《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 11 鶴澤清介(文楽三味線弾き)

2025.1.21
インタビュー
舞台


“弾き生か”す三味線を

2月の東京公演『妹背山婦女庭訓』では第一部の妹山背山の段に出演。政権を強奪した蘇我入鹿は、自身への忠誠の印として、大判事清澄には嫡男・久我之助の出仕を、太宰家の後室定高には一人娘の雛鳥を后として差し出すよう求める。大判事家と太宰家は反目し合っていたが、久我之助と雛鳥は互いに恋心を抱いており、そのことを知る大判事と定高は、子どもたちの思いを尊重し、子どもの死を持って添い遂げさせる……という物語だ。この段では、舞台が川を隔てて向かい合う大判事家の背山の山荘と太宰家の妹山の山荘とに分かれ、通常は舞台上手の床(ゆか)にいる太夫と三味線も、上手の背山と下手の妹山のそれぞれに配される。16年の大阪公演、19年の東京公演では、段の前半にあたる「前」の妹山の三味線を勤めた清介さんは今回、2023年4月の大阪公演に続いて「後」の背山の三味線を担う。重厚な段のクライマックスにあたる場面だ。

「あれだけの道具立てであんな場面ですから、音も間もそれにそぐうものでなければならない。演者が持つ力、技術、理解力、経験……全部出さないと勤まらない役です。前回の宿題は随所にありますね。例えば段切り(※)。ほとんど背山のほうの三味線で処理するのですが、やはり前回以上に、できるだけグーッと持ちこたえた後、ガーッと強めに盛り上げていきたい。そのために大事なのは、間の取り方と腹の具合です」

相対する、大判事家の背山と太宰家の妹山。相手の三味線は意識するものなのだろうか?

「自分のところをかっちりやるのが一番ですが、それでも(旋律の)渡し合いなどがありますから、気を遣いますしある程度は意識します。基本的には、妹山は繊細で優しいけれど、背山は大きく豪快に演奏する。初演で背山を語った(初世)竹本染太夫は武張った語り方の人だったので、三味線もそれに合わせたものになっています」

その背山の太夫は十一代目豊竹若太夫。組むことが多い相手だ。

「長年やっているのでポイントポイントを押さえて、割と自由にやらせていただいてます。やりやすい以上に、縁があるのだと思います。僕が大事にしている教えの一つが、縁のある目の前の人を大事にしなさいというもの。その人が立っていくよう、ちゃんと行けるようにするのが一番なんです」

現在72歳だが、心はそれよりずっと若い。

「戸籍年齢72なんですが、極端に言っちゃうと、義太夫を聴き始めた15、6の時や文楽に入った21〜22の時と中身はあまり変わらない。時々、『あ、今、15〜6になっているな』という時があります(笑)。だから、まだまだこれから。さっき、わかってきたという話をしましたが、そのあとにやった曲は修正できたけれど、それまでにやっていて、わかってきてからやっていない曲も山ほどあります。若い頃に勉強会でやった曲などは、今やったらもうちょっとはできるなと思うわけです。過去に“弾き殺した”ものをちょっとは“弾き生か”すということを、やっていきたいですね」

後進の育成にも意欲を見せる。

「心の年齢は若くても一応色々なことを勉強してきましたから、それを自分なりに若い人に教えておきたいんです。弟子は勿論ですが、3月には若い竹本碩太夫くんと素浄瑠璃の会をします。彼は研修生の頃、教えたことがあって。たいがい太夫さんの研修は太夫さんが行くけれど、たまたまある太夫さんが忙しくて、三味線弾きの僕が稽古に行って、『どのくらいついてくるのかな』『こんなの、弾いてわかるかな』と思ったら、『あれ、この子、ついてくるねんな』。それで縁あってお稽古するようになって、『ほな、会しましょうか』って。そうやって若い人たちに対して自分ができることもしていきたいとも考えています」

※段切り 一段の終結部分。

2024年5月、国立劇場第228回文楽公演『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段より。             提供:国立劇場


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