボックスを始めました。観たいお芝居とか、好きな舞踊とか、リクエストがあったら何でも書いてくださいって。今日の舞台の感想も嬉しいですし、とにかくお客さんの声が聞きたいです。その中で、できるものがあればご提供したいなっていう感じで始めたんですけど、思った以上に、たくさんご要望を頂いてます。こちらが思っているのと違う、斜め上を行くようなリクエストもありました。
――どんなリクエストですか?
英二朗 年配のお客様が多いわりに、すごく若い曲のリクエストが多いんですよ。演歌よりも断然、J-POPとか、最近のアイドルの曲とか。こちらは先入観で、お年寄りが多いから演歌がいいかな?とか思っていたんですけど、リクエストボックスを始めなければ知らなかったことですね。でもJ-POPばっかりでも偏るし、演歌ばっかり繋げても演歌好きじゃない人は退屈かもしれないし、そこはバランス良く。一日の公演の中に、どの人にも楽しめる瞬間がある舞台をしたいと思っています。
J-POPの舞踊中、人懐っこい笑顔を見せる三代目座長。
ガラッと変わって股旅姿。舞台の表情がテンポ良く変わっていく。
■今年3月で閉じるはずが、「もう一年」
――今年(2021年)3月2日、玉四郎座長のブログに、コロナウイルスの影響を受けて『新道しるべ』での公演を終えられるというお知らせが出て、大変驚きました。が、3月12日のブログで、もうしばらく続けられることになったと。
玉四郎 そうなんです。この劇場は自分の持ち物じゃなくって、長年お借りしているところなんですよ。昨年は、コロナのために出るはずだったイベントもなくなり、お客さんもすごく減りました。それでも自分のとこだったら自分たちが辛抱すればいいって思いますけど、そうじゃないので、お家賃なり、払うべきものは払わなきゃいけませんから。頑張ってみたけど、今まで通りの条件だとこれ以上続けられない。ずっと続けたかったけどダメやなあと。みんなと相談して、3月公演を最後に、大家さんに場所をお返しするつもりでした。お客さんが急にびっくりしないように、早めにブログに出したんですけど、その後しばらくしたら、大家さんが「もういっぺんお話ししましょう」と言ってくれて。「うち、今はこれくらいしか無理なんです」と言ったら、「それで一年ということで」と。えええーっ?!となって、慌ててブログでまた訂正しました。なので、この一年間は劇団からお願いしている条件で貸していただいています。
――その先はまだわからないということですか?
玉四郎 はい、一年のお約束なので、来年の3月でまた終わる可能性もあります。もちろん南ファミリー劇団が無くなるわけではなくて、自分たちの本拠地として40年間やってきた場所が使えなくなるということです。ご依頼があってイベントに出たりとか、自分たちでどこか会場を借りたりとかは全然できるんですけどね。劇場を続けられるかどうか、来年のコロナの状況次第だと思います。
――コロナ禍で大衆演劇は大打撃を受けていますが、南ファミリー劇団も例外ではないのですね。
玉四郎 2020年2月の終わりぐらいから、外部イベントはゼロになりました。しかも、人の集まるところを避けなくちゃいけないので、ここに来るお客さんもみるみる減ってきました。これではダメだと思いましたが、僕らがダメだダメだと言っていてもいけないので、どういうことに気をつければいいのかを知って、公演のやり方を変えました。今までは、一テーブルに縦並びで6人座っていて、だいたい80名くらいのお客さんを入れていたんです。それを、お客さん同士の間隔を空けるために、テーブルを学校の教室みたいに横並びにして、片面だけにしました。定数も30人までで切らせていただいています。
隣同士はアクリル板で仕切られ、テーブル間も広く空いている。
劇場受付にもビニールカーテン。受付は、玉四郎座長の兄・南英雄(みなみ・ひでお)さんが担当している。英雄さんが電話対応もされており、取材申込時に大変お世話になった。
玉四郎 入り口での検温、消毒、換気、マスク着用。全部気をつけながらやっています。するとお客様も、この劇団はこんなに対策してくれるからと、安心して観に来てくれるようになりました。でも年配のお客様の中には、ご家族から止められているという方もいます。うちに電話がかかってくるんですよ。「私、観に行きたいんや、座長のところはちゃんと対策してると思うんやけど、うちの若い者が今はやめとけって言うんで、すいません、すいません」と。いや、謝られてもこっちも困るんやけど(笑)。「コロナが落ち着いたらぜひ来てください」と言うと、「みんな大きくなったやろ、毎月行ってたのに行けんから、楽しみが減っていかんわ」と。でも、家の人もやっぱり心配でしょうしね。
――「あと一年続けられる」と発表されたのと同時期に、南ファミリー劇団のSNS発信が一気に増えました。ツイッター、インスタグラム、ポコチャも始められました。(SNSリンクは記事末尾参照)
玉四郎 今まで来てくれていた年配のお客様が来れなくなっているので、まだ観たことがないという方のところを開拓していかないと。彼(英二朗座長)や奥さんが色々考えてくれて、発信してくれています。演じるのが時代劇なので、どうしてもお年寄りが見るイメージがあるかもしれないんですけど、実際観に来たら、えっ、自分が思ってたのと全然違う、こんなこともするんだ、楽しいやんって思ってくれる人もいます。
英二朗 うちの場合は40年間、ずっとこの場所で固定ですから、地元とか、近くの方は知ってくれていますが、離れたところになると知られていません。旅回りの大衆演劇を何十年も見ているっていう大衆演劇ファンの方でも、うちのことは知らなかったり。自分たちのほうからアピールしないと、全然知っていただけないままだと思って、発信し始めました。ツイッター、インスタ、公式ラインも作りました。うちはこんな劇団です、こんな事やってますって、写真を載せています。あとポコチャで配信を始めたら、ポコチャ経由で知ってくれて、観に来てくれる方が最近本当に増えました。
――それもみんな、ここでの公演が3月で終わらず、続いたからですね。
玉四郎 3月公演はお客さんが「これで最後なら」とたくさん予約をくれて、ありがたいなと思ったんですけど、実は続けれるようになりましたって、なんかその……(笑)。
英二朗 悪いことしたみたいな……全然そんなつもりないのに(笑)。
――いえいえ、ファンはめちゃくちゃ嬉しいはずです!(笑)
玉四郎 だから予約をくれたお客さんに全部連絡したんです。4月以降も続けられることになりました、お席はキャンセルできますんでって言ったら、「いやいや、こんなことでもなかったらもう腰が上がらんのやけど、せっかく予約したんでそのまま行きます」って言ってくれる人がほとんどでした。一年は続けられるんですって言ったら、電話の向こうで「良かったねえ~~!!」と言ってくれる人ばっかりでした。
――「さよなら公演」がさよならにならなくって、本当に良かったです。おかげ様で、今日の舞台に出会うことができました。
終幕。この日の出演者全員が舞台に揃う。送り出しがないので、客席と舞台が互いに手を振ってお別れ。
『新道しるべ』は爽やかさに満ちた空間だった。お客さんは出てくる役者の一人一人が大好きだし、役者のほうも来てくれるお客さんが大好きだ。舞台はお客さんの心を弾ませようと、真剣な工夫に満ちている。だから懐かしい一方で、とてもみずみずしい。下記の劇団SNSをぜひフォローしてみてほしい。
取材・写真・文=お萩
公演情報
■会場 芝居茶屋・新道しるべ
■住所 香川県仲多度郡まんのう町買田494 地図はこちら(googlemap)
南ファミリー劇団 10月公演
劇団Twitter https://twitter.com/_minamifamily_
劇団Instagram https://www.instagram.com/minamifamilytroupe/
扇子家玉四郎座長Twitter https://twitter.com/minamij0101
山口英二朗座長Twitter https://twitter.com/Momotaro1026
【ブログ】
扇子家玉四郎座長のブログ https://ameblo.jp/eijiro-y-1983/