【間下隼人インタビュー】SSPW後楽園ホール大会でアレクサンダー大塚戦に必勝宣言! 「タイガーマスクにはなれなかったけど、僕だって“虎”なんだ」
『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.28』でレジェンド選手権防衛戦に臨む間下隼人
3月21日に後楽園ホールで開催される『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.28』にて、アレクサンダー大塚とレジェンド選手権をかけて3度目の防衛戦を行う間下隼人に話を聞いた。
現在、初代タイガーマスク率いるストロングスタイルプロレス(SSPW)の至宝たるレジェンド王座を戴冠しているのは、“初代タイガーマスクの二番弟子”間下隼人。
パワフルな蹴り技を見せる間下隼人(右)
決め技の切れ味もいい間下隼人(下)
リング上でチャンピオンベルトを巻く間下隼人
間下は長年に渡って兄弟子であるスーパー・タイガーを超えることが出来ず、デビューから約16年もの間“二番手”としてくすぶり続けていた。しかし、昨年2月にはついに殻を破って団体の至宝・レジェンド王座を戴冠。将軍岡本、そしてRIZINなどでも活躍する柔術家・関根“シュレック”秀樹を倒して王座を防衛するなど、新たな団体の顔として驀進している。
メインイベントで3度目の防衛戦。相手はアレクサンダー大塚
3月21日に迫る後楽園ホール大会では、間下が3度目の防衛戦としてアレクサンダー大塚を迎え撃つことが決定。
アレクは第3代レジェンド王者であり、間下にとっては初めてとなる同王座戴冠歴のある選手との防衛戦。2月16日川崎大会ではアレクが間下から直接フォールを奪って挑戦権を勝ち取っており、間下にとって連敗は許されない相手だ。
しかし、アレクは単なる挑戦者ではなく、特別な思いのある選手だと間下は語る。
今回のインタビューでは、『モーニング娘。』の追っかけに過ぎなかった間下青年が、地獄の道場生活を経て“初代タイガーマスクの二番弟子”になるまでの半生を振り返り、アレク戦に向けての想いに迫っていく。
「ベルトの為なら親指一本くらい安いもん」「今朝も脱臼した」――レジェンド王座のために “人生”をかける間下の覚悟と、アレクサンダー大塚への想い
――まず、間下選手にとってアレク選手はどのような選手なのでしょう
「実は、僕がプロレスラーとしての道を歩みだしてから本当にすぐにお会いしてる方なんです。自分は2006年9月15日に入門してるんですけど、9月20日にSSPWの後楽園ホールがあって。そのときにアレクさんが出てらっしゃって、佐々木日田丸さん……当時は佐々木恭介さんとの試合でしたね。挨拶の仕方も分からない状態で、続くか続かないかも分からない練習生だった自分に挨拶を返してくれて、『佐山先生の弟子としてやっていくのは大変だと思いますが、頑張ってくださいね』って言ってくれたのをすごく覚えてるんです。だから、僕にとってキャリアのホントに最初の最初から関わりのある方ですね」
――そんなアレク選手と王座をかけて闘うことになるとは当時の間下青年も思わなかったでしょうね
「ホントそうですよ。あのときは『本物のアレクだ!』って心の中ではしゃいでましたし(笑)。アレクさんはプロレスラーとして総合格闘技界に先陣を切って出て行って、PRIDEに出たときもマルコ・ファスを倒して結果を出した方じゃないですか。僕は高田延彦戦がすごく好きで、結果としては負けでしたけど、プロレスラーとしての意地が見えた試合だったことを鮮明に覚えています。そういう人と巡り巡って僕がチャンピオンとして闘う日が来るのは感慨深いです。僕なんか絶対続くと思われていなかったと思いますし、僕自身もここまで残れると思ってなかったんで(笑)。少し離れていた時期こそあれど、SSPWの旗揚げから参戦されている方っていうのは多分アレクさんだけだと思うんです。僕も定期的にアレクさんと闘わせていただいているんですけど、1回も勝ててないんですよね。シングルは今回が初めてですけど、しっかり僕が超えていかないといけないと思います」
――アレク選手は約29年のキャリアを持つ大ベテランです。レジェンド王者として、文字通りのレジェンドを打ち倒していくことも使命なのかもしれません
「レジェンドと言えば、アレクさんと闘った中で覚えてるのが、先生(初代タイガー)が長州力さん藤波辰爾さんと一緒にやってらした『LEGEND THE PRO-WRESTLING』興行で、アレクさんとよく対戦した記憶があります。(僕が)まだ体重も軽かったんで、ジャイアント・スイングでメチャクチャ振り回されてたな(笑)」
2月16日の前哨戦でアレクサンダー大塚に敗れた間下隼人(下)
――今年2月の川崎大会では、アレク選手にジャーマン・スープレックスを食らって直接敗れています
「僕、シュレックさんにもジャーマンで負けてるんですよ。ジャーマンに弱いのかな……? シュレックさんとは違うジャーマンって感じがしましたね。アマレスのジャーマンと、柔術のジャーマンって違うんだろうな。こういう風に(※上に放り上げるように)投げられたんでキツかったっすね。その前のネックロックで意識無くなりそうなくらいにキツかったってのもあるんで、アレにも気をつけたいですね。ジャーマンの他にも、ドラゴン・スープレックスとかタイガー・スープレックスも使われていた記憶があるんですけど、タイガー・スープレックスだけは食らう訳にはいかないですからね。序盤戦も、レスリングから始まる試合が僕は得意ではないので。対応はできると思うんですけど、あの身体で攻めて来られると厳しいのかなって気はしますね。元々のバックボーンがしっかりされている方なので。本人は『雑草魂』とか言ってますけど、アレクさんが雑草だったら僕なんか焼け野原ですよ(笑)。ぺんぺん草すら生えてないところから這い上がってきてるわけですから」
2月16日の前哨戦で間下隼人に勝利したアレクサンダー大塚(右)
――アレク選手も、25周年時の船木誠勝選手との初シングル(2020年12月17日)で、試合序盤に蹴りを受けて左腕を骨折しながらも闘い抜きました。あの気迫がアレク選手の強さなのかもしれません
「アレはヤバかったですね。あの瞬間、音が違ったんで、『あっ、折れた』ってみんな同時に察したのを覚えてます。僕も1年前に真霜拳號さんとやってベルト獲ったとき(2023年2月22日)に、試合中に真霜さんの蹴りを受けた親指が折れちゃって。そのままずっと試合を続けているんで、実は今も治ってないんですけど……」
――今も右手親指をテーピングでガチガチに固められていますが、その怪我のせいでしょうか
「あぁ、これは今朝脱臼しちゃっただけです」
――今朝?! そんな「ちょっと転んだ」みたいな気軽さで脱臼を?!
「ちゃんと治さないまま、っていうか欠場とかもせず、折れたままずっと続けてるんで。試合の度に亜脱臼を繰り返してるんで、すぐ取れちゃうんですよね」
――ちなみに、怪我の詳細はどのようなものだったのでしょう
「右母指CM関節内粉砕骨折、中指骨骨折、右母指靭帯全断裂、右母指脱臼って、一発で4つヤっちゃって。試合のときは『あっ、脱臼したな』くらいの感覚だったんですけど、終わったあとに近くの病院行ったら、『ウチじゃ無理なんで大きい病院行ってください』って言われて。たまたま最寄りの大きな病院に、日本に何人かしかいない指の専門医の先生がいたんです。そしたら『即手術です。引退も考えてください』って言われて。でも、僕の地元の福岡凱旋大会(2023年3月18日)が決まってたんで『それが終わるまでは手術できないです』って言ったら、『なに言ってんだコイツ』みたいな顔されましたね(笑)。それで、指グッチャグチャのまま福岡でも勝って、帰って手術して、リハビリもそこそこに練習を再開してって感じでした。バーベキューみたいにされてて、串刺しみたいになってたんすよ。こんな感じです(※レントゲン写真を見せる)。これをグリグリ回しながらリハビリするんで死ぬほど痛かったですけど、仕方ないっすよね。プロレスラーなんで」
――完治の目処は立っているのでしょうか?
「無いですね。一生このままだと思います。指の中のボルトが折れて5mmくらいチタンが残っちゃってるんですよね。骨の中に埋まっちゃってるんで、取るなら骨ごと抜き取らないといけないみたいで。そんな手術したら1年や2年じゃ戻れないんで無理やり続けてて。まあ、それくらいしないと獲れなかったベルトなんですよ、僕には。親指一本くらいだったら安いもんですよ」
「8時間かけて10,713回スクワット」「犯罪に巻き込まれてホームレスになった」――初代タイガーマスクの弟子として味わってきた“地獄”の日々と、晩成の大器を作った過酷なトレーニング
――さらりと「指の一本くらい安いもの」という言葉が出てくるのは、それこそ梶原一騎先生の劇画のようです
「周りにスゴい人たちしかいないんで、感覚がズレましたね。僕、実は思い出作りで佐山先生の入門試験受けに行ったんです。そしたら受かっちゃったんですよ。そこからが、ホントに……本当に、もう、地獄でした……」
――最初に見た地獄はどのようなものでしたか?
「入って1週間くらいだったかな? 先生がお出かけになる前に『キミ、スクワットしてて』って仰って。いつまでとか、何回とかも分からなかったんで8時間くらいスクワットしてたんです。意識も朦朧としてたんですけど、回数だけは数えようと思って。10,713回です。それはまだ覚えてます。先生が道場に帰られて『キミ、何してんの?』って言われるんで『スクワットしてました』って答えたら『馬鹿かお前はッ!』って怒鳴られて……。もう歩けなくて。っていうか本当に立つこともできなくなっちゃったんで、先生がタクシー代を出してくれて寮まで帰りました。あとで見たら道場の畳がちょっと沈んでて、血と汗のシミができてて……言ってて思ったんすけど、これ劇画っすね(笑)」
――入門テストは普通だったのでしょうか
「面接のときにドアをノックして開けたら、まず目の前に金髪で入れ墨だらけの折原さん(折原昌夫)がいるんですね。ドアが閉まって密室になったときに、『あっ、俺殺されちゃうんだな』って思いました。そのあと折原さんが先生を呼んだら、袴を履いて日本刀を持った先生が出てきて。そこでまた『あっ、俺殺されちゃうんだな』って思って。そのあと、折原さんに気を失うまでスパーリングでボコボコにされて。先生が気を失った僕の顔にペットボトルから水をかけて、僕が起きたら『はい、合格♪』って。……“普通”っていうか、『まあ、そんくらいは』って思っちゃうんですよね、今の僕から見たら」
――普段の練習自体も相当にキツいものだと思いますが、最初の頃はどのような練習をしていたのでしょう
「プロレスの技術的な練習よりも、格闘技寄りというか、ただただひたすらに強さを追究する練習だったんです。俗に言う“ガチンコ”ですね。僕は格闘技経験なんて無いのに、いきなりスーパー・タイガーとヘッドガードもマウスピースも付けずに打撃のスパーリングをして。勝てるわけ無いじゃないですか(笑)。勝つどころか、一発もかすりもしないし、蹴られまくるわ、殴られまくるわ、歯は折れるわ、顔面は血まみれになるわ……今考えると本当に恐ろしい練習でした。すんごいキツかったです。そのあとに、折原さんとスクワットを3,000回やるっていう。でも、なんも知らない状態で入ったんで、それが当たり前だと思ってたんですよ。でも、デビューして1年くらいしてから他の選手と話すことが多くなってきてから、『あれ?これ普通じゃないのでは?』ってようやく気付きました(笑)」
――それに食らいついていった精神力は凄まじいものがあると思います
「いや、そんなこと無いっすよ。毎日毎日寮で『どうか朝が来ないでくれ』って祈りながら寝てましたもん(笑)。当時は練習中に水を飲むことも禁止だったので、吐くフリしてトイレに行ってタンクの水を飲んだりして。まあ吐く水分も無くなっちゃってたのも事実で……。入門したとき80kgで来て、2週間で66kgまで落ちて、『ああ、これは死ぬなあ』と思いながらやってました。キツかったっすねえ……。少しでも空手とかレスリングとかやってればよかったんですけど、『モーニング娘。』の追っかけしかやってなかったんで。地獄でしたねぇ……」
――新弟子時代、練習以外で苦労したことはなんでしょう
「言っちゃダメな話が多すぎるんで、ちょっとマイルドなのを(笑)。当時、道場の鍵は僕が持ってて、まず室外機を見るんですよ。先生がいるかいないかが分かるんで。そこが第一関門。次にエレベーターを見るんです。エレベーターが1階に降りてたら先生は出かけている可能性がある。(道場がある)2階にいたら先生がいらっしゃる可能性がある。最後の関門は、電気メーターを見る。動いてたら確実に先生はいらっしゃる。地獄の門でしたね、当時は……。それが1年続いたんで。途中で後輩ができたりもしたんですけど、結局みんな辞めちゃったんで。弟子が20人くらいいたときもあるんですけど、みんな2週間も保たずにいなくなっちゃいました。僕、今でこそチャンピオンですけど、下がいないんで。今年38歳になるんですけど、ずっと若手扱いで。佐山先生はまだ僕が20代くらいに思われてるんじゃないかな?(笑)」
――「言っちゃダメだ」と思った話の中で、ギリギリ大丈夫だと思うエピソードをお願いします
「怖いんで、まあまあ大丈夫なやつで勘弁してください(笑)。新弟子時代は佐山先生の付き人をやってて、かなり多めに洗濯代とか買物代とかをもらって、その余りが収入って感じで。だから、寮を出ようと思ったときに審査が通らなくて、全然アパートとか借りられなかったんですよ。苦労して初めて借りたアパートに住み始めて1~2週間くらいだったかな? 天井から変な黒い液体が垂れてきて、上の階の住人にクレーム入れたりしてたんですけど、いきなり警察が来て取り調べ受けて。なんか上の階の人が大麻を育ててたみたいで……。僕、悪人面じゃないですか。完全に犯人の一味扱いされて、取り調べが始まっちゃって(笑)。すぐに疑いは晴れたんですけど、なんやかんやでアパートを強制退去させられて、公園で寝るホームレス生活が始まっちゃって。『なんでこんな思いしなきゃいけないんだろ』って絶望しながら道場行ってたんですけど、その通り道で偶然中学の同級生に会って。その同級生が不動産の仕事してて、紹介でアパート借りられるって奇跡が起きたんですよ(笑)。結局、結婚するまでそこに住んでました」
――「まあまあ大丈夫なやつ」で相当危ない話が出てきて困惑しているのですが、これ以上の地獄があった……?
「これ以上は本当に言えない話しか無いんで、残りは墓まで持っていきます(笑)」
「なんでプロレスの練習しないの?」――初代タイガーの衝撃発言から急飛躍!ジャガー横田&日高郁人の指導で“プロレスラー”として覚醒
初代タイガーマスク(前列左から2人目)と本大会の会見に臨んだ間下隼人(後列中央)。前列右端はジャガー横田、後列左端は日高郁人
――間下選手はここ数年で身体も大きくなり、試合内容も格段に良くなってレジェンド王座戴冠まで果たしました。この飛躍にはどのような理由があるのでしょう
「3年くらい前ですかね。先生が『なんでプロレスの練習しないの?』って仰ったんですよ。僕ら、ガチンコの練習しかしてなかったんで。トレーニングに関しても『なんでウエイトしないの?』って。まあ、結果的に先生が高く評価なさっている日高郁人コーチが就任なさって、プロレスの練習とウエイトトレーニングが解禁されて。初めて他団体の選手がしてきたような練習を経験して、『あっ、初めて“プロレス”を習ってるな』って感覚になりましたね(笑)」
――佐山先生から受けてきた“闘い”のための修練が前提としてあった上で、日高コーチの指導によってブレイクスルーが起きたということですね
「まさにそうですね。細かい力の使い方が分かったというか。ベンチプレスも始めて2年くらいで150kgまで上がるようになって。日高さんにフォームの指導をしてもらったらどんどん上がるようになって、150kgも行けるかなと思ったら行けちゃったんで、僕もビックリしました。まだまだ上の重量も行けそうなんで、頑張っていこうかなと」
――ベンチプレス150kgというのは簡単に到達できる領域ではないと思います
「でも、先生に報告したら『150はスタートラインだから』って(笑)。先生は僕よりも全然軽い体重で200kg以上挙げていたわけなので、僕もまだまだ修行が足りません」
――同じ頃にジャガー横田選手も女子マッチのプロデューサー&相談役として参画しました。ジャガー選手からの指導もあったのでしょうか
「ジャガーさんにも本当に良くしてもらってて。初対面で『アンタは身体も大きいんだから遠慮しないでちゃんと行ったほうが良い』『遠慮してる内はアンタは今より上に行けない。いいもん持ってるんだから自信を持て』ってご指導くださって。周りがスゴい人ばっかりだったんで、僕は自信っていうものを欠片も持てずにずっとやってたんですけど、『あのジャガー横田が「自信持て」って言うならちょっと持ってみようか』って思えて。佐山先生が僕の基礎を作ってくださって、その上に日高コーチが技術を与えてくれて、ジャガーさんが精神面のリミッターを外してくれた。本当に、偉大な皆さんのおかげで今の間下隼人があるんだなあとしみじみ思います。先生は僕のことなんて切ろうと思えばいつでも切れたはずなのに、見捨てずに今でも近くに置いてくださっているので。もっともっと成長した姿を先生に見ていただきたいです」
「タイガーマスクにはなれなかったけど、僕だって“虎”なんだ」――団体を背負うチャンピオンとしての危機感、コンプレックスを力に変えて前に進んでいく覚悟
決戦を前に拳に力を込める間下隼人
――長い長い下積みを経て、37歳でようやくプロレスラーとして完成してきたという印象があります
「僕も年齢を重ねてきましたけど、上がスゴすぎるんですよ。まだ若虎としては若頭補佐的な役割というか(笑)。SSPWを見渡すと、将軍岡本選手ですら僕より上ですし、関本大介さんも上、シュレックさんも50ちょっと、アレクさんも52歳。闘う人が一回りは上なんです。僕が上の人たちを超えていかないと、結局この新調されたベルトの価値も上がっていかないんです。おこがましいかもしれないですけど、僕が団体の時計の針を進めたと思ってるんです。僕ももうそんなに若くはないですけど、40代~50代で回ってたこの団体で新たな流れを作り出せたなと。ここで負けたら時間を戻しちゃうことになるんで、僕が勝って、勝って、針を進めて進め続けないと団体の発展はない気がしてるんです」
――そのために、アレク選手を超えなければならない
「ちょっと言い方は失礼かもしれないですけど、このカードが決まったときに周りから『なんで今アレクなの?』って言われたんです。でも、多分今なんです。今しかないんです。僕が遅かったとか、アレクさんが早かったとかじゃなくて、このタイミングでアレクサンダー大塚と闘えるというのは、僕にとってプロレスだけじゃなくて人生にとってプラスになるという確信があるんです。さっきも言いましたけど、アレクさんがマルコ・ファスを倒したときに、僕は本当に勇気をもらったんです。そのときにもらった勇気の恩返しをしたい。その気持ちに尽きますよ」
――間下選手からは団体を背負う“責任感”というより、現状を変えたいという“危機感”の方を強く感じます
「仰るとおりです。SSPWのファンって、佐山先生を見に来てるんですよ。当たり前のことですけど。その中で、『佐山先生が戻られるまで間下の試合を見よう』って思われる選手にならないといけない。タイガー・クイーンが出てきたときに『これはまずい』と思ったんです。僕らがやらなきゃいけなかったことを一晩でやっちゃったんですから。今は『クイーンの試合を見よう』って思われる選手になってるじゃないですか。それで女子も伸びてきて、今大会でも男子と女子で3試合ずつってカード編成になってますけど、僕はこれに納得してない。しちゃいけないと思ってて。ジャガーさんのネームバリューにはどうやっても勝てないですけど、試合内容だけは負けないように……いや、気持ちの上でも負けずに、本気で嫉妬して、反骨心をむき出しにして、全力で噛み付いていかないと女子に負けちゃいますよ。俺は、妹弟子にだって負けたくないんです」
――最後になりますが、改めてアレク戦への意気込みと、ファンへのメッセージをお願いします
「純粋な実力面では、アレクさんの方が上だと思います。ただ、SSPWのお客さんは僕の下積み時代をずっと見てくれた方も多いんで支持率は僕が勝ってると思います。『間下、よくここまで頑張ったなあ』って思いで応援してくれてるファンの方の気持ちは裏切れないんで、死ぬ気で勝ちにいきます。僕はチャンピオンとして、佐山先生がリングに帰られたときに『間下、よく頑張ったな。よく持ちこたえてくれたな』って言っていただけるような試合をしていかないといけないんです。僕はタイガーマスクになれなかった人間です。ただ、マスクを被ってないだけで僕も“虎”なんだってことをリングで証明します。3月21日は是非後楽園ホールにお越しください!」
■レジェンド選手権試合 60分1本勝負
[第17代王者]間下隼人(ストロングスタイルプロレス)
VS
[挑戦者]アレクサンダー大塚(AODC)
間下隼人 VS アレクサンダー大塚