日本の劇団『十二人の怒れる男』が開幕 ほんとうに、そこに疑いはないのか?【観劇レポート】
10年以上続く劇団からそれぞれ1名の俳優が参加する「日本の劇団」。 2024年12月11日(水)より、12劇団の俳優が集い『十二人の怒れる男』の上演が下北沢 駅前劇場にて開幕した。本作はもともとは1954年に放送されたアメリカのテレビドラマで、1957年の映画化作品はベルリン国際映画祭金熊賞と国際カトリック映画事務局賞を受賞し、アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色にノミネートされるなど高い評価を得た。何度も舞台上演されている人気作だ。
2022年に日本の劇団の企画第一弾として上演予定だったが、新型コロナウイルスの影響で中止となった。2024年4月に第二弾『第十七捕虜収容所』(演出:早川康介/劇団ガバメンツ)の上演を経て、第三弾としてリベンジ公演が叶った。
長く続く人気劇団からたったひとりの俳優が集まるという企画への期待は高く、全公演前売り完売を受けて、追加公演が決定した。15日(日)まで全9ステージ上演されている。
『十二人の怒れる男』は、陪審制度のもと国民から無作為に選ばれた12人の陪審員によりおこなわれる、ある殺人事件の審議についての一幕物。その事件は、スラム街の10代の少年が父親をナイフで刺したというもの。有罪11票、無罪1票という、圧倒的な差があるなかで、たったひとり無罪を主張する陪審員が「人の命」を左右するこの決断に「話し合いたい」と粘り強く語りかけていく。
はたして少年は有罪なのか、無罪なのか。
評決は全員一致でなければならない。
いずれかを決めるための審議のはずが、議論のなかで浮かび上がっていくのは、男たちの偏見や虚栄心や無関心や矛盾。そして、人の命の重さ(あるいは軽さ)である。
舞台となるアメリカは、他民族国家として「人種のサラダボウル」「人種のるつぼ」などと比喩されてきた。それほどまでに多様な背景を持つ人が暮らしているのだ。作品にもまた、さまざまな背景をもつ男たちが登場する。中学教師、広告マン、経営者、老人、若者、スラム街出身者、移民……。
しかしタイトルの通り、登場人物はすべて男性である(大ヒットした1957年の映画版ではさらにすべて白人だった)。今回演じる俳優たちもまた、(一見して)日本人男性であり、身なりと年齢くらいしか際立つ特徴はない。
それが議論が進むほどに、それぞれの演技からその背景が立ち上がっていく。相手によって変わる声の強弱や目線の合わせ方、笑い方は、会社の中でどういうポジションなのかをイメージさせる。無声音の発声は関西出身なのだろうかと感じさせる。物語が進むほどに、名前のない日本人男性たちが、一人ひとりとても個性的な人物に見えてくる。
そういった演技による人物造形が楽しめるのは、日本の劇団のコンセプトのひとつでもある「演技のクオリティを重視したプロの演劇人のみで演劇を作り、作品の面白さを伝えていく」という狙いどおりだろう。日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)の演出も、一人ひとりの役と役者を対等に見せていく。それぞれの人物の気持ちが、なにをきっかけにしてなぜ有罪・無罪に揺れ動いているのかがわかるのが楽しい。「ああ、こういうところで悩むよね」と共感するほど、客席にいても自分も一人の陪審員になったような気持ちで「自分だったらどう判断するだろう」とこの事件にのめり込んでいくことができる。
本作は、日本でのみならず数多く上演されているが、今回は舞台美術(長田佳代子)も特徴的である。12人が名も明かさぬ同じ陪審員という対等な立場でひとつの議題について討論するという設定上、これまでの上演では、ひとつの机を取り囲んだ舞台美術が採用されていることが多かった。
けれども今回は、机は3辺のみ使用され、残り一辺は客席側となっている。俳優達は机のまわりのイス5脚以外は壁際の造作ベンチを使用し、ほぼつねに客席からはすべての俳優が違和感なく正面から見られる。また、室内も会議室のように真四角ではなく、段差がある。いわゆる裁判所の一室とは違った雰囲気で、部屋のなかに動きや角度がある。そのぶん大がかりな移動はなくシンプルな動線で、混乱することなく全員の存在を意識しやすい。
それによって、「12人による密室劇を除き見る」という視点ではなく、客席もその室内の一部のように感じられ、観客にとっても自分ごとのような感覚を引き込おこされる。
12人のようすを俯瞰して見るスタイルの場合は、右往左往する彼らを見て、陪審制度の弱点や、異なる背景の人々がひとつのことを決めていく共生社会の難しさなど、社会構造の課題や矛盾が客観的に浮き彫りになる。しかし今回、客席も同じ目線になることによって、わたしたちもまたそのなかの一人であり、けして他人事ではないのだと、登場人物の心理へと近づいていく。
日本でも裁判員制度が2009年からはじまった。
ある日突然通知が届いて、法廷に呼ばれる。刑事裁判の審理に立ち会い、裁判官とともに被告人が有罪か無罪か、有罪の場合にはどのような刑にするのかを判断しなければいけない。ときには、世間を騒がせる殺人事件が対象になることもある。まったく他人事ではない。
12人の陪審員は、事件の検証にあたって人生観を語ることもあり、おのおのの持つ背景が、判断に強く影響してることも浮き彫りになっていく。自分はもしその日が来た時に、どこまでしっかり陪審員をつとめることができるだろう。被告人や被害者への立場への偏見や思い込みなく、突然に先の見えない時間をとられることを面倒くさがらず、人の命を左右する判断に後悔なくとことん向き合うことができるだろうか。
作中では「合理的な疑い・疑問があるか」という問いが何度も出てくる。「ほんとのほんとにいっさいの疑問なく「〇〇だ」と言い切れる?」「自分が信じたいことを信じようとしてないか?」と問いかけられる。
私たちは日常生活のほんのちょっとしたことだって、合理的に考えることはけっこう難しい。自分ではちゃんと組み立てて考えているつもりでも「そう思いたい」という方向にいつのまにか気持ちは動いてしまう。友達のうわさ話だって、朝の占いだって、気を抜けば自分に都合の良いふうに受け取ってしまう。その方が楽だから。
けれども私たちは、信じたいものだけを信じて生きてはいけない。見たくないものから目をそらして、立場や意見が異なる誰かを排除して生きていたら、きっといつか、過去の自分が追いかけてくる。
今まさに誰かとともに生きている当時者として、12人の揺れ動きと良質なエンターテイメントから、日々を生きるヒントを見つけられるかもしれない。
取材・文・撮影=河野桃子
公演情報
【会場】下北沢 駅前劇場
原作:Reginald Rose「TWELVE ANGRY MEN」
翻訳・脚本:下平慶祐
演出:日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)
出演者 (五十音順):
青木隆敏(スタジオライフ)
秋本雄基(アナログスイッチ)
浅川仁志(イッツフォーリーズ)
浅野康之(劇団鹿殺し)
岡本 篤(劇団チョコレートケーキ)
木津誠之(文学座)
栗原功平(劇団 SET)
佐藤文雄(劇団銅鑼)
豊田 茂(劇団青年座)
畑中智行(キャラメルボックス)
牧田哲也(柿喰う客)
横道毅(花組芝居)
友情出演:志賀遼馬(イッツフォーリーズ)
企画・プロデューサー:栗原功平
主催:スーパーエキセントリックシアター
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【東京ライブ・ステージ応援助成】