《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol. 7 豊竹呂勢太夫(文楽太夫)
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「技芸員への3つの質問」
【その1】入門したての頃の忘れられないエピソード
昔は、自分の師匠と一緒に行かない巡業に弟子が連れて行って貰う時は、その巡業に行く偉い人に師匠が「南寿太夫をお願いします」というふうに頼む習慣があったんです。師匠がいない開放感で野放し状態にならないよう、巡業の間はその人を師匠だと思って、その師匠の用事もするし、向こうも弟子を連れてご飯に行く時なんかは自分の弟子でないその人も一緒に連れて行ってくれるんです。初めて夏の「青少年芸術劇場」という巡業に行った時は津太夫師匠がトップで、南部師匠が直接頼んでくれました。南部太夫師匠は小柄ですが津太夫師匠は大きな方なので、袴を畳むのも全然勝手が違っていて(笑)。津太夫師匠は、例えばご自分がカレーライスを注文したとして、弟子が遠慮をして自分もカレーライスを、と言うと、「わしはカレーライスでもお前は好きな物を食べたらええ」と怒るから、好きな物を頼んだらいい、とお弟子さんに言われました。私は試しませんでしたけど(笑)。そういえば、これは呂太夫師匠の方針だったのですが、自分の師匠以外にもほとんどの太夫さんから稽古をしていただきました。辞められた(豊竹)十九太夫さんから芸の注意を受けた人はあまりいないのですが、私は結構注意されましたし、住太夫師匠に弟子以外で一番叱られたのも私かもしれないですね。私が悪くなくても、「何故、弟弟子のあいつらに言ってやらへんねん、水臭いやつやなあ」なんて怒られて。脳梗塞から住太夫師匠が復帰されて楽屋の前に行ったら「ロッセー、ロッセー」と反復発声しておられるのが中から聞こえてくるんですよ。挨拶するのに中に入ったらニヤッとしながら「これ、言いにくいから練習してるねん」って(笑)。
【その2】初代国立劇場の思い出と、二代目の劇場に期待・妄想すること
やっぱり、私が最初に文楽に接したのが、1974年11月の国立劇場ですから、私の人生の中では大きな存在です。今思えば若手公演でしたが、『加賀見山旧錦絵』長局の段を十九太夫さんが語っていて。尾上がお初と話している場面でお客さんが笑ったので、私が母親に「どうして笑っているの?」と聞いたら、うちの親はちゃんとわかっていて『自分は歌舞伎より浄瑠璃が好きだ』と言ったからだよと説明してくれましたよ。草履打の段で、だんだら幕が落とされると角隠しをつけた奥女中たちがズラーっと並んでいてすごく綺麗だったのもよく覚えています。
2代目の劇場にはとにかく、1日も早く完成していただきたいです。東京での本拠地がなくなるとは夢にも思っていなくて。お客さんあっての文楽ですから、東京のお客さんが、文楽がないと生きていけないと思っていてくださらなければいけない。だからこそ違う劇場で公演をするわけですが、とにかく途切れてしまわないよう、文楽の禁断症状(笑)を維持していただかないと困るんです。
【その3】オフの過ごし方
私は趣味も職業も義太夫なので、骨董市に行って義太夫関連のグッズを探すくらいでしょうか。清治師匠からは「君ねえ、物より人間にもっと興味を持った方がいいよ」と冗談交じりに言われて、確かにそうだなとは思うのですが。見台コレクションの中での一番自慢の品は、戦前の見台屋さんの広告にもなった見台。文楽の見台って、遠目には立派でも近くで見ると本当に凝っているものは少ないんです。でもこの見台は蒔絵が豪華で工芸品としてもものすごい。それが宝物です。まだ使ったことはありません。昔と違って今は劇場も乾燥していますから、迂闊に持っていくとひび割れて壊れてしまいかねないのですが、使わないで持っているのも意味がないので、いつの日か……。
見台屋さんの広告にもなった見台。 提供:呂勢太夫
取材・文=高橋彩子(演劇・舞踊ライター)
公演情報
会場:日本青年館ホール
第一部 12時開演(午後2時20分終演予定)
第二部 午後3時15分開演(午後5時30分終演予定)
第三部 午後6時30分開演(午後8時40分終演予定)
二人三番叟 (ににんさんばそう)
山崎街道出合いの段
二つ玉の段
身売りの段
早野勘平腹切の段
●第二部 (午後3時15分開演)
艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)
酒屋の段
廓噺の段
●第三部 (午後6時30分開演)
五条橋 (ごじょうばし)
難波裏喧嘩の段
八幡里引窓の段
(字幕表示がございます)
各部・税込:
1等席 7,000円 (学生4,900円)
2等席 6,000円 (学生4,200円)