ミュージカル版の生みの親、エルトン・ジョン~ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』鑑賞の手引き⑤(全5回シリーズ)
■『ビリー ・エリオット』の“ミュージカル”はいかに生まれたか。
ミュージカル『ビリー ・エリオット~リトル・ダンサー~』(原題:Billy Elliot)の“生みの親”は誰?と問われれば、筆者は迷わず、あのスーパースターの名を発するだろう。そう、エルトン・ジョン(Elton John 1947年 英ミドルセックス州ピナー生まれ)である。もちろん、このミュージカルには映画『リトル・ダンサー』(原題:Billy Elliot)という原作があり、そちらの“生みの親”と呼ばれるに相応しいのが、脚本を書いたリー・ホールであることは重々承知している(そのリー・ホールのことは、当連載の第4回目で若林ゆり氏が詳しく説明している)。しかるに、ミュージカル版のほうの“生みの親”は、やはりエルトン・ジョンだと言いたい。それは以下に記す経緯を踏まえてのことである。
時は2000年5月。完成後まもない映画『リトル・ダンサー』は、カンヌ映画祭に出品され、新人監督賞《カメラ・ドール》にノミネートされた(結果的に受賞には至らなかったが)。その作品上映時、たまたまエルトン・ジョンが、私生活におけるパートナーのデヴィッド・ファーニッシュ(映画プロデューサー・監督・脚本家。2014年にイギリスで同性婚が合法化されたのを機にエルトンと正式に結婚)と共に、何の予備知識もないまま、会場に訪れた。エルトンは映画を観ているうちに、バレエダンサーを目指すビリー・エリオット少年と炭鉱夫の父親との関係に自分自身の人生を投影するようになった。映画では、最初ビリーの父親は息子がバレエを習うことに理解を示さない。だが或る時、息子のバレエの才能に気付くと、その夢を叶えてやろうと奮闘し始める。一方、現実のエルトンは、といえば、実父から愛情を注がれたことは一度もなかった。だからこそなのか、映画の展開には感情が激しく揺さぶられてしまった。
エルトンは取り乱すほど泣きじゃくり、同伴者デヴィッドに抱えられるようにして上映館から退出した。その後エルトンは、レセプション会場で本作品を監督したスティーヴン・ダルドリーや脚本のリー・ホール、そして主人公ビリー少年を演じたジェイミー・ベルらに会う。未だ興奮を抑えきることのできなかったエルトンは、身体を震わせ涙を流しながら、映画が心に深く響いたことを熱弁した。さらに同伴者デヴィッドの発案をきっかけに、ミュージカル舞台化を提案したという。
監督も脚本家も最初はエルトンのアイデアを非現実的だと思った。生身の少年を長期間舞台に拘束するなど困難だと考えた。しかし、エルトン自ら音楽を手掛けることを申し出たことで事態は動く。スティーヴン・ダルドリーとリー・ホールはいずれも舞台を出自とするクリエイターだったが、この時点でミュージカルは未経験の領域だった。一方、エルトンは既に『ライオン・キング』(原題:The Lion King/1997年ブロードウェイ初演)、『アイーダ』(原題:AIDA/2000年ブロードウェイ初演)という二つの大ヒットミュージカルに係わり、ミュージカル作曲家としての名声を確立していた。そんなエルトンからの心強い提案がスティーヴン・ダルドリーとリー・ホールのヤル気に火を点けないはずはなかった。
ミュージカル舞台化に際してスタッフは、演出をスティーヴン・ダルドリー、脚本をリー・ホール、振付はピーター・ダーリングとし、映画に携わった面々がそのまま舞台版にスライドされることとなった。そして、もちろん音楽はエルトン。ならば、歌詞は誰が書く? エルトン自身は作詞を手掛けない。するとエルトン、「これは元々リー・ホールの物語なのだからリー自身が書け」と命じた。リーは「生まれてこのかた歌詞など書いたことがない」と最初のうちはゴネたが、やがて折れた。そうしてリーの初めて書いた歌詞は、すぐにFAXでエルトンのもとに届けられる。それは非常に完成度の高いものに仕上がっていたとエルトンは述懐する。当時アメリカに住んでいたエルトンは歌詞に曲をつけるたびに、イギリス在住のリーに電話して歌って聴かせた。時差のせいでリーは深夜に起こされることがしばしばだったそうだ。……と、ここまで読めば、このミュージカルがエルトンの凄まじい熱量に引っ張られるようにして誕生した、という見方について納得していただけることだろう。
■ミュージカル作曲家エルトン・ジョンができるまで
今やエルトンは、ポピュラー音楽界のスーパースターとしてだけでなく、『ライオン・キング』、『アイーダ』、そして『ビリー・エリオット』という人気ミュージカルの作曲者としても、その名を世界に轟かせている。エルトン作曲の舞台ミュージカルとしては、もう1本、『プラダを着た悪魔』(原題:The Devil Wears Prada)という、同名小説及び同名映画を原作とするミュージカル作品があり、2022年にシカゴで限定上演(試演といってよいだろう)されている。ただ、何らかの事情により、内容やスタッフの大幅見直しが行われることとなった。その改訂を経た新プロダクションは、今年(2024年)10月にロンドンのウエストエンドで改めて上演されることとなった。
さて、エルトンが初めて音楽を手掛けたミュージカル作品は『ライオン・キング』だが、これは最初から舞台用に作曲されたものではなく、元々はディズニーアニメのサウンドトラックとして作られた。エルトンは、かなり以前にも『フレンズ』(原題:Friends/1971年)という映画のサントラを手掛けたことがあり、味わい深い佳作に仕上がっていたが、その後は自身の歌手活動をメインとしつつ、サントラの類に係わることはしばらくなかった。
ときに、通常エルトンの創作上の最重要パートナーといえば、作詞家バーニー・トーピンの名がまず挙がる。エルトンとバーニーは今日まで兄弟のような、切っても切れない絆が続いているが、そんな彼らにも少しの間、距離が置かれ、エルトンが他の作詞家たちと曲作りを行なった時期があった。そのうちのひとりが『ジャンプ・アップ』(原題: Jump Up!/1982年)というアルバムの収録曲「♪リーガル・ボーイズ」(原題:Legal Boys )の作詞を手掛けたティム・ライスだった。
ティム・ライスといえば、元々は作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーとの名コンビで『ジーザス・クライスト・スーパースター』(原題:Jesus Christ Superstar/1971年ブロードウェイ初演)や『エビータ』(原題:Evita/1978年ウエストエンド初演)等を世に送り出し、一世を風靡した有名作詞家である。その後もABBAのビョルン・ウルヴァース&ベニー・アンダーソンと組んだミュージカル『チェス』(原題:Chess/1984年)、アラン・メンケンと組んだディズニーアニメ映画のサントラ『美女と野獣』(原題: Beauty and the Beast/1991年)や『アラジン』(原題:Aladdin/1992年)等々、旺盛な活動を続けていた。『美女と野獣』『アラジン』は皆さんご存じのとおり、その後、舞台ミュージカルとしても人気を博した。そんなティムから、「♪リーガル・ボーイズ」の曲作りから十余年を経た或る日のこと、電話でエルトンにサントラ共作の誘いがあった。そうして作られたのが、ディズニーアニメ映画『ライオン・キング』だった。同アニメ映画は興行的な大成功を収めたうえ、サントラ盤も全米チャート1位に輝き、エルトンには「♪愛を感じて」(原題:Can You Feel The Love Tonight)により1994年アカデミー賞の歌曲(Original Song)賞や、1995年グラミー賞・最優秀男性ポップ・ボーカル賞の栄誉ももたらされた。さらにジュリー・テイモア演出でミュージカル化もされ、空前の大ヒットを飛ばしたことは、これも今更言うまでもないことだ。
【公式】Elton John - Can You Feel the Love Tonight (From "The Lion King"/Official Video)
『ライオン・キング』の成功に気をよくしたディズニーは、今度は最初から舞台作品としての新作ミュージカルを企画し、再びエルトン=ティムのコンビに依頼する。それがヴェルディの著名なオペラからストーリーを借りた『アイーダ』だった。ブロードウェイ初演ではアイーダ役にヘザー・ヘッドリー、ラダメス役にアダム・パスカル(Rentのロジャー役でお馴染み)を配したこの作品もやはり大当たりする。エルトンはさらに、同作品の劇中ナンバーを、スティング、シャナイア・トウェイン、スパイスガールズ、レニー・クラヴィッツ、リアン・ライムス、ジャネット・ジャクソン、ボーイズⅡメン、ティナ・ターナー、ジェイムズ・テイラーらに歌わせたアルバム『エルトン・ジョン&フレンズ アイーダ』(原題:Elton John & Tim Rice's AIDA/1999年)を並行してリリースし、こちらも大きな反響を呼んだ。
【公式】Elton John - Written In The Stars ft. LeAnn Rimes
『ライオン・キング』や『アイーダ』の創作過程において、過去にロイド=ウェバー、ABBA、メンケンといった第一線の作曲家たちを相手に傑作の歌詞を手掛けてきた天才作詞家ティム・ライスは、彼の中に蓄積されていた実践的知見を、ミュージカル作りの経験の無かったエルトンにも共有したはずである。とはいえ、エルトンにもミュージカル作曲家としての素地はそれなりにはあったと思われる。もちろん彼が、イギリス王立音楽院(Royal Academy of Music)の出身であり、クラシカルな音楽の基礎や教養を身に付けていたというのもある。だが、そのこと以上に、彼を取り巻く時代や環境の影響も重要だったように思える。そこで、少しの間だけ英国ロックの進化史をおさらいさせていただきたい。
1960年代にビートルズの出現により、ロックンロール音楽のクウォリティは著しく向上した。彼らは1967年にアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(原題:Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)を発表し、一個のLPレコード全体が統一的なテーマ性や物語性によって構成される“コンセプト・アルバム”という概念を確立させた(そこには、アメリカのザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表した『ペット・サウンズ』(原題:Pet Sounds)への強烈な対抗意識もあっただろう)。以降、キンクス、ムーディーブルース等がこの概念に沿ったアルバムを製作した。デヴィッド・ボウイの初期代表作ともいうべき『ジギー・スターダスト』(原題:The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars/1972年)もまた“コンセプト・アルバム”として脚光を浴びた傑作のひとつである。異星よりやって来たバイセクシャルのロックスターの物語が綴られていく。ライブの場では奇抜かつ派手なコスチュームを纏ってパフォーマンスをおこなう彼のスタイルが、“グラムロック”として持て囃された。なお、デヴィッド・ボウイの或る楽曲はエルトンの重要な楽曲にも影響を与えるが、それについては後述する。
そして我らがエルトンも、ご多分に漏れず“コンセプト・アルバム”に挑んでいる。『エルトン・ジョン3』(原題:Tumbleweed Connection/1970年)、『黄昏のレンガ路』(原題:Goodbye Yellow Brick Road/1973年)、『キャプテン・ファンタスティック』(原題:Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy/1975年)等がそれだ。バーニー・トーピンの作詞技量とも相まって、いずれも見事な完成度に到達した傑作揃いである。とりわけ『黄昏のレンガ路』はエルトンにおける金字塔的アルバムと言ってもいいだろう。
【公式】Elton John - Goodbye Yellow Brick Road (Remastered 2014) (音源)
一方、ザ・フーが1969年に発表した『トミー』(原題:Tommy)は“コンセプト・アルバム”ではありつつも、新たな戦略を打ち出した。敢えて“ロックオペラ”を標榜し、それが新たなスタイルとして世間に認知されるようになる。そしてその影響下で発表されたのが、(後にエルトンと組むこととなる)ティム・ライスとアンドリュー・ロイド=ウェバーによる『ジーザス・クライスト・スーパースター』(アルバムリリース:1970年)や『エビータ』(アルバムリリース:1976年)だったのである。この二作はいずれも最初に“ロックオペラ”としてアルバムが発表され、その後、早いタイミングで舞台化された。そして今では両作品を“ロックオペラ”と呼ぶ者はあまりいない。世間的イメージは、一般的な“ミュージカル”(『ジーザス』のほうは、かろうじて“ロック・ミュージカル”)としてすっかり定着している。
一方“ロックオペラ”の祖というべき、ザ・フーの『トミー』の場合、ケン・ラッセル監督によりミュージカル映画化され公開されたのが1975年で、舞台ミュージカル化(こちらの原題は、The Who's Tommy)されてブロードウェイで上演されたのは遅く1993年だった(2007年に、いのうえひでのり演出、中川晃教主演で日本語版が舞台上演されたこともある。また、2024年3月から、新演出によるリヴァイヴァル公演がブロードウェイで上演されている)。1993年の初演舞台はまずまずの評価に終わったが、先に映画化された『トミー』のほうは公開当時からカルト的な人気を博した。何よりもエルトン・ジョンが、同作品の中で最もキャッチ―なナンバー「♪ピンボールの魔術師」(原題:Pinball Wizard)をド派手に歌い演じた姿は、主演のロジャー・ダルトリー(ザ・フー)やエリック・クラプトン、ティナ・ターナー以上に多くのロックファンの記憶に印象深く焼き付いたのではないか。エンターテイナー志向の強いエルトンならでは、ケン・ラッセル作品における過剰でシアトリカルなキャラクターの役作りにうまくハマったのだろう。さらに、煌びやかなピアノ音をフィーチャーした楽曲アレンジも、ザ・フーのオリジナル音源の同曲よりもパワフルでインパクトが強かった。エルトンは、この曲を大いに気に入り、自身のライヴでレパートリーの一つとして歌うこともあった。一方ザ・フー側も、1991年にはエルトンの大ヒット・チューン「♪土曜の夜は僕の生きがい」(原題:Saturday Night's Alright (For Fighting)/1973年)を、彼ららしい力強いサウンドでカヴァー返しをしており、両者間の仲の良さをアピールした。
【公式】Elton John - Pinball Wizard (Remastered 1995) (音源)
こうした、コンセプト・アルバム → ロックオペラ → ロック・ミュージカルまたはミュージカル、というロック進化の流れの中で(おそらく盟友バーニー・トーピンの意志も強く働いたのだろうが)同じ時代の空気を吸っていたエルトンの豊かな音楽的感性は、その後のミュージカル作りに適応しやすいものへと醸成されていったことは確かであろう。ただ、その醸成に貢献した背景として、コンセプト・アルバム → ロックオペラ → プログレシヴロック(通称:プログレ)という流れ、もしくは、コンセプト・アルバム → プログレという流れのあったことも無視するわけにはいかない。プログレの追求する高度な音楽性・文学性・芸術性は、コンセプト・アルバム由来のものであり、ミュージカル音楽とも親戚関係にある。そして、エルトンの活動歴からも、プログレ系のアーティストとの同時代的接点を多々見出すことができる。
エルトンの本名は、レジナルド・ケネス・ドワイトだが、芸名の「エルトン」の部分は、デビュー前のバンド仲間、エルトン・ディーンから半ば勝手に拝借したという。このエルトン・ディーンは後に、カンタベリー・ツリーというプログレの一大派閥の中心的存在・ソフトマシーンに参加し、カンタベリー派の重鎮としてファンの尊敬を集め続けたサックス奏者だ。また、そのソフトマシーンの初代メンバーだったケヴィン・エアーズの6thアルバム『スウィート・デシーヴァー』(原題:Sweet Deceiver/1975年)には、エルトン・ジョンが計3曲にピアノ演奏で参加している。こちらはエルトンのマネージャーだったジョン・リードが一時期、ケヴィンのマネージメントも兼ねていた縁によるものだった。
エルトンが1971年に発表したアルバム『マッドマン』(原題:Madman Across the Water)には、イエス加入以前のリック・ウェイクマンがセッションミュージシャンとして3曲のレコーディングに参加、ハモンドオルガンを弾いている。このアルバムのプロデューサー、ガス・ダッジョン(初期エルトンの黄金期を語るうえでの最重要人物のひとり)がデヴィッド・ボウイの名曲「♪スペース・オディティ」(原題:Space Oddity/1969年)を担当した際にメロトロンを弾いていたのがリックだったので、その繋がりであろう。
ちなみに、その「スペース・オディティ」に触発されて作られたとされるのがエルトンの「♪ロケットマン」(原題:Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long, Long Time)/1972年)なのだった。火星に向けて一人旅立った宇宙飛行士の心境を綴った歌詞は、バーニー・トーピンがレイ・ブラッドベリの同名短編小説から想を得て書いた。プロデューサーはこちらもガス・ダッジョン。この楽曲名は後述するエルトンの伝記映画のタイトルにもなった。
【動画】エルトン・ジョン「ロケットマン」 (Royal Festival Hall, London 1972)
「♪ロケットマン」は1991年にケイト・ブッシュがレゲエ調のアレンジでカヴァーしたこともある。最初エルトンへのトリビュート・オムニバス・アルバムに収められ、その後にシングルCDで発売された。そのカップリング曲は、こちらもエルトンの1973年発表の名曲「♪風の中の火のように」(原題:Candle in the Wind)だった。元々はマリリン・モンロー(本名:ノーマ・ジーン・モーテンソンまたはノーマ・ジーン・ベイカー)のことを歌った曲だが、1997年にダイアナ元英皇太子妃が亡くなった際、彼女への追悼歌「♪キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997」として改作(改詞は原曲作詞者のバーニー・トーピン)。全世界で3300万枚以上ものCDを売り上げ、エルトン史上、最大のヒットナンバーとなったことはつとに知られている。
なお、エルトンは、ピーター・ゲイブリエルがケイト・ブッシュとデュエットした「♪ドント・ギヴ・アップ」(原題:Don't Give Up/1986年)によって「人生が救われた」と述べたことがある(ドキュメンタリー番組『The Kate Bush Story: Running Up That Hill』)。彼がリハビリ施設でドラッグやアルコール中毒と闘っていた時期(後述する映画『ロケットマン』参照)にちょうど同曲を聴いて、励まされたらしい。そんなエルトンも、やがてケイト・ブッシュとのデュエットを実現させることとなる。ケイトのアルバム『雪のための50の言葉』(原題:50 Words for Snow/2011年)の中の「♪ウィーラー街で雪に閉じ込められて」(原題:Snowed In at Wheeler Street)という曲がそれである。実に味わい深い仕上がり。
初期のエルトンのアルバムの中には、音楽的にもプログレからの直接的影響を見出すことのできる楽曲が幾つかある。たとえば、アルバム『黄昏のレンガ路』の一曲目「♪葬送〜血まみれの恋はおしまい」(原題:Funeral for a Friend/Love Lies Bleeding)はその最たる例といえよう。
他にもエルトンがキングクリムゾン結成時のヴォーカリスト・オーディションを受けて落ちたとか、プログレ関係の逸話は色々あるが、きりがないので、ここまでとしよう。
しかし、やはりエルトンといえば、本来的には偉大なポピュラー音楽のアーティストなのである。実際、彼が世に送り出した名曲、ヒット曲は数えきれないほどある。そして、これらがミュージカルを含む舞台、映画などに使われることもまた頻繁なのだ。
例えば、世代を超えて巷で最もよく聴かれている楽曲のひとつに「♪僕の歌は君の歌」(原題:Your Song)がある。1970年リリースのエルトンのセカンドアルバム『僕の歌は君の歌(原題:Elton John)」に収められた一曲目。作詞はもちろんバーニー・トーピン。プロデューサーはガス・ダッジョン。この曲は、他の歌手からもしばしばカヴァーされ、なおかつ、CMや映画、舞台にも使用されることが多い。近年の映画・ミュージカルで代表的なものといえばやはり『ムーラン・ルージュ!』(原題:Moulin Rouge!/映画=2001年、ミュージカル=2019年ブロードウェイ初演)だろう。映画では主人公クリスチャン役のユアン・マクレガーが、また、ブロードウェイ初演舞台では同役のアーロン・トヴェイトとサティーン役のカレン・オリヴォが交互に歌った。いずれも非常に印象に残るシーンであった。また、同曲を効果的に使用した舞台作品として、昨年2023年9月に渋谷ユーロライブで上演された、コント・ユニットの「切実」による『朝の人』(作:ふじきみつ彦、演出:岡部たかし、出演:岩谷健司、岡部たかし、富田真喜)という短編芝居もあった。まぁ観ていない人には何のことやら…であろうが、個人的には、これほど「♪僕の歌は君の歌」が切なく胸に迫った、見事な例を他に知らない。
【公式】Elton John - Your Song (Top Of The Pops 1971)
ともあれ、音楽的な天賦の才と、時代環境や経験によって培われた豊かな音楽的素地とが掛け合わさることで、いつしかエルトンはミュージカル音楽や映画音楽の領域でもビッグな存在にまで昇り詰めていた。それほどの彼から初めて直接的かつ積極的に原作映画のミュージカル化を切望されたのが、スティーヴン・ダルドリーとリー・ホールだったのである。ミュージカル未経験者だった二人にとって、これほど贅沢かつ挑戦し甲斐のある申し出はかつてなかったはずだ。
■『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』のミュージカル・ナンバー
ミュージカルの原作となる映画『リトル・ダンサー』はもちろんミュージカル作品ではなかったが、T. Rexをはじめとする魅力的な音楽が随所に流れていた(詳細は、本シリーズの第四回目、若林ゆり氏による映画解説編を参照のこと)。T. Rexといえば、デヴィッド・ボウイと並ぶグラムロックの代表格。バンドを率いたマーク・ボランは、デヴィッド・ボウイと同じ1947年生まれ。いずれもド派手なコスチュームでパフォーマンスを行なうことがウリだった(同系統の装いで知られたロキシー・ミュージックのブライアン・イーノも1948年生まれの同世代)。それで言えば、エルトン・ジョンだって、やはり同じ1947年生まれで、まるで宝塚スターを思わせる羽根のコスチュームで演奏するのだから、当然グラムロックに括られてもよさそうなもの。日本でエルトンの「♪クロコダイル・ロック」(原題:Crocodile Rock/1972年)のシングル盤が発売された際にはジャケットの最上部に「グラム・ロックの創始者エルトン・ジョン」という言葉が書かれており、当時はそうした見方もあったようだが、その後、彼をグラムロックと称する動きは立ち消えた。おそらく、バラード系の名曲の印象が強まったことと関係があるのかもしれない。
話を映画に戻すと、その魅力は、そのまま音楽の印象深さと直結するところも多かった。しかしミュージカル版では、それらの色を完全に塗り替えつつ、音楽によって作品全体を再構築しようとしたエルトンの、作品への思いの強さ、或いは、自信のほどが相当に感じられる。そんなエルトンがミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』のために書き下ろしたミュージカル・ナンバーは、次のとおりである(2020年日本公演のパンフレットに基づく。ただし【M-11】はチャイコフスキー作曲)。
【M-1】 The Stars Look Down
【M-2】 Shine
【M-3】 Grandma's Song
【M-4】 Solidarity
【M-5】 Expressing Yourself
【M-6】 The Letter
【M-7】 We Were Born to Boogie
【M-8】 Angry Dance
<ACT-2>
【M-9】 Merry Christmas Maggie Thatcher
【M-10】 Deep Into the Ground
【M-11】 Swan Lake Pas de Deux
【M-12】 He Could Go And Shine
【M-13】 Electricity
【M-14】 Once We Were Kings
【M-15】 The Letter - Reprise
【M-16】 Finale
ここで、各ナンバーについての所感を述べたいと思う。一切のネタバレを知りたくないという方は、読み過ごしていただきたい。
幕開けは【M-1】「♪The Stars Look Down」。本作と同様にイギリス北東部の炭鉱町でのドラマが展開する1940年のイギリス映画『星は見下ろす』(原題:The Stars Look Down/監督:キャロル・リード/原作はA・J・クローニンが1935年に発表した同名小説)からタイトルをそのまま借りた第一曲目は、冒頭のニュース映像に重なりながら炭鉱夫たちの労働歌として厳かに始まる。炭鉱組合職員らしき男が、組合員たちとやり取りを交わす様は、ちょっとだけビートルズ「♪イエローサブマリン」の一節を彷彿とさせる。やがてストライキ闘争の開始が伝えられると、大人たちは「星が自分たちのことを見守ってくれる」と信じ、希望にあふれている。一方、この事態をよく呑み込めていない子ども達のひとり、主人公のビリー・エリオットは同じ旋律で「僕を抱き上げて~いつか(大空に)飛べるさ」といった、大人たちとは異なる個人的願望を呟くように歌う。それは第二幕の【M-11】「♪Swan Lake Pas de Deux」で、ビリーが宙高く舞うバレエダンサーを夢見るシーンへの伏線となっている。
そんなビリーと対比して、【M-1】において「星に見下ろされてる」と自覚している炭鉱夫たちが歌う内容は、概ね地面や地下の方向に向いている。たとえば第二幕で父親ジャッキーがクリスマスパーティーで憂愁を漂わせつ歌う【M-10】「♪Deep Into the Ground」や、終盤において闘争に敗れた炭鉱夫たちが仕事を再開する際に歌う【M-14】「♪Once We Were Kings」も、そうだ。炭鉱夫の労働歌はいずれも、地下への下降が歌われているのだ。ビリーの上昇性とは全く対照的なのである。
そのビリーの上昇性は、他の人物たちによる楽曲からも確認できる。第二幕の【M-12】「♪He Could Go And Shine」で、ビリーの才能に気付いた父親ジャッキーは、長男トニーと口論をしながら「あいつ(次男のビリー)は星になれるかもしれない」と述べる。炭鉱夫たちがあくまで「星に見守られている」存在なのに対して、ビリーはひとり天高く飛翔して“星”そのものとなり、人々を輝き照らす存在となれる可能性があると、父親ジャッキーはしっかり見抜いているのだ(この点は、「ビリー・エリオット」2020年日本公演プログラム内のコラムにおいて、当公演の訳詞担当を務める高橋亜子氏も指摘している)。
その星の“輝き”は、小さなバレエ教室に迷い込んだビリーを半ば強引にレッスンに引き入れ、彼の才能を見出すことになるウィルキンソン先生が「輝け」と歌う【M-2】「♪Shine」からも繋がってくる。だとすれば、【M-2】の旋律の一部が、アンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカル『スターライト・エクスプレス』(原題:Starlight Express。“「星の光」急行”と訳せる!)の「♪Rolling Stock」のイントロに似て聴こえたとしても、ビリーに星(スター)となって光り輝いて欲しいというウィルキンソン先生の気持ちがそこに込められているのだと思えば、妙に辻褄が合う。そして「輝け」のメッセージは、その後の【M-4】「♪Solidarity」の中でも、反復される。
ウィルキンソン先生はさらに、「われらはブギを踊るために生まれてきた」という、まるで笠置シズ子が歌ってもおかしくないような【M-7】「♪We Were Born to Boogie」を、ブレイスウェイトさんにピアノ伴奏をさせながら、エルヴィス・プレスリーばりのノリでビリーに歌って聴かせる。踊る楽しさを徹底的に伝えることで、ビリーにバレエ・スターになって欲しいというウィルキンソン先生の心情が、ここでもありありとわかる。
しかし、ダンスの楽しさを伝えることにおいては、ビリーのおばあちゃんだって負けてはいない。イギリス民謡風のワルツ【M-3】「♪ Grandma's Song」に乗せて、亡夫の粗暴さを愚痴ると同時に、ダンスを踊ることがいかに楽しく、生きる糧となったことか、ビリーにしみじみと歌い聞かせるのだ。こちらはボブ・ディランが歌ってもしっくり合いそうな、フォークっぽい曲調のようにも感じられた。
そして【M-6】「♪ The Letter」は、ビリーが、亡き母親が生前に未来のビリーに向けて書いた手紙を、ウィルキンソン先生に読ませるという曲。途中から、ビリーの心の中の母親が現れて直接歌う。自分はビリーのことをいつも見守っているから、ビリーには自分らしく強く生きて欲しい、と。一瞬サビが『レ・ミゼラブル』の「♪夢やぶれて」(原題:I Dreamed a Dream)の一節を彷彿とさせなくもないが、たとえそうであったとしても、この作品の中で最も涙腺を緩ませるナンバーであることに変わりはない。
ビリーを応援する人間は他にもいる。親友の少年マイケルである。彼は自身が女装に興味を示すこととも併せて、【M-5】「♪Expressing Yourself」において、自分たちの好きなことを自由にやるべきだと主張し、そのことでビリーを勇気づける。この場面は、タップダンスやラインダンス等も交えながら、さながら往年のブロードウェイのミュージカルショーの華麗さを炸裂させ、音楽も当然ながら明るく華麗なものに仕上がっている。観客席は興奮の坩堝と化す。
同じタップの表現でも、明るく前向きな【M-5】とは異なり、悔しさの張り詰めた辛苦のタップもある。「男がバレエを踊るなんて」と、古臭くて狭苦しい考えに固執する父親や兄に対するビリーの怒りが沸点に達した時、ハードでパンキッシュなロック音楽と共に、攻撃的なタップがスピーディーに打ち踏まれる。それが【M-8】「♪Angry Dance」である。これを聴く時、筆者は原初のアイリッシュ・ダンスを思い浮かべてしまう。16世紀にイングランドによるアイルランド支配が始まると、アイルランド人は弾圧を受け、彼らの伝統文化の活動は軒並み禁止されてしまった。しかしアイルランド人はこっそりと下半身だけで大地を踏み鳴らしながら、独自の伝統的民族リズムを継承していったという。つまり元々それは支配者の不当な圧政に対する怒りのダンスでもあったのだ。
ビリーの怒りとは別に、炭鉱夫たちも腹を立てている。無論、政府のやり方に対してだ。だからこそストライキを続けている。しかし闘争に打ち勝つには組合員の団結が必要だ。なのに団結を乱す存在がいる。スト破りという名の復職希望者たちだ。そこで組合側はピケを張り、スト破り=復職をさせまいとする。だが、そのピケ隊に弾圧を加えるのが警官隊の仕事である。警官隊にとっても、ピケ隊に負けないためには団結が必要だ。こうして、いずれの側も団結を強固にしていきながら、その諍いはどんどんエスカレートしていく。この争議の様子を描くナンバーこそ【M-4】「♪Solidarity」なのである。
ただしこの楽曲の場面ではウィルキンソン先生のバレエ教室のレッスンの様子も同時並行的に描かれていくのがミソだ。男たちの戦いと、女子たちのレッスンが混じり合い、双方がユーモラスに相対化されていく。つまり、笑えてしまう。そんな中、ビリーはついにバレエの才能を大きく開花させるのだが、その途端にバレエをやっていることが父親にバレてしまい一波乱が起こるという、情報量の多すぎる非常に面白いシーンとなる。このナンバーのパロディソング「♪それなりに」が、2015年の劇団☆新感線オールスターチャンピオンまつり『五右衛門vs轟天』で披露されていたことも思い出深い。また、歴史の大きな物語と個人の小さな物語が交錯する箇所である、という意味においても、この【M-4】は、【M-1】と同様に重要度の高いナンバーだと筆者は思っている。
【公式】Billy Elliot the Musical Live - Solidarity
当連載の第一回目と二回目でも詳しく紹介したとおり、このミュージカルの中で起こっている炭鉱争議は史実である。1984年3月に始まった炭鉱夫組合とサッチャー政府との戦いは、ボクシングに譬えるならば、あたかもカシアス・クレイとモハメッド・アリが対戦しているかのように(←これは当舞台の中で語られるギャグの援用であるのだが)なかなか決着がつかなかった。交渉は暗礁に乗り上げ、ストライキは12月になっても継続中という異様な事態を招いていたのである。
12月といえばクリスマス・シーズン。スト参加で無給状態となり、生活苦に陥っている組合員たちは、地域のコミュニティでパーティーを開くことが多かったようだ。本作の中でもそういったパーティーが開かれ、余興で政治風刺人形劇が上演されている。そこでの敵役はもちろん時の首相、マーガレット・サッチャーと、その閣僚で、サッチャーの合理化政策を最も強く推進していたマイケル・ヘーゼルタイン。このシーンで炭鉱の組合員とその家族たちによって歌われる陽気なミュージカル・ナンバーが、【M-9】「♪Merry Christmas Maggie Thatcher」である。
ここにおけるサッチャーとヘーゼルタインへの攻撃には容赦がない。サッチャーの死さえ願っているような過激な内容。曲の終盤には、「いとしのクレメンタイン」(原題:Oh My Darling Clementine/ジョン・フォード監督の映画『荒野の決闘』の主題歌にもなった)のメロディに乗せて、女子たちがヘーゼルタイン環境相を変態野郎と罵って締める。リー・ホールの書いたこの過激な歌詞をエルトンは新鮮なものと受け止め、高く評価した。自身のヴォーカルでレコーディングしたヴァージョンもあるほどだ。筆者の観点では、虐げられた民衆が時の政権を批判するこの歌は、ミュージカル『アニー』において失業者村=フーバービルの住人たちが無策のH・フーバー大統領に対して皮肉を込めて歌う「♪We'd Like to Thank You, Herbert Hoover」とほぼ同じ位置付けにある。
さて、この章の最後に、本作の中でクライマックスともいうべきナンバー【M-13】「♪ Electricity」を紹介しよう。ロイヤルバレエスクール受験の場面で、面接官からダンスする気持ちを訊かれたビリーが、言葉ではうまく言い表せないが、その感覚は「電気」のようなものです、と答える歌である。日本公演の訳詞を担当した高橋亜子氏は、当初「Electricity」を「電気」と訳すことに躊躇いがあったそうだが、英国人スタッフに「石炭」と対になる言葉として「電気」と訳すように求められたそうだ。「石炭」は古い動力資源であると同時に、ビリーを縛りつける保守的な環境の比喩でもある。そこから新時代に向けて自由になるための刺激が「電気」というわけだ。
そういえば、原作映画の『リトルダンサー』で象徴的に使用されていた楽曲が、T. Rexの「コズミック・ダンサー」(原題:Cosmic Dancer)や「ゲット・イット・オン」(原題:Get It On/2024年東京公演では終演後のBGMとして劇場内に流れている)だったが、この二曲が収められたアルバムは『電気の武者』(原題:Electric Warrior/1971年)というタイトルだった。それを思うと、【M-13】はまさにエルトン版の“電気の武者”と解釈したくなる。そこには、少年時代、保守的な環境から飛翔したかったであろうエルトン自身の気持ちもとりわけ強く込められているような気がする。そこで、この曲を作曲者自身が歌う動画に触れていただこう。ただし実際の舞台上では、この動画では到底味わえない色んなプラスアルファの要素が展開するので、舞台のほうももちろん観ていただきたい。なお、2004年にリリースされたエルトンのアルバム『ピーチ・ツリー・ロード』(原題:Peachtree Road)のイギリス盤CDのボーナストラックには、この「♪ Electricity」に加え前述の「♪Merry Christmas Maggie Thatcher」、そして「♪The Letter」のエルトン自身によるセルフカヴァーが収録されているので興味のある方は是非。
【動画】エルトン・ジョン「♪ Electricity」
■伝記ミュージカル映画『ロケットマン』
ミュージカル『ビリー ・エリオット~リトル・ダンサー~』(原題:Billy Elliot)は2005年春にロンドンはウエストエンドのヴィクトリア・パレス劇場で初演開幕し、同劇場が改築で閉鎖となる2016年春までロングラン上演された。また、NYブロードウェイをはじめ、世界各国で上演され、多くの観客を動員し、名だたる演劇賞も多数受賞した(オリヴエ賞は5冠、トニー賞は10冠!)。
演出のスティーヴン・ダルトリー、そして脚本・歌詞のリー・ホールは、本作におけるエルトンの音楽についてそれぞれ「様式の多彩さに感心した」という主旨のことを『ビリー・エリオット ミュージカルライブ ~リトル・ダンサー』のBlu-ray/DVD特典映像の中で述べている。アーティストとしてのエルトンといえば、ピアノ・バラードや賑やかなロックンロールの印象が強いが、ミュージカルの作曲では確かに様々なタイプの音楽を放り込み、そこから豊かな世界を立ち上げる。とりわけミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』では、前章で既に触れたように、力強い労働者の曲、寂しい曲、激しいロック音楽、オールディーズ風ナンバー、華やかなダンスナンバー、しんみりとさせる曲、民謡、等々、これまで彼が手掛けてきたミュージカル作品以上にヴァラエティが色とりどり状態となり、しかもすべてが名曲揃いという奇跡を起こしている。
エルトンは、本作の創作経験を通じて、脚本・歌詞のリー・ホールの才能をいたく気に入ったようで、自身の半生を描いた伝記ミュージカル映画『ロケットマン』(原題:Rocketman/2019年)の脚本にリーを指名した。ちなみにエルトン自身はこの映画では製作総指揮のひとりという立場。監督は『ボヘミアン・ラプソディ』(原題:Bohemian Rhapsody/2018年)を代行監督したデクスター・フレッチャーで、『ロケットマン』では、じっくり腰を据えてディレクションをおこなっている。エルトンの役は俳優のタロン・エガートンが務め、創作上の最重要パートナーというべき作詞家バーニー・トーピンの役は、なんと映画『リトル・ダンサー』で主人公ビリー・エリオット役を演じたジェイミー・ベルが担った(なお、ジェイミーにとって、生まれて初めて出会ったスーパースターは、2000年のカンヌ映画祭のレセプション会場で激しく泣きじゃくっていたエルトン・ジョンだった、とのことである)。
この映画はジュークボックス・ミュージカルのスタイルをとっており、エルトンの数々の名曲が各場面に合うように散りばめられているので、実際の楽曲発表順に音楽が並んでいるわけではなく、描かれている彼の人生の細部も100%事実通りに作られているというわけではない。ドキュメンタリー作品ではないのだから、当然である。それでもエルトン・ジョンという人格と彼の作品群がどのようにして作られていったかを知るには、概ねわかりやすく、意義深い作品である。
筆者が最もジーンと来るのは、エルトンの実家でバーニー・トーピンから手渡された歌詞にピアノを弾きながら曲をつけていく、「♪僕の歌は君の歌」の誕生シーンである。バーニーだけでなく、家にいた母親やおばあさんまでもが、あまりの素敵なメロディに思わず聴き入ってしまう。そして、そのまま同曲のレコーディング風景に自然にスライドしていく、という演出も心憎い。
サウンドトラックのプロデューサーは、ジャイルズ・マーティン。ビートルズのプロデューサーとして名高き、かのジョージ・マーティンの息子である。彼は、父ジョージが「♪キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997」のプロデューサーを務めた際、その助手としてエルトンとの仕事を経験していた。また、ビートルズ楽曲のみを使って繰り広げられたシルク・ドゥ・ソレイユによるラスベガスのショー『LOVE』(2006年~2024年)において、父と共に音楽監督を務めた。そんな彼だからこそ、この映画『ロケットマン』でもエルトンの名曲群を巧みに料理している。生まれ育った環境から得られた恩恵ももちろんあるのだろうが、そんなことを気にさせない彼独自のセンスも音楽から伝わってくるのが心地よい。自身の実父との関係性が芳しいものではなかったエルトンからすれば、このマーティン父子の関係性はさだめし理想的なものと思えたことだろう。
そんなことも含め、映画『ロケットマン』を通じてエルトンのことを知るにつけ、エルトンがミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』に対して、どのような思いで音楽作りに臨んだのかが、なんとなく見えてくる。前述した、リー・ホールやジェイミー・ベルの起用もそうだが、映画『ロケットマン』はミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』と連続性のある作品と見てよいだろう。その意味において、ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』をこれから観ようと思っている方々や、その音楽に興味を覚える方々には、エルトン・ジョン入門として是非、映画『ロケットマン』もご覧いただくことをお勧めする。それによって、かの人物の屈折や暗闇を感じ取ることができるならば、ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』からも、新たな発見を得られることと思う。
【公式】Rocketman (2019) - Official Trailer - Paramount Pictures
文:安藤光夫(SPICE編集部)
■「ビリー・エリオット」公演プログラム 三浦真紀・編集・取材・文(2020年)公演事務局
(特に訳詞担当の高橋亜子氏によるコラム「歌詞から見える『ビリー・エリオット』の世界観」)
■「Me エルトン・ジョン自伝」エルトン・ジョン・著 川村まゆみ・訳(2020年)株式会社ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
■「レコード・コレクターズ増刊 エルトン・ジョン アルティミット・ガイド」(2019年)株式会社ミュージック・マガジン
※その他、CDのライナーノーツ、各種ウィキペディア等
【連載】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』鑑賞の手引き(全5回)
公演情報
Daiwa House presents
ミュージカル『ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~』
協力:キョードーファクトリー(東京公演のみ)
後援:BS-TBS、TBSラジオ
<キャスト>
オープニング公演:2024年7月27日(土)~8月1日(木)
本公演:2024年8月2日(金)~10月26日(土)
※会場内にて「撮影OK」のお知らせが表示されている時のみ撮影可能です。
※写真撮影は、お客様ご自身のお座席にてお願い申し上げます。お座席をご移動されての撮影は、ご遠慮くださいますようお願いいたします。
※フラッシュ撮影はご遠慮ください。
※内容は変更になる場合がございます。
8月29日(木)13:30(登壇者:鶴見辰吾×濱田めぐみ×吉田広大)
9月19日(木)13:30(登壇者:益岡徹×安蘭けい×西川大貴)
※対象公演回のをお持ちの皆様ご参加いただけます。
U-25:平日¥12,000/土日祝¥12,500