歌い手・吉乃「ここまで歌い続けてきてよかった」 “始まり”となったメジャーデビューシングル2作品を紐解く
吉乃
10月4日にTVアニメ『ひとりぼっちの異世界攻略』OP主題歌に起用されている「ODD NUMBER」、そして10月8日にTVアニメ『来世は他人がいい』ED主題歌に起用されている「なに笑ろとんねん」をデジタルリリースし、メジャーデビューを果たした歌い手・吉乃。
今、大きな注目を集めている吉乃に、これまでのカバー動画の投稿活動やメジャーデビューへの思い、“始まり”となった本シングル2作品について話を訊いた。
ーー今回、シングル2作品でメジャーデビューされた吉乃さん。いきなりのダブルタイアップが決定した華々しい門出について、ご自身は今どのように捉えていらっしゃいますか。
とても不思議な気持ちです。本当にメジャーデビューできるんだ、生きていると人生でこのようなことが起きるんだ、とやや一歩退いたところから今の状況を見ているところがあるかもしれません。なので、デビューすることに対してのプレッシャーも今のところはあまり感じていません。当然ここからの活動を通して、今あるプラットフォーム以外の方たちにも自分の歌を聴いていただいたり、評価していただく場面が増えていくことになると思うので、良い言葉をいただけたら嬉しいですけど……もちろん、そうではない言葉もあるだろうとは思っているので、それら全部をしっかり受け止めていきたいです。いろんな意味で“ここから始まるな”と思っています。
吉乃
ーー既に腹を括っていらっしゃるとは頼もしい限りです。なお、吉乃さんは2019年からカバー動画の投稿活動を続けていますが、ここまで約5年の間に“得てきたこと”はどのようなものがありますか?
1番は、自分の歌を聴いてくれる方がたくさん現実世界にいることが知れたことですね。それぞれの動画にたくさんのコメントをいただいているので、とてもありがたいなといつも感じています。
ーー動画に対しては毎回3桁のコメントがつき、Xのポストに対しても4桁を超えるいいねがつくそうですね。
そうなんです! たくさんの方が私の歌を「好きだ」って伝えてくださっていることがコメントの言葉からよくわかりますし、みんなの気持ちのピュアさもすごく感じています。
ーーちなみに、吉乃さんのヴォーカルスタイルについてはエッジを効かせたパワフルさ、色気や艶を滲ませたコケティッシュさ、澄んだ透明感を思わせる繊細さを3本軸としつつ、曲ごとどころかフレーズごとに描き分けながら歌われている印象が強いのですが、その方法論を確立されたのはいつ頃のことだったのでしょう。
2020年5月に、ボカロP・柊キライさんの「ボッカデラベリタ」を歌わせていただいたのですが、その時に初めて当時のTwitterで1500以上のいいねがつきました。あの頃の私からするととても大きな数字で、素直に「いつもよりすごくたくさんの人に聴いてもらえた!」ということが嬉しかったです。実を言うと、それまでは今のスタイルの歌い方がよくわかっていませんでした。でも、「ボッカデラベリタ」では曲調に合わせたということもあって、けっこう強めに歌ってみたんです。それがこれまでよりもリスナーの皆さんに響いたな、と自分自身が感じた時に「自分はこっちの歌い方もできるのかもしれない」と考えるきっかけになりました。
ーー吉乃さんはいわゆる“萌え萌えキュン”なタイプのカワイイ系な声質ではないように思います。その分クールさやスタイリッシュさを感じさせる歌声、ワイルドなヴォーカリゼイション、毒気を含んだ小悪魔感など、吉乃さんにしか醸し出せない要素をふんだんに歌の中で活かしていらっしゃいますよね。
ありがとうございます。確かに、私の声質はもともと“萌え萌えキュン”な感じではないんですよ(笑)。そこはカワイイ系の声を持っている人たちのことを羨ましく思うところで、その方々が歌った方が似合う曲というのもありますし、万人受けするのは多分“そっち”なのかな?とも思います。だとしたら、自分はどう歌っていこうか、ということはずっと意識してきたところでもありますね。
吉乃
ーーここまでの約5年間は基本的に動画投稿を主体に活動されてきた吉乃さんですが、2023年9月にはAdoさんの『全国ツアー2023「マーズ」』のファイナル公演となった横浜アリーナにゲスト出演され、アンコール時にAdoさん、弱酸性さんとともに「Ready Steady」を披露される機会があったそうですね。
あの横浜アリーナは現実味のない経験でした。当然、会場にいらっしゃったのはAdoさんのファンの方々なので私にとってはアウェイと言えばアウェイでしたし、何よりもあの公演が自分にとって実は人生で初めてのライブだったんです。
ーー初ライブが横アリ!? それはすごくレアケースですよね。
そうなんです。初めてのライブが満員の横浜アリーナで、目の前にたくさん人がいるよー!という状態でした(笑)。気付いたら始まっていて、気付いたら歌い終わっていました。
ーーとはいえ、その後には2024年1月に恵比寿 ザ・ガーデンホールで『吉乃 1st COVER LIVE “カサブランカ”』を開催し初ワンマンを経験され、約半年後には2nd ライブとなる『吉乃 COVER LIVE TOUR 2024 “爪痕”』で愛知・福岡・大阪・東京の各Zeppをまわられてもいます。それらの経験を踏まえると、吉乃さんにとって“ライブとは”どのような空間なのでしょう。
感情と感情がぶつかりあう空間のような気がします。たとえば、この夏に開催させていただいたZeppツアー5公演も、その瞬間ごとに感じることが全て違いました。その時々の自分の気持ちを思いっきりライブにぶつけられたなという手応えがあったんですよ。中には、遠くから新幹線や飛行機に乗って会場まで来てくださった方もいて、それもすごく嬉しかったです。人生って誰しもいろいろなものが有限だと感じるので、みなさんが貴重な時間やお金かけて私の歌を聴きにきてくださっている、ということに対して「ありがたい」という言葉じゃ表しきれないくらいの思いを感じました。
吉乃
ーーそれだけの充実した夏ツアーを経て、この秋にメジャーデビューという展開はまさに順風満帆そのものですね。10月4日から配信開始となるデジタルシングル「ODD NUMBER」は、TVアニメ『ひとりぼっちの異世界攻略』のOP主題歌として起用されており、この曲と詞を手掛けられているのはナナホシ管弦楽団さんですね。吉乃さんは「ODD NUMBER」という楽曲と出会われた時、最初にどのような印象を持ちましたか?
「ODD NUMBER」はセリフのような歌詞から始まるんですけど、その時点で「これから何が始まるのだろう?」というワクワク感がありました。その次にくるオーケストラのような弦の音が奏でるメロディには風が森の木々の間を吹き抜けるような疾走感がありますし、これはイメージの部分で『ひとりぼっちの異世界攻略』の物語ともすごくリンクしている曲だなと思いました。主人公たちが異世界に転生して、自分たちで力強く道を切り開いていく姿と重なるというか。
ーー吉乃さんは『ひとりぼっちの異世界攻略』の物語をきちんと把握されたうえで歌われているのですね。
これまで“異世界転生モノ”はあまり馴染みがありませんでした。でも、今回初めて原作を拝見してこれは面白いなと思いました。
ーー吉乃さんご自身は、もし“異世界転生”することになってしまった場合、転生先の暮らしを楽しめそうなタイプだったりします?
えー! 今まで考えたことがなかったのですが、とりあえず美味しいとこどりだけしていくかもしれません。仮にひとりで転生したとしても、基本的にひとりでいるのは好きなのでそこは問題ないはずです。ただ、知らない場所でひとりとなると、時にはどうしようもできない場面が出てくると思うので、みんなといた方が良い時には一緒に進んでいくし、ここは大丈夫そうというところではみんなが目を離した隙にひとりで行動している気がします(笑)。
ーーなるほど(笑)。少し脱線してしまいましたが、ここからは「ODD NUMBER」についてのお話に戻らせてください。そもそも、この曲は歌の難易度が相当高いのでは……。
難しかったです! ナナホシ管弦楽団さんからいただいたデモを聴いた時に、こういうロックな曲は男性ヴォーカルがすごく映えると感じて。それを女性の私が歌うとなったら、どうすればいいのかな?という点でかなり悩みました。悩んだ結果、この曲はいつもの歌い方よりも少年っぽさみたいなところを意識しながらレコーディングさせていただきました。
ーーレコーディングの際には、ナナホシ管弦楽団さんが歌のディレクションもされたのですか?
いえ。「ODD NUMBER」と「なに笑ろとんねん」はどちらも自分で録音しました。この先も同じようにしていくかどうかは未定ですし、違うやり方もあるのかなとは思っているのですが、今回の2曲はセルフレコーディングです。
ーー自ら歌って自らディレクションする、というのは主観性と客観性を両立させていく必要のあるシビアな作業かと思われます。吉乃さんはそこまで担われているのですね。
私にとっての「ODD NUMBER」と「なに笑ろとんねん」は初のオリジナル曲なので、まずは録音時間がかつてないほど長くかかりました。途中で止める人もいないので(笑)、我に返るとマイクの前で5〜6時間ずっと歌っていたみたいな状況が何回もありました。何回歌ってもどれが正解かわからないし、でも休憩したら今のつかみかけている感覚がどこかへいってしまうような気がするし、という状態でしたね。
ーーヴォーカリストあるあるの話としては、「何百回歌っても、意外と最初の1回目か2回目くらいのテイクが良かったです」という話をうかがうことも多いのですが、吉乃さんの場合レコーディングで歌い込んだことによる効果は活かされました?
それが、まさに「最初の方が良かった」という感じで(笑)。後半に録ったテイクを使うことはあまりなかったです。やはり、前半とか中盤までに歌ったものの方がピュアで打算的じゃない歌声として聴こえるんですよ。
ーー歌い重ねていくと、慣れが出てきてしまうということなんですかね。
課題点を見つけて修復して、ということを繰り返していくと、逆に「こうしとけばいいんでしょ」という“あざとさ”がで出てきちゃう時があるんです。「こう歌えば人の心を動かせるだろう」みたいな雰囲気が歌から垣間見えちゃうことが嫌で、ピッチの正確さよりも歌のフレッシュさとか感情が乗っているかどうか、という面を私は優先することが多いですね。
ーー「ODD NUMBER」は符割りも複雑かつ良い意味で癖が強いのですが、これも当初から提示されていたスタイルのまま歌われたということなのでしょうか。
はい、デモの状態からこのままです。ただ、私はこれまでずっとボーカロイド楽曲をメインにカバー動画を投稿してきているので、言葉がギュッと詰まった曲にはわりと慣れています。自分はボーカロイド楽曲をスポーツ感覚で歌っているところもあるので、難しい曲ほど歌えた時には嬉しいし楽しい!という気持ちになります。
ーーこれまでの5年間の積み重ねが活かされたわけですね。そして、スポーツ感覚とおっしゃるとおり「ODD NUMBER」は歌った時のカロリー消費が凄そうです。
けっこう腹筋に来るタイプの曲ですね(笑)。
ーーこれだけパワフルに歌われているのにも関わらず、吉乃さんは小柄ですし華奢でいらっしゃいます。歌から感じる強烈なスタミナは一体どこに隠されているのですか?
昔バスケをやってたことはあるんですけど、その名残はもはや何も残ってないと思います……特別体力作りとかもしてないですし、おそらく肺活量も少ない方なんじゃないでしょうか。そこはちょっと、今後に向けて強化しなくてはいけない部分であると自覚しています。あと、「ODD NUMBER」に関してはまだライブで歌ったことがないので、今後ステージでどう歌っていこうかな?と今からワクワクしつつ考えているところです。
ーーそれから、この「ODD NUMBER」には歌詞中に〈あの子にあって 私にないものって〉というフレーズが出てきますが、吉乃さんご自身にもそのようなことを思われた経験はありますか。
毎日ですし四六時中ですよ(苦笑)。さっきの“萌え萌えキュン”じゃないですけど、自分にないものを持っている人のことはやっぱり羨ましいです。だけど、誰かと比べられたくないという感情も自分の中にあります。人間の気持ちって難しいですね。
ーー隣の芝は青く見えがちだとしても、自分の家の芝をもっと青々とさせるんだ!という方向に意識を持っていけたらきっと良いのでしょうね。
自分とは違うスタイルの活動者さんがたくさんいる中で、地の声質からカワイイとか、音楽以外も強みも持っていますとか、容姿にすごく恵まれていますとか、色々な“個性”があると思います。それらに対して羨ましい気持ちはあるとしても、自分がそうなれるかといったらまたそれは別の話だし、自分が欲しいものはその先にないだろうということもわかってるので、私はこの歌詞の〈あの子にあって 私にないものって ナンセンス 欲しがったりはしない〉という部分に共感します。と言うよりは、この部分の歌詞は私の中の核にあるもののひとつだと感じているくらいです。
「ODD NUMBER」
ーーそんな「ODD NUMBER」が吉乃さんのデビュー曲になった、という事実には何か運命めいたものを感じてしまいますね。と同時に、運命といえば10月8日に発表されるもうひとつのデジタルシングル「なに笑ろとんねん」は、TVアニメ『来世は他人がいい』のED主題歌で、なんと物語の主人公の名前が偶然にも“吉乃”であるのだとか。
そうなんです(笑)。そして、以前から『来世は他人がいい』の読者でもありました。
ーーファンでいらしたのですね。
主人公と私の名前が一緒なのは、当時「同じなんだな〜」くらいに思っていたのですが、さすがに今回アニメのED主題歌を歌わせていただくことになった時は少し運命を感じましたし、作品のファンだからこそ「応えなきゃ!」という気持ちになりました。今回のアニメを観る方々から「主人公と名前が同じだから選ばれただけでしょ」という風には思われないようにしたいです。
ーー冒頭で吉乃さんは、「本当にメジャーデビューできるんだな、生きていると人生でこのようなことが起きるんだな、とやや一歩退いたところから今の状況を見ている」とおっしゃられていましたが。“持っている人”というのは、さまざまな形で良き運命を呼び込むのでしょう。
私も「ついているなぁ。こんなこともあるんだ」と思っています。ここまで歌い続けてきてよかったですし、正直「これはもうやめられない!」とも思います(笑)。
ーー「なに笑ろとんねん」の詞と曲を手掛けられているのは、てにをはさんですが、吉乃さんはこの楽曲を受け取られた時にどのようなご印象を受けられました?
とてもてにをはさんらしい楽曲だな、と思いました。それだけではなく、『来世は他人がいい』の中に漂っている和の空気感や粋な雰囲気というのも綺麗な形でおさめてくださっているとも感じました。
ーー曲調としてはジャジーなシャッフルチューンという面持ちで、先ほどの「ODD NUMBER」とは全く方向性の違う曲に仕上がっているのも面白いですね。吉乃さんの歌も、ここでは大人っぽさや色香が引き出されているように感じます。
「ODD NUMBER」と「なに笑ろとんねん」でガラッと違う感じになっているところは、歌っている本人としてもすごく面白いです。
ーーなお、この「なに笑ろとんねん」は歌詞が関西弁となっておりますが、吉乃さんは関東の生まれですよね。途中にはセリフも入っていますし、イントネーションの部分についてはどのように向き合われたのでしょう。
それが、私の友人・知人には関西の人がけっこう多いので普段から関西弁を聴く機会は多くて。関西弁はとても好きだし、関西の人たちと話していると“うつってくる”こともあるので(笑)、自然と引っ張られて「〜やんか」とか「〜やんな」と言ってることがけっこうあります。ただ、私が関西弁を使うとエセになってしまうじゃないですか。「いっちょまえに関西人ぶってるじゃん」と思われると恥ずかしいので、なるべく普段は抑えるようにしています。でも、こうして曲として歌わせていただく分には堂々と関西弁を発することができるので(笑)、この「なに笑ろとんねん」を歌えるのはとても嬉しかったです。
ーー強くてセクシーな女性像・吉乃の姿が見えてくる一方、可愛い気を感じさせる部分も歌で表現していらっしゃるところが素敵です。
「ODD NUMBER」の少年っぽさとは対局ですよね。「なに笑ろとんねん」の歌詞には人情味とか母性を感じるところもあったので、そういうものも含めた大人の女性を表現できるように歌わせていただきました。あとは、吉乃(主人公)と吉乃(自分)は別の存在であることを前提にしつつ、聴いている人たちにとって違和感のないかたちで吉乃(自分)の存在感も感じていただけるように、ということも意識しながらこの曲のレコーディングをしました。
ーーほぼ全編が関西弁でありながら、締めの部分だけは関東弁になっていて、そこが最高のオチになっているあたりも秀逸ですね。
ですよね。私も「さすがてにをはさん!」と思いました。そして、その締めを最大限に活かす歌をこころがけたつもりです。
ーーTVアニメ『ひとりぼっちの異世界攻略』のOPである「ODD NUMBER」、TVアニメ『来世は他人がいい』のEDになっている「なに笑ろとんねん」。この2曲を通じては、これまで吉乃さんのことをご存知なかった各作品のファンの方々も、初めて吉乃さんの歌と出会うことになっていくのだと思われます。吉乃さんがこの取材の最初でおっしゃられていたように、全ては“ここから始まる”ことになりそうですね。
緊張半分、期待半分で私もここからがとても楽しみです。
「なに笑ろとんねん」
ーーこのシングルたちが吉乃さんのあらたな一歩だとしたら。将来的なヴィジョンとして、今の吉乃さんが描かれている未来像とはどのようなものですか。
こういうボーカリストになるぞ、というような明確なビジョンはまだ定まっていません。ただ、とにかく今年の夏のツアーでみんなの前で歌うのが楽しすぎて、今後ひとりきりでの作業になってしまう録音を退屈に感じてしまったらどうしよう?という不安があるくらいです(笑)。でも、録音は録音で作品を良いものに仕上げていくという意味で追求していきたいですし、ライブに関してはツアーを経験したからこそ「もっとやれたな」と感じたところがあるので、またこれから前に進んでいきたいです。そのうち、フェスとかも出れたらいいなぁと思っています。目の前の現実を全て受け入れながら、ここから始まってく日々を精一杯頑張っていきます!
文=杉江由紀