帝国劇場の歴史《第二部》【二代目・帝劇編】
-
ポスト -
シェア - 送る
帝劇ビル(二代目・帝劇) (写真提供:東宝演劇部)
特集「帝国劇場」~小川洋子『劇場という名の星座』出版記念
帝国劇場の歴史《第二部》【二代目・帝劇編】
■二代目・帝劇の誕生
初代・帝劇が二代目・帝劇へと建て直しになった経緯から見ていこう。帝劇の建つ東京都千代田区丸の内三丁目は元々三菱の所有する土地で(かつて大名屋敷が立ち並んでいた丸の内は、明治以降、辺り一帯が“三菱が原”と呼ばれるようになっていた)、日比谷通りと丸の内仲通りに挟まれた同じ区画内には、三菱仲3号館や日本倶楽部(上流階級の社交クラブ)もあった。戦後の高度経済成長期が到来する中、最初に三菱仲3号館の建て替えが検討される。その際に「どうせならこの区画に一つの大きな共同ビルを建てて、その中にみんなで一緒に入りませんか」という提案が、三菱の不動産部門である三菱地所から、帝劇を運営する東宝と日本倶楽部に対して行なわれた。1960年4月のことである。三菱から土地を借り受けていた東宝はすぐに理解を示した。日本倶楽部のほうは当初後ろ向きだったが、交渉の末に承諾に至った。これを受けて、当時シネラマ用の映画館となっていた初代・帝劇は1964年1月末に営業を停止。同年3月より解体されて、地上9階・地下6階・塔屋3階の新ビル建設へと生まれ変わる工事が始まった。
1965年9月、新しい建物の正式名称は“国際ビルヂング”となることが決まった。この新ビルは、東宝と出光美術館が所有する“帝劇ビル”(南西側)の部分と、三菱地所と日本俱楽部が所有する“国際ビル”(北西側から北東側南東側にかけてのL字形)の部分が合築された総体であり、外からは両ビルの境目はわからないが、内部的には別ビル構造となっていた。設計を担ったのは、劇場部分が阿部事務所、建物外観と劇場内装が建築家・谷口吉郎(東京工業大学教授)、オフィス棟の部分が三菱地所。もちろん三者が連携する形で事は進められた。
“国際ビルヂング”は2年余の工期を経て1966年9月13日に竣工する。外観は、初代・帝劇の大時代的な白亜の殿堂から打って変わり、黒の大割格子の中に赤褐色タイルの並ぶシックで現代的な雰囲気を醸し出すものだった。劇場の総席数は1,826人(先代・帝劇の1,700席から126席増)。エントランス前には能楽「翁」の定紋が嵌め込まれ、吹き抜けのロビー内では、陶芸家・加藤唐九郎の焼いた志野タイル、彫刻家・本郷新による4つの仮面「喜怒哀楽」、洋画家・猪熊弦一郎による電灯装飾「熨斗」(のし)とステンドグラス「律動」、そして彫刻家・伊原通夫による金属製のすだれ「瓔珞」(ようらく)、階段を昇って2階ロビーには脇田和作による壁掛「飛天」が来場者を迎える。同じく2階には喫茶「Café IMPERIAL」も設けられた。“帝劇ビル”の上層階には楽屋や稽古場があり、ここに上がれるのは地下1階食堂街の片隅にある関係者口を通過できる人のみだった。ただし9階には出光美術館が作られたので、一般客がそこまで行けるようにと、地上からの直通エレベーターも設置された。
二代目・帝劇の客席 (写真提供:東宝演劇部)
■菊田一夫の時代
二代目となる帝国劇場は、ビルの竣工から1週間が経った1966年9月20日に開場した。公演名は「開場披露 オール東宝スター オープニング・フェスティバル」。『序開きの式』を東宝所属の歌舞伎俳優、六代目・市川染五郎と二代目・中村吉右衛門の兄弟が執り行い、その後第一部は『寿日月星』『寿式三番叟』『西鶴五人女』。第二部が古関裕而作曲の『帝劇祝典曲』、ナレーション森繁久彌・ゲスト村田嘉久子による『帝劇の歴史』、貝谷バレエ団による『眠れる森の美女』の「花のワルツ」。第三部は宝塚歌劇団が『宝塚讃歌 歌のタカラジェンヌ すみれの花咲く頃』。第四部に美空ひばり、宝田明、浜木綿子、高島忠夫、草笛光子、淀かほる、宮城まり子、益田喜頓、市川染五郎、江利チエミ、越路吹雪という豪華俳優揃い踏みの『ミュージカル』。第五部がオール東宝スターによるトークショー『スタジオ千一夜』。第六部が日劇ダンシングチームによるミンストレル『ピーナツ・ベンダー』とラインダンス『ロック・ア・ゴーゴー』……といったヴァラエティ豊かなプログラムが次々と展開された。東宝の総帥・小林一三や帝劇2代目社長の秦豊吉が亡き今、この絢爛豪華な祭典を取り仕切った人物は、東宝専務取締役で東宝演劇部の最高責任者、菊田一夫(当時58歳)であった。
彼こそは、東宝および帝劇の歴史において、創業者・小林一三と並ぶ巨星と称していいだろう。菊田の足跡をざっと整理すると、①浅草のナンセンス喜劇の台本作家として出発、②東宝の嘱託社員として(新派でも新劇でもない)中間演劇(現代劇)の劇作家として数々のヒットを放ち、③終戦後、NHK連続ラジオドラマで記録的な聴取率をとって国民的放送作家として大ブレイクし、④東宝の取締役(演劇担当役員)に迎え入れられるや、傘下の各劇場のために“東宝ミュージカルス”“東宝現代劇”“東宝歌舞伎”などの傑作を次々と製作して成功裡に導き、⑤東宝の専務取締役に就任後は、帝劇を中心に本格的な和製ミュージカル路線として“東宝ミュージカル”を推進するなど、やがて現代の帝劇へと繋がる商業演劇の雄としての道筋を作り、確立させる……そんな人物だった。芸能や芸術の歴史上、凄腕プロデューサーと目される人物は数多いるが、菊田の場合、製作者としてのみならず劇作や演出などクリエイターの領域でも超人的に腕を振るったことが刮目に値する。
より詳しく彼の経歴に迫る。1908年横浜に生まれ、生後4ヶ月で両親に連れられ台湾に渡ったが、まもなく捨てられた。転々と他人の手で養育された末、5歳の時、菊田家の養子となった。小学校のときに、大阪の薬問屋に売られ、年季奉公を務めた。その後、神戸の骨董屋での丁稚奉公を務めながら、夜間の商科実業学校で学び、文学に興味を持つようになると、萩原朔太郎やサトウハチロー、林芙美子らと出会う。これらのことは自伝小説『がしんたれ』(芸術座で舞台化もされた)に詳しい。やがて詩人になることを夢見て上京、1923年サトウハチローの紹介で浅草で働き始める。1930年、“日本の喜劇王”エノケンこと榎本健一の所属する劇団で脚本を書き始め、“アチャラカ”と呼ばれたナンセンス喜劇の才能を発揮。その後エノケンのライバルだった古川ロッパらの劇団「笑の王国」に座付き作家として入団(1933年)。ロッパが東宝に所属すると菊田も呼ばれ、東京宝塚劇場(後の東宝)の嘱託社員となり(1936年)、古川緑派一座の劇作・演出家として活躍する。中でも、ペテン師二人組の珍騒動を描いた帝劇デビュー作『花咲く港』(1943年3月。作・演出:菊田一夫)は彼の代表作の一つとなった。ただしこの時期の作品は戦時下ゆえに本作も含め国策推進や戦意高揚に利用された。
終戦後すぐに劇作を再開。そのうちの一つ、1946年3月に日劇小劇場(日劇ミュージック・ホールの前身)で上演された『非常警戒』(集団日小)は、無名の森繁久弥が初めて主役を演じた舞台。その翌年、千秋実の劇団・薔薇座によって上演されたのが『東京哀詩』(1947年1月。日劇小劇場)と『堕胎医』(1947年10月。日劇小劇場)。いずれも敗戦後の苦い現実を描いた物語だったが、人々の共感を得てヒットする。他にこの時期、エノケン、ロッパ、新国劇の島田正吾、新派の水谷八重子らにも新作を書いたり、既述の帝劇コミックオペラ『モルガンお雪』(1951年)や、宝塚歌劇団雪組『ジャワの踊り子』(1952年10月宝塚大劇場。1953年1月帝劇。作・演出:菊田一夫)など、絶え間なく創作活動に励んだ。同じ頃、NHKからの依頼で書き始めたのが、ラジオドラマであった。『鐘の鳴る丘』(1947年~1950年)は聴取率の高まりと相まって、菊田の作詞した主題歌(作曲:古関裕而)も流行し、古関とはこれ以降ずっとパートナー関係を続けることとなる。そして決定打となったのが、『君の名は』(1952年)である。これが記録的な高聴取率をとり、一気に国民的な放送劇作家へと躍り出た。
占領軍に接収されていた東京宝塚劇場が東宝に返還された1955年、菊田は東宝社長・小林一三の招きにより東宝の取締役(演劇担当役員)に迎え入れられる(当時48歳)。“東宝ミュージカルス”(菊田が“東宝喜劇”としたものを小林が直して、そう命名した)と銘打たれた喜劇(歌入りの軽演劇というべきもの)のシリーズを東京宝塚劇場のために作り、とくに爆笑公演『雲の上団五郎一座』が大当たりした。1957年4月、小林が菊田への“御褒美”として作ったとも噂されたキャパ664席の中劇場、芸術座が日比谷の東宝会館の中にオープンすると、菊田はそこを“東宝現代劇”の拠点とした。“東宝現代劇”は、新派でも新劇でもない、大衆向けの現代劇というべきものだった。中でも、女性を主人公とする“或る人間の半生記”ものが多くなるのは、女性客の共感を得ることを意識した結果なのだろう。菊田はさらに、芸術座専属の俳優を養成するために「芸術座研究生」制度を設け、それが発展して劇団東宝現代劇になった。その第一期生には、丸山博一、井上孝雄、内山慶司、小鹿番、青木玲子、小林誠、竹内幸子らがいる。その後、劇団の役者たちは、堅実な演技で東宝の様々な舞台を支え、現在も『大地の子』(明治座)などに出演している。そんな中、1959年に三益愛子主演の『がめつい奴』(作・演出:菊田一夫)を芸術座で上演すると、観客動員数約21万人、9ヵ月に及ぶ、空前の大ヒット・ロングラン興行となる。さらに1961年には同じ芸術座で、森光子が41歳にして初主演を射止めた『放浪記』(脚本・演出:菊田一夫)を初演。これも当たって、以後幾度も再演を繰り返し、2006年・2009年には帝劇で上演されるまでに至った(2009年帝劇で森光子は単独主演2000回記録を達成。その成果に対して国民栄誉賞が授与された)。また1966年には『細雪』(原作:谷崎潤一郎。脚本・演出:菊田一夫。出演:浦島千歌子・岡田茉莉子・司葉子・団令子)の初演を芸術座で行なう。こちらも再演を重ね、東京宝塚劇場を経て、帝劇でも上演される東宝の看板演目となった。こうして“東宝現代劇”は、やがて帝劇の上演プログラムの一角を占めるほどの重要ジャンルのひとつとして確たる位置付けを築いていく。
1962年、菊田は東宝・専務取締役に昇格。ブロードウェイに行き、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』を観た足ですぐに交渉を行ない、日本上演権を獲得、1963年9月には東京宝塚劇場での上演(演出:菊田一夫。主演:江利チエミ)を成功させた。これこそが、現在まで続く“東宝ミュージカル”の始まりだった。ちなみにヘップバーン主演の同名映画の公開は、日本初演の翌年(1964年)のことである。……と、このように菊田は、劇作家、作詞家、演出家(稽古場では「ばかやろう!」を連発するタイプだった)、経営者(しょっちゅう怒っては机をひっくり返すタイプだった)、興行師(製作プロデューサー)として、めくるめく超多忙の日々を送りながら、なおも新しい帝劇(二代目・帝劇)の建て替え計画や上演プログラムの企画製作の指揮を現場の陣頭に立って執り行なっていたのである。
『マイ・フェア・レディ』 (写真提供:東宝演劇部)
些か遠回りをしたが、話を帝劇に戻す。1966年9月の「オープニング・フェス」に次いで披露されたのが、二代目・中村吉右衛門の帝劇開場披露歌舞伎公演『二代目中村吉右衛門襲名』(1966年10月)だった。吉右衛門(2021年没)は八代目・松本幸四郎(初代・白鸚)の次男で、六代目・市川染五郎(現・二代目・松本白鸚)の弟である。この高麗屋一門は1961年に菊田の招きを受けて松竹から東宝に移籍し、当時の歌舞伎界に衝撃を走らせた。「歌舞伎ぎらいだった」と言われた菊田だが、しかし高麗屋の息子たちには現代演劇の俳優としての可能性を見出していたのではないか、と評論『菊田一夫の仕事』で著者・井上理恵は考えを述べている。それ故にか、この襲名興行も6演目中3演目が現代作家の作品だった(だがそのうちの一人、菊田のライバルと言われていた北條秀司とは一悶着を起こすのだが……)。
その翌月(1966年11月)は、菊田が戦前から舞台化を夢見ていたという『風と共に去りぬ』(原作:マーガレット・ミッチェル。製作・脚色・演出:菊田一夫。美術:伊藤熹朔。音楽:古関裕而)の「第一部」が開幕した。原作小説はもちろん、1939年公開の映画もあまりに有名な、南北戦争下の人間模様を描いた傑作。その世界初舞台化を帝劇で実現させるために、菊田は1964年ニューヨークに東宝演劇部の駐在員を置いた。著作権代理人の事務所に足繁く通い、具体的に交渉を進めた駐在員の名は上西信子である。やがて菊田も米国に自ら足を運び、先方と直談判した。ロイヤリティが超高額なうえ「映画台本に依拠してはならぬ」「ミュージカルにしてはいけない」など、課せられたハードルはかなり高いものだったが、菊田はなんとか着地させた。そのうえで、上演を完璧なものへと仕上げるべく、新しい帝劇に世界一の舞台機構を整備させた……というか二代目・帝劇は、この壮大無比な演劇作品を上演するために建てられたといっても過言ではなかった。主人公スカーレット・オハラ役には有馬稲子と那智わたる、という2人の宝塚出身人気女優、そしてレット・バトラー役には高橋幸治と宝田明が、それぞれダブルキャストで配役され、他に仲谷昇、淀かほる、浜木綿子、益田喜頓、京塚昌子、宮城まり子、浦島千歌子、山形勲らのキャスト、さらに劇団東宝現代劇、日劇ダンシングチーム、二期会合唱団も参加する、総勢154名もの大所帯を擁する舞台が実現とあいなった。
原作には炎上するアトランタの街からスカーレットが馬車に乗って脱出し、タラへと向かうクライマックス場面がある。これを舞台でリアルに再現することも、著作権保持者側から求められていた条件の一つだった。菊田は思案の末に、東宝映画の“特撮魔術師”円谷英二監督に依頼して炎上映像を作ってもらった。演劇・映画の壁を越えて同じ社内の人的知財をフル活用してみせたのは東宝専務ならではの機転というべきか。そして、驚愕の演出はそれだけに留まらない。脱出時の馬車を曳く馬として、なんと“本物”の馬に舞台を走らせたのだ。幾多ものオーディションを勝ち抜いてきた、その“本物”の馬の名は、“第一ジュラク号”。馬場馬術専門の名馬だった。とはいえ本番の舞台上で動揺することのないよう、スタッフたちは彼に対して連日細心のケアを怠らなかったという。
『風と共に去りぬ第1部』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
そんな苦労の甲斐もあって公演は連日大入りとなり、菊田の念願だった欧米スタイルの日延べロングランも実現できた。当初2ケ月の上演予定が5ヶ月まで延長されたのである。そして翌年には『風と共に去りぬ 第二部』が、さらに翌々年には『風と共に去りぬ 総集篇』も上演された。また、第一部を観た著作権者の代理人が作品の出来に感激したことで、ミュージカル化の許可も下りた。それが1970年1月に帝劇で世界初演を行なったミュージカル『スカーレット 風と共に去りぬ』(原作:マーガレット・ミッチェル。脚本:菊田一夫。作詞・作曲:ハロルド・ローム。音楽(合唱舞踊):トールディ・リットマン。訳詞:岩谷時子、福井峻。演出・振付:ジョー・レイトン)だった。これは『GONE WITH THE WIND』のタイトルで1972年から1973年にかけて英・米・仏でも上演された。このように帝劇発のミュージカルを海外に輸出することもまた菊田の夢見ていたことで、それが叶ったのは良かったのだが、一方において、実際の海外での上演が菊田の考えていたクウォリティのレヴェルに必ずしも達していなかった点において不満は残った。
さて、5ヶ月にも及ぶ『風と共に去りぬ』第一部公演のロングランが終わると、続いて登場したのは、新しい帝劇における初の本格的ミュージカル作品『心を繋ぐ6ペンス』(1967年4月/原作:H・G・ウェルズ。作曲・作詞:デヴィッド・ヘネカー。台本:ビヴァリイ・クロス。訳:倉橋健。訳詞:岩谷時子。製作・演出:菊田一夫。演出:中村哮夫)だった。前年に芸術座で本邦初演がなされた作品で、そこで主演を務めていた市川染五郎が、この帝劇版でも続演。なお、本作で菊田と共に演出を担当した中村哮夫は、元々東宝映画で黒澤明の助監督を務め、その後演劇部に異動し、菊田の右腕的存在となった。
同年秋(1967年9月から10月にかけて)には《東宝創立35周年記念公演・東宝ミュージカル特別公演》として『屋根の上のヴァイオリン弾き』(台本:ジョゼフ・スタイン。作詞:シェルダン・ハーニック。作曲:ジェリー・ボック。訳:倉橋健。訳詞:岩谷時子・滝弘太郎。製作・演出:菊田一夫。演出・振付:サミー・ベイス、関谷幸雄)が、帝劇で日本初演を飾った。帝政ロシア時代のウクライナ地方の寒村に暮らすユダヤ人集落の家族たちがやがて迫害を受けて村を追われる悲劇を描く(2026年現在の世界情勢において、これを観ると複雑な思いが錯綜するが…)。1964年にブロードウェイ初演(トニー賞7部門受賞)を観たソニーの盛田昭夫社長(当時)から「森繁主演でこれを演って欲しい」との手紙が清水雅・東宝会長(当時)宛に届き、すぐに菊田がNYに飛んで、本作を観たことで帝劇での上演に繋がった。テヴィエ役:森繁久彌の他に、越路吹雪、淀かほる、浜木綿子、西尾美恵子、いしだあゆみ、岡崎友紀、市川染五郎、賀原夏子、黒柳徹子、富田恵子、中丸忠雄、兼高明宏、友竹正則、須賀不二男、益田喜頓、山茶花究らが出演。本作はやがて帝劇の看板演目の一つとして再演を重ねるようになり、森繁は1986年5月31日までに900回テヴィエを演じた。その後、上條恒彦、西田敏行、市村正親も同役に挑んでいる。
『屋根の上のヴァイオリン弾き』 (写真提供:東宝演劇部)
なお、森繁は『屋根の上のヴァイオリン弾き』以外にも、数多くの帝劇の舞台で主演を務めているが、中でも1983年10~11月に上演された『孤愁の岸』(原作:杉本苑子。脚本:杉山義法。演出:森谷司郎。出演:森繁久彌、竹脇無我、野川由美子、小山明子、松山英太郎)は、森繁自身が企画した「舞台生活50周年記念」の大スペクタクル舞台として強いインパクトを遺した。濃尾三川の難しい治水工事を幕府に命じられた薩摩藩士たちの激闘を描いた直木賞受賞小説を舞台化。山崩れや堤防決壊などのシーンを映画監督の森谷司郎が特撮映像を駆使して迫力満点の演出を見せた。
『孤愁の岸』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
さて、1967年12月の帝劇は、《帝劇歌舞伎第一回公演》『朱雀門』(原作:エドワード・ノブロック 舞台『キスメット』より。翻案・脚色:中野實。演出:菊田一夫・中村哮夫。出演:松本幸四郎・市川染五郎・浜美枝・京塚昌子・宮城まり子・山吹まゆみ・草笛光子/山田五十鈴)が上演された。“歌舞伎”と銘打たれているが、女優も多数出演する新しい歌舞伎のスタイルを帝劇が打ち出した。舞台のバグダッドを奈良時代の平城京に置き換えた。この《帝劇歌舞伎》のシリーズは1971年にオーソドクスな歌舞伎のスタイルに戻り、《帝劇大歌舞伎》として1976年まで続いた。
『朱雀門』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
翌1968年は11月に市川染五郎と越路吹雪の主演作『王様と私』(原作:マーガレット・ランドン作『アンナとシャム王』より。作詞:シェルダン・ハーニック。作曲:ジェリー・ボック。訳:倉橋健。訳詞:岩谷時子・滝弘太郎。製作・演出:菊田一夫。演出・振付:サミー・ベイス・関谷幸雄)が《東宝ミュージカル特別公演》として、帝劇に登場。ちなみに本作の日本初演は1965年の梅田コマ劇場であり、この時、菊田が染五郎を主演に抜擢。染五郎にとっては、それがミュージカルの初出演作にして初主演作となった。
『王様と私』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
そんな染五郎にとって生涯最大の代表作となる《東宝ミュージカル》『ラ・マンチャの男』の日本初演が帝劇で上演されたのは、1969年4~5月のことであった(脚本:デール・ワッサーマン。作詞:ジョオ・ダリオン。音楽:ミッチ・レイ。訳:森岩雄・高田蓉子。訳詞:福井峻。振付・演出協力:エディ・ロール。演出:中村哮夫。出演:市川染五郎、小鹿敦、草笛光子/浜木綿子/西尾美恵子[トリプルキャスト]、溝江博、小沢栄太郎、賀原夏子、井上孝雄、友竹正則、山吹まゆみ、黒柳徹子、木島新一、立川真理)。これは、もともとブロードウェイに歌舞伎を教えにいっていた八代目・幸四郎(初代・白鸚)が現地で本作を観劇し「ぜひこれを息子の染五郎主演で」と菊田に打診したのが事の始まり。菊田から頼まれた草笛光子がブロードウェイで観劇するなり衝撃を受け、直ちに上演権を買うべきと薦めた(草笛は日本初演でアルドンザ役を演じることとなる)。帝劇初演の成功後には、ブロードウェイのマーチンベック劇場で「インターナショナル・ドンキホーテ・フェスティバル」の開催が決まり、染五郎にも出演オファーが来る。染五郎は「自分をミュージカル俳優にしてくれた菊田先生への恩返し」として、これを受けた。彼は当時結婚したばかりの妻(紀子)を付き人にして渡米。だが実は彼、この時まで英語が全然話せなかった。そこで、八代目・幸四郎から歌舞伎を教わっていた米国人俳優に個人授業を頼み、英語セリフの猛特訓を現地で受けた。そんな努力の甲斐あって、彼は全編英語で現地の役者と渡り合い、計60ステージを務めた。初日の観劇者の中には、猪熊弦一郎(帝劇ロビーの電灯装飾「熨斗」とステンドグラス「律動」の作者)夫妻もいた。
『ラ・マンチャの男』は“染五郎”が“幸四郎”や“白鸚”を襲名しても、帝劇をはじめとする各地の劇場で再演を重ね続けた。通算公演回数1200回に達したのが、幸四郎(当時)が70歳古希の誕生日を迎えた2012年8月19日の帝劇公演。その日、本作の脚本を書いた故・デール・ワッサーマンの夫人からトニー賞のトロフィーが贈られた。これは1966年に同賞最優秀ミュージカル作品賞を授賞した脚本家の遺志によるもので、幸四郎(当時)は涙ながらにトロフィーを受け取った。その後、日本初演50周年記念にして帝劇最後の上演となった2019年公演で、10月21日に通算公演回数1300回を突破、カーテンコールでは客席も一緒になって不朽のミュージカル・ナンバー「見果てぬ夢」が大合唱された。そして通算上演数1324回に達した2023年4月23日のよこすか芸術劇場を以て、遂に白鸚は本作の舞台から卒業していったのだった。
『ラ・マンチャの男』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
時計の針を少し戻す。菊田が切り拓いた“東宝ミュージカル”の路線は次第に盤石なものとなっていったが、彼はさらに帝劇に国際的な一流ミュージカルの殿堂としての“箔”を付けることを強く望んだ。1963年に帝劇のすぐ近くで開館した日生劇場は、杮落しにベルリン・ドイツ・オペラを呼び、翌1964年にはブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の2ケ月間に渡る招聘公演を実現させていた。これは1961年に28歳の若さで同劇場の制作営業担当取締役に任じられた浅利慶太(劇団四季代表)がもたらした成果だった。このことが菊田の対抗意識に火をつけたのかどうかは定かではない。しかし菊田は、英国発の大ヒットミュージカルの引越し公演を何としても帝劇において実現させようと目論む。その作品こそ、ロンドン・ウエストエンドで大ヒット・ロングラン中だった『オリバー!』であった。原作はチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』。孤児オリバーが様々な困苦に揉まれながら成長していく物語に、菊田は自身の生い立ちを重ねたに違いない。だが、そのような陰鬱な題材を英語で3ケ月近くも上演するとは無謀すぎる、と東宝の他の取締役たちは全員が反対した。それでも菊田は強硬突破し、1965年、『風と共に去りぬ』の交渉でも奮闘した東宝演劇部ニューヨーク駐在員・上西信子に交渉を指示。今度の相手は、ウエストエンドで5つの劇場を所有する大興行師ドナルド・アルベリー卿だった。1966年の2月にはアルベリー卿と直接交渉するために菊田と上西がヴェニスまで赴いた。そこで東宝が払える金額を提示するとアルベリー卿は「そんな大金をつぎこまずに、自分たちで日本語公演をやればいいじゃないか」と優しく忠言してくれた。だが菊田は「開場間もない新帝劇には、英国の威が必要なのです」と返す。結果的に日本への引っ越し公演の話は合意に至った。しかし英国の法律上、子役を本国から連れ出すことができない。仕方なく、米国で子役オーディションを行なった。だが稽古と本番を合わせると東京で相当な長期間の拘束となるため、帝劇の稽古場内には子役たちのための学校も設けられた。ちなみに、懸念されていた英語上演の問題は字幕ではなく「キクタフォン」という同時通訳のイヤホンガイドシステムを開発することで克服された。
こうして、1968年5月~7月に《日英親善国際公演》ミュージカル『オリバー!』(脚本・作詞・作曲:ライオネル・バート。演出:ピーター・コー、ディヴィッド・フィーシアン。出演:ダリル・グレイザー/ジョン・マーク[Wキャスト])が帝劇で上演される。衣裳や舞台美術は全て英国から運び込まれたもの。開幕初日の5月5日には当時8歳の浩宮徳仁親王(現・天皇陛下)が観劇に訪れたが、バルコニーの最前列に着座すると欄干が殿下の目線を遮っており、隣席の英国大使が「クッション、クッション」と連呼している。居合わせた上西信子は暗い場内を駆け回り、楽屋口の係の女性が使用していた古くて硬いクッションを貸り受けることで、難を乗り切った。終演後、菊田が幕の下りた舞台に浩宮様を連れて行き、オリバー役のジョン・マークをはじめ出演者たちに紹介したが、その時、殿下の瞳が感涙に濡れていたのを上西は見逃さなかったという。こうして日本の皇室の力も借りて、菊田は帝国劇場の威信を堂々と世の中に示すことができた。マーク・レスター主演の映画『オリバー!』が日本公開され人気を博すのは同年秋のことである。なお、上西は後にアルベリー卿と結婚し、ノブコ・アルベリーを名乗ることとなる。ちなみに、ミュージカル『オリバー!』はその後、劇団四季による1980年の日本語初上演(日生劇場)を挟んで、1990年に帝劇でノブコ・アルベリー翻訳、ジェフ・フェリス演出による日本語上演が行なわれた。2021年にはホリプロ・東宝などの主催により東急シアターオーブ他で新たな日本語上演が行なわれたことも記憶に新しい。
『オリバー!』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
米英からの輸入ミュージカルの魅力を発信してきた帝劇。それを受容する観客の感性が根付いてきた頃合いを見計らうかのように、今度は菊田が純・国産ミュージカルの製作を打ち出した。1972年5~6月、《東宝創立40周年記念公演・東宝ミュージカル》『歌麿』(作・演出:菊田一夫。演出:中村哮夫。作曲:いずみたく。振付:関矢幸雄・西川右近。出演:市川染五郎、京マチ子、浜木綿子、水谷良重)である。その公演プログラムに菊田は「『歌麿」は国産ミュージカル第一号でございます。これが、もし成功したら、第二号、第三号と、たゆまずに国産ミュージカルの進歩のための斗いを続けてまいるつもりでございます」と書いている。いよいよ彼は、帝劇発の純・国産オリジナル・ミュージカルを世界に進出させるべき段階が訪れたと思ったのだろう。ところが運命とは非情なもの。菊田自身によるミュージカル製作はこれにて打ち止めとなる。
『歌麿』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
1973年1月2日に菊田は芸術座で倒れ、その後、慶応病院に入院する。だが、そのタイミングで、第27回トニー賞・国際特別賞が日本の東宝に授与される吉報がもたらされた(1973年3月)。理由は、アメリカン・ミュージカル上演の功績に対してであった。菊田がレールを敷いた“東宝ミュージカル”の路線が、ようやくミュージカルの本場からのお墨付きを得たのである。3月25日の授賞式には病床の菊田に代わり雨宮恒之重役が出席。雨宮は帰国後、報告のために慶応病院に赴く。ベットの上に正座しながらトニー賞の銀カップを手渡された菊田はしばらく無言で眺めた後「よかったね」と呟き、涙を流した。
ここまで帝劇における菊田の仕事について、敢えて“東宝ミュージカル”を中心に紹介してきたが、実際には東宝現代劇、時代劇、喜劇、グランド・ロマンと称する大河芝居から美空ひばりのリサイタルまで、多種多様なタイプの作品を創作し、演出し、監修し、製作してきている。しかも、芸術座や東京宝塚劇場など他の東宝系列の劇場でも同様の活躍を続けてきた。生涯に執筆した台本の数は1000作を優に超える。必要に応じて海外にも出掛けた。これでは身がもつはずもなかった。1973年4月4日、菊田は糖尿病悪化で脳卒中を併発し、遂に還らぬ人となる。享年66。4月19日、東宝演劇葬が青山葬儀場で執り行なわれたが、それに先立ち菊田の遺体を乗せた霊柩車の車列が、東京宝塚劇場、芸術座、日劇、そして帝劇と、菊田の関係した日比谷界隈の各劇場の前を次々に巡っていったことも付記しておく。
《美空ひばり帝劇特別公演 芸能生活25周年記念リサイタル》『ひばりのすべて』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
ちなみに菊田が人生の最終盤において、クリエイターとして帝劇に係わった作品は、1972年9月の《東宝創立40周年記念》『新・平家物語』(原作:吉川英治。脚本・演出:菊田一夫。演出:平山一夫。出演:松本幸四郎、市川染五郎、司葉子、安井昌二、中村又五郎、水谷良重、山田五十鈴)と、1973年1月の『新・平家物語 絢爛豪華な源平絵巻』(原作:吉川英治。脚本・演出:菊田一夫。演出:平山一夫。出演:市川染五郎、中村吉右衛門、司葉子、上月晃、加東大介、淀かほる、中村芝鶴、中村又五郎)であった。また、菊田にとって人生最後の仕事となったのは、1973年1月-2月の芸術座『女橋』(溝口健二原作・依田義賢シナリオ『浪華悲歌』より。脚本・演出:菊田一夫。共同演出:中村哮夫。出演:若尾文子、細川俊之(1月)/長谷川哲夫(2月)、三林京子、進藤英太郎)だった。そして菊田没後の追悼企画として、翌年(1974年)4月から東宝系列の各劇場で「菊田一夫演劇祭」が開催された。帝劇における同演劇祭の演目は、《帝劇グランド・ロマン公演》『風と共に去りぬ』(1974年4~5月。原作:マーガレット・ミッチェル。脚本:菊田一夫。演出:中村哮夫。美術:伊藤熹朔・中島八郎。音楽:古関裕而)、そして『ビルマの竪琴』(1975年4月。原作:竹山道雄。脚本・演出:菊田一夫。演出:津村健二。出演:市川染五郎、岡崎友紀、内田朝雄、千石規子、芦田伸介) だった。その後、1975年には菊田一夫演劇賞が東宝によって創設される。
■蜷川幸雄の活躍
1975年7月、《東宝ミュージカル》『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』(音楽:リチャード・ロジャース。歌詞:オスカー・ハマースタイン二世。脚本:ハワード・リンゼイ/ラッセル・クラウス。翻訳:竹内寿美子。訳飼:滝弘太郎。演出:広部貞夫。製作:池野満、小島亢。出演:淀かおる、瑳川哲朗、岡崎友紀、沢たまき、小池朝雄、平田昭彦、城君子)が帝劇に初登場となる。ロジャース&ハマースタインによる、これぞミュージカルの王道というべき本作だが、意外にも1965年の芸術座での日本初演以来、実に8年ぶりとなる再演であった。
『サウンド・オブ・ミュージック』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
1976年4月には、《東宝ミュージカル》『ピピン』(作:ロジャー・ハーソン。作詞・作曲:スティーヴン・シュワルツ。訳:倉橋健 関根勝。訳詞:滝弘太郎。演出・振付:堀内完。演出:古川清。製作:佐藤勉、永野誠。出演:上条恒彦、草笛光子、津坂匡章、松橋登、財津一郎、友竹正則、今陽子、鹿島とも子、蘭千子、三益愛子)が日本初演となった。1972年ブロードウェイ初演のオリジナル・プロダクションはボブ・フォッシーが演出・振付を手掛け、モータウンレコードが出資した、当時にしては先鋭的なタイプの作品だった。トニー賞5部門受賞の傑作だが、これを帝劇が取り上げたことはチャレンジングではあった。なお、本作の作詞・作曲を手掛けたスティーヴン・シュワルツが、その後『ウィキッド』(2003年ブロードウェイ初演)を創り、2024年の映画化を経て世界中に大旋風を巻き起こしたことは皆さんもご承知のとおりである。
『ピピン』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
“東宝ミュージカル”の上演はしかしながら、菊田の死後十年ほどは少々控え目となり、その分ストレートプレイの比重が高まる。とは言え、これまでストレートプレイ=“東宝現代劇”の脚本や演出を一身に担ってきたのもまた菊田であった。そこで、帝劇は菊田に代わる、次世代の劇作家・演出家の起用を積極的に進めた。小幡欣治や、榎本滋民、あるいは橋田寿賀子(脚本)&石井ふく子(演出)の名コンビなどなど……。
『女たちの忠臣蔵』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
『鹿鳴館』『唐人お吉』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
さらには、既に人気流行小説家だった有吉佐和子にも白羽の矢が立った。もともと大の芝居好きだった彼女は、1975年6月に芸術座で上演された、自作小説を原作とする『真砂屋お峰』で脚本・演出を手掛け、高い評価を得ていた。その翌年には「東西女才覚 可愛い『おとこ』」(1976年2月。演出:有吉佐和子。脚本:大藪郁子。出演:市川染五郎、中村富十郎、益田喜頓、草笛光子、中村又五郎、宮城まり子、長谷川稀世、三林京子、芦屋小雁)を以て、帝劇での演出家デビューを果たす。他に有吉が1984年8月に没するまでの間に帝劇に係わった仕事としては、1977年2月『日本人万歳!』の作・演出、1978年1月『紀ノ川』の原作、1982年2月『乱舞』の原作・演出があった。また、彼女の没後に帝劇で上演された作品には、1988年10月・山田五十鈴主演の『新版 香華』(五十鈴十種)、1990年10月『華岡青洲の妻』もあった。余談であるが、有吉は『開幕ベルは華やかに』(1982年)という小説を書いており、これは帝劇を舞台にしたバックステージものの推理小説だった。
『紀の川』 (写真提供:東宝演劇部)
新版『香華』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
東宝のストレートプレイといえば“東宝現代劇”のイメージが強いが、時にはシェイクスピアやチェーホフといった正統派の西洋演劇を外国人演出家に委ねて上演することもあった。前者のシェイクスピアでいえば、『真夏の夜の夢』(1975年8月。作:W・シェイクスピア。翻訳:小田島雄志。音楽:メンデルスゾーン。演出:ジョン・デイビッド。振付:貝谷八百子。美術:伊藤熹朔、中嶋八郎。出演:宝田明、上月晃、酒井和歌子、中山麻里)。帝劇におけるこの作品の初演は1928年7月の築地小劇場による上演(翻訳:坪内逍遥。演出:小山内薫・青山杉作・土方与志)で、その次に帝劇で上演されたのが1946年6~7月の新劇人合同公演(翻訳:坪内逍遥。演出:土方与志)だった。この1946年版のほうをベースにしつつ、随所アレンジして上演したのが、翻訳:小田島雄志、演出:ジョン・デイビッドによってアップデートされた1975年版だった。また、後者のチェーホフでいえば、『櫻の園』(1984年10月。作:A・チェーホフ。翻訳:倉橋健。演出・美術:クリフォード・ウィリアムス(RSC)。出演:佐久間良子、細川俊之、高橋悦史)があった。英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーから来たクリフォード・ウィリアムスが演出を担当。舞台上には櫻の大木が1本のみ、という簡潔な美術装置の中で演じる佐久間良子の情感あふれる芝居が殊更に光った。
『桜の園』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
一方、1977年以降の演劇上演において、新たな演出家として輝かしいブランドを帝劇に打ち立てた男がいる。そう、蜷川幸雄だ。1969年9月、アートシアター新宿文化の映画終映に上演された清水邦夫の『真情あふるる軽薄さ』(劇団「現代人劇場」)で演出家デビュー。その後、唐十郎の『盲導犬』(1973年)や『唐版 滝の白糸』(1975年)(いずれも劇結社「櫻社」)など、アンダーグランドの小劇場演劇の世界で高く評価されていた彼を東宝の舞台作品の演出に引っ張ってきたのは、当時東宝の辣腕演劇プロデューサーだった中根公夫だった。日生劇場の市川染五郎主演作『ロミオとジュリエット』(1974年)を皮切りに、『リア王』(1975年)、『オイディプス王』(1976年)を経て、1977年8月、『三文オペラ』(脚本:ベルトルト・ブレヒト。作曲:クルト・ワイル。翻訳:小塩節・小田島雄志。訳詞:滝弘太郎。演出:蜷川幸雄。出演:平幹二朗、栗原小巻、若山富三郎、財津一郎、上月晃)で遂に帝劇への進出を果たす。舞台上に四層の巨大な装置を組み、そこに150体の人形が並ぶ音楽劇を展開した。その、いかがわしいまでのスペクタクル性において、蜷川が帝劇の大空間を最も活かせる演出家であることを観客たちは認めざるをえなかった。1年後の1978年8月には、客席面からそびえ立つ30段の大階段で繰り広げられる『ハムレット』(作:W・シェイクスピア。訳:小田島雄志。演出:蜷川幸雄。出演:平幹二朗、中野良子)の迫力に人々は戦慄を覚えた。
『ハムレット』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
そんな蜷川が、次の帝劇作品では日本の時代物を扱った。それが『近松心中物語』(1979年2月。脚本:秋元松代。演出:蜷川幸雄。出演:平幹二朗、太地喜和子、本田博太郎)だった。辻村ジュサブローのアートディレクションによる視覚的効果と、猪俣公章作曲・森進一歌唱の主題歌「それは恋」(録音)の聴覚的効果は、平幹&太地の情熱的演技を最大限に盛り上げ、大評判となる。再演も重ねられ、上演回数1,000回を超える蜷川の代表作となった。また、この路線では『元禄港歌』(1980年8~9月。作:秋元松代。演出:蜷川幸雄。歌唱:美空ひばり(録音)。出演:平幹二朗、太地喜和子)や、『南北恋物語―人はいとしや―』(1982年11~12月。作:秋元松代。演出:蜷川幸雄。歌唱:前川清(録音)。出演:平幹二朗、加賀まりこ)も創られる。これらは「江戸三部作」と称され、いずれも高い評価を得た。
『近松心中物語』 (写真提供:東宝演劇部)
さらに、蜷川による西洋演劇へのアプローチと和物へのアプローチが交差する地点に誕生した、この時期の彼の集大成的大作こそ、演出家自身の名を冠したシェイクスピア劇、『NINAGAWA・マクベス』に他ならなかった。1980年日生劇場で初演され、その後、オランダや英国でも上演されたが、巨大な仏壇を舞台にした美術装置上で繰り広げられるシェイクスピア悲劇に海外の観客たちも度肝を抜かれた。ロンドンで大反響を得た後の1987年12月には凱旋公演が帝劇で行なわれ大喝采を浴びた(作:W・シェイクスピア。訳:小田島雄志。演出:蜷川幸雄。出演:津嘉山正種、栗原小巻)。その後、蜷川は浅丘ルリ子と組み、彼女の新たな魅力を引き出す作品も次々と創作した。樋口一葉原作(久保田万太郎作品より)の『にごり江』(1985年10月。1998年12月に再演)や、泉鏡花原作の『貧民倶楽部』(1986年12月。出演:浅丘ルリ子 沢田研二)、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の市電』(1988年3月)などであった。
『にごり江』 (写真提供:東宝演劇部)
■“東宝ミュージカル”の新しい波
帝劇に蜷川旋風の巻き起こった1980年代、『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ラ・マンチャの男』『王様と私』などの定番プログラム以外は、動きが少し抑制気味に見えた“東宝ミュージカル”ではあったが、それでも1981年7月、「おっ」と思わせる攻めの姿勢を見せた。早稲田小劇場(後にSCOT)の鈴木忠志を演出に招き、ソンドハイムの『スウィニートッド ―フリート街の奇妙な床屋―』(音楽・歌詞:スティーヴン・ソンドハイム。台本:ヒュー・ホウィーラー。原作:クリストファー・ボンド。訳:倉橋健、甲斐万里江。訳詞:滝弘太郎、青井陽治。演出:鈴木忠志。製作:佐藤勉、安達隆夫。出演:市川染五郎、鳳蘭)という猟奇的なミュージカルを帝劇で上演した。ちなみに、鈴木は、翌々年の暮れに(ミュージカルではないが)『悲劇 アトレウス家の崩壊』(1983年12月。構成・演出・音楽構成:鈴木忠志。原作:アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。翻訳:呉茂一、田中美知太郎、松本千秋、松本仁助。潤色:佐々木幹郎。製作:安達隆夫、田口義孝。出演:鳳蘭、順みつき、永島敏行、白石加代子)という演劇作品で再び帝劇を震撼とさせる。劇団の拠点である富山県利賀村で、自ら編み出した身体技法「鈴木メソッド」を役者たちに叩きこむ合宿を行ない、七本のギリシャ悲劇の戯曲を解体再構築した、帝劇史上最も前衛的な作品をぶつけてきた。
『悲劇 アトレウス家の崩壊』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
1985年2月には『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』(原作:ジャン・ポワレ。作詞・作曲:ジェリー・ハーマン。脚本:ハーベイ・ファイアスティン。訳:丹野郁弓。訳詞:岩谷時子・滝弘太郎。振付:リンダ・ヘイバーマン。訳詞・演出:青井陽治。製作:佐藤勉、神谷忠司。出演:岡田真澄、近藤正臣)が、そして1985年11月には『シカゴ―ミュージカル・ボードビル―』(作曲:ジョン・カンダー。脚本・作詞:フレッド・エップ 。脚本・演出・振付:ボブ・フォッシー。演出・振付:トニー・スティーブンス。翻訳:酒井洋子。訳詞:岩谷時子。製作:古川清、田口豪孝。出演:鳳蘭、麻実れい、若林豪、淀かおる、小鹿番)が、いずれも帝劇に初めて登場する。そして両作品共に大いに好評を博し、再演も行なわれたことは、“東宝ミュージカル”の新しい風を世間に印象付けた。
『シカゴ』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
そして運命の1987年6月がやって来る。ミュージカル史を塗り替えるモンスター作品が帝劇に上陸したのだ。ブーブリル&シェーンベルクによるミュージカル『レ・ミゼラブル』である。製作協力:キャメロン・マッキントッシュ(オーバーシーズ)リミテッド。原作:ヴィクトル・ユゴー。作:アラン・ブーブリル。作・音楽:クロード=ミッシェル・シェーンベルク。潤色・演出:ジョン・ケアード/トレバー・ナン。翻訳:酒井洋子。訳詞:岩谷時子。製作:古川清、田口豪孝。出演は、鹿賀丈史/滝田栄[Wキャスト]、佐山陽規、島田歌穂/白木美貴子[Wキャスト]、岩崎宏美/伊東弘美/石富由美子[トリプルキャスト]、斉藤由貴/柴田夏乃/鈴木ほのか[トリプルキャスト]、野口五郎/安崎求[Wキャスト]、斎藤晴彦/新宅明[Wキャスト]、鳳蘭/阿知波悟美[Wキャスト]、内田直哉/福井貴一[Wキャスト]。1980年にパリでフランス語による原型が発表された後、英国の演劇プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュの製作によりリクリエイトされた英語版が1985年にロンドンで初演され爆発的にヒット。1987年3月にはブロードウェイに進出し以後16年間の超ロングランヒットとなる。日本はブロードウェイ初日の3カ月後にスピード開幕、世界で3番目の上演国となった。出演者は、当時の日本では珍しく、全役がオーディションで決められた。帝劇での日本初演は、6月11日から10月30日まで5ケ月間近くに及んだが、その後も人気は全く衰えることなく、キャストや演出を変化させながら、二代目・帝劇の休館月となった2025年2月まで、実に約38年間に渡り再演が重ねられてきた。
『レ・ミゼラブル』 (写真提供:東宝演劇部)
1992年4月には、やはりキャメロン・マッキントッシュ製作、ブーブリル&シェーンベルクによる、さらなる超大作ミュージカル『ミス・サイゴン』が東宝創立60周年記念として帝劇で上演される。製作協力:キャメロン・マッキントッシュ・プロダクション。音楽:クロード=ミッシェル・シェーンベルク。作詞:リチャード・モルトビー・ジュニア/アラン・ブーブリル。翻訳:ノブコ・アルベリー。訳詞:岩谷時子。演出:ニコラス・ハイトナー。製作:古川清、田口豪孝、岡本義次。出演は、市村正親/笹野高史[Wキャスト]、本田美奈子/入絵加奈子/伊東恵里[トリプルキャスト]、岸田智史/安崎求/宮川浩[Tキャスト]、鈴木ほのか/岡田静/石富由美子[トリプルキャスト]、園岡新太郎/今井清隆[Wキャスト]、山本あつし/山形ユキオ/留守晃[トリプルキャスト]、北村岳子/園山晴子[Wキャスト]という、こちらも『レ・ミゼ』同様に全役オーディションで選ばれた面々。ベトナム戦争がもたらした悲劇をオペラ『蝶々夫人』の物語に重ね合わせて創られた本作、実物大のヘリコプターを舞台上に出現させるなど、ハイトナーの演出は、帝劇の舞台だからこそ実現できる大スペクタクルだった。本作上演のために、製作費に100億円を投じ、また約2ケ月をかけて舞台の改修工事をおこなうなど、帝劇の対応も異例ずくめだった。その結果、この日本初演は1年半に及ぶロングランが行なわれ、111万人超の動員を記録、当時の劇団四季『キャッツ』の記録を塗り替えた。
『ミス・サイゴン』 (写真提供:東宝演劇部)
ちなみに『ミス・サイゴン』の正式な初日となった1992年5月5日には当時の皇太子殿下(現・天皇陛下)が妹君の紀宮清子内親王と共に来場した。そして、本作もまたキャストや演出を変えながら(ただし市村正親はエンジニア役をずっと演じ続けてきたが)、帝劇では2022年まで全部で7回、公演が行なわれた。日本初演のキム役で圧巻の絶唱を聴かせた本田美奈子は、その後、帝劇の『屋根の上のバイオリン弾き』『レ・ミゼラブル』『王様と私』『十二夜』にも出演し、今後の一層の活躍が嘱望されていたが、2005年に白血病により38歳の若さで他界したことはミュージカル界の大きな損失であった。
『ミス・サイゴン』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
キャメロン・マッキントッシュは1980年代のウエストエンドで『キャッツ』(1981年)を皮切りに、『レ・ミゼラブル』(1985年)、『オペラ座の怪人』(1986年)、『ミス・サイゴン』(1989年)という4作品を次々に発表し、いずれも驚異的な大ヒットに導いている。これらロンドン発ミュージカルは、オペラのように全編がほぼ歌だけで成り立つ(Sung-through)全曲歌唱形式の新機軸を以て、ブロードウェイ・ミュージカル市場に殴り込みをかけたばかりではなく、世界中のミュージカル・シーンをも席巻した。日本では、ブーブリル&シェーンベルクの『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』を東宝が上演し、アンドリュー・ロイド・ウェバーの『キャッツ』『オペラ座の怪人』は劇団四季が上演した。とはいえ、『レ・ミゼラブル』には鹿賀丈史、滝田栄、山口祐一郎、今井清隆、福井晶一、吉原光夫など、『ミス・サイゴン』には市村正親など、劇団四季出身の俳優が東宝ミュージカルで活躍する場面も少なからず見受けられた。ともあれ、1980年代以降、帝劇と四季が輸入ミュージカルの新しい時代をリードしたことは明らかであった。だがその一方で“東宝ミュージカル”は、輸入作品の紹介ばかりでなく、国産のオリジナル・ミュージカルを創造し、海外に発信していく、という菊田一夫以来の理念を決して忘却していたわけではなかった。
『ミス・サイゴン』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
その一つが、新たな世紀の始まる前年の西暦2000年に帝劇に登場し好評を博して大ヒットした、日本発オリジナル・ミュージカルの『ローマの休日』(2000年3月~4月。脚本:堀越真。演出:山田和也。音楽:大島ミチル。作詞:斉藤由貴。製作:酒井喜一郎、坂本義和。出演:大地真央・山口祐一郎)である。世界中の映画ファンを魅了し続けてきた、オードリー・ヘプバーン主演で知られる傑作映画の世界初ミュージカル化だ。音楽を大島ミチルが、そして作詞を斉藤由貴が手掛けたことも話題となった。その初演は、帝劇公演から遡ること約1年半前の1998年10月、青山劇場。その後、大阪、愛知、福岡と公演が進むにつれどんどん修正が加えられていったが、凱旋公演となる帝劇では、アン王女役・大地真央と新聞記者ブラッドレー役・山口祐一郎の乗るスクーター“ベスパ”が、映画撮影用のクレーンを使って客席にせり出すように宙を飛ぶ演出へと進化を遂げていた。そして同年秋には本作のライセンス公演が韓国で行なわれ、海外進出の足がかりを築いた。(なお、本作は20年後の2020年10月、朝夏まなと/土屋太鳳[Wキャスト]、加藤和樹/平方元基[Wキャスト]の新配役で帝劇で再演された。)
『ローマの休日』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
こうした帝劇発オリジナル・ミュージカルの創造と海外への発信は、次世紀においてさらに、私たち外野の人間には思いもよらぬ形で、活発な動きを見せ始めることとなるーー。
『ローマの休日』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
■海外クリエイターとのコラボから海外進出へ
新世紀の帝劇における“東宝ミュージカル”の重要な支柱の一つが“ウィーン発ミュージカル”になることを、前世紀の誰が予想していただろう。その第一弾は、既に4年前から宝塚歌劇で上演され好評を博していたミュージカル『エリザベート』だった。ハプスブルク帝国末期、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后だったエリザベートの生涯を描いた物語。その東宝版が帝劇に登場したのである(2000年6月~8月。脚本・作詞:ミヒャエル・クンツェ。音楽:シルヴェスター・リーヴァイ。演出・訳詞:小池修一郎。製作:岡本義次、坂本義和)。そもそもは1992年にオーストリアのウィーンで世界初演された作品を、宝塚歌劇団の演出家・小池修一郎が見出し、最初に宝塚歌劇団が上演権を取得、雪組トップスター一路真輝の“サヨナラ公演”(1996年)として日本初演が行なわれた。ただしその時は、ウィーンのオリジナル版と違い、死の化身トートが主役となるよう設定がアレンジされていた。故に一路はそのトート役を務め、花總まりが皇妃エリザベートを演じた。しかし帝劇での上演が決まると小池は、東宝版をオリジナル版に近い設定に作り直した。そのうえで帝劇ではタイトルロールを一路真輝が演じた。そして死の化身トート役を山口祐一郎と内野聖陽がWキャストで務め、オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世役を鈴木綜馬、物語の狂言回しで皇妃を暗殺するルキーニ役を髙嶋政宏、ルドルフ皇太子役を井上芳雄がそれぞれ演じた。ちなみに、本作で舞台デビューを飾ったのが、当時東京藝術大学在学中の弱冠21歳だった井上で、その後スター街道をばく進し、後年にはトートを演じるまでになった。そんな東宝版の『エリザベート』はコロナ禍を挟みつつ、2022年11月まで帝劇で10回以上の再演を重ねる看板演目の一つとなっている。
『エリザベート』 (写真提供:東宝演劇部)
2002年12月には、クンツェ&リーヴァイのコンビによる、もう一つの代表作『モーツァルト!』(脚本・作詞:ミヒャエル・クンツェ。作曲:シルヴェスター・リーヴァイ。演出・訳詞:小池修一郎。製作:岡本義次・坂本義和[東宝]、古沢真・渡辺裕[ドラマシティ]。出演:井上芳雄/中川晃教[Wキャスト]、西田ひかる、高橋由美子、久世星佳、山口祐一郎、市村正親)が帝劇に登場した。文字通り、作曲家モーツァルトの波乱の生涯を描いたミュージカル。世界初演は1999年ウィーン。日本での初演は、2002年10月の日生劇場。翌11月の大阪・シアター・ドラマシティ公演を経て、12月に帝劇に凱旋を果たした。主人公ヴォルフガング役を井上芳雄と中川晃教がWキャストで務め(二人共、帝劇でのミュージカル初主演)、父レオポルド役は市村正親が演じた。こちらも帝劇で再演を重ねる人気演目となるが、2014年11~12月の公演は井上最後の出演が予め告知されたため、例年以上に注目を集めた。
『モーツァルト!』 (写真提供:東宝演劇部)
上記2作とは毛色が異なるが、クンツェ&リーヴァイ作品として『レベッカ』(帝劇初演:2010年4~5月。原作:ダフネ・デュ・モーリア。脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ。音楽:シルヴェスター・リーヴァイ。演出:山田和也。翻訳・訳詞:竜真知子。 出演:山口祐一郎 大塚ちひろ シルビア・グラブ/涼風真世[Wキャスト])も忘れ難い。芸術座の後継劇場として建造されたシアタークリエのオープニング・シリーズ第3弾として2008年に初演された舞台が、大劇場バージョンとなって帝劇に登場したものだった。また、クンツェひとりだけで係わっている『ダンス オブ ヴァンパイア』(2006年7月。音楽・追補:ジム・スタインマン。脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ。演出:山田和也。出演:山口祐一郎、大塚ちひろ/剱持たまき[Wキャスト]、泉見洋平/浦井健治[Wキャスト]、市村正親)も評判をとり、再演を重ねている作品だ。さらに変則パタンとしては、『ルドルフ ザ・ラスト・キス』(2008年5月。原作:フレデリック・モートン。音楽:フランク・ワイルドホーン。脚本・歌詞:ジャック・マーフィ。追加歌詞:ナン・ナイトン。演出:宮本亜門)のように、クンツェ&リーヴァイ作品ではないものの、『エリザベート』でルドルフを演じた井上芳雄が、こちらの作品でも同役を演じるという、“関係性”によって注目を集めたことは興味深いものがあった。
だが、最も重要なのは、帝劇とクンツェ&リーヴァイとの出会いが、新たな奇貨をもたらしたことだ。つまり、クンツェ&リーヴァイの場合、キャメロン・マッキントッシュのような厳格なライセンス保持者とは異なり、上演条件を厳しく制限はしない。ならばいっそのこと、柔軟性のある彼らにオリジナル・ミュージカル作品の創作を委嘱してみよう、との発想を帝劇(東宝)は得た。そうすれば帝劇(東宝)が製作元となりライセンス保持者となれるのだ。クンツェ&リーヴァイにこれを仕掛けたのは岡本義次プロデューサーだった。交渉には数年かかったが、新作は見事完成まで漕ぎつけた。それが、ミュージカル『マリー・アントワネット』(帝劇・世界初演:2006年11~12月。原作:遠藤周作。脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ。音楽:シルヴェスター・リーヴァイ。演出:栗山民也。出演:涼風真世 新妻聖子/笹本玲奈[Wキャスト])だった。本作は反響を呼び、ドイツ(2009年)、韓国(2014年)、ハンガリー(2016年)に輸出され、いずれも現地キャストで上演された。帝劇発のオリジナル新作ミュージカルが海外に渡ったのは、1972~73年の『スカーレット』以来のことだった。
『マリー・アントワネット』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
『マリー・アントワネット』の成功を踏まえ、帝劇(東宝)はクンツェ&リーヴァイにもう一本、オリジナル・ミュージカルの創作を委嘱する。ミュージカル『レイディ・ベス』(帝劇・世界初演:2014年4~5月。脚本・作詞:ミヒャエル・クンツェ。音楽・編曲:シルヴェスター・リーヴァイ。演出・訳詞:小池修一郎。出演:平野綾/花總まり[Wキャスト]、山崎育三郎/加藤和樹[Wキャスト]、山口祐一郎/石丸幹二[Wキャスト])である。英国女王エリザベス一世の数奇な生い立ちを描いた本作も、後にスイスへの海外進出(2022年)を果たしている。
また作曲家リーヴァイのみに音楽を依頼したものとして、ミュージカル『王家の紋章』(2016年8月。原作:細川智栄子あんど芙~みん「王家の紋章」(秋田書店「月刊プリンセス」連載)。脚本・作詞・演出:荻田浩一。作曲・編曲:シルヴェスター・リーヴァイ。出演:浦井健治・新妻聖子/宮澤佐江[Wキャスト]、宮野真守/平方元基[Wキャスト]、伊礼彼方、濱田めぐみ、山口祐一郎)があった。本作は、その後に帝劇において積極的に展開される、コミックやアニメを原作とする路線の走りとなったエポックメイキングな作品でもあった。
海外クリエイターと組む手法は、クンツェ&リーヴァイだけに限られるものではない。同様のスタイルで東宝が発注をかけた外国人としては、フランスのドーヴ・アチアもいる。彼は、2016年に帝劇で上演したフレンチ・ロック・ミュージカル『1789 -バスティーユの恋人たち-』の中心的なクリエイターだった(東宝以外でも彼の作品は日本国内で数多く上演されている)。そんなアチアは帝劇のために、《ミュージカル・ピカレスク》『LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』(帝劇・世界初演:2023年11月。脚本・作詞・演出:小池修一郎。音楽:ドーヴ・アチア。共同作曲=ロッド・ジャノワ。出演:古川雄大、真彩希帆、黒羽麻璃央、立石俊櫢、加藤清史郎、勝矢、小西遼生、柚希礼音、真風涼帆)と、《ミュージカル》『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』(帝劇・世界初演:2024年2月。原作:荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」(集英社ジャンプ コミックス刊)。演出・振付:長谷川寧。音楽:ドーヴ・アチア。共同作曲:ロッド・ジャノワ。脚本・歌詞:元吉庸泰。出:松下優也、有澤樟太郎、宮野真守、清水美依紗)という2つの帝劇発ミュージカルで作曲を手掛けることとなる。
海外クリエイターとオリジナル帝劇作品を製作するケースは、2000年に帝劇デビューした堂本光一・井上芳雄が、『レ・ミゼ』オリジナル・プロダクションの演出家だったジョン・ケアードとタッグを組んだミュージカル、『ナイツ・テイル -騎士物語-』(帝劇・世界初演:2018年7~8月。原作:ジョヴァンニ・ボッカッチョ「Teseida」、ジェフリー・チョーサー「騎士の物語」、ジョン・フレッチャー/ウィリアム・シェイクスピア「二人の貴公子」。音楽・歌詞:ポール・ゴードン。脚本・演出:ジョン・ケアード。日本語脚本・訳詞:今井麻緒子。振付:デヴィッド・パーソンズ。出演:堂本光一、井上芳雄、音月桂、上白石萌音、岸祐二、大澄賢也、島田歌穂)も然りだった。
さらにジョン・ケアードといえば、ミュージカルではないが、2022年3月に世界初演として帝劇で開幕した舞台『千と千尋の神隠し』(帝劇・世界初演:2022年3月。原作:宮﨑 駿。翻案:ジョン・ケアード。共同翻案 :今井麻緒子。演出:ジョン・ケアード。協力 :スタジオジブリ。初演時の出演:橋本環奈/上白石萌音[Wキャスト]、醍醐虎汰朗/三浦宏規[Wキャスト]、菅原小春/辻本和彦[Wキャスト]、咲妃みゆ/妃海 風[Wキャスト]、田口トモロヲ/橋本さとし[Wキャスト]、夏木マリ/朴 璐美[Wキャスト])は、2024年4~8月には、ロンドンコロシアムで135回を上演。日本人キャストによる日本語での海外上演としては演劇史上最大規模で、ウエストエンド最大級となる客席数約2,300席を連日満席にして、イギリスの老舗の演劇賞「WHATSONSTAGE AWARDS」Award for BEST NEW PLAY(最優秀新作演劇賞)を受賞。2025年7~8月、中国上演としては最大規模になる上海文化広場公演(1,949席・25+追加17の42回)が連日完売。今年2026年1~3月は、韓国・芸術の殿堂オペラハウス(2,283席・94回)で上演中であり、今後も、世界展開が期待される空前のヒット作となった。
『千と千尋の神隠し』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
『千と千尋の神隠し』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
■舞台芸術の殿堂が向かう先
一方、国内の才能あるクリエイターと組んで、『ローマの休日』のようなオリジナルの国産ミュージカルを製作する力をしっかりつけておくことも、未来に向けて重要なことだ。21世紀に入り、そんな、菊田一夫の思いを受け継ぐように製作されたのが、ミュージカル『風と共に去りぬ』(帝劇・世界初演:2001年7~8月。原作:マーガレット・ミッチェル。脚本:菊田一夫。潤色:堀越真。演出:山田和也。音楽:佐橋俊彦。歌詞:秋元康。製作:酒井喜一郎、坂本義和。出演:大地真央、山口祐一郎、杜けあき、今井清隆)である。これは菊田一夫の脚本を使用しつつも、かつて『風と共に去りぬ』の初ミュージカル化として外国人が音楽を手掛けた『スカーレット』(1970年)とは全く別バージョンの、純・国産ミュージカルとしてリクリエイトされた作品である。演出的には、芳香器を導入して、「マグノリア」の歌の際、劇場内がマグノリアの花の香りに満たされたと、話題になった。
また、翌々年に上演されたミュージカル『十二夜』(帝劇初演:2003年10月~11月。原作:ウィリアム・シェイクスピア。訳:小田島雄志。脚本:堀越真。演出:鵜山仁。音楽:八幡茂。歌詞:斉藤由貴。製作:宮﨑紀夫。出演:大地真央、鈴木線馬、本田美奈子、川崎麻世、岡幸二郎)も、殆どのスタッフ業務を日本人が担った。
そして、2004年12月に上演された、SHINKANSEN☆RX『SHIROH』(作:中島かずき。演出:いのうえひでのり。音楽:岡崎司。出演:中川晃教・上川隆也・高橋由美子・杏子・大塚ちひろ・高田聖子・橋本じゅん・植本潤・粟根まこと・吉野圭吾・泉見洋平・池田成志・秋山菜津子・江守徹)は、とりわけ画期的な逸品だった。劇団☆新感線唯一の帝劇上演作であり、“東宝ミュージカル”の俳優と新感線の俳優の混成が実現した。島原の乱を舞台に、ふたりの“SHIROH”が織り成すロック・ミュージカルで、中島かずきの脚本が抜群に面白いし、岡崎司の音楽も驚くほどの名曲揃いだった。演出のいのうえはロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』の新感線版を目指したというが、完成した舞台は“東宝ミュージカル”と“帝劇歌舞伎”の粋を集めたような超弩級の傑作に仕上がっていた。
『SHIROH』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
そこから約20年の歳月を経て、帝劇発の国産オリジナル・ミュージカルは新たな段階へと踏み出す。ミュージカル『SPY×FAMILY』(帝劇初演:2023年3月。原作:遠藤達哉(集英社「少年ジャンプ+」連載)。脚本・歌詞・演出:G2。作曲・編曲・音楽監督:かみむら周平。出演:森崎ウィン/鈴木拡樹[Wキャスト]、唯月ふうか/佐々木美玲[Wキャスト]、池村碧彩/井澤美遥/福地美晴/増田梨沙[クアトロキャスト])の上演である。人気漫画を原作とする大劇場ミュージカル作品は以前から宝塚歌劇団の『ベルサイユの薔薇』や、前述の『王家の紋章』などはあった。しかし、この10年近くの間に日本の演劇市場に躍り出てきた“2.5次元ミュージカル”という新興勢力に対して、帝劇が商業演劇の盟主としての矜持を保持しながら本格的な一つの回答として打ち出してきたのが本作であったように思える。前月(2023年2月)に同じ帝劇で上演された演劇『キングダム』(原作:原泰久(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)。脚本:藤沢文翁。演出:山田和也。音楽:KOHTA YAMAMOTO。出演:三浦宏規/高野洸[Wキャスト]、牧島輝/小関裕太[Wキャスト])から連続して本作が上演されたこともインパクトを強めた。こうした国民的な人気漫画を原作とするオリジナル製作の路線は、さらに翌年の《ミュージカル》『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』まで繋がっていくのだった。
『SPY×FAMILY』 製作:東宝 ©遠藤達哉/集英社(帝国劇場アニバーサリーブックより)
……と、ここまで“ウィーン・ミュージカル”や“帝劇発オリジナル・ミュージカル”という、“東宝ミュージカル”の新潮流について集中的に記述してきたが、従来型の輸入ミュージカルもまた、『レ・ミゼ』『ミス・サイゴン』『ラ・マンチャの男』といった定番演目以外に、数々の名作舞台が21世紀以降にも着々と上演されている。大きな括りとしては、往年のクラシカルなブロードウェイ・ミュージカルの魅力を伝える名作群がある。タイトルを列記すると、『パナマ・ハッティー』(2002年3月。主演:大地真央)、『チャーリ・ガール』(2002年4月。主演:愛華みれ)、『キス・ミー,ケイト』(2002年7月。主演:一路真輝)、『ミー&マイ・ガール』(2003年3月。主演:唐沢寿明、木村佳乃/2006年6月、2009年6月。主演:井上芳雄、笹本玲奈)、『マイ・フェア・レディ』(2005年11月、2009年4月。主演:大地真央/2021年11月。主演:朝夏まなと、神田沙也加)、『エニシング・ゴーズ(2013年10月。主演:瀬奈じゅん)、などである。これらは、菊田一夫時代の帝劇から継承されてきた、 “東宝ミュージカル”の王道といえる路線だった。
同じ流れに加えられるべき作品として、2022年6月に上演された『ガイズ&ドールズ』(原作:デイモン・ラニヨン。音楽・作詞:フランク・レッサー。脚本:ジョー・スワリング、エイブ・バロウズ。演出:マイケル・アーデン。振付:エイマン・フォーリー。舞台美術:デイン・ラフリー。出演:井上芳雄、明日海りお、浦井健治、望海風斗)も注目したい。豪華キャストが競演する前評判の高い公演だったが、コロナ禍から完全に脱し切れていない時期だったため、出演者に感染が発生し、予定日数のおよそ半分が中止となってしまうという不運に見舞われた。しかし、当時(『春のめざめ』リバイバル版と、『アイランド』リバイバル版に対して)既に2度のトニー賞ノミネート経験を持っていたブロードウェイ気鋭の演出家マイケル・アーデンが、70年以上も前に発表された本作をも鮮やかに現代へと甦らせてみせたことは有意義な試みであった。アーデンはその後、2023年『パレード』リバイバル版と、2025年『メイビー・ハッピー・エンディング』(韓国発)の2作品共、トニー賞受賞へと導き、今や押しも押されぬ若き巨匠として注目を浴び続けている。
帝劇は、コンテンポラリーで多様性あふれる海外輸入作品の紹介も怠ってはこなかった。例えば、オリジナル版はキャメロン・マッキントッシュが製作した『イーストウィックの魔女たち』(2003年12月、2007年10月)。また、ブーブリル&シェーンベルクがアイリッシュ・ダンスとコラボした『パイレート・クィーン』(2009年11~12月)。2003年にオランダで世界初演の『三銃士』(2011年7月)。ウド・ユルゲンスの名曲で綴る独製ジュークボックス・ミュージカル『ニューヨークに行きたい』(2011年10月)。井上芳雄と浦井健治が共演した『二都物語』(2013年7月)。大ヒット映画をアラン・メンケンの音楽でミュージカル化したミュージカル『天使にラブ・ソングを~シスター・アクト~』(2014年6~7月)。キャロル・キングの半生を彼女の作品などを織り込んで綴った『ビューティフル』(2017年7~8月)などがあった。
『シスターアクト』 (帝国劇場アニバーサリーブックより)
コロナ禍を経た2023年には、ブロードウェイをはじめ世界各国で話題となった絢爛豪華なマッシュ・アップ・ミュージカル『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』(2023年6~8月。出演:望海風斗/平原綾香[Wキャスト]、井上芳雄 甲斐翔真[Wキャスト])が満を持して帝劇に登場する。バズ・ラーマン監督の同名映画をミュージカル化し、第74回トニー賞で最優秀ミュージカル作品賞など10部門を制覇した話題作で、帝劇内に19世紀末パリの煌びやかなナイトクラブを出現させたことで大きな反響を巻き起こした。また、日本語訳詞を松任谷由実をはじめとする計17名の日本人アーティストたちが担当したことでも注目を浴びた。なお、同年(2023年)秋には、ロアルド・ダール原作のロンドン発ミュージカル、『チャーリーとチョコレート工場』(初演:2023年10月)が堂本光一主演で帝劇で上演された。東京五輪2020の開会式を手掛けた演出家ウォーリー木下が、増田セバスチャンのアートディレクションを得て、毒気を含んだポップなファンタジー劇空間を帝劇に出現させ、人々を魅了した。
『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』 Moulin Rouge® is a registered trademark of Moulin Rouge. (帝国劇場アニバーサリーブックより)
西暦2000年以降の、 “東宝ミュージカル”以外の公演にも触れておきたい。スペクタクル満載の大エンターテインメントショーが、2000年11月『MILLENNIUM SHOCK』(出演:堂本光一)を皮切りに帝劇に登場した。この初演から25年間、全2128回すべてを「全日程即日完売」を続けてきた堂本光一『SHOCK』シリーズは、国内演劇の単独主演記録を打ち立てた。2005年より、堂本光一の脚本・演出・音楽となり、上演の度に磨き上げられたフライングや階段落ちは、帝劇スペクタクルショーの象徴となり、コロナ禍でのライブ配信やスピンオフ公演、映画化など演劇の可能性を拡げる展開を示した。また、『DREAM BOY』(初演:2004年1月。出演:滝沢秀明)のシリーズも、2025年10月の『DREAM BOYS』(出演:渡辺翔太、森本慎太郎)まで20年以上、続けられた。
また、松任谷由美とコラボした《ユーミン×帝劇》は、「純愛物語 meets YUMING 」シリーズとして、2012年10月にvol.1『8月31日〜夏休み最後の日』、2014年10月にvol.2『あなたがいたから私がいた』。2017年11月にvol.3 『朝陽の中で微笑んで』を上演し、ライブでもなく、演劇でもない、唯一無二の世界が創り上げられた。
さて、帝劇は2025年、前年暮れから帝劇で上演されていた《ミュージカル》『レ・ミゼラブル』(2024年12月~2025年2月)が閉幕すると、その翌週(2月14日)から最終公演「CONCERT『THE BEST New HISTORY COMING』」(構成・演出:山田和也。音楽監督・指揮:塩田明弘。協賛:三菱地所。配信協賛:KDDI)が始まった。この劇場で上演された全372作品の中から東宝ミュージカル53作品のナンバーが豪華出演陣によって披露される。全日程に出演したのは、井上芳雄 浦井健治 小野田龍之介 甲斐翔真 佐藤隆紀(LE VELVETS) 島田歌穂 三浦宏規 宮野真守。また、A・B・Cプログラムに、生田絵梨花(A/B) 木下晴香(C) 昆夏美 涼風真世 平野綾 森公美子が、D・E・F・Gプログラムには、一路真輝 木下晴香 瀬奈じゅん 花總まり 屋比久知奈が、出演した。さらに、Aプログラムに鹿賀丈史 大地真央 松たか子、Bプログラムに石丸幹二 加藤和樹 平原綾香 吉原光夫、Cプログラムに伊礼彼方 駒田一 保坂知寿 松下優也 山口祐一郎、Dプログラムに朝夏まなと 和音美桜 中川晃教 山崎育三郎、Eプログラムに石川禅 城田優 堂本光一 前田美波里、Fプログラムに石井一孝 上白石萌音 別所哲也、新妻聖子・望海風斗(25日のみ出演)、有澤樟太郎・海宝直人・濱田めぐみ・愛希れいか(26日のみ出演)、Gプログラムに市村正親 今井清隆 鳳蘭 笹本玲奈 田代万里生が、それぞれゲスト出演した。最終日の2月28日の千穐楽を終えたところで、二代目・帝劇は58年間余の全プログラムを完了させた。直後に日本テレビによる特別番組「さよなら帝国劇場 最後の1日 THE ミュージカルデイ」(MC:市村正親、堂本光一、井上芳雄)が劇場最後の瞬間をテレビ電波に乗せ、休館の時が到来したことを全国に告げた。
『THE BEST New HISTORY COMING』 (帝国劇場アニバーサリーブック NEW HISTORY COMINGより)
時代が変遷する中で、あらゆる次元や局面において変容が起こった。国際情勢も、科学技術も、メディアも、人々の価値観も……。日本国内では震災や疫病の流行など多種多様な天災や人災が私たちの進路に容赦なく立ちはだかった。そうした危機と格闘したのは、エンターテインメント界隈の人々も例外ではなかった。2020年、コロナ禍による緊急事態宣言が発動され、帝劇を含む全ての劇場は公演中止を余儀なくされたが、やがて客席数を減らして間隔を拡げたり、終演時間を繰り上げたり、ライブ配信を実施するなどの努力によって苦境を乗り越えていった。また、プログラムの内容も新世代へのシフトが顕著に感じられるようになっていた。そんな矢先に、二代目・帝劇は老朽化のため全面建て替えとなることが決まった。とはいえ、「帝都の模範劇場」として君臨した初代・帝劇の矜持、そして、松竹の映画館になっていた帝劇を舞台芸術の殿堂へと回復させた東宝創業者・小林一三の情熱や、世界を見据えながら多様な舞台を投入した菊田一夫らの夢は、初代以来115年間の帝劇の歴史に係わった全ての人々の思いと共に、きっと新たな建物の中にも継承されていくに違いない。この先に生まれる三代目・帝劇は、いかなる作品で私たちに驚きや感動を与えていくのか、私たちの見果てぬ夢はどのように積み重ねられていくのか。これまでの歴史も踏まえつつ、それらを想像することがこのうえなく楽しみでならない。
文=安藤光夫
《書籍》
◆三田評論「福澤諭吉をめぐる人々」
https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/around-yukichi-fukuzawa/
◆慶應義塾大学出版会「時事新報史」
https://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/jijisinpou/1.html
◆だすだすノート(あとだし庵主人)
https://dasdasdas.blog.jp/
◆地方活性/「歴史的建造物と高層ビルが融合!都市開発マニアが案内する『丸の内建築ツアー』」
https://ascii.jp/serialarticles/3001077/
◆丸の内Walker
https://lovewalker.jp/elem/000/004/253/4253111/
◆DIAMOND ONLINE/坪井賢一「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史
https://diamond.jp/category/s-minako
◆現代ビジネス/福田和也「女優の近代」
https://gendai.media/articles/-/32310
◆ドラマチック木曽川 ーOpera貞奴ー
https://www.sadayakko-kakamigahara.com/
◆hanjimomonga789/橋本治とミュージカル3
https://note.com/hanjimomonga789/n/nc0fd2f9ac1e0
◆武田寿恵/「つきずきしさ」-秦豊吉の「帝劇ミュージカルス」で果たされたその役割
http://hdl.handle.net/10291/18666
◆公益財団法人渋沢栄一記念財団 デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK270114k_tex
《帝国劇場の歴史》
https://spice.eplus.jp/articles/343961
■帝国劇場の歴史《第二部》【二代目・帝劇編】
https://spice.eplus.jp/articles/344037
特設ページ
https://spice.eplus.jp/articles/343644
https://spice.eplus.jp/articles/343879
https://spice.eplus.jp/articles/344268
https://spice.eplus.jp/articles/344429
https://spice.eplus.jp/articles/344559
https://spice.eplus.jp/articles/344020
https://spice.eplus.jp/articles/344024
https://spice.eplus.jp/articles/343961
https://spice.eplus.jp/articles/344037
関連情報
1,925円(税込)
四六判/288ページ
ISBN:978-4-08-770038-1
〈内容〉
光と闇、生と死、絶望と愛……この世のすべてを内包する、比類なき劇場【帝国劇場】。2025年2月をもって一時休館となった同劇場の記憶を未来へと繋ぐ、世界でたった一つの“帝国劇場”小説が誕生!
◎少年は、劇場2階ロビーのステンドグラスの裏側に寝泊まりしていた。舞台袖、楽屋食堂、馬小屋……自在に歩き回る彼は、ある人を永遠に探し続けている――「内緒の少年」
◎劇場ロビーに一脚あるという“幸運の椅子”。売店で働くたった一人の“担当さん”だけが代々受け継いできたその伝説と、椅子に座った人々の元に訪れる幸運――「こちらへ、お座りください」
◎劇場の“壁”に深い愛着を抱いてきた税理士の男、観劇後に日傘を差し館内を歩く“パラソル小母さん”と呼ばれる女性……。彼らの思いを迎え入れ続けた劇場が、ついに最終公演の日を迎える――「劇場は待っている」ほか全八編を収録。
詳細はこちら:https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-770038-1