【記者会見レポート】萬屋一門が歌舞伎座6月興行にて襲名披露 中村時蔵が初代中村萬壽、中村梅枝が六代目中村時蔵へ 

レポート
舞台
2024.1.23
(後列左より)中村獅童、中村時蔵、中村梅枝(前列左より)小川夏幹、小川陽喜、小川大晴

(後列左より)中村獅童、中村時蔵、中村梅枝(前列左より)小川夏幹、小川陽喜、小川大晴

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2024年6月に歌舞伎座で行われる『六月大歌舞伎』において、中村時蔵(なかむら ときぞう)が初代中村萬壽(なかむら まんじゅ)、時蔵の長男・中村梅枝(なかむら ばいし)が六代目中村時蔵を襲名し、梅枝の長男・小川大晴(おがわ ひろはる)が五代目中村梅枝、中村獅童の長男・小川陽喜が初代中村陽喜(なかむら はるき)、次男・小川夏幹が初代中村夏幹(なかむら なつき)として初舞台を勤めることが発表された。その記者会見の様子をお伝えする。

まず、中村時蔵、中村獅童、中村梅枝、小川大晴、松竹株式会社代表取締役会長・迫本淳一、同社取締役副社長・演劇本部長 山根成之が登壇した。

迫本は襲名披露する5人について、時蔵は「現代を代表する立女形のひとり。古典から新作、舞踊まで幅広く演じているほか、後進の育成にも力を尽くしており、俳優としても指導者としても歌舞伎を支えている存在」、梅枝は「若手女方として修行に専念し、近年では『壇浦兜軍記』の阿古屋や『鎌倉三代記』の時姫など抜擢に応え活躍している」、小川大晴は「2020年11月に国立劇場の『彦山権現誓助剱』の弥三松で初お目見得して以来、数々の演目にて様々な役を勤めている」、小川陽喜は「2022年1月に歌舞伎座の『祝春元禄花見踊』の奴喜蔵で初お目見得以来、「超歌舞伎」などの舞台にも出演」、小川夏幹は「昨年12月に歌舞伎座の「超歌舞伎」『今昔饗宴千本桜』の夏櫻丸で初お目見得」とそれぞれ紹介した。

山根からは襲名披露演目の発表が行われた。

昼の部に上演される『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』にて、中村梅枝 改め 六代目中村時蔵がお三輪として披露する。山根は「四代目時蔵、当代時蔵もこの演目で襲名披露を行ったので、三代続けての襲名演目となる。四代目時蔵のときは当代時蔵が初舞台、当代時蔵のときは獅童が初舞台を踏んでいるので、萬屋にとって非常にゆかりの深い作品」と述べた。

夜の部に上演される常磐津の舞踊『山姥』では中村時蔵 改め 初代中村萬壽が山姥として披露、五代目中村梅枝が怪童丸として初舞台を踏む。山根は「獅童、六代目時蔵、陽喜、夏幹も出演して賑やかなおめでたい舞踊にしたいと思っている」と述べた。

同じく夜の部『新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎』では中村獅童が初役で魚屋宗五郎を勤め、初代中村陽喜と初代中村夏幹が酒屋の丁稚で初舞台を踏む。山根は「生意気な台詞を言う、丁稚として特別な役。本来ならば一人で勤める役だが、今回は二人で勤める」と通常とは異なる配役について解説した。

山根は「当代時蔵はじめ、当代歌六、三代目歌昇(当代又五郎)が襲名披露したのは昭和56年(1981年)6月、三代目時蔵二十三回忌追善興行のときで、獅童もこのときが初舞台。萬屋にゆかりの深い6月の歌舞伎座でおめでたい襲名披露が行われることは喜ばしい」と語った。

中村時蔵

中村時蔵

時蔵は「昭和56年から時蔵を名乗り43年。その名前を息子の梅枝に譲り、私は初代萬壽となる。併せて大晴が五代目梅枝として初舞台を踏む。陽喜と夏幹も初舞台ということで大変賑やかな舞台になると思う。最近、歌舞伎界では小川姓が多いというところに、また新たに3人入って来る。一生懸命頑張って歌舞伎界を盛り上げていきたい」と思いを述べた。

中村梅枝

中村梅枝

梅枝は「父が43年間名乗っていた時蔵の名跡を六代目として襲名することになった。そして今私が名乗っている梅枝を息子が五代目として襲名、初舞台と相成った。今まで以上に責任感を持って芸道に邁進していきたい」と語り、大晴は「6月に五代目中村梅枝を襲名することになりました。よろしくお願いします」としっかりとした口調で挨拶を述べた。

質疑応答にて、6月に襲名披露を行うことはいつ頃決まったのか、と聞かれた時蔵は「大晴の初舞台については、コロナ禍になる前から考えていた。そろそろと思ったが4年も経ってしまったので、ここで梅枝に時蔵を譲ろうかなと思い、そうすれば梅枝の名が空く。そうすれば(大晴が)初舞台を梅枝の名でやれるし、私の父も私も梅枝も「梅枝」で初舞台を踏んでいる」と述べた。

小川大晴

小川大晴

萬壽という名前はどういうところから考えたのかと問われると、時蔵は「萬屋なので「萬」という字をまず考え、いろいろ考えた中に「萬壽」があり、調べたら平安時代の元号で、萬壽に改元されたのはその年が十干十二支の甲子(きのえね)だったからという理由だった。十干十二支には深い思い入れがあり、私が1955年生まれで、大晴は2015年で私と60歳違いで同じ乙未(きのとひつじ)。私の祖父、三代目時蔵は1895年(明治28年)生まれで、こちらも私と60歳違い。さらに、私の父は1927年(昭和2年)生まれで梅枝は1987年(昭和62年)生まれでここも60歳違い。時蔵の家ではなぜか60のときにできた孫が時蔵を継ぐということが起こっており、因縁を感じていた。そんな理由で十干十二支にまつわる「萬壽」という名前にしよう、十干十二支の一番最初である甲子と縁があるということで、萬壽という名前を一から築いていこう、私自身も新しい名前になってまた一から自分の芸を見つめ直そう、と思ってこの名前にした。ちなみに萬壽元年は1024年で、ちょうど千年前であることも因縁めいているなと思った」と名前の由来を説明した。

時蔵という名を継ぐことへの思いを聞かれた梅枝は「襲名の話を初めて父からされたとき、さすがにまだ無理ですと断った。その後話し合って父の思いを聞き、獅童のお兄さんにも相談する中で段々と自分の気持ちも高まっていき、お受けしますということになった。いざこの段になってみれば、こうやって三代そろって舞台に立って襲名ができるということはとてもありがたいことだし、父が生きている中で名を譲るというのは特別なことだと思う。その思いを継いで代々の時蔵に恥ずかしくないよう勤めていければと思う」と語った。

(右から)中村時蔵、中村梅枝

(右から)中村時蔵、中村梅枝

時蔵の名を譲る話はいつどのようなときに話したのか、と問われた時蔵は「2021年6月の博多座公演のとき、(梅枝を)食事に誘って話をした。最初は頑なに拒んでいたが、いろいろ話をしたり、いろいろな人に相談する中で受け入れてくれた」と明かし、梅枝は時蔵襲名を受ける決心をするまでの心の動きについて「そもそも父が亡くなるまで自分は梅枝だと思っていたし、父が時蔵ではない名前になるということが嫌だった。まだ自分には早いという思いもあった。いろいろな方に相談したら皆さん「いいじゃないか」と言ってくださった。「生きている間に名前を譲るという決断をしてくれるということはそうあることではないし、それに感謝しなければならない」とも言われ、徐々に決心していった」と明かした。

長く名乗ってきた名前を譲って新たな名前になる心境を聞かれた時蔵は「日ごろから梅枝の舞台を見てきて、非常に良くなってきていると感じる。玉三郎のお兄さんのご指導を受けて阿古屋を見事に演じたし、他の役でも大きな成果を上げているので、いつまでも梅枝でいるよりも名前を変えて大きな飛躍をしてもらいたいと思った。私自身はまだまだ引退する気も隠居する気もないので、バリバリと現役で初役もこなして、梅枝はじめ後進の指導も勤めていきたいと思っている。襲名披露演目については、祖父の三代目時蔵が襲名のときに演じた『嫗山姥』という演目があるが、私と大晴が勤める舞踊『山姥』と話が繋がってしまうので、私も父も襲名のときに勤めた『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』になった。この演目を私は成駒屋のおじ様(六世歌右衛門)に厳しく教えられた思い出がある。そのときは成駒屋のおじ様が橘姫で出てくださった」と襲名披露演目への思いも語った。

どういう時蔵を目指すのか、と問われた梅枝は「父の芸を見ていて、とても江戸のにおいがするなと思う。私にはまだまだそんなにおいはないが、目に見えないものは歌舞伎という芸能においてとても大事だと思っている。受け継げるかどうかはわからないが、目指すべきはそこかなと思っているので、一生かけて追い求めていきたい」と語った。

中村獅童

中村獅童

陽喜と夏幹の襲名・初舞台に至った経緯を聞かれた獅童は「6月の萬屋の興行は私が子役のときから歌舞伎座で行われていたが、それがしばらくなくなってしまって、またいつか復活させたいとずっと思っていた。2020年に時蔵のお兄さんの家にお邪魔した時、6月興行をそろそろやりませんかとお話ししたところ、賛同してくださった。時蔵のお兄さんと梅枝くんの襲名の話は一昨年の京都南座の『吉例顔見世興行』のときに聞き、そのときに陽喜と夏幹も一緒に出られたらいいのでは、とお話しをいただいた。歌舞伎界で一番人数の多い小川家で、(空いている)歌舞伎の名前がないので新しい名前をいろいろ考えたが、最終的に本名でやらせていただくことに決まった。襲名の話をしたら「イエーイ!」と言って大喜びしていた」と語り、「ちなみに僕は時蔵のお兄さんとは違って、僕が生きているうちは獅童の名前は絶対に譲りたくない(笑)」と言い添えて会場の笑いを誘った。

梅枝を襲名することになった大晴について聞かれた時蔵は「彼は女方が嫌いで立役が大好き。女方も面白いぞ、と導いてあげたい。でも当人の好きなようにやらせてあげたい」と明かし、大晴に「女方もたまにやろうね」と語りかけた。どうして女方が好きではないのかと尋ねられた大晴は「立廻りができないから」と答え、それを受けて時蔵は「陽喜くん、夏幹くんと一緒に稽古をしているが、よく3人でチャンバラごっこのようなことをやっていると聞いている」と申し添えた後、大晴に「(陽喜・夏幹と)一緒に出られるから嬉しいね」と語りかけて祖父の顔をのぞかせた。

(右から)中村時蔵、中村梅枝、小川大晴

(右から)中村時蔵、中村梅枝、小川大晴

萬屋らしさとはどのようなものか、と問われた時蔵は「萬屋といっても、元々は播磨屋。播磨屋の芸というものを私たちも大事にしている。私にとっては菊五郎のお兄さんの相手役をすることが多くなり、播磨屋は時代物が多かったが、私はそれに加えて世話狂言も多く勉強させていただいたことが、今の私の萬屋としての芸ではないかと思っている。これは梅枝でも大晴でも、これから自分たちが他の方々と仕事をして勉強して自分なりの芸を磨いて行けばいいことであって、私のものを押し付ける気はない」と語った。

萬壽を襲名するにあたり、後進の指導について改めて思うことを問われた時蔵は「名前が変わるからといって何かが変わるわけではないが、正しいことを教えていかないと、歌舞伎がどんどん乱れてしまう。今は手軽にビデオを見て覚えることができるようになったが、そうではなくてやはり今生きている人に直に聞けることが大事だと思う。だから今回、獅童が菊五郎のお兄さんから「(宗五郎を)教えてやるからやったらどうだ」と言われたことは嬉しい限り。得るものが多く、彼の当たり役のひとつになればいいなと思う」と答えた。

中村獅童

中村獅童

菊五郎から『魚屋宗五郎』の話をもらったときの気持ちを聞かれた獅童は「昨年10月に寺島しのぶちゃんと『文七元結』をやったとき、楽日にしのぶちゃんがお父様のところに挨拶に行くというので、僕と松緑くんもご一緒させてもらった。そのときに『教えるから宗五郎をやったらいい』とおっしゃって、僕ではおこがましいのでその場では『いやいや』とお答えしたのですが、その次の日にしのぶちゃんが(松竹取締役副社長の)山根さんに連絡をして『父が獅童くんに教えると言っている』と伝えてくれた。それで『せっかくだから6月にやったらどうですか』と松竹から言っていただいた。とてもありがたいことですし、一生懸命たくさんのことを吸収したい。今月は浅草で(尾上)松也くんが『魚屋宗五郎』をやっていて菊五郎のお兄さんがご指導するということで、しのぶちゃんが『稽古初日に行くけど獅童くんも行く?』と声をかけてくれて見学させていただいた。しのぶちゃんは最近僕のマネージャーのようになっている(笑)」と経緯を語った。

その後、囲み取材へと移り、ここで小川陽喜と夏幹も登場した。

(右から)小川陽喜、小川夏幹

(右から)小川陽喜、小川夏幹

獅童と梅枝に「うちの子のここを見て欲しいというポイントは」と質問が飛ぶと、獅童は「とにかく舞台に出るのが大好きで歌舞伎が大好き。元気よく勤めると思うのでそこを見ていただければ」、梅枝は「うちも元気よく一生懸命に、というのが舞台に出る時のモットー。こうやって3人並ぶと「ああ、子どもっていいものだな」と改めて思うし、子どもにしかないパワーがあるのでそれを十分に発揮してくれると思う」と答えた。

稽古のときの様子を問われると、獅童は「陽喜は結構自分でアレンジしてしまう癖があって、見得を切らなくていいところで切ってしまったりする。教わったとおりにやって欲しいのだが……」と苦笑いを見せた。

陽喜はマイクをしっかりと持って記者からの質問に積極的に答え、先月の「超歌舞伎」への出演について「2役やったところが楽しかった。早拵えが大変だった」、6月の興行で楽しみにしていることは「口上」、お父さんと同じ「中村」という名前で舞台に立つことについての思いは「楽しみです」とそれぞれ答えた。

中村夏幹という名前で舞台に立つことについて聞かれた夏幹が「うれしい」と答えると、すかさず陽喜が「萬屋!」と大向う風に声を張り上げて、父の獅童も「なんでそこが一番大きな声なの(笑)」と苦笑した。

記者が「(大向うを)カメラに向かってもう一度」とリクエストすると、夏幹は「萬屋!」と声を上げたが、陽喜は突如「中村屋!」と叫び、獅童がすかさず「萬屋だろう!」とツッコミを入れると、さらに陽喜は「紀伊國屋!」と叫び、獅童に「もうやめなさい、静かにしてください(笑)」と止められる一幕も。

陽喜くん、見得を切る!

陽喜くん、見得を切る!

将来どんな歌舞伎俳優になりたいか、と聞かれると、陽喜は歌舞伎のセリフ口調で「宇宙で歌舞伎をすることだぁー! 萬屋!」と見得を切った。大晴は「役者になりたいというか、プロ野球選手になりたい。巨人の岡本(和真)選手がホームランバッターなので好き」と意外な本音を吐露。それを聞いた時蔵は「二刀流? 二刀流か?」と、歌舞伎俳優の道との両立を提案していた。

最後に時蔵が「ご覧の通り、子どもたちは親の言うことは聞きません(笑)。でもこれが舞台になると、不思議とちゃんとする。教わったことをちゃんとやってくれると思うので安心している。私としては、これからは今までやってきたような役、特に娘役はだんだん卒業して、どちらかというと老け役を多くやっていきたいと思っている。今回はその第一歩ではないかと思って、これからも芸道に精進して、歌舞伎の後進も育てて、それが歌舞伎界に対する恩返しではないかと思って襲名に臨みたいと思っている」と取材を締めくくった。

取材・文・撮影=久田絢子

公演情報

歌舞伎座『六月大歌舞伎』
初代中村萬壽 六代目中村時蔵 襲名披露 五代目中村梅枝 初舞台
初代中村陽喜 初代中村夏幹 初舞台 
 
〈襲名・初舞台演目〉
昼の部
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』(いもせやまおんなていきん みかさやまごてん)
お三輪:中村梅枝 改め 六代目中村時蔵
 
夜の部
『山姥』(やまんば)
山姥:中村時蔵 改め 初代中村萬壽
怪童丸:五代目中村梅枝(初舞台)
 
『新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎』(しんさらやしきつきのあまがさ さかなやそうごろう )
魚屋宗五郎:中村獅童
丁稚:初代中村陽喜(初舞台)
丁稚:初代中村夏幹(初舞台)
 
 
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