二人の “最後の印象派” 巨匠が魅せる輝かしいフランス 『シダネルとマルタン展』がSOMPO美術館で開幕
『シダネルとマルタン展』
『シダネルとマルタン展』が3月26日(土)に東京・新宿のSOMPO美術館で開幕した。6月26日(日)まで開催される本展は、19世紀末から20世紀初頭に活躍した「最後の印象派」を代表する二人の巨匠、アンリ・ル・シダネルとアンリ・マルタンの二人に注目した国内初の展覧会だ。展示点数は油彩、素描、版画を合わせて約70点。ここでは実際の会場の様子とともに本展の鑑賞ポイントを紹介していこう。
前衛芸術の波の中で “クラシック” を貫いた二人
日本では知る人ぞ知る存在である “二人のアンリ”。しかしながら、本国フランスでは、フォーヴィスム、キュビスムといった前衛芸術の波が押し寄せる20世紀初頭において「もうひとつの本流」を築いた画家として80年代以降になって再評価されてきた。ともに巨匠と呼ばれる人物であるため一人ずつのキャリアがとても濃く、本展ではそんな二人の画業の局面を全9章立てで交互に見せている。
展示風景
5階の入場口で配られている関連マップ
印象派をはじめとする19世紀の風景画家たち同様、シダネルもマルタンも国内外を転々としながら作品を残してきた。本展ではそれぞれの足跡がわかりやすいよう、入場口で関連マップを配布している。二人が描いたのは現代の中にも面影を残す近代ヨーロッパの景色である。地図を指差しながら絵画の中にある景色を眺めることは、昨今味わうことのない、ちょっとした旅気分を得る体験になるかもしれない。
北部を拠点にしたシダネルと南部を拠点にしたマルタン
第1章から第3章が展開される5階の展示室には、まず初めに主役の二人の紹介が設けられている。
アンリ・ル・シダネルは1862年に当時フランス領だったモーリシャスで生まれた。父親の仕事の都合によりインド洋の同地で10年を過ごした彼は、その後にフランス北部のダンケルクという海沿いの街に移り住む。そこから絵の勉強のためにパリへ出たのは1880年のこと。私塾での2年間の学びを経て国立美術学校に入学する。そして1885年からはエタプルという北部の小さな港町に移り、同じくこの地を訪れた画家たちと交流を重ねた。
右:アンリ・マルタン 左:アンリ・ル・シダネル (展覧会の紹介パネルより)
一方で、アンリ・マルタンは1860年にフランス南部のトゥールーズに生まれている。家具職人の家に生まれた彼は1876年から地元の美術学校の夜間クラスに通い、翌年に正規入学。さらにトゥールーズ市からの奨学金を受けてパリに渡り、国立美術学校で学んだ。早熟だった彼は1881年からフランス芸術家協会が主催するサロンへの出品が認められ、2年後には1等を受賞。1885年にはサロンの奨学金を得てイタリアへ留学している。
アンリ・マルタン《野原を行く少女》1889年 フランス、個人蔵
第1章「エタプルのアンリ・ル・シダネル」では、国立美術学校でのアカデミックな教育に堅苦しさを感じてエタプルに移り住んだ若き日のシダネルの作品が展示されている。この時代のシダネルは北部特有の静かな光を探究し、バルビゾン派の代表画家であるジャン=フランソワ・ミレーらに影響を受けた素朴で牧歌的な風景を好んで描いた。また、1887年にはサロンで入選を果たし、1888年には本展にも展示されている《エタプル、砂地の上》と《ベルク、孤児たちの散策》の2点を出品している。
アンリ・ル・シダネル《エタプル、砂地の上》1888年 フランス、個人蔵
北部のシダネルと南部のマルタン。拠点が異なる二人を繋いだのは、やはり首都・パリの芸術界だった。2歳差で国立美術学校の在籍歴こそ重なる彼らだが、交流の始まりは1891年のサロンでの入選がきっかけだった。
アンリ・マルタン《オデット》1910年頃 フランス、個人蔵
後世になって「最後の印象派」、あるいは「印象派の末裔」と呼ばれる彼らも若い頃にはさまざまな芸術に触れ、それらの技術を吸収している。第2章「象徴主義」には19世紀末から流行した象徴主義に影響を受けた作品が集められている。そして続く第3章の「習作の旅」では、シダネルがイギリスやベルギー、イタリアなど国内外の各地を旅しながら画風を確立していく過程を感じることができる。
マルタンの名声を高めた公共建築の壁画
本展はシダネルの曽孫であるヤン・フェリノー=ル・シダネル氏が監修者を務めているため、同氏らが所有する貴重な写真や映像が各所に散りばめられているのもポイントだ。5階から4階へ続く階段にもヴェネツィアのサンマルコ広場を歩くシダネルの写真を見ることができる。
二人の交流を伝える4階の映像展示
二人が評価を高めてきたサロンが「フランス芸術家協会サロン」と「国民美術協会サロン」に分裂した1890年代。それとは別に力を持つ団体も生まれ、伝統的な作品発表の場は崩れつつあった。そんな中にあってシダネルとマルタンも彼らを中心とした有力な若手画家の団体「新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)」を発足する。このことが彼らの絆をより強固にするとともに、当時既に市民権を得ていた印象派の人気をさらに持続させることにつながった。
第4章「アンリ・マルタンの大装飾画のための習作」の展示風景
とりわけ当時のマルタンの人気ぶりを表す仕事が、第4章の「アンリ・マルタンの大装飾画のための習作」でクローズアップされている国家注文による壁画の制作である。国からアトリエを与えられていた彼は、1895年から1935年にかけてパリ市庁舎や故郷のトゥールーズ市庁舎など少なくとも12の公共建築に壁画を手がけている。本展では、その集大成と呼ぶべきフランス国務院のプロジェクトに注目し、マルタンの壁画制作へのアプローチを巨大パネルを使って解説している。
アンリ・マルタン《舗装工〔フランス国務院(パリ)の装飾画《コンコルド広場での仕事》のための習作〕》1925年頃 フランス、個人蔵
「国務院において示される勤労のフランス」をテーマにした全長約50メートルの壁画は東西南北の4つの面で《農業》《知的労働》《マルセイユ港》《コンコルド広場での仕事》という題目が描かれている。構想のためのスケッチを描いた後に習作を準備して壁画に描くのがマルタンのスタイルだった。ここには5点の習作が展示されている。
左:アンリ・マルタン《二番草》1910年 フランス、個人蔵 右:アンリ・マルタン《ガブリエルと無花果の木〔エルベクール医師邸の食堂の装飾画のための習作〕》1911年 フランス、個人蔵
本章にはその他の壁画の習作とともに本展の目玉展示のひとつである《二番草》も展示されている。印象派の明るい色彩や光の表現を受け継いだマルタンが巧みな描写で描く労働者たちの営み。そこからはベル・エポックと呼ばれた時代のフランスにおける生き生きとした光と命の輝きを感じる。
二人が愛した地で残した作品たちをじっくりと堪能
後半の第5章「ジェルブロワのアンリ・ル・シダネル」、第6章「ラバスティド・デュ・ヴェールのアンリ・マルタン」、第7章「ヴェルサイユのアンリ・ル・シダネル」、第8章「コリウールとサン・シル・ラポピーのアンリ・マルタン」では、両者がそれぞれ拠点を構えた地で残した作品たちを見ることができる。「最後の印象派」を代表する二人の巨匠の作品を最後までじっくり堪能しよう。
アンリ・ル・シダネル《シェルブロワ、テラスの食卓》1930年 フランス、個人蔵
アンリ・マルタン《マルケロルの池》1910〜1920年頃 フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション
晩年まで続いたシダネルとマルタンの交流。印象派のスタイルを受け継ぎ、身近な自然や人を描くアンティミストという側面でも思想を共有した彼らだが、各々の作品を比較してみていくと、光や色彩に対してアプローチが異なっていたことがわかる。物憂げさも感じさせる静謐な光を捉えたシダネルと、正当な印象派というべき眩い光を捉えたマルタン。
アンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユ、薔薇に覆われた家》1936年 ロンドン、コンノート・ブラウン
アンリ・マルタン《サン・シル・ラポピーの崖》1911年頃 フランス、個人蔵
一人ではなく二人の作品を併せて見ることで、モネやルノワールらに続く後の世代が各々の視点で印象派のスタイルを咀嚼し、表現したことが伝わってくる。印象派ファンにとっては見逃せない展覧会だ。
『シダネルとマルタン展』は、6月26日(日)まで東京・新宿のSOMPO美術館で開催中。
イベント情報
会期:2022年3月26日(土)~6月26日(日)
会場:SOMPO美術館(〒160-8338 東京都新宿区西新宿1-26-1)
休館日:月曜日
開館時間:午前10時から午後6時(最終入館は午後5時30分まで)
観覧料:一般1,600円、大学生1,100円、高校生以下 無料
※身体障がい者手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳を提示のご本人とその介助者1名は無料
主催:SOMPO美術館、朝日新聞社
協賛:損保ジャパン
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、新宿区
協力:日本航空
企画協力:ブレーントラスト
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)