ラサール石井と演出・栗山民也が語る、終戦直後を描いているのに見事なほどに“今”と重なる舞台『夢の泪』への想い

インタビュー
舞台
2024.4.2

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2024年4月6日(土)~29日(月・祝)紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて、こまつ座 第149回公演『夢の泪』が上演される(5月に全国公演あり)。

『夢の泪』は井上ひさしが新国立劇場のために書き下ろした「東京裁判三部作」の第2作目。2001年『夢の裂け目』、2006年『夢の痂』とともに、「戦争」そして「東京裁判」を当時の市井の人々の生活を借りて見つめ、その真実を改めて問う作品群だ。2003年の初演から20年以上を経た今年、こまつ座で初上演となる。

SPICEでは、演出の栗山民也、そして栗山演出初参加となるラサール石井に話をきいた。

――『夢の泪』の上演は、こまつ座では初めてとなります。新国立劇場で初演、再演された井上ひさしさんの東京裁判三部作の第二弾にあたるこの作品を今、上演するにあたってはどのような想いがあったのでしょうか。

栗山 そもそもの話をしようと思うと長くなるので、そこはかいつまんで話しますね(笑)。井上さんが遅筆だったことは周知の事実だと思いますが。僕が2000年に新国立劇場の芸術監督になったのはちょうど20世紀から21世紀に移るタイミングでしたから、その就任1年目には時代をテーマにした『時代と記憶』シリーズとして、日本の現役の5人の作家に新作を依頼したんです。その中のひとりが井上ひさしさんで。それまでもずっと、井上さんは「東京裁判を書きたい」と言っていて、何度も企画が上がっては途中でボツになったりしていたんです。

――これまでにも、その企画自体のお話はされていたんですね。

栗山 はい。でも、いつものことですが、井上さんのあの膨大な知識を、三時間の一つの作品に収めるのがとても難しい。

――ものすごく大量に、資料を読まれるそうですし。

栗山 そう、2ヶ月くらいかけて膨大な資料読みますからね。だから、井上さんに「9時間の芝居を書いてください」と言ったんです。

――もう、最初から長い作品で、と。

栗山 9時間分あればいろいろな知識が入れられるし、それを僕がカットして三部作にすればいいや、と思ったので。それを井上さんに話したら「それは面白い」と、上機嫌でした。それで第一弾の『夢の裂け目』を書いてもらったら、結局、その3時間分は1本のお話として完結してしまったんですけど。この時も、台本が出来上がったのはいつものように舞台稽古の直前でした。そして第二弾が『夢の泪』、第三弾が『夢の痂』で、それぞれ井上さんの20世紀への想いとレクイエムが詰まっている作品になっていました。その『夢の裂け目』が最近、新国立劇場のほうで再再演したところだったので、こまつ座で東京裁判三部作をやるのなら『夢の泪』だなと思ったんです。

――なるほど、そういういきさつだったんですね。

栗山 それにね、この作品はまるで今の時代とすべてがダブるんですよ。朝起きてテレビをつけると、戦争のニュースでどこも瓦礫の山になった風景ばかりが映し出されていて。この『夢の泪』は1946年の4月から6月の話で、その時期の東京も瓦礫だらけだった。そこからどうやって風景も人間も、すべてのものが再生していくかという祈りを込めた作品だったので。

――まさに今にぴったりの作品だった。

栗山 そうしたら能登半島の地震も起きてしまって。地震の場合は人間が自ら作ってきたものを自ら壊していく愚かさとは違いますが、やはりこの時も台本の最後のページが届いたのは舞台稽古の最中だったので、大変な作業を経てようやく初日が開けたことを覚えています。最後の章はエピローグになっていて、その中で女性の弁護士が一言、「あの裁判のことは、今も調べているんですよ」って言うんです。これは1946年に始まったドラマが、最後の章だけ1956年、つまり10年後になっているんですね。その10年の間に朝鮮戦争があり、特需があって、日本はまっしぐらに経済に向かって走っていく。だから瓦礫の山だった東京にもビルが建っている。その風景の中、最後のシーンは短いんだけれど女性弁護士、秋子が言うその一言の台詞を、朝に到着した最後の原稿で確認した時に僕は「ああ、井上さんってすべて、こういうことなんだ」と改めて思ったんです。つまり井上さん自身の存在もそうだし、どういう想いでペンを取っているのかということもすべてがそこにつながるというか。井上さんって、絶対に答えをそのまま書く作家ではないんです。必ず、問い続けるんですね。だから最後の場面で「私の作家としてのメッセージはこうですよ」なんてことは一言も書かない。だけど問うんです、「なぜ」って。その問いが、実は次の作品の主題になっていく。そうやって連綿と、時代は違う作品になったとしても、個人的欲求による問いで連なっていくんですよ。

――そして石井さんは、こまつ座には2017年の『円生と志ん生』以来のご出演となりますが、栗山さんの演出作品への出演は初めてですね。今回のオファーを聞いた時の、率直なお気持ちは。

石井 いやあ、嬉しかったです。もう僕、栗山さんの演出する井上作品には呼んでいただけないのかもと諦めかけていたので。

――そうなんですか?

石井 嫌われているかも、と思っていたんです(笑)。前々から「出たい」というアピールはしていたつもりだったんですけど、あ、それは栗山さんに直接とかではなくてね。井上作品が大好きなので。機会があればぜひやりたいといつも思っていたものですからそれが叶ったことと、栗山さんの演出をいよいよ受けられることも本当に嬉しかった。

――栗山さんの演出を受けたいと思われていた、その理由としては。

石井 それはもちろん演出作品を何本も観てきましたし、出演されたみなさんからの評判も聞いていましたし。それに僕も年を取って残された時間が少なくなってきたので、できるだけいろいろな演出家の方とご一緒してみたいという気持ちもありましたから。

――元気なうちに、と?(笑)

石井 いや、もはや元気でもなく、だいぶ劣化していますけど(笑)。でもまだやれるうちに、ということですね。

――お声がかかったのがこの『夢の泪』だったことについては、どう思われましたか。

石井 この作品に呼んでいただけるというのは、ちょっと意外でした。でもこの戯曲は以前から読んでいましたし、この作品ができるまでの『初日への手紙~東京裁判三部作のできるまで』という井上さんのご本も何度も読んで、だいたいの経緯やお芝居の内容は知っていました。初期の作品に比べて、後半に書かれた井上作品は喜劇的要素が比較的少なめで、もちろんそれでも趣向とか笑いはあるんですけれども。だけど考えてみると、自分が前に出演した『円生と志ん生』でも角野卓造さんがおやりになった役を演じたんですが、今回演じる菊治もやっぱり角野さんがやられていた役で。

――不思議な縁ですね。

石井 でも、角野さんとはしょっちゅうお会いしてはいるのに、まだ一度も一緒に飲んだことがないんですよ。一度お話をじっくり聞いてみたいなと思いつつ。それにしても、ひとりで台本を読んでいた時にはわからなかったのに、いざ稽古をしてみるとわかってくることがいっぱいあるんです。特にこの『夢の泪』は、ストーリーの起承転結、芝居の展開で特にすごいどんでん返しがあったり構造がすごいことになっている、というものではなくて。井上作品の中では、若干色合いが珍しいテイストの作品だと思っています。だから、ただこういう出来事がありました、こういうことがありましたと単に羅列したお芝居にはせずに、どう見せていくかがなかなか難しい。それに、そうやって稽古でようやくわかったことを、お客様にはその日の一度の観劇でわかっていただかなければならない。それこそが我々役者と、そして演出の仕事だなと思っています。最後も、なんだか一瞬ハッピーエンドのように終わるんですよ。ほんわかとして、みんな喜んでいて。だけどそれは本当のハッピーエンドというわけでもないんです。これは、栗山先生に言われてわかったことでもあるんですけどね。つまり、日本人ってすぐ忘れてしまうんです。10年経ったら、こんな風にわーわー楽しそうにしている、その日本人の馬鹿さ加減というか、ま、仕方ないねえというか。それは今、現在の日本人もまったく同じで、ホントすぐ忘れちゃう。それでいいんですか?みたいなこともテーマになっていることは、戯曲を読んでいただけではわからなかったことでした。

――つい、ハッピーエンドなのかと思ってしまうかもしれません。

石井 栗山さんの演出で、わかるようになってはいるんですけどそれもお客様に問いかけているだけだから、お客様にそれがちゃんと伝わるかどうかは、やはり我々のお芝居次第。そういう意味では、僕が演じるこの伊藤菊治という役は典型的な日本人なんですね。特に、目先のことばかり考えている人。目先の損得っていうか、金とか女とかって言っていますけど、でも当時は目先のことというか、生き抜くことしか考えられなかったんです。戦後1年目でしたし。

――命がけで生きていた時代だった。

石井 明日、飢え死にするかもしれないというギリギリのところで、みんな生きていた頃だから。それで当然、目先のことばかりになっていたんですけど、でもそこから日本は高度経済成長していくんですね。僕自身は、ちょうどこの最後の場面の1956年の時、実は1歳だったんです。だからまさに、そこからの高度経済成長時代を生きてきたわけで。確かにあの頃は何も不安がなくてみんな喜んでいましたけど、でもそこから歪みがいっぱい生まれて現在に至っているわけでもあって。それは日本人が、やっぱり戦後のあの時代のことから何から、みんなすぐ忘れてしまったせいなんだなということですよね。忘れさせられたともいえますけど。そう考えるとなんだかちょうど時代が、この戦後の頃と今が、細長い紙みたいに折りたたんだとしたらぴったり合う位置に当たるような気もしていてびっくりします。

――まさに、今書かれたかのような印象がこの台本のあちこちから感じます。

石井 そうなんです。政府の国民に対する対応とか、上に立つ人間がまったく変わっていない。プラス、国民の側も変わっていないんだなとも思います。これが井上先生の予言なのか、とも思うけれど、でもやっぱり実は戦後すぐの時代も、井上先生がこの作品を書かれた20年前も、そして今も何も変わっていないんですよ。

――今回、栗山さんが菊治役に石井さんをキャスティングした狙い、そしてどういうことを期待されていますか。

栗山 もちろん、それは大いに期待していますよ! 

石井 ハハハ!

栗山 僕は劇団というものに所属したことがないんです。それはどういうことかというと、ずっと同じ仲間同士だけで芝居を作っていくということに昔からアレルギーを感じていて。ちょっとおこがましい言い方をするならば、新国立劇場の芸術監督になった時は「日本全国の俳優が僕の劇団員です」なんて言っていましたから(笑)。基本的に今も僕はそのスタンスでやっていて、新しい作品に出会うたび、そこには必ず新しいキャストが必要なんです。団体に属すると、どうしてもみんな同じような喋り方になりがちなんですよ。それは仕方がないことで、神のように慕われたリーダーがいたらその人の文法を教わって、それがその集団の喋り方になるものだから。でも僕はそれが苦手なので、それでたとえば文学座の人がいれば宝塚の人とか違う演技術を学んだ人をぶつけてきて、それが一番の新しい座組になるとずっと思ってきたんです。そういう意味ではラサールさんのことは僕、テレビでの姿しか知らなくて。自分の作品を観るだけでもう精一杯なので、なかなか他の舞台を見に行けないんですよ。

だからテレビでのラサールさんの印象と、この菊治という人物とがギリギリまでせめぎあっていましたけど「よしっ、これだ!」と思えたのでお願いしました。そうなると、じゃ、ラサールさんが菊治をやるのなら、奥さんは誰にしようかと。そういう決め方なんですよ。

――似合うかどうかを考えながら、全体の座組をキャスティングしていくんですね。石井さんから見た今回の座組の面々はどんな印象ですか?

石井 いや、みなさん素敵ですね。すごく真面目ですし。きっと栗山さんの稽古場の空気感が、みんなを真面目にさせるんだと思いましたけど(笑)。

――そうなんですか?

石井 ものすごく濃密な稽古なので、ぼんやりしているとついていけませんから。あと、確かにいろいろと出自が違う方が揃っているので、それぞれのお芝居を見ているだけで面白いです。みんながみんな、ただただ正確にやろうとしていると爆発力、外へと放出する力が少なくなるけど、勘違いしても誤読してもいいからドーンってやっちゃおう!となると、すごく面白いことになったりするので。そういうことってお芝居に大事かなと思うんです。それに、実は昔からの知り合いも今回のカンパニーには多いんです。ツッチー(土屋佑壱)とか、酎さん(久保酎吉)とか。ツッチーとは*pnish*(パニッシュ)の公演で共演させてもらったり、酎さんはMODEの時代から知っていましたし。同い年なんです、俺よりちょっと上なのかなと思っていたんですが(笑)。

栗山 どう見ても酎さんが年上だよなあ(笑)。へえ、そうだったんだ。

――今回、栗山さんは演出的には、どういうところにポイントを置いて考えていらっしゃいますか。

栗山 まず、初演の時に浮かんだイメージというのをすごく大事にしているんです。再演の場合、初演の時には稽古が少なかったから今度はあそこはこうしてみよう、ああしてみようといろいろやりたくなるものなんだけれど、稽古が進んでくると、なんだ、全部無駄だったってことになる。結局、時間の問題じゃないんですよ。

――初演の時の、ファーストインプレッションで作ったものに戻っていく。

栗山 そうなんです。むしろ、逆にもっと削いでいくというか。それに、「東京裁判三部作」の場合は特に顕著だったことがあって。井上さんの戯曲って、ト書きがものすごく長いんです。「そこにふすまがあって、開けると三畳の台所があって」みたいに、舞台装置のことまですべて緻密に具体的なことが書かれてある。それが、「東京裁判三部作」の場合は、たとえば「街頭。6人歌う。」としか書かれていなかったりする。

石井 確かにそうですね。それまでの作品に比べると、具体性がかなり違います。

栗山 だから逆に言えば、ト書きの具体的制約から解放されるんだけど、逆に言葉にすべてが凝縮されるんです。言葉の中にすべてのト書きも組み入れられているわけ。だけど、それを普通に読んで、普通に発語しているだけでは、その言葉の裏側に用意された作家の企みみたいなものがつかめない。そうなると稽古場でみんなで探していかないと、多くのものをこぼしていっちゃうんです。だからその意味でも今回は稽古が、すっごく楽しい。やればやるほど、いろいろなものが見えてくるんですから。だからってそれを全部表現しようとすると、騒がしいだけの芝居になってしまいますからね。どれを取って、どれを排除していくか……。

――取捨選択をしていくことも、大事。

栗山 だから井上さんはきっととても苦しみながらこの三部作を書いたんだろうけれど、書きながらも楽しかったんじゃないかな、とも思います。言葉に対する欲望がものすごいから、一つの言葉をどれにするかで3時間ぐらいは考えて、果たしてどの日本語がこの場には一番適切な言葉なのか、役者のように自分で声に出して、最もなめらかに言うのか、あるいはあえて濁点のついた言葉で怒りをより強く表現するのか。原稿用紙の上でそうやってさまざまな言葉で、実験をするわけです。それを僕らは逆算しつつ、稽古場で人間の言葉の音に変えていく。だからね、僕は井上さんの書いた言葉は、まさに井上さんの声だと思っているんですよ。

石井 僕、栗山さんにお聞きしたかったことがあるんです。というのも、初演の時は台本が必ず遅れるわけじゃないですか。その場合、美術打ち合わせは一体どのようにしていたんだろう?って、不思議に思っていて。

栗山 台本の前に、緻密なプロットが渡されるんですよ。それは往々にして変更にはなるけど、そこにヒントはたくさんあるわけで。それに、台本を書き始めてからも「遅れてすみません」って、すごく長い手紙が来るんです。

石井 その手紙を書いている時間で、台本を書いてよって思うのに(笑)。

栗山 手紙を10枚書くくらいなら、台本を1枚だけでも書いてほしいのに(笑)。だけど、その手紙の中に何気ないスケッチとかも混じっているので。

石井 なるほどね。

――手紙にも、ヒントがある。

石井 確かに役者を動かすために、井上先生の頭の中には具体的な美術プランがあるんでしょうね。舞台となるのが、家の一室だったらまだやりやすいんです、日本家屋なら間取りってだいたい想像できるし。だけど今回みたいに、もうちょっと緩い空間が使われているとなると。

――家の中だけでなく、外になる場合もあるし。

石井 今回みたいな抽象的な舞台装置は、すごいなぁと思ったんです。こういうタイプの美術を、井上作品であまり見たことがなかったので。それで時間に余裕がなかったはずの初演時の舞台装置を、再演する際にガラッと変えるのかなと思うと変わらなくて、再再演の機会でも同じなんですから。そう考えると、時間が圧倒的にない中で最初に考えたものが、すごいんだなぁと思ったんです。

――時間はなかったはずなのに。それはやはり、さっきおっしゃってたファーストインプレッションのイメージが合っていたからということなんですか。

栗山 それはね。そもそも「『三文オペラ』で行きましょう」という話は2人でしていたんですよ。

石井 ああ、なるほど!

――それで、音楽がクルト・ヴァイルなんですね。

栗山 だけどね、みんな本当に稽古場で井上さんをどこか憎むような気分になってくるわけですよ。

――「もう、早く書いてくれ」って(笑)。

栗山 スタッフも役者も、精神も身体もボロボロですからね。だけど5、6枚、台本が送られてくるでしょ。そうしたら稽古をやっている最中でも「ごめん、ちょっと新しい原稿が届いたから、先にそっちの本読みをやろう」ということになる。だってみんなも、自分の役の運命を早く知りたいわけだから。

石井 それは、そうですよね。

栗山 それで黙読を一回したら集まって、声を出してみんなで読む。その時、笑いが起きる。

――すごいですね。

栗山 その時間の豊かさで、全部持ってっちゃうんだよ、最後まで。

石井 それはもう、作家としては、してやったりでしょうね(笑)。

――では最後に、お客様へ向けてお誘いの言葉をいただけますか。

栗山 とにかく楽しい芝居というよりは、芝居って、僕はさっき言ったようにいろいろなものがぶつかるものだと思っているから。だから今、何かに立ちすくんでいる人たちはぜひ劇場に来て、この作品とぶつかってほしい。何かが絶対、見えてくるはずだから。特に今の日本って……すべてがこんなにマンガみたいなことになっちゃっている国、他にないからね。裏金やら過激ダンスパーティーやら、あんなものをメディアで毎日毎日繰り返して流すより、もっと大事なものがあるんじゃないですか?って思うでしょ? そして好奇心というものも、もっと持ってほしいですよね。

石井 この『夢の泪』は、井上作品の中でもあまり回数を重ねて上演されているわけではなく、おそらく戯曲を読むなんていうこともまずされないでしょうから、おそらく初めてご覧になる方が多いのではないかと思います。「あ、こういう作品があったんだ」ということを知っていただきたいですし、きっと「え、これを本当に20年前に書いたの? まるで今の話じゃん?」って思えるでしょうし。「時代に合わせて、何か書き足したんじゃないか?」と思うくらい、今の心にグッと来るお芝居になっています。そして、もう本当に覚えるのがとても大変なんですが(笑)、クルト・ヴァイルの名曲、あと宇野誠一郎さんの名曲も含めて、とても素敵な音楽が散りばめられていますので、そこも楽しみにしていただきたいですね。

取材・文=田中里津子 撮影=福岡諒祠

公演情報

こまつ座 第149回公演 『夢の泪』
 
作:井上ひさし 
演出:栗山民也
出演:
ラサール石井 秋山菜津子 瀬戸さおり 久保酎吉 粕谷吉洋 藤谷理子 板垣桃子
前田旺志郎 土屋佑壱 朴 勝哲
 
音楽:クルト・ヴァイル 宇野誠一郎 
音楽監督:久米大作
美術:長田佳代子
照明:服部 基
音響:井上正弘
振付:井手茂太
衣裳:前田文子
ヘアメイク:佐藤裕子
歌唱指導:やまぐちあきこ
宣伝美術:ささめやゆき
演出助手:戸塚 萌
舞台監督:村田旬作
制作統括:井上麻矢
 
《東京公演》
4月6日(土)~4月29日(月・祝)
紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
■トークショー
10日(水)ラサール石井、秋山菜津子、瀬戸さおり、前田旺志郎
18日(木)ラサール石井、久保酎吉、藤谷理子、板垣桃子
27日(土)久保酎吉、瀬戸さおり、土屋佑壱、粕谷吉洋、前田旺志郎
※トークショーは開催日以外の『夢の泪』のをお持ちの方でもご入場いただけます。
ただし、満席になり次第締め切らせていただくことがございます。
※出演者は都合により変更の可能がございます。
■入場料 8,800円(全席指定・税込み) 夜 7,000円
U―30 6,600円(観劇時30歳以下) 高校生以下 2,000円(こまつ座のみ取り扱い)
 
《全国公演》
所沢公演:5月8日(水) 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール
山形公演:5月11日(土) 川西町フレンドリープラザ
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