ハーディング&新日本フィル、「戦争レクイエム」に挑む
1月12日リハーサルの模様(新日本フィルハーモニー交響楽団 提供)
リハーサル初日取材レポート!
定刻の14時が過ぎて団員が揃ったステージに小柄な若きマエストロが登場する。団からの連絡に続いてあらためてメンバーに紹介された彼はおどけて大きく手を振り、そしてひとこと「Happy New Year!」とだけ笑顔で言って指揮棒を上げた。
この週末に開催される新日本フィルハーモニー交響楽団の第551回定期演奏会のためのリハーサルはそんな風に、なんの力みもなく始まった。指揮者はMusic Partner of NJPとして新日本フィルと多く共演してきた、そして今年の9月にはパリ管弦楽団の音楽監督に就任するダニエル・ハーディングだ。
ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」(1962)という作品についてどのようなイメージを皆さんは持たれているだろう。新日本フィルハーモニー交響楽団に特別に許可をいただいて取材した、1月12日にすみだトリフォニーホールで行われた定期演奏会のための最初のオーケストラ・リハーサルのレポートとあわせてご紹介させていただきたい。
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「戦争レクイエム」(1962)はベンジャミン・ブリテンの代表作、とは簡単に片付けられない問題作だ。一般的に「死者のためのミサ曲」で使用される典礼文と、第一次世界大戦で戦死したウィルフレッド・オーウェンの詩を組合せた独特の構成。ソプラノ、テノールとバリトンの三名の独唱、そして合唱(それも児童合唱と混声合唱)とオルガン付きの大編成オーケストラと小編成の室内オーケストラを用いて演奏する本作は、音楽的表現も含めて一般的な「レクイエム」が現す宗教的な儀式の枠から外れてしまうところがある。
1914年に始まってしまった最初の世界大戦の悲惨や不条理は、近年人気のドラマシリーズ「ダウントン・アビー」や、最近もリマスター版が放送されたNHK「映像の世紀」などでも知ることができる。英雄的な戦争を求めて戦場に赴いた若者たちはその多くが無残に傷つき倒れ、幸いに生還できてもシェルショックなどの、今ならPTSDと言われるような症状に苦しむことになる。この時すでに戦争の在り方が変わっていたことを理解していなかったのは何も兵士として戦争に行った若者ばかりではない、たとえばリチャード・アッテンボローの映画「素晴らしき戦争」で痛烈に揶揄されているように、世界そのものが自分たちの知らない「新しい戦争」に直面したのだ。
ブリテンの「戦争レクイエム」でそんな戦場を描き出すのはテノールとバリトン、そして小編成の室内オーケストラ、彼らはオーウェンの戦場の詩を英語で、現実的即物的に歌う。対してラテン語による典礼文を歌うのは、ソプラノと合唱、そして大編成のオーケストラだ。時にきらびやかに神秘的に救済を歌い、死者の安寧なる眠りを祈る。この二つのグループがときに呼応し、ときに調和しないまま併存し対立し、そして「奇妙な出会い」の後眠りに落ちていく。美しい素朴で静かな歌が響くなかで、その「眠り」は安らぎであり得るのか、と疑問を持ちつつも。
第二次世界大戦で失われたコヴェントリーの大聖堂再建を祝う作品は、かつての破壊の記憶を想起させ、その上で和解がなされうる可能性をあきらめつつ求める、複雑で切実な作品なのだ。この作品を聴くたび、私がいつも想起してしまう古い映画がある。ドイツの側から第一次世界大戦が描かれる「西部戦線異状なし」(1930)だ。レマルクの小説を原作としたアメリカの映画をブリテンは果たして見たのだろうか……
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さてリハーサルに話を戻そう。この日、14時に始まったリハーサルは、まずは大編成のオーケストラのみ、そして室内オーケストラを交えて、最後に室内オーケストラのみというスケジュールで進行した。声楽なしでは演奏できない部分を除いて、曲順はさておいてほぼ全曲をリハーサルした格好だ(声楽がないと演奏を続けにくい部分は、大部分はハーディングが自ら口ずさんで対応していた)。
初日ということもあってハーディングはまず演奏の大枠を共有することを優先していたように思われたが、時おり行う細部の詰めは的確で、その都度演奏は大きく変化していく。長講釈などはほとんどなかったが、「男声の独唱にはピーター・ピアーズとディートリヒ・フィッシャー=ディースカウを想定していたからシューベルトの歌曲のように」「対してソプラノはイタリア・オペラのディーヴァのように堂々と」などエピソードを必要に応じて紹介もし、効率よく進められたリハーサルは若干の余裕を持って終了した。と言っても終了は18時過ぎ、正味でも四時間弱の長丁場だったが。世界で活躍するハーディングの集中力には感心するしかない。
私はここで退出したけれど、その頃にはリハーサルのため合唱のメンバーが集まり始めており、すみだトリフォニーホールから音が途絶えたのはもっと後のことだったろう。この大作を高い水準で演奏することの困難に、ひとりの聴き手として頭が下がる思いである。
オーケストラの配置について少しメモしておこう、演奏者の配置はこの作品の空間的演出に関わる重要な部分なのだ。。この日の時点で、舞台奥に合唱席が用意されているので、舞台はかなりみっしりとオーケストラで埋まっている。弦楽器をヴァイオリン対向配置とし、オーケストラとは別に組まれた室内オーケストラは舞台上手、第二ヴァイオリンの前方に配されていた。なおこの日独唱者および児童合唱の配置は確認できなかったので、コンサートにご来場してお確かめいただきたい。
ステージ全景(新日本フィルハーモニー交響楽団 提供)
最後に余談を一つ。この日のリハーサル2コマ目の冒頭に、新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター、そしてソリストとしても活躍するヴァイオリニストの崔 文洙が第17回『ホテルオークラ音楽賞』を受賞したことが伝えられた。今回の公演で、彼は室内オーケストラの第一ヴァイオリン奏者としてアンサンブルをまとめ、ボストリッジとイヴェルセン、二人の男声独唱者と音による密なコミュニケーションを繰り広げることだろう。
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新日本フィルハーモニー交響楽団は、昨年同じベンジャミン・ブリテンのこれまた問題作「シンフォニア・ダ・レクイエム」(1940)をデリック・イノウエの指揮で演奏している。また、2月11日にパルテノン多摩で小曽根真をソリストに迎えて井上道義の指揮により演奏されるバーンスタインの交響曲第二番は、若きブリテンに強い影響を与えたウィスタン・ヒュー・オーデンの詩に基づく作品だ。ひとつのシーズンの別のプログラム同士が呼応し、点と点がつながってまた別の絵が浮かびあがる、そんな楽しみ方もひとつのオーケストラを追うことの醍醐味だろう。そして次の定期でトーマス・ダウスゴーによって取り上げられるニールセンの交響曲第五番もまた……と、これ以上先走るのはやめておこう。
ダニエル・ハーディングと新日本フィルハーモニー交響楽団は、この日のリハーサルに続いて声楽陣、合唱を交えて更なるリハーサルを行って、15日からの定期演奏会を迎える。イアン・ボストリッジら独唱陣、栗友会合唱団が総力をあげて挑む「戦争レクイエム」に期待しよう。
■日時:2016年1月15日(金) 19:15開演、16日(土) 14:00開演
■会場:すみだトリフォニーホール 大ホール
■指揮:ダニエル・ハーディング
■合唱:栗友会合唱団(合唱指揮 栗山文昭)/東京少年少女合唱隊(児童合唱指揮 長谷川久恵)
■管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団