《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol. 7 豊竹呂勢太夫(文楽太夫)
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人間国宝・鶴澤清治と組んで
呂勢太夫さんは勉強会にも精力的に取り組み、若手の賞なども毎年のように受賞していたにも関わらず、本公演でずっと役がつかず不遇の時を過ごす中、2008年から三味線弾きの人間国宝・鶴澤清治の三味線と組むようになる。以来、15年超の歳月が流れた。
「清治師匠に引き上げていただき、大きな役をいただけるようになりました。師匠に特に教わったのは、勉強の仕方。最初の稽古の前には自分でお手本の録音を聴いて勉強していくのですが、例えば自分が録音を聴いて、この曲は『四角いものだ』と思って四角く作って行くと、『何を聴いてるんだ? 全然違う。三角だよ』。え?と思うのですが、言われて家に帰って改めて聴き直すと確かに『三角』なんです。力がないから正しく取れていない。そういうのがたくさんあるんですよ。最初の頃は特に”完コピ“をしてくるようにと言われました。自分流なんてとんでもない。画家でも何でもまず模写だろう、と。越路師匠の完コピなんてできるわけがないのですが、必死にテープを聴いて真似しても『全然違う。越路さん、そんなんとちゃうわ』って。『仮名手本忠臣蔵』の六段目(勘平腹切)の『母は涙の隙よりも、勘平が傍へ差し寄つて』と言うところを稽古してもらっていた時に、『越路さんだとね、おばあさんが横にググっと近づいてくる気配を語りに感じたわ。君のは何もない』。嬉しいとか悲しいとかそういう文章だったら、嬉しかったら嬉しそうに、悲しかったら悲しそうに語らないといけないことくらいは誰でもわかりますが、『勘平が傍へ差し寄つて』なんて、ただ勘平のそばに近寄ったという説明の文章。それを、おばあさんがずーっと迫って来た気配を感じたと言われて。それを表現される越路師匠は勿論ですが、そういうところまで感じ取ることができる感性をお持ちの清治師匠も、やっぱり名人ですよね」
その清治師匠との稽古では、一緒に録音テープを聴くこともあるという。
「清治師匠がお手本のテープを取り出してきて、『君はこう言ったけど、越路さんはそうは言ってないよね(ガチャッ)』と再生されて、一緒に聴く。『ここをゆっくり語ったら次は早く言ってるだろ。君、どっちもテンポが一緒』とか、そういうふうに、聴くべきポイントを教えてくださるんです。あと、これは本当に身の細る思いがするのですが、私との稽古の録音を再生しながら『ほら、ここ、こうなっているじゃないか、全然感情出てないよね』。恥ずかしいし情けないけどすごくためになります。普通、清治師匠くらいになったら、もう過去の人の録音なんて聴かないで自分流になさると思うでしょう? 何回もやった役でも、必ず過去の録音を聴き直す。初めての役だったら、ご自身も先人の完コピをされる。本当に勉強になります」
その清治師匠との本番中のエピソードは本連載Vol. 5の清治師匠のインタビューにも載せたが、ここで改めてご紹介しよう。
「清治師匠に引き上げていただいて1年ほど経った頃、師匠が作曲を手掛けた『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』の本番中、急に師匠の三味線の演奏にものすごく力が入ったんですよ。終わって盆がぐるっと回ったあと、『君ね、休憩するなら楽屋でして』『僕は相手が越路さんだろうと誰だろうと同じ気持ちでやっている。君はそれが足りない』。手抜きなんかしていたつもりは全くないのですが、足りないというわけです。舞台に出ていた人形遣いの(吉田)玉男さんが『今日の三味線、凄かったね』とおっしゃったので『僕が舞台で怒られていたんです』と答えて。それくらい、すごい迫力でした。『自分はこんなふうにやっているんだ』と横で示してくれた。いっぱいに語ること、それは今も本当に、いつも肝に銘じています」
令和4年5月国立劇場文楽公演にて 撮影:小川知子
≫芸歴40年から、その先へ