「大切な仲間が集まってくれました」BRAHMAN結成30周年『尽未来祭 2025』2日目はーー失い、迷いながらも続けて来たバンドの生き様そのものだった

2025.12.14
レポート
音楽

BRAHMAN『尽未来祭 2025』 撮影=岸田哲平

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BRAHMAN『尽未来祭 2025』2025.11.23(SUN)千葉・幕張メッセ国際展示場9-11ホール

トピックがありすぎて書ききれなかった初日の、隠れ名シーンのひとつがTHA BLUE HERBだった。後半に披露された「スーパーヒーロー」。震災直後から被災地支援に動き出したバンドマンたちを歌った一曲で、この曲の演奏中だけ、BOSSはSLANGのジャンパーをさっと羽織り、胸にSCHC(サッポロ・シティ・ハードコア)の文字を光らせていたのだ。BRAHMAN『尽未来祭』2日目。ここでは、何がBOSSの行動や選曲を促したのか、という話から始めていこう。

撮影=アンザイミキ

ステージエリアの後方がオフィシャルのバーやフードコート、さらに物販やキッズスペースになっているのはよくある配置。ただ、左往ステージ側から外に出てみれば、そこにはまた別のエリアが広がっている。

まずはフェスでお馴染み桜井食堂、ASIAN KUNG-FU GENERATION・伊地知プロデュースのKIYOSHI’S KITCHEN、みんな大好きRACCOS BURGER、そしてBRAHMANのKOHKIやRONZIがコラボするラーメン店。さらに奥へと進んでいけば「幡ヶ谷再生大学」のこれまでの歩みが写真でずらりと展示され、その先には東北ライブハウス大作戦、NBC作戦、コミサポひろしま、安中ヘルメットプロジェクトといった、主にバンドマン主体の復興支援活動ブースが続くのだ。七尾や能登など石川県からのボランティア団体も出店仲間に混ざっているし、その対面ブースには、BRAHMANの写真とコラボした防災インテリア「sonae 備絵」の紹介、さらには保存水や保存食も『尽未来祭』仕様で販売されている。途中から誰もが気づいただろう。これはエリア自体がひとつのメッセージである、と。

撮影=アンザイミキ

震災以降、ジャンルや年代を超えて心を寄せ合うバンドたちの動きがあった。聖人君子として手本になろうとした者はいない。モッシュピットで倒れた誰かには手を差し伸べる。同じ感覚で困っている人がいたら助けに行く。無理してやっているわけではないし、特定のエリアで事が起きたらローカルのバンドがまず動く。そのうち自治体や行政に頼りきるなという感覚も生まれてきた。コロナ禍でそうだったように、世間は平気で音楽を切り捨てる。だから自分の身は自分で守る。悲壮感たっぷりに考えず、ライブハウスがなくなったら遊び場がなくなってしまうから、くらいの感覚で動けばいいのだ。そうした相互扶助の中心にいるのがBRAHMANで、彼らにリスペクトを送り、共に行動する肉体を持ったバンドたちが、この日はずらりと集められていた。

HEY-SMITH 撮影=橋本塁

一発目のHEY-SMITH、猪狩が「あの音楽を30年間鳴らし続けて、俺たちバンドを導いてくれてる」と語っていたが、同じようなMCを何度聞いたことだろう。ORANGE RANGEのフロント3名は揃って「バンドの鑑だと思ってる」と言い、ACIDMANの大木は「どんな強い者にも屈しないし、どんな弱い者にも手を差し伸べる」と詩人らしくバンド像を語る。マキシマム ザ ホルモンのダイスケはんも「俺は、そして君たちは、BRAHMANに何かを変える覚悟を持たされた」と熱弁。あらためて書き出すとコテコテな賛辞ばかりだが、いい音楽を浴びた後の言葉として聞く限り、どれも素直に拍手、賛同できるものだった。

ORANGE RANGE 撮影=山川哲矢

ACIDMAN 撮影=三吉ツカサ

なお、会場は常時ぱつぱつの満員。それでも人口過密によるトラブルがなかったのはこの日の特徴のひとつだろう。バンドも観客も、すっかりフェス慣れしている世代なのだ。どのバンドも会場の広さに飲まれない名演、熱演を魅せてくれたが、観客の一体感に圧倒されるという意味でなら、SiM、ホルモン、MAN WITH A MISSIONあたりがトップクラス。それぞれがフロアに巻き起こす凄まじいウォール・オブ・デス、狂気に近いヘッドバンギング、そして尽きることのないシンガロングに、今最も人を呼べる、どのフェスでも求められている実力派のパワーを見せてもらった。

SiM 撮影=岸田哲平

マキシマム ザ ホルモン 撮影=浜野カズシ

MAN WITH A MISSION 撮影=橋本塁

同じカテゴリに入るのがトリ手前の10-FEETだと思っていたが、演奏中のTAKUMAの表情には驚かされた。10年前、20周年の『尽未来祭』では、鬼の真似をして客の頭上に立ちMC口調までパクる爆笑芸を見せていた男だが、あれから10年、背負うものが一番増えたのがもしかすると10-FEETかもしれない。後輩らしい賛辞は特に言わず、「悲しみは半分に、楽しいことは倍に。それがライブやと思ってます!」と叫ぶようなMCを残し、「TOSHI-LOW、後は頼んだで」とバトンを渡していく姿に、何かシリアスな覚悟を見た気分だ。誰だってそうだが、いつまでも無邪気な若造ではいられないのである。

10-FEET 撮影=岸田哲平

The Birthday (クハラカズユキ, ヒライハルキ, フジイケンジ) 撮影=岸田哲平

G-FREAK FACTORY 撮影=山川哲矢

そして2日目のBRAHMANだ。「初期衝動」「賽の河原」から始まったので、テーマはやはり震災以降か。すぐに思い出すのは、これらの曲を幕張メッセで初めて聴いた2011年11月のツアーファイナルだ。当日は冷たい雨が降り続け、BRAHMANは震災の傷をすべて背負い込むようなライブをノンストップでやり遂げた。TOSHI-LOWはまだ癒えぬ悲しみをMCで語り続けた。あれから14年が経ってみれば、メンバー4人の表情はずいぶん柔らかくなっているし、演奏内容やセットリストの作り方にも余裕が生まれている。

撮影=三吉ツカサ

たとえばそれは初期楽曲「BEYOND THE MOUNTAIN」をHEY-SMITHのホーン隊と一緒に演奏するような楽しみ方であり、右往ステージと左往ステージの両方に炎を揺らめかせた「Slow Dance」の演出にも表れていた。炎の出現は3日間ごとにあり、それぞれ別の曲が選ばれていたのだが、そもそも「Slow Dance」はコロナ禍で生まれた唯一の曲、主戦場としていたライブハウスがイメージできなくなった時期の曲である。モッシュやダイヴでごまかせない何か。広いホールでこそ波及していく何か。そういう発想から編み出された曲だけに、幕張メッセに響き渡る曲のスケールは凄まじいものがあった。激しい爆発箇所のない「FAR FROM...」での表現力やスクリーン演出もしかり。コロナ禍になんとかアイディアを捻り出した2021年以降のツアー経験が、この『尽未来祭』を、10年前よりもさらに豊かにしているのは間違いないのだった。

撮影=三吉ツカサ

つまり2日目のテーマは、震災以降というより、あらゆる困難にぶつかった時に人間はどのように立ち上がるか、そんなBRAHMANの生き様そのものになるのだろう。本日の出演者にThe Birthdayがいること、そこにもうチバがいないことも、悲しみを乗り越えていくストーリーとしてセットリストに組み込まれる。G-FREAK FACTORYの兄弟分・茂木と共に「最後の少年」を歌い上げ、続けて「charon」を放った後半は、もう言葉など何もいらない気分になった。The Birthdayの3人も同じ気持ちで聴いていたのではないかと思う。「今近いバンドばかり、大切な仲間が集まってくれました」という言葉から始まったラスト手前のMCがことさら印象的だった。

撮影=三吉ツカサ

「いつまでも長くバンドをやっていたい。ずっとバンドマンとして生きていたい。けど、終わりが来ることはわかってる。ここ数年、大事な仲間をたくさん失ってきた。終わりを噛み締めるたびに迷ってきた。でも、迷った時はその大事な仲間がいる空を見る。『俺はどうすればいい?』って聞く。そしたら言うんだよ、奴らが。『失い続けろ、迷い続けろ、それでもやり続けろ。それがお前の唯一の道だ』って」

言わずもがな、ここから始まるのはアルバム『ANTINOMY』から「The Only Way」だ。歌詞に刻みつけた人生哲学が、その後の被災地復興支援になり、この日の仲間たちを連れてきた。変わらない精神と、驚くほど豊かに実った現在地。尊敬され、愛されながら30周年を祝ってもらうのだから、まこと慶賀の至りと言うべきか。しかし……これは大団円ではないのである。

撮影=三吉ツカサ

取材・文=石井恵梨子 写真=オフィシャル提供(撮影:岸田哲平、三吉ツカサ、山川哲矢、橋本塁、アンザイミキ)

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