大衆演劇の入り口から[其之四十三] 話題の兄弟にとことんインタビュー~藤川雷矢・藤川真矢と、芝居をめぐる長話
藤川雷矢(ふじかわ・らいや/左)・藤川真矢(ふじかわ・しんや/右)
芝居の上手さに感動した時。筆者の心に沸く称賛にはいくつか種類がある。(上手いなぁ)と胸中で静かにつぶやく時もあれば、(あの人、上手いね)と、隣席の友人とニッコリ顔を見合わせる時もある。
昨年(2020年)7月、立川けやき座(東京都)。劇団翔龍(当時)の藤川雷矢・真矢兄弟を初めて観た時は――
(上手いッッッ)
と豪快に「ッ」を差し込んで、膝を打った。
たっぷりしたヤマ上げと、腹の底から音を拾い上げるような台詞回し。古典的な技術を真正面から食らった時の絶対的な「快」が、観客の体に弾ける。若い役者さんでこんな芸風の人たちがいるのかと衝撃を受けた。
兄弟ともに古典の色が濃い。今年7月、浅草木馬館にて。
10歳差の兄弟。雷矢が1991年12月生まれ、真矢が2001年8月生まれ。
検索すると、「藤川劇団」の出身であることがわかった。二人はどんな役者人生を送ってきたのだろう? 聞かせていただいた29歳と20歳の人生には、関東の大衆演劇の歴史が詰まっていた。来年も要注目の、藤川兄弟のお話をじっくり。
※劇団翔龍(しょうりゅう)は2021年10月31日に解散を発表。二人は東京大衆演劇協会所属のフリーになった。「劇団美松(みまつ)」に長期出演中。
11月、茂美の湯(埼玉県)にてインタビュー。
■「藤川劇団」に生まれて
――二人とも、生まれた時は「藤川劇団」にいらしたのですね。
二人 はい!
雷矢 母親も、藤川正美(まさみ)という名前で役者をしていました。母は、僕自身の師匠でもある、藤川智昭(ともあき)という人の一番弟子でした。それから、師匠の二番弟子で僕たちの叔父さん、母親の弟にあたる藤川昭博(あきひろ)という役者がいました。この人が藤川劇団の二代目座長を継いでいたんです。この人は、ちょっと俺たちに似てるよな?(隣の真矢さんに)
真矢 うん。勢いのあるタイプで。
雷矢 かつ、ガタイが大きい役者だったんです。この家系なので(笑)。
雷矢は身長180センチ。弁慶の格好が抜群に似合う!
真矢は身長181センチ。スラッと伸びた手足が映える。
雷矢・真矢の母、藤川正美さん。(雷矢提供)
――お二人の初舞台は?
雷矢 僕は生まれてすぐ、抱き子として舞台に出ていたので、初舞台は0歳です。
真矢 僕も0歳です。楽屋で育ったので、舞台にもちょこちょこと出ていました。
――雷矢さんはたっぷりした古典寄りの芸風ですが、師匠の藤川智昭さんゆずりなのでしょうか。
雷矢 いえ、うちの師匠と僕とは、芸風は正反対ですね。師匠はどっちかと言うと二枚目路線だったんです。お芝居でも若旦那役とかが似合う、そういうタイプの役者さんが藤川智昭なんです。だから僕のこの芸風は、自分で築いたとしか言いようがないんですよ。色んな古典的なものを見たり、昔のドラマや映画を引っ張り出して勉強したりして。それから、他の役者さんたちを見て、あ、この人のこの台詞は良いなあ、こういう喋り方は良いなっていうのを吸収したのが藤川雷矢なんです。なので、これが主(しゅ)と言えるものはなく、吸収型ですね。
――雷矢さんが中学生、真矢さんが4歳の時、藤川劇団は解散を迎えます。
雷矢 当時の僕は子どもだったので、あまりその時には実感が無かったですね。いざ、みんなが離れ離れになって、ああ、本当に解散したんだなって思いました。叔父さんは違う劇団に行くことになったんですが、その時点では、母親と僕と真矢は、一家揃って役者をやめようという話になっていました。
■学校に行きながらも舞台が大好き
――でも、雷矢さんは解散後も役者をやめなかったんですね。
雷矢 そもそも役者という仕事が好きだったので、とにかく舞台に出たいなっていう気持ちが強かったんです。「鹿島順一劇団」の鹿島虎順(こじゅん ※)と僕は同い年で、すごく仲が良かったので、当初は虎順と同じ劇団に行きたいと思っていました。不幸で、虎順はもう亡くなってしまったんですけど。
※鹿島虎順:三代目・鹿島順一座長の以前の名前。三代目は2018年に26歳で早逝し、多くのファンに惜しまれた。
――三代目と雷矢さんとは、意外な友達繋がりです。でも、二人とも古風な魅力で相性が良さそうです。
雷矢 相性は良かったと思います。泊まりに行った時とか、朝になるまで、二人でずっと芝居について喋ってましたね。中学校が夏休みに入って、鹿島順一劇団の乗っていたみかわ温泉(愛知県)に一か月行かせていただくことになっていたんです。でも母親から連絡があって、関東の組合の会長から、「夏休みの期間は『劇団翔龍』に、ちゃちゃ丸を貸してくれないか」と言われたと。あ、当時、僕はちゃちゃ丸って名前だったんです。
――のち、雷矢さんは劇団翔龍の副座長になります。それを考えると運命的な連絡でしたね。
雷矢 この時に運命が違っていれば、僕は関東の組合にいない人間だったかもしれませんよね(笑)。それで夏休み一か月間、翔龍さんに出させてもらいました。そこから翔龍さんとのご縁が生まれまして。平日は学校がありますけど、金曜日になると荷物をまとめて、電車に乗って、土日や祝日に舞台に出るようになりました。川越湯遊ランド(埼玉県)は、当時からよく行ってましたね。僕はあまりにも舞台に出たすぎて、日曜日の公演が終わっても、家に帰りたくなくて。大人に内緒でホテル三光の部屋を取って、次の日になったら学校行かずに舞台に出られる、翌日になっちまえばこっちのもんだと思ってたんですけど(笑)。春川ふじお座長に見つかって、「お前帰らなきゃダメだよ、それは」と(笑)。で、ようやく帰って学校に行くっていうのを繰り返してました。中学校を卒業してからは、一週間経たずに翔龍さんの公演していた青森に行きました。青森空港まで、ふじお座長が迎えに来てくれて、その日の夜の部から公演に出ました。それから14年間、ずっと劇団翔龍でした。
雷矢の舞台への強い思いは、大人になっても同様。
昨年10月、ショーの『一本刀土俵入り』。駒形茂兵衛の鋭さが際立つ。
――真矢さんは、中学卒業までどんな生活をされていたんですか。
真矢 僕は一般の生活をしていました。でも時々、知り合いの劇団さんにところに遊びに行くと、その拍子で「舞台出ちゃえばいいじゃん」って言われて、何度か出させていただいたことはありますね。でも、中学校時代はちゃんと学校に行ってました。
雷矢 僕より真面目ですから(笑)。
劇団美松ラストショー『田原坂』での真矢。凛々しい眼差し。
溌剌とした笑顔も魅力!
――長く大衆演劇界で活躍された、故・大門力也(だいもん・りきや)さんのお連れ合い、大門良美さんのブログに、お二人が子どもの頃の貴重な写真が載っています。
小学生時代の雷矢。(大門良美さん提供)
少年時代の真矢。自宅で舞台道具を作っていたそう。(大門良美さん提供)
――真矢さんの写真に写っている千両箱。なんでも、舞台道具を自宅で手作りしておられたと。
真矢 うちのおじいちゃんが、藤川劇団時代から舞台道具を作っていたんですよ。舞台で使う包丁、鳶口、竹槍、千両箱とか。その様子を僕はちっちゃい時から見ていたので、自分で作ったら楽しいだろうなというのがきっかけでした。絵を描くのも好きでしたね。たとえば芝居の背景の川町(かわまち)とか、野面(のづら)を頭にインプットして、ちっちゃい紙に描いてました。美術系の科目は、中学校3年間、オール5でした。でもその時は、舞台は大好きだったんですけど、どちらかというと舞台道具を作るのが好きで、役者になろうって気持ちじゃなかったんです。将来は篠原演劇企画さんに入ろうかなって思ってたくらいです。
雷矢 僕、組合の方から言われましたもん。「弟くん、卒業したら、Hot family(※)に入るように言ってくれる?」って。あいつそっちになるの?!って(笑)。
※Hot family:篠原演劇企画のスタッフチームの名称。大道具制作の技術力で知られる。
真矢 他にも、警察官になるか、役者になるかみたいな迷いもありました。僕は剣道を中学から始めたんですけど、当時日本一だった神奈川県で、県大会に行っちゃって。色んな強豪校からスポーツ推薦のスカウトがあったんです。良かったらうちに来てくださいねって。なので、役者をやらないでこのまま剣道をやって、警察官になって、安定な暮らしも良いかなっていう気持ちもありました。でも、やっぱりよくよく考えると役者がやりたい。まして僕の場合、4歳の時に一度役者を辞めてるので、舞台の楽しさをちゃんと理解しないまま終わってるんですよ。それをちゃんと知りたかったし、自分がどこまでできるのかっていうことにも挑戦したくて、役者を選びました。
――15歳で劇団翔龍に入られて、念願の役者になられました。実際の役者生活は、思い描いていた通りでしたか?
真矢 えーと…言ってしまうと、僕はもともと兄弟で舞台に出たくなかったんです。
――え!
真矢 なんでかって言うと、比べられるから。弟はこれができるのに兄貴がこうで、兄貴はこれできるのに弟はこうだねとか。多分、一緒の舞台に立つのはお互いに嫌だったと思います(笑)。
雷矢 そういうのもあって、この子が中学を出てから劇団翔龍に入るまで、2~3か月ぐらい間が空きました。ただ、僕自身の弟子という形にしないと、この子に教えて欲しくないものを教えられる時もあるんです。僕の弟子であれば、僕が口を出せるじゃないですか。でも真矢には、他の座員さんの10倍はグチグチ言ってきましたね。極端な話、箸がこけただけでもっていう勢いでした。
――教えを受け取る真矢さん側からも、厳しいなって感じられましたか?
真矢 そうですね。他の人はみんなそこまで言われてないのに、なんで僕はこんなに言われなきゃいけないんだ…みたいな(笑)。でも逆に、僕の場合はオフの時間があるので。他の人は血縁関係がないので、24時間ずっと弟子状態なんですよ。でも僕の場合は、家に帰れば元の兄弟なんです。
雷矢 (うなずいて)そうだな。帰ったら、僕が逆にこいつの洗濯回したりしてましたから(笑)。楽屋にいれば師弟なので、「おい、真矢」「はい」って感じですけど、部屋に帰ったら、逆に僕が「おい」って言われます(笑)。そこらへんの緩急のおかげで、なおさら上手くいってるのかな。
雷矢の女形。独特の湿度が舞台を包む。
真矢の女形。あどけない愛らしさが光る。
――師弟⇔兄弟の切り替えって、ルールとして決まっているんでしょうか。たとえば家を一歩出たら、とか。
雷矢 いや、もう自動的に変わります。そうじゃないといけないんです。(真矢に)これだけはこんこんと言ったもんな。俺がずっと一人で守ってきた藤川っていうものを、お前がつぶしてくれるなよと。
真矢 うん。
雷矢 お前も藤川を名乗るんだったら、そこらへんはしっかりしろよと。本当にちょっとしたしくじりとかでも、藤川の名は剥奪するからね、くらいのプレッシャーを与えてたんですよ。だからと言って真矢が怒られてるところも、兄として周りに見せたくないし、見られたくないじゃないですか。だから入った当初は、この子のために朝7時ぐらいに起きて、楽屋入りして、誰もいない時に舞台でこいつに稽古をしていました。その方が、真矢が舞台にポンと出た時に、なんであそこまでできるんだろうって思われて、この子の株も上がるじゃないですか。それは2~3か月、続けてました。
――「藤川を守る」というのは、雷矢さんにとって肝心要のことなんですね。
雷矢 藤川劇団のメンバーはみんな役者を辞めていったので、僕一人で、藤川のブランドを守ってきたつもりです。他にも真矢には、「俺に怒られた時は、自分じゃなくて他の人が失敗したんであっても、その場では素直にすいませんって言っとけ」とも言いました。その場を見てる人たちから、「真矢くんがやったんじゃないのに真矢くん謝ってる、偉いな」って思ってもらえますから。で、後になって僕のところに「さっきの自分じゃないよ」って言いに来たら、その時は僕が「すいません」って謝ってやるからって。でも歳が10も違えば、能力も変わってくるので、この子の吸収力は良かったです。僕と一緒で負けず嫌いですしね。
大門力也さんと真矢。(大門良美さん提供)
雷矢 大じいと、ねえね(大門良美さん)は、藤川劇団が関東にいる時はずっと一緒に回っていたんです。大じいは大先輩であり、すごく可愛がってくれるお兄さんであり、自分が悪いことした時は怒ってくれる怖いおじさんでもありました。大じいは本当に偉大でしたね。芝居ができるだけじゃなく、人に教えるのも上手い人だったんです。唯一、聞いたら何でも答えてくれるし、聞かなくても教えてくれるっていうのが大じいでした。
――大門さんが立てられたお芝居は、大衆演劇の世界にたくさん残っています。
雷矢 山ほどあります。大じいとねえねに教えてもらったお芝居で、まだ誰の目にも触れてないお芝居が一本あるんですよ。この何十年も。ずっと温存しているので、このお芝居はいざという時、真矢と一緒にやろうと思っています。
■雷矢に聞いてみたかったこと
雷矢の2020年10月12日のツイート。当時、かなり拡散されたので、見覚えがある方も多いのでは。
――昨年10月、雷矢さんは大衆演劇ファンに呼びかける形で、「芝居に対しての熱量を少しだけ上げていただければ嬉しい」というツイートをされました。すごく大きな反響があったと思います。
雷矢 そうですね、ありがたいことに。
――どういう思いがあの言葉に繋がったのでしょう?
雷矢 ずーーっと思ってたんです。翔龍さんに入って役者に戻ってから、ずっと。送り出しでお客さんとお話していても、やっぱり順番的にお芝居の後が舞踊ショーなので、お芝居の印象が薄れて、舞踊ショーの話をしていただくことが多かったです。SNS が確立されてから色々見させてもらっても、この踊り良かったね、綺麗だったねとか。芝居の話が無いなー…って寂しくなってしまうところが大きくて(笑)。もちろんお客様の自由ですし、本当に自分の独りよがりなんですけど。去年、僕がツイートしたのは、きっかけがあったんです。観に来て下さっていたお客様で、芝居中に携帯を見たりして、観て欲しい場面を観て下さっていない方たちがいて。当然、必要な連絡とかもあると思います。でも徐々に、徐々に、心が寂しくなってきて。いや、僕たちみんな、芝居で努力してますよ。皆さんに観ていただきたいから、努力してるんですよ。台詞もみんな必死に覚えてますよって。たとえ1%でも2%でもいいので、大衆演劇は芝居だよねって思ってくれる人が増えてくれればいいかなと思って、投稿しました。
――役者さんたちに取材する中で、もちろん皆さん、ショーにも力を入れられていますが、芝居命!という方の多さに驚きます。
雷矢 やっぱり芝居好きな人が多いんですよ。特に平成3年生まれ。僕もそうですけど、この年に生まれた役者は多いんです(笑)。龍新座長(劇団新)、荒城勘太郎座長(劇団荒城)、橘龍丸くん(元・橘小竜丸劇団座長)。美松さんでも、松川小祐司座長も大和歩夢副座長も同級生です。それから、亡くなってしまった虎順くんもそうです。
――言われてみたら多い…! 豊作の年ですね。
雷矢 みんな、芝居が好きです。劇団翔龍にいた頃、劇団の若い子たちに言ってたのが、舞踊で肩出してキャーキャーピーピー言われて、お前50歳になってもやるのかそれ、と。芝居が身に付いていれば、いずれ評価してもらえるので。
――大衆演劇ファンも、お芝居好きな人が多いと思います。ただ、芝居の感想を言葉にするのって難しいんですよね。
雷矢 それもわかるんです。でも「今日のお芝居良かった」とかだけでも、十分ありがたいです。ましてや、送り出しでちょっとしたお話すらできないご時世なので、今、芝居でやってることは正しいのかなって、気持ちを維持するのが大変なんですよね。だからなおさら、芝居の感想は嬉しいし、本当に助かります。
演歌や渋めの曲がぴったりハマる。
洋舞だと一気に華やかな印象に。
■真矢に聞いてみたかったこと
――真矢さんはいつも元気!という印象があります。群舞でもひときわエネルギッシュに動いておられるので、自然と目が行きます。その元気さはどこから来るのでしょう?
真矢 僕は、別に目立ちたがり屋ではないんです(笑)。でも、僕も一時期観ていた側だったので、お客様がどんな気持ちで観てくれてるのかなって考えるんです。送り出しでお話ができた頃、お客様からよく言っていただけていたのが「パワーもらえた、ありがとう」って言葉です。やっぱり高齢のお客様も多いじゃないですか。足が悪いという方もいます。自分が自由自在に動けないからこそ、舞台の役者を見て楽しいって思ってくれる人が、本当に多くて。だから、舞台で自分がどれだけ汗かこうが、ケガしない程度に全力投球でやろうと。そのほうが、自分自身も達成感があるんですよ。
いつも全力!な様がファンを惹きつける。
面を使った舞踊も得意。
――毎公演の個人舞踊もバラエティー豊かです。
真矢 ありがたいことに、美松さんでは毎回、個人舞踊を踊らせていただいてます。個人を踊らせていただくのは、当たり前じゃないので。できるから任されてるっていう思いがあって、やっています。その中でも、今日はこんな感じに踊ろうって緩急をつけています。虫入りの鬘を被って、後見さん達が踊るような渋めの曲も踊るし、ギャンギャン系というか若い曲やって、肩出したりもしますし(笑)。でもとりあえず、若いんだったら元気にやろうというのは心掛けてます。
雷矢 とても良いと思います(笑)。
真矢 さっきの「50歳になってもやるか?」っていうのはもっともなので、渋い曲も踊ります。ただ、今の自分は思ってる通りに踊れるかな、お客様が観ていておかしいと思わないかなって。自分の力量を信じられてないわけではないんですけど、迷いもあります。でも、そういう踊りでも「良かったよ」って言っていただけたりするのは、お芝居をちゃんと考えてきたからだと思うんですよ。お芝居ができれば舞踊もついてくる、っていうのを(兄から)言われ続けてきたので。
――真矢さんは本当にまっすぐ生きていらっしゃる20歳だと思います。知人で、今年8月のよしかわ天然温泉ゆあみ(埼玉県)公演で、センターの支配人が舞台で話している時、真矢さんがすごく一生懸命に話を聞いていて、その姿に「なんていい子なんだろう」と感動して、その月の真矢さんの誕生日公演に行ったという方がいました。
真矢 ありがとうございます(笑)。僕は、小さい時からなんか前に立たされる人間だったんですよね。小学校の時もリーダーにされがちだったり。中学校でも剣道部の部長でした。だからなのか、正義感とか責任感が強い時があるんですよ。人の話をちゃんと聞く、かつ目を見る、そういうのは基本的なことだと思ってます。
――この1年の美松さんの公演では、誕生日公演や「真矢祭り」などのイベントがありました。舞台に対する意識は変わりましたか。
真矢 すごく変わりましたね。自分がメインでやらせていただく日があるからには、大入りにしたいっていう気持ちがあります。自分の力量でお客様を呼ぶには、毎日の公演の中で自分を見てもらって、「この子の祭りだから行ってあげよう」って思ってもらえるように。手を抜くっていうのは絶対ありえないと思うんですけど、気を抜いちゃうようなことも、なるべくないようにしています。芝居もどんな役でも頑張って、「この子が芯になったお芝居を見てみたいな」って、思ってもらえるように。以前、送り出しで言われて嬉しかったのは、「子分の役でも気を抜いてないね」ってことです。目線もちゃんと使って、良いねって。見てくれている人は本当に見てくれてて、嬉しいなって思いました。そういう普段の自分を思って、お客様がどれだけ来てくれるかですから。
■お芝居を守る人、作る人
――雷矢さんは時々、自分のイベントの日に『妻恋道中』『人生吹き溜まり』など、藤川劇団でやっていたお芝居を出されています。藤川の芝居は、現在ではもう雷矢さんお一人しか、舞台に出せる人がいないのでしょうか?
雷矢 今のところは、僕しか出せないと思います。今年の中頃にも、他の劇団の座長さんから連絡をもらって、「藤川でやっていたあのお芝居をやりたいんですけど、稽古を送ってもらえませんか」って言われました。
――「稽古を送る」?
雷矢 LINEって、今は録音ができるじゃないですか。なのでお芝居一本分の台詞を、ずーっと一人で喋って送りました。
――送り方がすごすぎます…!
雷矢 その方法と、昔ながらのテープに録音する方法があります。テープに録音するほうが楽なんですよ。巻き戻ししたらまた録音できるじゃないですか。LINEのやつは、一回しくじると、また一から録りなおさなきゃいけないんで。この文明の栄えた世の中なので、もうちょっといい方法があったらなと思うんですけど(笑)。
今年11月14日の雷矢祭り。
――昨年10月の篠原演芸場(東京都)の「雷矢祭り」で上演された、『人生吹き溜まり』は特に印象的でした。たとえばお囃子の音が聞こえた場面で、雷矢さん演じる兄役の体がなんとなく音に合わせて動いてしまう。そういう細かいところにリアリティが積まれていました。
雷矢 あれは、元の形に僕が勝手に足したものです。人間の心理的に、楽しい思い出とか、心弾んだ記憶を連想するじゃないですか。だから、あそこはちょっと体が動き出すかなーって。『人生吹き溜まり』は、2年前、劇団翔龍での最後の誕生日公演でやりました。その頃、真矢が台詞もちゃんと喋れるようになって、こいつがいるから一緒にやろうと思ったんです。真矢のやる弟役が肝心なので。藤川の芝居で、やりたいものは山ほどあるんですけど、その役にハマる人がなかなかいません。僕は、ハマる役者がいるっていうことが大事だと思うんです。一番好きな芝居『赤い夕日の子守唄』も、役者の条件が難しいので、舞台にかけたことは全然ないですね。
――真矢さんは5月にツイッターで、津山事件(※)のお芝居を書きたいと投稿されていましたね。
※津山事件:1938年に現在の岡山県津山市で起きた大量殺人事件。津山三十人殺しとも呼ばれ、様々なフィクションのモチーフになっている。
真矢 まだ自分でお芝居を立てたことはないんですけど、書きたいなって思ってます。津山三十人殺しそのものというより、それを元にしたエピソードを作りたいですね。どうして一人の青年が事件を起こすに至ったのか。僕は古典的なお芝居も好きなんですけど、人間の心のリアルなお芝居も好きです。小祐司座長はお芝居をたくさん作られているので、色々お話を聞かせてもらっています。僕は今までのお芝居も大事にしたいのはもちろんですけど、新しいお芝居も作りたいなって思っています。僕が死んだ後でも、これは藤川真矢さんっていう人が作ったんだよって、言ってもらえるようなお芝居を。
「今、書きたい芝居の資料を集めたり、誰にも見せてないんですけどアイディアを書き出したりもしているんです」と話してくれた真矢さん。
――雷矢さんは新作を作ることもあるのでしょうか。
雷矢 僕は、そっちに関してはからっきしなんです。僕自身は新しい芝居を試みるよりも、昔からある男くさい芝居、悲劇、剣劇、色んなジャンルの芝居を守れる立場の人でありたいなと。小祐司座長と喋ってる時、冗談で「らいらいは大衆演劇の芝居保存会会長だもんね」とか言われるんですけど(笑)。昔からあるお芝居は、現代っぽく崩して、わかりやすく演じるやり方もあります。でも、そこはお客様にわかりづらくしてていいんだよっていう所もあるんです。わかりやすくしすぎると、なんか物足りないね、味気ないねって感じられるお客様もいるので。昔からの芝居を守れる立場であり続けたいなと。
「歳を取ってからは、若い役者さんにこういう見せ方のほうがいいよって、教えてあげられる人でありたい」と話してくれた雷矢さん。
――今年8月15日には、真矢さん20歳の誕生日公演がありました。お芝居『松井田喜蔵という男』(※)は、どちらのチョイスだったんですか?
真矢 (雷矢さんを指して)こちらです(笑)。
※『松井田喜蔵という男』:国定忠治の若い衆で、今は堅気となった喜蔵は、捕われの身の忠治を助けるために一計を案じる。『忠治唐丸破り』という題で演じられることも。
真矢 「誕生日公演、やりたいのあるのか?俺、あれ立ててやるけどやるか?」「はい」って。でも、あのお芝居はプレッシャーだったんですよ、僕。昔から応援して下さってるお客様が大好きなお芝居なんです。その方から、「喜蔵の役だけは雷矢にやって欲しい」って言われていたので。でも自分がやれるところまで最高点を出して頑張れば、評価してくれるだろうと。それに「あ、兄弟なんだな」って思うのが、芝居で喋るテンポが、たまにわかってしまう時があるんですよ。ここでこの台詞を言うんだろうなと思ったら、本当に言ったり。でもこの『忠治唐丸破り』は、本当にいきなりデカイ壁が来ました。
雷矢 真矢はだいぶ苦しんでました。難しい台詞がめちゃくちゃ多いので。稽古の時も、美松さんのメンバーに楽屋に集まってもらって、僕を中央に置いていただいて稽古したんですけど、台詞を聞きながら、みんなの顔がだんだん引きつっていくんです(笑)。
――本番を拝見しましたが、台詞も役としても、すごく難しいと思いました。
雷矢 本当によくやったと思います。20歳っていう節目ですし、僕は師匠でもあり、お兄ちゃんなので、やらしてあげたいっていう気持ちで選びました。
8月15日、真矢の誕生日公演は、芸への真剣な思いに満ちていた。
当日は雷矢から真矢へ、着物の贈り物があった。
――忠治唐丸破りのエピソードは、色々な劇団さんでお芝居になっていますが、『松井田喜蔵という男』は、非常にまとまりが良くて見やすい印象でした。
雷矢 もともとは、劇団翔龍で山口覚(やまぐち・さとる)さんに教えていただいたお芝居です。「雷矢副座長にあげたものだから、自分の好きなようにやっていいよ」っておっしゃってくれて。そこから、僕が自分なりに変えさせてもらっています。たとえば、やり方によっては喜蔵が役人の設定になっていることもあります。でも僕の考えでは、役人に敵対する立場になる喜蔵が役人だと余計にややこしいし、お客様に要らない情報なんじゃないかなって。だったら、質屋の方がいいんじゃないか。あと、喜蔵が一人で名乗りを大きく上げる場面が、僕は一番の見せ場かなと思うんですよね。一家や親分に対しての思いが、そこで伝わるかなと。その場面が引き立って見えるようにして、喜蔵の思いがメインなんですよっていう風にしています。
――名乗りに、物語を収斂させることで、他を削ぎ落としていくということ。
雷矢 そうです。どこか1箇所、2箇所の要点を上げてあげれば、他を下げられるんです。
――「スッキリしているけどちゃんと古風」。そういう印象になるのは、雷矢さんの整理方法のためなのかと思います。
雷矢 最後、喜蔵が立ったまま幕が閉まりますけど、あそこは目をガン開きのままじゃなきゃ、ダメなんですよ。僕は、最後で死にきっちゃうのが嫌いなんです。主人公が崩れていって、バタンって倒れて、幕っていうパターンがよくあるじゃないですか。僕は、このバタンになる前に幕を閉めてほしいんです。「もしかしたら死なないかもしれない」っていう期待感も、お客様に与えたい。「この後どうなるんだろうね」っていうのを、お客様それぞれに考えていただくのも好きです。だから絶対に、喜蔵は死なないで、立って、真正面を睨みつけるやり方が良いかなと。
――昔からのお客様は、真矢さんの喜蔵役に満足して下さったのでしょうか。
真矢 満足してくれました! 泣いちゃったよ、って言ってくれました。
ずらり並ぶファンからのケーキ。兄弟の舞台を支えてきた人がたくさんいる。
■いずれは一から劇団を
――2021年10月31日、劇団翔龍の解散が発表され、二人は東京大衆演劇協会所属のフリーという立場になられました。
雷矢 はい。僕たちが出演させていただく時は特別出演という形になり、どこかの劇団さんに入ることはありません。
――雷矢さん・真矢さんそれぞれ、「近いうちに達成したい今後の目標」と「長い目で見た夢」を教えてください。
雷矢 (真矢に)近い目標のほうから、どうぞ。
真矢 (長考して)若手って、いつの時代でもいっぱいいるんですけど、今年9月に初めて、柏健康センター(千葉県)での若手大会に出させていただいたんですよ。それで思ったのが、自分の力を試したいって。他の若手さんたちと比べて、自分はどこのレベルにいるのか、見極めたい。そして、この子が若手大会に出るのは当たり前じゃない?って評価していただけるレベルの役者になりたいですね。
雷矢 その若手の中に俺は含まれるの?
真矢 含まれない。30歳になっちゃうと中堅だから。
雷矢 まだ29歳だよ。
真矢 あと一か月で30だから(笑)。なので、関東の若手で筆頭といえばこの人って言われるような存在になりたいです。
雷矢 (真矢に)知名度を上げたいよね。自分たちの名前を知ってくれている人を増やしていきたい。
真矢 (うなずいて)ああ、それはそうだね。
――では、雷矢さんの近い目標は?
雷矢 僕は、もっと芝居が上手くなりたいです。自分で納得できるまで、スキルアップしたい。芝居に関しては貪欲なんです。皆さんに今日のお芝居上手かったねって言っていただけるとすごく嬉しいんですけど、その反面で、いや、もっとできるって思っちゃうんです。まだこんなもんじゃないですよ、僕はもっと頑張れますよって。納得しきってない自分がいる。なんかすみません、芝居に対しては、むつこいぐらいになっちゃって(笑)。
――いえ、仲の良い役者さんともお芝居の話をよくされているのでしょうか。
雷矢 お芝居のことを喋り始めると全然終わらないです。たとえば劇団炎舞さんにゲストに行かせていただいた時は、橘炎鷹座長と、自分はここをこうヤマ上げしたいとか、こっちのパターンもありますよね、みたいな話が一晩中続いて、朝の8時半まで芝居の話をしていたことがあります(笑)。それから三ツ矢洋次郎座長(劇団三ツ矢)とも仲良くしてもらっていて、お互いに古典的なものが好きですね。あと橘鈴丸座長(橘小竜丸劇団)とは、舞台のことに関しては対照的で、なんで仲良いの?ってよく言われるんですけど、スイーツ友達というか(笑)。最近、外で仲良くしてもらっているのは今挙げた3人ですかね。
――それでは、長い目で見た夢のほうを教えてください。
真矢 僕の夢は、看板役者になるっていうのは大前提なんですけど…。やっぱり僕は、ちっちゃい時から、本当に良い人たちに育てられたなってつくづく思っています。大じいもいてくれたし、望月京太郎さんと香月千鶴さんという方々も、本当にずっとそばにいてくれた、偉大な存在です。その人たちはずっと役者を務めてから、亡くなりました。大じいは死ぬ時まで役者でした。死んでも、役者。魂になっても役者。っていうのは、本当に僕の憧れです。死ぬまで役者をやりたいです。僕が死んだ時に「あの役者、惜しい人だったね」って言われて、憧れられるぐらいの役者になりたいです。
雷矢 良い夢ですね~。
大門力也さん。(雷矢提供)
望月京太郎さん(手前)・香月千鶴さん(奥)。(雷矢提供)
雷矢 僕の夢は、第一段階としてはやはり自分の劇団を持つことです。
――それは、藤川劇団を復活させるということではなく?
雷矢 藤川を核とした劇団ですが、藤川劇団を引き継ぎはせず、自分が一からという形でやります。藤川っていう劇団にするかどうかは、その時にならなければわからないですけど。その中の柱の一つに、真矢がいたら良いなと。僕たちは兄弟っていうことに加えて、師弟の関係があることで上手くいってると思います。この関係だけは崩さずにいきたい。そして当然のことではあるんですが、お客様がたくさん入る劇団にしたいです。メンバーがバリエーション豊かで、バランスが良くて、お客様が観ていて安心感がある、そういう劇団です。欲を言えば、自分の率いる劇団がどこかの施設に乗ったら、その周りの施設が困るくらいの。本当に、それぐらいの劇団を作りたい。それが夢です。
長身の兄弟の、全身からこぼれる“舞台好き”。そこには、亡くなった人や今は舞台を降りた人が、二人に託したものがきらめいている。舞台のほうも、きっとこの兄弟を好きだ。12月は大島劇場(神奈川県)、来年1月は篠原演芸場(東京都)で二人に出会うことができる。
取材・文・写真(提供写真を除く)=お萩