七之助の女暫、松緑の鬼次拍子舞、隼人の女殺油地獄 祝祭感から凄惨美まで、歌舞伎らしさ満喫の歌舞伎座『壽 初春大歌舞伎』夜の部観劇レポート
夜の部『女殺油地獄』(Bプロ)(前)豊嶋屋お吉=中村米吉(後)河内屋与兵衛=中村隼人
歌舞伎座『壽 初春大歌舞伎』が、2026年1月2日(金)に初日を迎えた。夜の部では、中村七之助による『女暫』、尾上松緑と中村萬壽による『鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)』、そして結びの『女殺油地獄』はWキャストでの上演だ。主人公の河内屋与兵衛を松本幸四郎(Aプロ)と中村隼人(Bプロ)が、豊嶋屋お吉を坂東新悟(Aプロ)と中村米吉(Bプロ)が勤める。本稿では、Bプロの模様をレポートする。
一、女暫(おんなしばらく)
歌舞伎十八番の一つに数えられる『暫』は、江戸の荒事を代表する演目。その主人公を女方に置き換えたのが『女暫』で、中村七之助がスーパーヒロインの巴御前を勤める。
夜の部『女暫』巴御前=中村七之助
舞台に登場するのは、いかにも歌舞伎らしい人物たちだ。青い隈取をした国崩しの蒲冠者範頼(中村芝翫)にはじまり、善良で端正な佇まいの武将、清水冠者義高(中村錦之助)、声量と腕力にモノを言わせる赤っ面の成田五郎(坂東亀蔵)や猪俣平六(中村歌昇)たち。赤い着物に銀のかんざしの紅梅姫(市川笑也)。クセは強いが親しみやすい、半分道化で半分敵役の鯰坊主の轟坊震斎(坂東巳之助)や女鯰若菜(坂東新悟)もいる。歌舞伎の典型的な役柄が一斉にずらりと並んだ光景は、色彩豊かな賑やかさと、儀式のような格調の高さがあった。
夜の部『女暫』(前)左より、清水冠者義高=中村錦之助、轟坊震斎=坂東巳之助、女鯰若菜=坂東新悟(後)左より、江田源三=大谷廣太郎、猪俣平六=中村歌昇、成田五郎=坂東亀蔵
範頼は天下乗っ取りを企み、さらに紅梅姫を手に入れようとする。それを諫める義高たちの首をはねようとしたところで、「しばらく~」の声。止めに入るのが巴御前(七之助)だった。
巴御前は、艶やかな覇気をまとい、花道に登場。歌舞伎十八番は市川宗家の家の芸であることから、大きな袖には三升の紋が染め抜かれ、頭には怪力のキャラクターを示す力紙。巴御前は大きくて凛としていて美しい。ツンとしたかと思えばチャーミングに微笑む。巴御前を前に、たじたじの鯰坊主や女鯰たちのリアクションが、楽しませる。巴御前にお茶を差し出す後見は、現役最高齢95歳の歌舞伎俳優、年男の市川寿猿。背筋の伸びた舞台姿に、こちらの気持ちも心地よく引き締まる。物語を左右する大事な刀を届ける手塚太郎は、中村勘太郎が勤めた。
夜の部『女暫』(左より)巴御前=中村七之助、舞台番=松本幸四郎
巴御前は圧倒的な存在感で、敵をなぎ倒し、かと思えば恥じらいを見せる瞬間も。幕外の引っ込みでは、松本幸四郎が「この芝居小屋の舞台番」として舞台に登場。巴御前に六方をレクチャーする贅沢な演出に、大いに沸いた。荒事の古風な空気と、パワフルで可憐な女方の魅力を発揮した七之助の『女暫』は祝祭感いっぱいの中、幕となった。
二、鬼次拍子舞(おにじひょうしまい)
幕が開くと紅葉が彩る舞台。せり上がりで姿を現したのは、尾上松緑の山樵(やまがつ。きこり)実は長田太郎と、中村萬壽の白拍子実は松の前だ。その舞台と姿の美しさに、客席は明るく沸いた。
「鬼次」は、東洲斎写楽の役者絵のモデルとして知られる、三代目大谷鬼次のこと。そして「拍子舞」は、俳優が自ら拍子をとって唄い、それに合わせて踊る演目だ。
夜の部『鬼次拍子舞』(左より)山樵実は長田太郎=尾上松緑、白拍子実は松の前=中村萬壽
古風な踊りと長唄の演奏が、別世界を描き出す。萬壽が、赤い袖を振り上げれば、なにか祝福されるような、おめでたい気持ちが湧いた。松緑が肌を脱いで、赤い着付けになると、その鮮やかさに押されて舞台の熱が一段と高まるようだった。くり返される拍子は心地よく、俳優の身体も台詞が音楽とひとつになり、グルーヴに酔いしれる。心地よいタイミングで台詞が入り、そのたびに深く引き込まれた。連れ舞は一層華やかさを増し、松緑がぶっ返りで絢爛な衣裳に変わった時は、身体そのものが一回り大きくなったようにさえ見えた。立廻りは、形ひとつひとつが美しく、松緑の端正な力強さがきらめき、萬壽のコクのある麗しさが歌舞伎座を満たす。ふたりの持ち味が、観客に「歌舞伎をみた!」という、たしかな満足感で満たされた。
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)
近松門左衛門が、実際の事件をもとに書いたと言われる作品だ。
物語の舞台は、大坂。河内屋という油屋の次男、与兵衛(中村隼人)は借金までして、芸者の小菊(市川笑也)に入れあげているらしい。そんな与兵衛を放っておけないのが、同じく油屋を営む豊嶋屋の女房お吉(中村米吉)だ。柔和な美しさのお吉だが、幼い子どもをふたり抱えながら、与兵衛の放蕩ぶりにも意見する、芯の強さもある。与兵衛を見放さない面倒見の良さに、現代のドライな世の中には希薄な、人情のある世界を感じた。
夜の部『女殺油地獄』(Bプロ)(左より)豊嶋屋七左衛門=中村錦之助、河内屋与兵衛=中村隼人
ところが与兵衛は、お吉の言葉にまともに耳を貸さない。喧嘩をしても虚勢を張っても、薄っぺらい。花道を粋がって歩いても、七三に辿り着く前に「へなちょこなんだろうな」と察せられるほど、残念な男だ。演じる隼人は、“憎めない与兵衛”を落としどころにせず、観客に嫌われる寸前ぎりぎりの“残念な与兵衛”を立ち上げる。それでも端正な容姿や、思わず笑ってしまう子供のような愛嬌のおかげだろうか。結局目が離せず、つい手を差し伸べたくなるのだった。
夜の部『女殺油地獄』(Bプロ)(左より)母おさわ=中村梅花、河内屋与兵衛=中村隼人、妹おかち=澤村宗之助、父徳兵衛=中村歌六
与兵衛の実家の「河内屋内の場」では、妹おかち(澤村宗之助)を巻き込んでのやりとりが、客席を楽しいムードにする。しかし父徳兵衛(中村歌六)、母おさわ(中村梅花)との言い合いが加速し、与兵衛は自ら自分の居場所を投げ捨ててしまう。梅花のおさわが放つ「罰当たりが!」の叱責には、反論の気持ちが怒らないほどの説得力があった。河内屋を飛び出した与兵衛を見送る徳兵衛の目と声に、やり場のない思いが滲む。客席は静まり、寄り添うように見守るしかなかった。
夫の豊嶋屋七左衛門(中村錦之助)の子煩悩は、家族の温かさを客席に伝えていた。徳兵衛とおさわの頼みを、深く受けとめるお吉。与兵衛をとりまく人々の情愛が涙を誘う。その「豊嶋屋油店」の場が、殺しの現場となる。
勘当された与兵衛が、再び花道に現れた時、あたりの温度が下がるように空気が変わった。ほっかむりの横顔はとても美しかった。しかしその奥には、浅瀬で空回りする思考回路の向こうに、空っぽの闇が広がるような不気味さがあった。
夜の部『女殺油地獄』(Bプロ)(左より)豊嶋屋お吉=中村米吉、お吉河内屋与兵衛=中村隼人
クライマックスでは、油がこぼれ落ちる音とお吉のうめき声が響き、時折鳴る三味線が緊張感を高める。そしてお吉の命乞いが、絶望を決定的なものにする。幼い子供がいるから助けてほしいと懇願するお吉に対し、与兵衛は、自分だって自分を可愛がる親父が愛しい、と言い返すのだ。もっともらしく語られる素っとん狂な主張に、与兵衛の異常さがあらわれる。隼人と米吉が、ふたりの関係をあと一歩色気に寄せていたら、観る側としては「殺しの理由」をこじつけられたかもしれない。しかし半歩手前で踏み留まることで、説明のつかない形のまま、淡々と殺しは進んだ。暗闇の中で、床に打ち付けられるふたりの身体は、油に照らされ光を帯びる。目を離せられず、固唾をのんで目撃するしかなかった。幕切れに、身体は迷わず拍手をしながらも、心はお吉の横たわる豊嶋屋に、置き去りにされたままだった。
お正月だから、と華やかな舞台を想像して観劇すると、面食らうかもしれない。しかし『女殺油地獄』というタイトルを見て、賑やかな世界観を想像する人もあまりいないはず。その意味では、期待通りの鮮烈な観劇体験となる。「歌舞伎」の世界の幅の広さ、明るさと闇の深さを一挙に味わえる「夜の部」だった。
取材・文=塚田史香
公演情報
※松本白鸚(Aプロ)休演につき、配役変更にて上演いたします