《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜Vol. 6 吉田玉延(文楽人形遣い)×吉田玉征(文楽人形遣い)
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足遣いとしての研鑽の日々
現在、芸歴11年の玉延さんと、9年の玉征さん。自分の中で文楽を一生の仕事として位置づけた時期はいつなのだろうか?
玉征:僕はもう最初から、文楽に入るなら一生続けてやろうという気持ちでした。何でもとにかく3年間はがむしゃらに頑張るという目標が僕の中にありまして。3年経ったら慣れるし、一生続けられるだろう、と。
玉延:本当に真面目に頑張っています。あんまり腐ることもないのは玉征の良いところ。僕の場合は、3年前(2021年)の正月公演で師匠が『菅原伝授手習鑑』の白太夫の役を遣われた時、その足を遣う予定だった兄弟子の(吉田)玉路さんが盲腸でお休みになり、師匠から「お前来い」と言われたこと。その後、玉路さんもご自身が足についている時、「お前、後半からちょっと行ってみたらどうや」というふうに言ってくれ、そこからちょっとずつ師匠に使っていただくようになってきたんです。そうやって、見てくれていたり、できなくても親身になって教えてくれたりする先輩がいるので、一生かけてやっていく甲斐がある仕事だなと思っています。
先輩にしてもらったことを、玉征さんにもするかと玉延さんに問うと、「僕は不器用ですが彼は器用ですし、つく足も僕は二枚目、玉征は荒立役が多いので、芸のことで教えるというのはあまりないです。足の形についてちょっと言うくらいで」。そんな玉延さんのことを玉征さんは「近年、師匠の足につくようになってきていますし、僕はやらないけれど二枚目は足も情をたっぷり含んで遣わなければならないので、『二枚目の足を進んでいるんだな、すごいな』と感じています」。
いずれは左遣いになる二人。そのためには足ができる後輩の存在も大きいが、自分としては何が必要だと考えているのか、訊いた。
玉延:足遣いは体力が必要、左遣いは気遣いが大事、とお兄さん方は言うんです。気遣いにはまだ自信がないので、これから色々見て、自分で課題に気づけるようになっていきたいと考えています。足遣いは研修生の時から丁寧に教えてもらえるのですが、左遣いは“盗む”もの。師匠からも「足やりながら左もちゃんと見なあかんで」と言われています。気遣いができる左遣いを目指して頑張りたいですね。
玉征:僕も、気遣いもそうですし、小道具を出したりするのも左遣いの仕事なので、芝居の内容をきちんと把握し、“ず”(主遣いが左遣いと足遣いに出す合図のこと)を勉強しておかないとついていけない。主遣いの動きをよく見るよう気を配りたいですね。他の人が怒られている時、何についてどう注意されているのか、しっかり聞き耳を立てることも心がけたいです。
玉延:やっぱり最終的には、芝居心。それはじっくり磨いていくとして、僕はとにかく不器用なので、人一倍練習しなくてはなりません。それを苦しく思わないような心が欲しいですね。
ちなみに、人形遣いの普段の練習とは?
玉延:衣裳部屋に人形があって、体験用の人形は触っても良いし、先輩の人形を練習としてお借りしすることもあります。で、かしらを持って鏡を見て練習する。鏡を見るのは良くないという人もいるのですが。あとはとにかくたくさん観察して自分の中にインプットして、どうやったらうまく操作できるのかを試行錯誤する。ということでいいのかな?
玉征:うん、いいんじゃないかな。僕は足遣いでやっていることが主遣いになっても生きることを実感していて。主遣いと足遣いは同じ動きをするんですよ。主遣いが棒足(左足を曲げて右足を踏み出し、左手を上にして両手で斜め一文字にする動作)をするなら足も棒足、六方もそうで……ええと……。
玉延:要は、役に必要な息遣いや身体のこなしが足遣いのうちにできてないと、主遣いになった時にめちゃくちゃになると言いたいんだと思います。
玉征:そういうことです!
2017年、大阪のコミュニケーションカフェ「カフェラボ」での梅田文楽のPRパフォーマンス後に、先輩の吉田簑紫郎、吉田玉彦と。左から1人目が玉延さん、3人目が玉征さん。 提供:吉田玉征
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