演劇集団円公演『ピローマン』──俳優・石住昭彦と渡辺穣に聞く

インタビュー
舞台
2022.3.15
演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)左から、渡辺穣、石住昭彦。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)左から、渡辺穣、石住昭彦。


演劇集団円は、2022年3月17日(木)〜21日(月・祝)に俳優座劇場(東京・六本木)にて『ピローマン』(作:マーティン・マクドナー 翻訳:小川絵梨子)を上演する。演出は、寺十吾(じつなしさとる)。

連続児童殺害事件の重要参考人として取調べを受ける作家のカトゥリアンは、幼少期から奇妙な物語を創作していた。始まりは童話のようだが、物語は決まって理不尽で暴力的な世界に変質していく。そのなかに秘められた真実とは何か。アリエル刑事を演じる石住昭彦とカトゥリアンを演じる渡辺穣に話を聞いた。

 

■〈リーナン3部作〉から『ピローマン』への挑戦

──演劇集団円でマーティン・マクドナーの作品を上演するのは、『ピローマン』で4作目になります。これまでに上演された3作と比べて、『ピローマン』にはどんな特色がありますか。

石住 前の3作のうちの『ロンサム・ウエスト』(2006年)と『コネマラの骸骨』(2009年)は主役で出ているので、マクドナーの〈リーナン3部作〉というアイルランドの小さな村リーナンを舞台にしたものについては、よくわかっていたんです。でも、『ピローマン』の舞台は、マクドナーとしても初めてアイルランド以外を舞台にして、ロンドンで上演したものなので、作家としての自分の位置とか、外でどう見られているかとか、そういった要素も入っている。だから、これまでの作品とは毛色がちがうと思いました。

 まず、大きな世界観がある。〈リーナン3部作〉のように、狭い村のなかで起きる出来事ではなく、架空の全体主義国家で起きる事件になっていて、暴力についても、閉鎖された村社会による暴力ではなく、ものすごく権力のある組織から虐げられるといったように、枠が広がった気がします。どうしても暴力に注目してしまうんですが、作家としては暴力そのものの視点が変わった印象を受けました。

渡辺 これまでうちの集団で3作上演されてきて、それをずっと客席から羨ましいなと思って、見ていました。作品としての面白さと、登場人物として舞台に立っている石住さんをはじめとする仲間が素敵だなと思って。俳優としても、とてもやりがいのある作品だと思って見ていました。

 今回、ついに自分もマクドナーに関われると思って台本を読んだところ、あまりの壮絶な話であることと、自分がカトゥリアンという主役をやることで、喜びというよりは、プレッシャーとか、怖しさを感じています。カトゥリアンの怖しさと、自分が立ち向かっていかなければいけないことの怖しさの両方を感じているというのが、正直なところです。

──円で上演された〈リーナン3部作〉で、素敵だなと思われたのはどんなところですか。

渡辺 ぼくは上演されたものを見ていて、たぶん、台本を読んだときに、登場人物たちの表面的に見えるところよりも、もっと裏側の部分がうまく捉えられている作品になっていたと思いました。人間臭さというか、きれいなことばかりではない部分や、剥き出しの人間模様みたいなものが伝わってきた。そこが素敵だなと感じていました。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)のチラシ。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)のチラシ。

 

■取調室での息詰まる攻防

──マクドナー作品は、人間心理の裏面を容赦なく抉(えぐ)っていきます。『ピローマン』は屠場の清掃係として働き、創作活動もおこなっているカトゥリアンが主人公で、知的障碍のある兄とふたりで暮らしています。舞台は主に警察の取調室で展開し、石住さんが演じるアリエルと上司のトゥポルスキーというふたりの刑事によって、連続児童殺害事件の重要参考人であるカトゥリアンに尋問がおこなわれます。アリエルの視点から見ると、カトゥリアンにはどのように接していくんでしょうか。

石住 キャスティングを任されていたので、最初は自分をトゥポルスキーの役にしていたんです。ところが、当初予定していた昨年の稽古初日にアリエルと入れ替わった。突然だったし、これまでトゥポルスキーの視点で見ていたし、台詞も莫大にありますから、自分の置きどころがよくわからないまま、役作りが端から順番に詰めていく感じになってしまった。だから、公演延期によって生まれた10カ月は、ある意味では、ぼくにとってはよかったんです。

 アリエルがカトゥリアンをどう見ているかについては、最初は仕事として、取調べの役割分担として尋問している。ただ、カトゥリアンから引き出される内容によって、アリエルが持っている子供に対する思いを逆撫でして、怒りとか憎しみの感情に変わっていく。取調べが進んでいくにつれて、自分の過去を吐露することにもなり、ある種の共通項やつながりが見えてくるとは思うんです。

──ふたりには共通する部分もありますね。

石住 だから、アリエルとカトゥリアンはおたがいに影響を受けて変わっていく。一方的に変わる側、変わられる側ではなく、おたがいに変化していくところが面白いですよね。

──では、アリエルに尋問されて、自分のなかにある忌まわしい記憶を引き出されることになるカトゥリアンですが、稽古していて、どんな感じですか。

渡辺 延期前の稽古のとき、演出家の寺十(じつなし)さんから、「カトゥリアンは人生で味わいうるすべての絶望を、この3時間のなかで味わう人間なので、それをどこかで俳優として追体験してほしい」と言われました。もちろん、アリエルだけでなく、トゥポルスキーからもあの手この手で揺さぶられていくわけですけれど、お芝居と割り切れない苦しさがあります。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)稽古場風景。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)稽古場風景。


 

■心の暗部を見つめつづける

──人間の心の暗部や暴力的なイメージをどこまで見つめつづけさせるのかと思っていると、さらにその先の闇があって……というふうに、『ピローマン』は暗部をさらに掘り続けていきます。はじめのうちは無実の作家が警察に引っ張られたと思っていると、途中から、隠されていた暗部が露呈していく。それを容赦なく追及するのが『ピローマン』の魅力ですね。

石住 ミステリには、事件の犯人は誰か、犯行はどのように創作物語と結びついているのかといった要素があります。そこから人間関係とか、彼の供述は本当なのかとか、弟は事件とどう関わったのかなどという伏線が何本も出てくる。最後まで回収されないままのものもいっぱいあるんですけど(笑)。

──物語を紡いでいき、さらにその時間を生きるということをカトゥリアンはしないわけにはいかない。ただ、カトゥリアンは小説家でもあるので、語って聞かせる面白さがあると思うんですが、そのへんはいかがでしょうか。

渡辺 延期前の稽古のときに寺十さんから「本当に演じるというよりは生きてほしい」と言われていて……。

──生きるには辛すぎる設定ですよね。

渡辺 ただ、もう本当に、それしか術(すべ)がないかなと思っています。主役をやるのも初めてですし、加えて膨大な台詞もあります。本当に立ち向かっていくしかないという感じで向き合っている毎日なんですけれど。

──立ち向かう対象は、自分自身の内なる闇、あるいはカトゥリアンのなかの闇に立ち向かっていく感じでしょうか。

渡辺 自分自身とは向き合わざるをえないなとは実感しますし、作品世界と自分自身がリンクしてくるというか、そういう感覚がよぎることは稽古のなかでたくさんあります。

 

■書かれた物語を手がかりにして

──カトゥリアンはこれまでに400篇書いたと言っていますが、そのうちの何篇かの物語が紹介されます。渡辺さんはカトゥリアンとして、それを読んだり、聞かせてくれるんですが、同時にそれらの小説のほとんどは、アリエルも読んでいる。そのうえでアリエルは、自分なりの解釈と分析を通じて、一連の殺人事件を推理しようとします。

石住 たぶん、アリエルは最初から犯人だと決めつけて尋問していると思うんです。取調べは事実の整合性を確かめるだけで。ただ、そのなかで精神的に追いつめられると、自分の感情が出てきてしまい、「なんでこんな本書くんだ。これでもおまえ人間か」というように、捜査を超えて、自分の感情を露わにしてしまう。そしてトゥポルスキーが、その様子をさらに後ろから見ていて、すべてを自分の思惑どおりに進めている。

──話が展開するにつれて、登場人物の腹の底までが見えてくるという凄みがあります。

石住 だから、筋立てを追うよりも……もちろん、筋はきちっと伝えなきゃいけないんですが……そこで起こる人間同士のぶつかり合いを見てほしい。どの登場人物も、大声で怒鳴ってはいるんだけれれど、本音の部分は隠している。それが舞台が展開するにつれて、ペラペラめくれて見えてくる。そこが面白いですよね。

──渡辺さんはどうですか。

渡辺 自分が書いてる物語については、そのなかにカトゥリアンのなかの正義だったり、やさしさだったり、正しさだったりといったものをすごく含んでいる。それは観客から見て、ともすると残忍だったり、目をそむけたくなるものでも、シンパシーを強く感じたり、理解できると思わせるところがたくさんある。そのように単純じゃないところが、この物語の深さだと思いますし、素敵さだと思います。

 それは人間関係とか、登場人物たちの底の部分においても、そうだと思うんです。表面上で見えていることではなく、底にあるものが、とても温かく柔らかいものが、ゆらゆらと見え隠れして、そういったものをお客さんに掬い取ってもらえれば、すごくいいかなと思うんです。

 

■グリム童話を糸口として見てみると

──カトゥリアンは作家として、自分の書いた物語に強い執着を見せますね。

石住 本当はそういう作家ならではの面が笑えてもいいと、ぼくは思うんです。警察で尋問されているのに「僕の最高傑作は『川辺にある街』っていう話です」って言えちゃう。そういうところは、本当はクスクス笑えて……

──『ピローマン』というタイトルは、お伽噺みたいですよね。ピローは枕という意味だから、おかあさんが子供を寝かせるときに読み聞かせする絵本みたいな感じ。しかし、そのタイトルの背面には、現実の過酷さと怖しさが貼りついている。

石住 だから、マクドナーがどうしてこの話を思いついたのかを考えると、最近、グリム童話の残酷な部分が映画で描かれていますが、グリム童話を読んだら、すごい闇があることに誰もが気づくと思うんです。どうしてグリムはそんなものを書いたんだろうと考えることから『ピローマン』が書かれているとしたら、読み解くうえでの糸口になると思う。やさしい童話がいちばん怖しいものを含んでいる。

──本当は怖い童話みたいな感じですね。それにしてもあまりに深すぎる闇を前にして、ただ見つめることしかできないような気がしています。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)出演者の集合写真。

演劇集団円公演『ピローマン』(マーティン・マクドナー作、寺十吾演出)出演者の集合写真。


 

■「言いたいことなんて何もない」と語る向こう側に見えるもの

──最後に『ピローマン』をご覧になるお客さんに、ひと言ずつお願いします。

石住 カトゥリアンには「言いたいことなんて何もないんだよ! そういうもんなんだよ!」という台詞があるんですけど、そこで生きてる生きざまがすべてです。テーマはこれだとか、こういうふうに見てくださいというのはないので、自由に見ていただいていいんですが、やっぱり、ある種の地獄は体験させてみたいと思うんですよ。それをどう受けとめるかは、いろんな意見があると思うんですけど。

 寺十さんがこういう作品にはふさわしいと思って、演出をお願いしたんですが、寺十さんの距離感みたいなものがぼくらにも表現できたら、作品と演出がうまくマッチして、お客さんに楽しんで見ていただけるんじゃないかな。演出がお楽しみという感じですね。

──寺十さんがやってる劇団 tsumazuki no ishi の舞台では、白昼夢なのか現実なのかわからないけれど、それが延々とつながっているような不思議な時間が流れますよね。

石住 ちょっとカトゥリアンの物語世界と似てますよね。物語の世界と現実の境界が曖昧なまま往復していく。

──渡辺さんもお願いします。

渡辺 カトゥリアンが作家ということもあるんですけど、台本を読んでいるときに、マクドナー自身がカトゥリアンに投影していると感じるときがあって、先ほど石住さんもおっしゃっていたんですけど、「言いたいことなんて何もないんだ」と思います。でも、そのなかにはいろいろなことが鏤(ちりば)められていて、それがふっと浮きあがったり沈んだりする瞬間を、見に来てくださった方が、そういったものを拾いあげていただけたら、それがいちばんかなと思っています。

取材・文/野中広樹

公演情報

演劇集団円『ピローマン』
 
■日程:2022年3月17日(木)〜21日(月・祝)
■会場:俳優座劇場

 
■作:マーティン・マクドナー
■訳:小川絵梨子
■演出:寺十吾
■出演:石住昭彦、渡辺穣、瑞木健太郎、玉置祐也、原田翔平、井上百合子、古賀ありさ

 
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