ピアニスト長富彩が語る現在地 ハンガリー留学からデビュー、子育てとの両立まで~思い出の地・浜離宮朝日ホールにてリサイタル開催
ピアニスト長富彩が、2023年6月16日(金)浜離宮朝日ホールにてリサイタルを行う。
2005年に東京音楽大学付属高等学校を主席で卒業後、ハンガリー国立リスト音楽院へ。2008年より米国に拠点を移して演奏活動を開始し、2009年にはNYのスタインウェイホールにてリサイタルを行い満席となった。演奏活動のほか、近年は作曲家の生涯を題材にした講座形式のコンサートやラジオパーソナリティなど活動の幅を広げている。
そんな長富にとって、今回演奏する浜離宮朝日ホールはメジャーデビューの際リサイタルを行なった思い出深い場所。演奏家としての活動と子育てとの両立などプライベートでの変化も含め、2010年のデビューから十数年、現在の想いを語ってもらった。
――最近はYouTube活動も精力的に行われていますね。
そうですね、デビュー前からYouTubeをやっていて、その時に載せた「ラ・カンパネラ」の動画の再生回数が凄くて。それをきっかけに留学が決まったり、最初のマネージャーが声をかけてくださったり。YouTubeで人生が開けていったタイプの走り出しにいる人間です。
デビュー以降、あまり載せなくなったんですが、その頃から「何か言われるかな」という恐怖が出てきて、完璧を追求できる、コンサートの収録みたいなものでないと出せなくなってしまいました。
色々試行錯誤や、子育てなどを挟んで、今の周りの皆さんと出会った時に、「そこは別に考えよう」と言われたんです。YouTubeでは「こんな素敵な曲があるんだよ」と発信していって、本気の演奏を聞きたい人はコンサートに来てください、という風に分ければ良い。そうアドバイスをいただき、勇気を出して再開しました。
同時に始めた配信アプリでの配信を、最初はSNSに告知せず、黒子のように始めてみたら、だんだんと「怖い」という感情が減ってきたんです。「間違えたらもう舞台に立てない」と思っていたけれど、何も始めなかったら新しい出会いもないじゃないですか。
今ではカメラや録音など、自分1人ではできないような環境で弾いて、視聴してくださっている人にも喜んでもらえていて、やりがいを持ってやらせてもらっています。
その一歩を踏み出せたのは今の周囲のみなさんのおかげかな、と思います。
――子育てをされながら、ピアニストとしても活動をされておられる点、本当に尊敬します。
子育ては、互いの親も離れて住んでいて、保育園も激戦区で預けられなかったので、ほとんど本当にワンオペでやってきました。我ながらよく頑張ったなぁと思っています。
私の場合、子育てに専念して、その後演奏活動を再開する、というのは無理だと思っていました。いずれにしても中途半端にはできないと思っていて。
なかなかできなかったところに来てくれた娘でした。娘ができてからも奇跡的に、仕事をキャンセルするようなことはなく続けられて、生まれてからは決まっている仕事もあったので必死に取り組んできた訳で、ほぼ4年間「一緒に遊びたい」と泣くこともあったけど、娘にはたくさん我慢させているんです。
でも、「娘を産んだからピアニストとしてダメになってしまった」というのも嫌だったし、「ピアニストを辞めてしまったばっかりに娘に可哀想な思いをさせてしまった」というのも嫌だったから、どっちも後悔しないために、ピアニストとして、彼女の誇れるママとして、ピアノは第一に成功させようと思っています。一つの「覚悟」です。
演奏活動のなかで、辛くなったから休もうかな、と思うことがあるかもしれないけれど、私は絶対にその選択はしないと思います。娘のために、今まで我慢させたことを無駄にしないために、「産んだために諦めたんだ」と彼女のせいにしないために、と、肝に銘じて演奏を続けています。
――今回の会場の浜離宮朝日ホールは、これまで何度も演奏されているホールですが、印象はいかがですか?
デビューから一緒に歩いてきた、と言える会場です。
メジャーデビューのリサイタルがまさに浜離宮でしたが、良くも悪くも印象深い1回目でした。
先生の方針からコンクールの経験もなかった私にとって、急に演奏を認めていただきデビューした最初の演奏会、お客さん以上に、集まった事務所などの偉い人たちにどう思われるのか、と思うとプレッシャーがすごく、1回目は本当に緊張しちゃってブルブルしながら終わった、というイメージがあります。
でも、そのリサイタルが完売となったことで急遽決まった2回目では、反対にうまく力が抜けて、とってもいい演奏ができました。2つの感情を味わったコンサート会場です。
そこから段々慣れてきて、素晴らしい響きもですが、会場の雰囲気、サイズ感など、お客様と音楽を共有するにはとても良い会場で、弾かせていただける度に、その雰囲気を楽しみに、企画を調整させてもらっていました。
――今回のリサイタルのプログラムは、メインにショパンのピアノ協奏曲となる豪華な内容ですね。
今回の曲目のなかで最初に決まったのがショパンのピアノ協奏曲でした。
浜離宮でオーケストラとの共演を、とお声がけいただいて、小編成のものの中で、やりたい曲で、自分の良さを出せる曲、そして多くのお客様が聞きたいと思ってくださっている曲としてショパンのピアノ協奏曲第1番を選びました。
今回はオケが小編成・弦楽のみですが、2018年に、フル編成のオーケストラと演奏した時の感覚との変化が自分でも楽しみで、味わってみたくて。その中で演奏するなら演奏自体もだいぶ変えないといけない。そうやってリハーサルまで準備するのがとても楽しみです。
――コンチェルトでは「タクティカートオーケストラ」さんと共演されますが、印象はいかがですか?
まだ実際に公演は見れていないんです。でもフレッシュなメンバーが集まっている印象で、きっと一緒に音楽を作っていけるんだろうなぁという期待があります。ショパンのコンチェルトという意味では、弦楽器だけの伴奏、というのがさらにワクワクで、楽しみ9割、緊張1割みたいな感じです。
――前半でもショパンが2曲予定されていますね。
選曲にコンセプトは持たせたかったので、前半でもショパンを、特に「名曲」を弾きたい、と思い、最初に浮かんだのが「バラード第1番」でした。
選んだのにはいろんな理由がありますが、まずは、ショパンといえば、という、皆大好きな曲だから、そして、私自身が最近尊敬・追求しているシューマンが、一番好きだったショパンの作品がバラード第1番だったということと、その事を聞いたショパンが、しばらく黙った後に「実は僕もこの曲が一番好きなんだ」と言ったというエピソードがあって、私たち自身から、シューマン、ショパンにとっても大事な作品となるこの曲を、今回の演奏会では必ず取り上げる、と思ってまず決めました。
そしてもう1曲が「舟歌」でした。
実は「舟歌」は、ショパンの中では聴くのが苦手な曲で、弾くことも避けてきたんです。でも最近ちょっと触ってみようかな、と弾いてみたら、手にすごく馴染んできたんです。本当に食わず嫌いでした。
元々私は、ラヴェルの「水の戯れ」やグリンカ=バラキレフの「ひばり」のような、情景や鳥の声などを表現することがとても得意で、好きだと思っています。この曲もそうした「ゴンドラの船の揺らぎ」を表現できる曲で、この曲はぜひ今回挑戦したい、と思って選びました。
――長富さんによる浜離宮でのショパンの演奏と言いますと、2019年、ショパンの時代のプレイエルを使用された公演が思い返されます。
興味深い演奏会でした。あの演奏会で弾いたのはタカギクラヴィアさんの1843年製のプレイエルだったんですが、全く別の生き物みたいでした。音を大きくも、小さくもできない、とても今の楽器で弾くようには弾けないピアノで、当時ショパンがどうやって弾いていたのか、と沢山考えました。彼が何を求めていたのか、なんとなく想像できるけど、答えがない。そこを自分なりに突き詰めるのがショパンを弾く上でとても面白い点ですね。
今回の演奏会は現代のピアノではありますけど、そのプレイエルでの演奏に寄った演奏をしてみたいと思います。そのプレイエルを弾くと自然と揺らぎが演奏に出てくるんですけど、現代のピアノで同じように弾くと、演歌みたいな、自分に酔った演奏みたいに見えてしまうかもしれないですが、その良いバランスをとっていくような演奏にしたいですね。
――そして公演ではリストも演奏されますね。
はい。今回の公演は、YouTubeを本格的に再開するきっかけにもなったタクティカートさんと一緒に作る最初のコンサートで、私にとっては今までとはちょっと違う、新しい世界に足を踏み入れた、その第1歩みたいな感じに思っていて、ぜひ沢山の人に来ていただきたいのですが、そうなると、お客様にとって、私が弾いているのを見たいのは『ラ・カンパネラ』などのリストかな、と思って取り上げることにしました。
そしてショパンとリストといえば、リストはショパンを尊敬してエチュードを全部演奏するような繋がりもあるので、旋律で歌うショパンと、ホールで激しさをぶちまけるリストとの対比、そして私がどちらも色を使い分けて演奏できるようにして、コントラストが効いている演奏会にしたいな、と思いました。
――「ラ・カンパネラ」をリサイタルで取り上げられるのは久しぶりだと伺いました。
そうですね、デュオリサイタルの合間などで弾くことは増えてきていたんですけど、自分のリサイタルに取り上げるのは本当に久しぶりです。
――長富さんといえばハンガリー留学もされたリスト弾き、というイメージも強いかと思いますが、ハンガリー留学はどのような物でしたか?
ハンガリーに留学するきっかけになったのは、高校3年生の時、たまたま東京に来られていたナードル先生のレッスンでした。リストが得意だったのもあって、「1回習っておけば?」という先生の言葉もあり、レッスンでメフィストワルツを弾いたんです。そうしたら、先生から「来る?」とその場でお申し出が。母親も来てたので、その場で決まったんです。
ハンガリーではリストも習いましたが、ベートーヴェンの権威であったナードル先生の元で、私自身苦手だったベートーヴェンを多く習い、次にリスト、シューベルト、という感じでした。
――デビューされた時から、長富さんと言えば、リストや「超絶技巧」というイメージがあったので、ベートーヴェンなどの古典派をメインに学ばれていた、というのは少し驚きです。国内でのそうしたイメージというのは、ご自身ではどう思われていたんですか?
日本に帰ると「ラ・カンパネラ」で有名になって、そのイメージから「超絶技巧」の持ち主、と言われることが増えました。ありがたかったんですけど、私自身としてはそうではない、というジレンマがありました。もちろんリストが得意だったから、どっちかといえば得意なんだろうけど、「超絶技巧弾き」って、練習はもちろんするけれど、私なんかよりも緊張せずに弾けるはずだ、と。
「長富さんはすごいテクニックの持ち主だ!」となったことに関しては、嬉しくも苦しくもありました。どちらかというと、歌心を大事にしたいタイプだったので。
ミスしてはいけない、とか、そういうことばかり考えてしまうようになって、音楽を心の芯からできなくなってしまって、そのスランプが数年続きました。
――スランプから抜けるきっかけは何でしたか?
私は、小学校からお世話になった先生が「コンクールの型にはめて、感性をダメにしたくない」と仰ってくださっていて、コンクールの代わりとして、自分でプログラムを考える1時間半のフル・コンサートを、小学校3、4年生のころから毎年やってもらっていました。先生のご自宅のサロンのようなお部屋でのコンサート、毎年楽しみにしてくださる方もいて、本当に良い経験でした。
そんな感じで、大きなコンサートの合間に、そのリハーサルとして、というわけでは決して無いけれど、気持ちを繋ぐためにも、自分を昔から応援してくださっているお客様の前で演奏をする機会を設けていて、2012年くらいの時、「夜のガスパール」などをやったんです。
その時、思い切って、「ミスしても、止まってもいい」という覚悟のもと、音楽に徹する、というのをやってみたんです。そうしたら、止まることもなく演奏が終えられて、昔の自分のように音楽ができた喜びを思い出したんです。そうやって、ちょっとずつ殻を脱いでいって、スランプを脱することができました。
――テクニックのプレッシャーから抜けられた今、長富さんにとってリストはどういう作曲家ですか?
リストは今でも好きだし、確かに難曲は多いんですが、嫌な怖さがなくて、体に馴染んでいる、自分に合っている作曲家なんだと思います。華やかじゃ無い部分を私は愛しています。晩年の宗教に傾き始めた作品というのが本当に素晴らしくて、そういう物を根っこに持っている作曲家なんだと思います。怖いところは確かにあるけれど、何か起きても「まあいっか」と考えられる、ノーミスで弾くのは難しいけれども、そこじゃ無いところに魅力がある作曲家がリストなんです。
――最後に改めて、公演に向けた意気込みをお願いいたします。
今回はどの曲も主役、という感じで、でもどの曲も全く違う雰囲気です。メフィストワルツなんかも全く違う。そういった表情の違う4つの顔を持った前半があって、その後のメイン・ショパンのピアノ協奏曲第1番では、ソリストとオーケストラ、という関係だけれども、素晴らしい弦楽器の皆さんとみんなで、私が考えている、作曲当時のプレイエルと現代のピアノのちょうどいいバランスを目指すその音楽を共有しながら、素晴らしいものを作りたいと思います。
ここが見どころだと思うので、楽しみにしてきていただきたいし、私も心して準備したいな、と思っています。
公演情報
◇会場:浜離宮朝日ホール
リスト:メフィストワルツ第1番 S.514
ラ・カンパネラ
ショパン:バラード第1番 Op.23
舟歌 Op.60
全席指定:一般¥5,000 学生¥3,000
特典付きS席:¥10,000(前方座席・サイン色紙プレゼント)
タクティカート 企画制作部
TEL:03-5579-6704
E-mail:concert@tacticart.co.jp