『ビリー ・エリオット』の社会的背景を考える(後編)~ミュージカル『ビリー ・エリオット~リトル・ダンサー~』鑑賞の手引き②(全5回シリーズ)
(前回からの続き)
■NCB VS NUM の攻防
1984年3月6日、マギー(マーガレット)・サッチャー首相の放った刺客、イアン・マクレガーNCB(石炭庁)総裁は、採算のとれない20炭鉱を閉鎖し約2万人の炭鉱夫を削減するという炭鉱合理化案を、NUM(全国炭鉱夫労働組合)に対して通達した。NUMのアーサー・スカーギル委員長はこれを「野蛮な虐殺」と一蹴し、直ちに戦端が開かれた。ヨークシャーのコートンウッド炭鉱でストライキが始まると、数日のうちに、スコットランド、ヨークシャー全域へと波及、3月10日にはダラムとケントもストに突入した。そして、4月中旬までに全国の8割の炭鉱夫が参加する戦後最大の炭鉱ストへと拡大した。
ミュージカル『ビリー・エリオット』の舞台となるダラム州イージントン地区でのスト突入の様子は、冒頭のニュース映像に続く最初のナンバー「♪The Stars Look Down」の歌唱中に描かれている。曲が終わると、「少数の強硬派のせいで混乱が拡大、彼らは自由の破壊者だ」という声がラジオから流れてくるが、これは紛うかたなきサッチャー首相の実際の演説音声である。
すべての炭鉱夫がストに前向きだったというわけではなかった。この時点で閉鉱の指定を受けなさそうだった優良炭鉱の組合はストに消極的だったし、さらに個人の考えで仕事に従事する者、いわゆる“スト破り”をする者もいた。NCBのマクレガー総裁も、就労希望者には高い報酬を約束して敵の分断を図ろうとする。一方、ストの団結の乱れを懸念したスカーギル委員長は、一部の希望者たちによる就労行動を阻止するために強引な形で各地に遊撃ピケを張りに行った。とはいえそれは、サッチャーの行なった法整備によって既に違法行為とされていたから、治安警察に弾圧の口実を与えるばかりだった。こうしてNUMのピケ隊と治安警官隊との暴力を伴う衝突が各地で生じるようになる。
その最大の戦闘は5月29日~30日に起こった、南ヨークシャー州のオーグリーヴ・コークス工場での攻防戦、通称「オーグリーヴの戦い」だった。ピケ隊7,000人に対して、警官隊8,000人が弾圧を加える。多数の負傷者や逮捕者を出したこの流血の惨事は、人気ロック・バンド、ダイアー・ストレイツをして「アイアン・ハンド」という曲(1991年アルバム「On Every Street」所収)を作らしめるほどに伝説化された。また、現代アートの旗手ジェレミー・デラーは、この戦いを再現するパフォーマンス・アートを2001年に発表、ターナー賞を受賞するなど高く評価され、彼の代表作となった(YOUTUBEで“The Battle of Orgreave (2001) ”を検索すると、その製作ドキュメンタリー動画を見ることができる)。
ミュージカル『ビリー・エリオット』にも、組合のピケ隊と警官隊の対決が描かれる場面が登場する。「♪Solidarity」が歌われる場面だ。2015年、劇団☆新感線オールスターチャンピオンまつり『五右衛門vs轟天』で同曲のパロディ「♪それなりに」が披露されたことに腹を抱えて笑ったミュージカル・ファンも多かったかもしれない。また、コロナ禍の日本の舞台芸術の存続危機を受けて、2021年に関係者たちが「緊急事態舞台芸術ネットワーク」という組織を設立したが、その英語名を「Japan Performing Arts Solidarity Network」として、あえて「Solidarity」の語を用いたことも印象深かった。閑話休題。ともあれこの「♪Solidarity」のシーンは、ウィルキンソン先生のバレエ教室でビリー少年の才能開花を周囲の皆が気付く重要なところ。しかし、バレエ教室を挟んでピケ隊と警官隊が対峙したかと思えば、闘争とバレエ教室が交互に描かれ、挙句の果てにピケ隊vs警官隊の諍いとバレエ教室のレッスンがコミカルに融合するなど、見どころが目まぐるしく展開していく。ビリーのバレエ上達過程と炭鉱争議のエスカレートする過程が対位法的な構成によって互いに相対化されて見える、実に圧巻の場面といえる。
なお、この曲の中で警官たちは「ストのおかげで自分たちも残業代を沢山稼げて、子どもたちを私立学校に通わせることができる」「このままクリスマスまで続いて欲しい」といった内容の歌詞を、炭鉱夫に向けて歌うのだが、その歌のとおりサッチャーは治安警察官を高給で遇したのである。マクレガーをアメリカから呼び寄せた時もそうだったが、敵を倒すためなら政府の出費は少しもケチらない、というのもサッチャー流のやり方なのだ。
そして、警官たちの望みを叶えるかのように、NUMとNCBの団体交渉は膠着したまま、ストを長引かせた。それにより組合員の家庭の生活は苦しくなるばかりだった。12月になってもストは収束する気配がない。そこに、マクレガー総裁が「クリスマスまでに復職を希望した者にはボーナスを支給する」という甘い罠を仕掛けてきた。それでも、少なくない組合員は歯を食いしばって耐え忍んだ。しかしこのままでは、欧米人にとって一年のうちで最大の愉しみといえるクリスマスを楽しく過ごせそうもない。特に気の毒なのは、子どもたちだ。そこで国内外のスト支援者たちから大量のクリスマス・プレゼントがスト家庭の子どもたちに届けられるという、ひとときの心温まる椿事も起こった。
ミュージカル『ビリー・エリオット』の第二幕の頭には、組合の福祉センターでクリスマス・パーティが楽しく催される場面がある。そこで歌われるのが「♪Merry Christmas, Maggie Thatcher」だ。主にマギー・サッチャーに対して皮肉いっぱいに揶揄が向けられるが(たとえば、サッチャーに扮したジョージの前に牛が現れ、牛乳がとりあげられるやブーイングを浴びせられるが、これはサッチャーがヒース内閣の教育大臣だった時、学校給食における牛乳の一部無償提供を一部廃止した際に「ミルク泥棒」と非難を浴びたエピソードと繋がっている)、ついでに同内閣で環境大臣(1979-1983)・国防大臣(1983-1986)を務めたマイケル・ヘーゼルタインも、「いとしのクレメンタイン」の節に乗せて「変態マスカキ豚野郎」と罵られる。ヘーゼルタインは、環境相時代に、公営住宅の払下げなどサッチャーのリストラ政策を最も強硬に断行して弱者を苦しめていた人物だが、メリル・ストリープ主演の映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を見る限りでは、サッチャーとの相性はいまいち良くはない印象だ。事実、後年には、ヨーロッパ諸国と協調するかしないかで両者は真っ向から対立することとなる(サッチャーは反協調派、ヘーゼルタインは協調派)。何はともあれ、今これを読んだ後には、前述の場面で展開される巨大なサッチャーのパペットが登場する政治人形劇を見て、「装置の下手側に現れる変なパペット=ヘーゼルタインとは誰なんだ?」と悩まずに済むことであろう(※2024年の日本版舞台を観た限りでは、ヘーゼルタインの人形は登場してこなかったが…)。
■サッチャーの勝利と死
1985年に入り、ストが長期化し過ぎて先行きが見えなくなるにつれ、家計に困窮する労働者勢は次第にNUMから離れていった。また、警官隊の弾圧に対して抗戦する炭鉱夫たちの“暴力性”が、国民からの支持を得られにくくしていた。政府は違法なストを行なうNUMの財産を罰金として没収。資金難に陥りつつあったスカーギルが、「中東の狂犬」と呼ばれたリビアの独裁者カダフィ大佐やソ連に資金援助を求めると、そのことをメディアに暴露され、世間の目はNUMに対してさらに批判的となる。こうしてNUM側の敗色はいよいよ濃厚なものになろうとしていた。
ミュージカル『ビリー・エリオット』でも、或る重要な登場人物が或る事情を抱えてスト破りをする場面がある。そして、炭鉱行きのバスに乗るために集合したスト破りたちの点呼がとられる。「ゴームリー、デヴィッドソン、サマーズ……」。これらの名字を筆者は、ウィルキンソン先生のバレエ教室でも聴いた気がする……。ひょっとすると、スト破りたちは、バレエガールズたちの親なのか? だから後に、バレエを志すビリーに対して或る同情的な行動をとる者が出てくるのか?……このあたりの解釈は観客の想像力に委ねるしかない。
2月になると炭鉱夫の復職者(スト脱落者)が当初のスト参加者の過半数を超えるようになり、3月3日、遂にNUMはスト中止を発表した。全国の炭鉱夫たちは職場に復職せよとの指令がNUM中枢から下される。そして、まさに丁度そのタイミングで少年ビリーは……(この先のことは舞台を観てのお楽しみとしよう)。
かくして、この歴史的な炭鉱争議はNUMの完全な敗北、サッチャーの完全な勝利に終わった、しかし、これによってサッチャーの強権主義が暴走することを国民は懸念したのか、サッチャーが国民から再び熱烈に支持されることは最早なかった。さらに、人頭税の導入という政策が国民の大きな反感を買った。また、ヨーロッパ諸国の統合に頑なに反対する彼女の姿勢に財界も懸念を示し、これを受けて保守党内の亀裂が深まった。経済情勢も再び悪化してきた。そんな中、1990年11月、サッチャーは遂に首相を辞任し、11年に及ぶ長期政権の座から降りた。その後、2000年から認知症を発症、2013年4月8日に脳卒中により87歳で死去した。
サッチャーの訃報が流れた日、BBCラジオには、映画『オズの魔法使い』の中の一曲「鐘を鳴らせ!悪い魔女は死んだ(Ding Dong! The witch is dead)」のリクエストが数多く寄せられたという。東の悪い魔女が死んでマンチキンの民衆が歓喜する歌だ。ならば、ミュージカル『ウィケッド』のナンバー「No One Mourns the Wicked」(ドロシーに水をかけられて溶けた、西の悪い魔女の死を誰も悼みはしない、の意)のリクエストも来ていた可能性がある。そして同日ウエストエンドでは、まさにミュージカル『ビリー・エリオット』も上演されていたが、主催者は、彼女の死を願うといった旨の歌詞が含まれる「♪Merry Christmas, Maggie Thatcher」を劇中で歌うべきか歌わないべきかを、観客投票で決めることにしたという。結果、観客の反対票はわずか3票だったため、通常通りの内容で上演したという。これらは、物の本(※1)に「イギリスで最も愛され、嫌われた首相」という見出しのつけられているサッチャーならではの嫌われエピソードといえよう。
ミュージカル『ビリー・エリオット』の中には、ロイヤルバレエスクールの試験官がビリーのお父さんに向かって「スト、応援しています」と声をかける場面もある。そして、ビリーにはやがて朗報がもたらされることになる。サッチャーが否定的だった、高貴な階層が弱者を救済する“ノブレス・オブリージュ”の精神が、実はこういうところに発露しているように思える。ちなみに『ビリー・エリオット』とほぼ同じ時代の英国ヨークシャーの大学受験生たちを描いたアラン・ベネットの戯曲『ヒストリー・ボーイズ』(原題:The History Boys。2004年初演。2006年映画化)にも、有名大学の用務員だった男の息子が大学に合格できてしまうシーンがあるが、これも同様の精神の賜と見ることができる。
もちろん『ビリー・エリオット』という作品そのものがサッチャーに対して批判的な立場をとっていることは明らかだが、のみならず、実際に1984~85年当時、バレエを含む多くの舞台関係者及び文化芸術界隈の人々も、反サッチャーの立場から炭鉱夫やその家族たちに頑張って欲しいと願っていたのではないか(もちろん、暴力は否定しつつも)。というのも、別の本(※2)を紐解くと「イギリスの大学、国民保健機構、BBC、ブリティッシュ・カウンシル、美術館、博物館、演劇等は世界に冠たるものとして、イギリス人が誇っていたものであるが、彼女(サッチャー)は、それらは効率が悪く、左傾知識人の巣窟であるとして、徹底的にいやがらせをし、兵糧攻めにした」とある。この文章から察するに、新自由主義思想のサッチャーは、文化芸術全般に対して、人員削減や助成金カットなどの嫌われることをさんざんしてきたのであろう(どこかの国にも似たような事例があったような…)。それゆえにそれらに従事する人々はもっぱらサッチャーのことが大嫌いで、その死が悼まれることもなかったのではないか。
※1:「マーガレット・サッチャー-「鉄の女」と言われた信念の政治家 」筑摩書房編集部・著
※2:「サッチャー時代のイギリス: その政治、経済、教育」森嶋通夫・著
■多様性を肯定する時代へ
ミュージカル『ビリー・エリオット』において、バレエ・ダンサーを目指す少年ビリーを巡る小さな人間ドラマが描かれると同時に、その背景として現代英国史の大事件である炭鉱争議が進行していることは前回の冒頭でも述べた。また、舞台表現としての、その最も見事な現れが「♪Solidarity」の対位法的な構成であることも。このような、個人レヴェルの小さな話と、社会レヴェルの大きな話が表裏一体をなす作品は、昔から現代まで数多く存在してきた。
たとえば、日本人にはお馴染み、四世鶴屋南北の書いた歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』。四谷怪談は、先行して人気のあった忠臣蔵のスピンオフとして作られ、その初演時には表裏一体の関係にある二作品が交互に同日内に交互上演されたという。
タイプは少々異なるが、佐藤信の作・演出で68/71黒色テントにより上演された『阿部定の犬』(1975年)にも筆者は思いを馳せてしまう。これは、ニ・二六事件の戒厳令下で大雪降りしきる東京を阿部定が、切断した愛人の局部を携えながら徘徊する、といった話だったかと記憶する。実際に両事件はいずれも同じ1936年に起ったが、実際のタイミングには三ケ月ほどズレがあった。しかし、阿部定事件という猟奇事件と、政府要人が次々と殺害された軍事クーデター未遂事件を敢えて重ねることで異様な時代性を浮かび上がらせるという点では、四谷怪談と忠臣蔵の関係に近いものを感じさせる。
『ビリー ・エリオット』と同様に子どもが主役のミュージカルで、よく知られているのが『アニー』(1977年ブロードウェイ初演)である。前者より30年近く前にアメリカで作られた。大恐慌の余韻が色濃く残る1933年のニューヨークが舞台。両親を探すために孤児院を脱走した少女アニーはやがて富豪オリヴァー・ウォーバックスと出会い、その縁でホワイトハウスに行き、フランクリン・ローズベルト大統領とその閣僚たちの前で「Tomorrow」を歌ってみせると、それがきっかけとなってニューディール政策が生まれる。これもアニーの個人的レヴェルのドラマと、合衆国の政治経済を巡る歴史ドラマが表裏一体となって、大人の観客をワクワクさせる作りとなっている。そこには、(ハル・ノートを日本に突きつけた)コーデル・ハル国務長官やハロルド・イッキーズ内務長官、ヘンリー・モーゲンソウ財務長官、フランシス・パーキンズ労働長官、ルイス・ブランダイス連邦最高裁判所陪席判事らも登場。他に名前だけなら、アル・スミスNY知事、ハーバート・フーヴァー前大統領、ジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官、バーナード・バルーク大統領顧問、マハトマ・ガンジー、蒋介石夫人(宋美齢)なども出てくる。こうなると、アメリカ現代史や政治が好きな大人向けにも是非作品をアピールしたほうがいいはずだ。ちなみに2012~2014年にブロードウェイでリヴァイヴァル上演された『アニー』では劇の冒頭に、『ビリー・エリオット』と同様に、時代背景を説明する映像が流れ、作品への理解を深めるのに役立った。
……等々、個人レヴェルの「小さな物語」と社会レヴェルの「大きな物語」が表裏一体をなして並行関係にある作品は他にもいろいろあるが、例を挙げるのはこの辺までとしよう。
フランスの現代思想家ジャン=フランソワ・リオタール(1924-1998)は、(演劇や小説などの話ではなく)あくまで思想的な議論として、「大きな物語」という言葉を、著書『ポストモダンの条件』(1979年)で提示した。リオタールのいう「大きな物語」について、ここではザックリ、特定の社会観や世界観を支える理念を探求する近代の普遍的な物語であると仮定しよう。これは社会の多様性を統制する合理主義に基づくものである。しかし、その理念の自明性や信頼性が失われる時、「大きな物語」は終焉し、「小さな物語」が生まれるという。「小さな物語」とは、「大きな物語」では語られなかった多様性・異質性の物語だと、再びザックリと仮定しよう。そこに移行した状況が「ポストモダン」なのである、とリオタールは述べた。
リオタールの理屈に無理して沿う必要もないけれど、示唆に頷かされる部分は少なからずある。ミュージカル『ビリー・エリオット』で描かれる労働争議は、いわば新自由主義と社会主義のイデオロギー闘争でもある(そして、そのどちらも古臭いのだが)。その大きな物語は史実において、とりあえず新自由主義陣営の勝利となるが、その流れとは別に個別の小さな物語が同じ場所から生まれていく。
この舞台作品の原作映画『リトル・ダンサー』(原題:Billy Elliot)では、舞台版には登場しない未来が描かれる。そこでは、ビリー・エリオットは男性版の『白鳥の湖』(これ自体が異質性を感じさせる)の主役を張るバレエダンサーとなっている。また、少年時代のビリーに女装の楽しさを教えた親友のマイケルは、ゲイとなってビリーの舞台を観に来ている。
元々エリオット家の父親や兄はビリーがバレエの道を進むことを反対していた。彼らの自明の価値観では、炭鉱夫の子どもは炭鉱夫になるべきだったし、男がバレエを踊るなど「おかま」(原文では「puff」)の所業として侮蔑の対象となることだった。同性愛者嫌悪については、ヴィクトリア朝信奉者のサッチャーも同様であり(1988年、教育現場で同性愛に触れることを禁じる法を制定した)、そもそも、かつてのイギリスでは同性愛自体が違法とされていた。そのため救国の科学者、アラン・チューリングさえも罰せられ、自死に至ったことは、ベネディクト・カンバーバッチ主演の映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)等を観るまでもなく、よく知られている。イギリスで同性愛が合法化されたのは、イングランドとウェールズが1967年、スコットランドが1980年、北アイルランドが1982年のことだ。しかしブラック・ユーモアの伝統が強いイギリスでは、同性愛を笑うコメディはつい最近までテレビや映画、演劇の世界に沢山あったし、同性愛者が自虐ネタにすることも少なくなかった。
それでも1984-85の炭鉱争議を“端境期(『ハザカイキ』 by 三浦大輔 2024年)”として、LGBTQのムーヴメントが活発化してきた。1984年12月にロンドンで開催されたNUM支援のチャリティ・コンサート「炭鉱と変質者(Pits and Perverts)」は、弾圧される性的少数者のグループが、同じく弾圧を受ける炭鉱夫たちに連帯感を示して開催したイベントだった。この顛末は映画『パレードにようこそ』(2014年)に詳しく描かれている。「男らしく、女らしく」といった大きな物語としての保守的なジェンダー論が溶解し、多様性という名の小さな物語が承認される価値観が炭鉱争議をきっかけとして芽吹きだしたことは注目に値する。何より、ミュージカル『ビリー・エリオット』の演出家で原作映画の監督でもあるスティーヴン・ダルトリーや、音楽のエルトン・ジョンといった作品関係者もまた自ら性的少数者の立場を公言していることは見逃せない。すなわち、『ビリー・エリオット』は、多様性を理解するうえでの現時点における良き教材としても、大人たちが子どもたちと一緒に観て欲しい作品なのである。
文=安藤光夫(SPICE編集部)
■「イギリスの炭鉱争議(1984~85年)」早川征一郎・著(2010年/法政大学大原社会問題研究所叢書)お茶の水書房
■「イギリス炭鉱ストライキの群像」熊沢誠・著(2023年)株式会社旬報社
■「父さんの贈りもの―イギリスの炭鉱の子どもたちが書いたストライキの本」マーティン ホイルズ、スーザン・ヘミングス著 山崎勇治、田中美保子訳(1987年)レターボックス社
■「マーガレット・サッチャー-政治を変えた「鉄の女」-」冨田浩司・著(2018年/新潮選書)新潮社
■「マーガレット・サッチャー-「鉄の女」と言われた信念の政治家 」筑摩書房編集部・著(2014年/ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉)筑摩書房
■「サッチャー回顧録 ダウニング街の日々」マーガレット・サッチャー・著、石塚雅彦・訳(1993年)日本経済新聞社
■「サッチャー時代のイギリス: その政治、経済、教育」森嶋通夫・著 (1988年/岩波新書) 株式会社岩波書店
■「時代を切り開いた世界の10人 第5巻 マーガレット・サッチャー レジェンド・ストーリー」弦川琢司・著 (2014年) 学研プラス
■「サッチャー主義」小川晃一・著(2005年)木鐸社
■「イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ」小関隆・著(2021年/中公新書)中央公論新社
■「お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」北村紗衣・著(2019年)書肆侃侃房
■「英語の路地裏 ~オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く」北村紗衣・著(2023年)アルク
■「イギリス現代史 1900-2000」ピーター・クラーク・著 西沢保、市橋秀夫、椿建也、長谷川一、姫野順一、米山優子・訳(2004年)名古屋大学出版会
■「イギリス現代政治史[第2版] 」梅川正美、阪野智一、力久昌幸・編著(2016年)ミネルヴァ書房
■「ポスト・モダンの条件: 知・社会・言語ゲーム(叢書言語の政治 1)」ジャン・フランソワ・リオタール・著、小林康夫・訳(1989年)水声社
■「ビリー・エリオット」公演プログラム 三浦真紀・編集・取材・文(2020年)公演事務局
【連載】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』鑑賞の手引き(全5回)
公演情報
<キャスト>
オープニング公演:2024年7月27日(土)~8月1日(木)
本公演:2024年8月2日(金)~10月26日(土)
※会場内にて「撮影OK」のお知らせが表示されている時のみ撮影可能です。
※写真撮影は、お客様ご自身のお座席にてお願い申し上げます。お座席をご移動されての撮影は、ご遠慮くださいますようお願いいたします。
※フラッシュ撮影はご遠慮ください。
※内容は変更になる場合がございます。
8月29日(木)13:30(登壇者:鶴見辰吾×濱田めぐみ×吉田広大)
9月19日(木)13:30(登壇者:益岡徹×安蘭けい×西川大貴)
※対象公演回のをお持ちの皆様ご参加いただけます。
U-25:平日¥12,000/土日祝¥12,500