《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜Vol. 6 吉田玉延(文楽人形遣い)×吉田玉征(文楽人形遣い)

2023.11.10
インタビュー
舞台

文楽の先輩後輩に

高校を卒業して大学生になっても連絡を取り合っていたという二人。先に文楽を知ったのは玉延さんだ。

玉延今度は僕が勉強を怠り、大学2年生の時に2回留年しまして。しかも2回目も反省せずダラダラと遊んでいたんです。今思い返すと、情けなく勿体ない日々でした。とうとう親から有意義に過ごすようキツく諭され、文楽の研修生になることを勧められて。母が文楽好きだったんです。最初に観たのは『桂川連理柵』。独特だな、カッコいいなと感じたし、このまま3回目の2年生をやってもまた同じことになるかもしれないので、研修生に応募しました。縁のない大阪の地で、馴染みのない文楽の研修。続くかどうか不安でしたが、やってみたらすごくやり甲斐があったんです。研修生は、太夫、三味線、人形と一通り学ぶのですが、人形は3人で息を合わせて遣うのが難しくて、でも面白くて。

吉田玉男の指導を受ける研修生時代(上)と、第25期文楽研修生修了発表会で足を遣う玉延さん(主遣いは先輩の吉田簑紫郎)。     提供:国立文楽劇場

提供:国立文楽劇場

研修修了後は、当代吉田玉男に弟子入り。

玉延どなたが上手い、ここが良い、といったことは正直よくわからなかったのですが、師匠の舞台姿がとにかくカッコよくて。荒立役はダイナミックだし、二枚目だと色気もあったし。自分は立役というタイプではないかなとは思ったけれど、やってみたかったので、養成所を通し弟子入りをお願いし、許可をいただきました。

「玉延」という芸名については、「師匠は音の響きと字の良さで選んだとおっしゃっていました。僕の勝手な解釈ですが、『玉』という脈々と続く名前を、末永く『延』ばすという意味があるのかなと思っています」と分析する。

さて、玉延さんが研修生になって1年ほど経った頃、玉延さんから話を聞いた玉征さんも文楽を観に行く。

玉征僕も、大学に入ったもののやりたいことがなく、自分がデスクワークをしている姿も想像できなかったんです。それで文楽を観てみようと大阪へ行って。初めて観たのが『加賀見山旧錦絵』の、玉男師匠の岩藤。師匠の女方に「この人、すごい!」と惹きつけられました。その後、何回か舞台を観て、「玉男師匠は立役の人だったんだ。ますますすごい!!」。学生時代にチャランポランだった齋藤が入れるなら、転校後に真人間になった僕なら入れるだろう、と思ったのも事実です(笑)。

当時、玉延さんもまだ玉男師匠に弟子入りする前。つまり、二人が二人とも、文楽を観て玉男師匠の芸に惹かれたというわけだ。そして、玉延さんから2年遅れで、玉征さんも文楽研修生となる。

玉征初めから人形志望でしたが、耳が良かったみたいで(豊澤)富助師匠から「三味線やってみいひんか」と言われて。1年ほどやったのですが、爪が糸で削れてどんどんなくなって、痛いし、お姉さん座りみたいな姿勢で弾くのもしんどいし、人に言われて一生続けていくのはちょっと違うように思い、志望を決める最終決定の1週間前になって富助師匠に謝って人形に戻りました。

同期の桐竹勘昇と共に桐竹勘十郎の指導を受ける研修生時代(上)と、第26期文楽研修生修了発表会で足を遣う玉征さん(主遣いは吉田一輔)。     提供:国立文楽劇場

提供:国立文楽劇場  

なお、文楽の研修生は現在、毎年募集されているが、この頃は2年に1回。研修自体が2年で終わるため、二人が研修生同士として会うことはなかったそう。ともあれ、無事に研修を終えた玉征さんは、玉延さんと同じく、憧れの玉男師匠に弟子入り。「玉征」の芸名は、「旅=修業に征く、というところから取ったそうです」とのこと。

こうして中学・高校の同級生は、文楽の先輩・後輩に。そのことを、二人はどう感じているのだろうか。

玉延どう接して良いのか、難しい部分もありますよね。入ったばかりの頃はわからないことも多いので、玉征がミスをすると「お前が注意しておけ」と言われる。先輩ですから厳しく言わないといけないんですけど、舐められているのか、「ああ」みたいな感じできちんと聞いてくれなかったんですよ(笑)。最初は仕事をする上での信頼関係が築けていなかったと思います。今はもう築けているつもりなんですけど。

玉征今は僕が助けてあげています!

玉延いやいやいや……。距離感が友達みたいになって、気の引き締め方がわからなくなってしまうところは、今も、良さでも悪さでもある気がします。

玉征確かに、先輩と接しているような気持ちはあまりないかもしれません。何でも聞きやすいし頼み事もしやすい。良き存在です。

≫足遣いとしての研鑽の日々