35年ぶりにスポットライトを浴びる「水辺の画家」の魅力とは 『アルベール・マルケ展』鑑賞レポート
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アルベール・マルケ《ル・アーヴル、船渠》1906年 ル・アーヴル、アンドレ・マルロー近代美術館
2026年9月22日(火)から12月13日(日)まで、SOMPO美術館(東京・西新宿)にて『アルベール・マルケ展』が開催中だ。本展は、日本におけるマルケの35年ぶりの回顧展で、厳選されたマルケ作品約90点が一堂に会する貴重な機会だ。と、いうものの……
原色の対比? マティスの友人?
会場風景
マルケってどんな画家だっけ。そう思う人も多いのではないだろうか。美術関連の書籍やサイトでも、「フォーヴィスム(野獣派)」のところでマティスに続いてサラッと名前が出て、それ以降は語られないということが多い。アート好きなら “マティスの仲の良い友人画家” として記憶している人もいるかもしれない。
しかしそれで、「マルケはフォーヴィスムの “ああいう” 画風ね」と納得してしまうのは早い。例えば、今回の『アルベール・マルケ展』で筆者が一番お気に入りだった作品を見てほしい。
《サン=ミシェル橋、パリの洪水》1910年 パリ、個人蔵(協力:パリ、ギャルリー・ド・ラ・プレジダンス)
なんというか、渋い。ほうじ茶ラテのような川面(※本作は洪水時のセーヌ川を描いている)も相まって、画面から懐かしさすら漂ってくる。暴れる色彩&勢いのある筆遣いでお馴染みの、フォーヴィスムのイメージからはちょっと遠いように感じられないだろうか。
アルベール・マルケとは、一体どんな画家だったのだろうか。以下、メディア向け内覧会の写真とともに、展示の見どころをピックアップしてご紹介していこう。
《自画像》1904年 ボルドー美術館
来場者を出迎えてくれるマルケの自画像は、なんとウインクしている。お茶目な人だなと思ったら、マルケは生まれつき酷い近視だったそうで、絵を描くときに片目ずつ瞑って対象を見ていたという話が残っているらしい。
華やかな色彩の冒険、フォーヴィスム
《裸婦、通称フォーヴの裸婦》1898年 ボルドー美術館
見どころはまず冒頭に。これぞフォーヴィスムと言いたくなるような、激しい色使いの裸婦像である。本作は若きマルケがマティスと同じモデルを見ながらアトリエで肩を並べて制作したもので、フォーヴィスムが世を賑わすおよそ7年前に描かれている。野獣派の誕生前夜を象徴するような、美術史的にも重要な作品である。
ちなみにこのときマティスが隣で描いていた作品《画室の裸婦》は、SOMPO美術館から離れることおよそ8km、京橋のアーティゾン美術館が所蔵しているという。本展担当の学芸員は2作品を並べて展示できなかったことを残念がりつつも、「これはこれで、すれ違い続きでなかなか一緒に旅行できなかったマティスとマルケらしい」と語っていた。
《ルヴェールの肖像、黒衣の男》1904年 フランス、個人蔵(協力:パリ、ギャルリー・ド・ラ・プレジダンス)
《ルヴェールの肖像、黒衣の男》では、さらに大胆な色彩の挑戦が見られる。この作品が描かれたのは1904年。フォーヴィスムがその名で呼ばれ始めるのは1905年の秋展からなので、まさに画家たちにとって絵筆が熱く盛り上がっていた時期と言えるだろう。
「野獣派」のイメージのずれ
《グラン=ゾーギュスタン河岸、パリ、霧》1905年頃 フランス、個人蔵(協力:パリ、ギャルリー・ド・ラ・プレジダンス)
ところが翌年のこちらの作品では、フォーヴィスムらしい強い色彩は全く見られない。抑制されたグレーの微妙なトーンで、霧の風景が描き出されている。1905年といえば、いわばフォーヴィスムが一番熱い年だというのに、マルケはその時点で並行してこんな風景を描いていたのだ。ちょっと衝撃である。てっきり、マルケはフォーヴィスムの画家として出発して、のちに晩年にかけて落ち着いた画風に変わっていった……のかと思ったら、どうもそうではないようだ。
担当学芸員の方に「マルケは一体どうしたんですか?」と質問してみたところ、フォーヴィスムは野獣という言葉のイメージのせいか、どこまでも派手・強烈な色彩を目指すもののように感じてしまいがちだが、実際のところは別に「派手さ」に重きを置いていたわけではないのだそう。色彩の効果を追求し、実験を繰り返す中で、グレーのニュアンスで画面を構成するこんな作品が生まれてくるのもまた必然だったのかもしれない。ちなみに同じ頃、マティスの作品にも同様にグレーの挑戦をしているものがあるのだという。
会場風景
どうやらマルケにとっては猛烈な色彩で描くより、こちらのスタイルの方が性に合っていたようだ(もしかしたらそれは、マルケが南仏などの強い日差しの地域ではなく、ボルドーという比較的穏やかな光の元で生を受けたことと関係があるのかもしれない)。本展ではここから、2章、3章とびっくりするほど雰囲気の似た作品が続く。
画面の斜め上に設定された消失点に向かって流れ込んでいく川や、道路。点々と描きこまれた人影……。意図的に川を描いたものばかりを集めて展示しているわけではなく、マルケ作品にはこうした水の流れを見下ろす構図のものが非常に多いのだそうだ。
会場風景
ほぼ同じ構図で、天候や時間による風景の変化を写し取ったシリーズも。これらの連作はクロード・モネの連作を見たことが創作のきっかけになっているのだという。雪模様や霧雨などのパリ風景が多いのは、マルケが冬以外のシーズンは別の土地に旅をして制作することが多かったからである。
旅する画家、マルケ
会場風景
次の展示フロアに移動すると、旅好きだったというマルケが各地で描いた、「水辺の風景〜世界編〜」が展示されている。ぼんやり眺めるだけだと似た風景が多いなあ〜という印象になりそうだが、土地ごとの特徴を見つけるようむしろ前のめりで鑑賞をすると、細かな違いが際立って面白い。制作の背景や画家の人となりを教えてくれる、音声ガイド(税込700円)を利用するのもおすすめだ。
《ナポリ、帆船》1909年 ボルドー美術館
展覧会のメインビジュアルに使われている《ナポリ、帆船》。この作品を前にすると、おそらく多くの人が富士山を思い出すのではないだろうか。本作は葛飾北斎の「富嶽三十六景」との共通点が指摘されているそうだが、実際に見るとそれがすごく理解できる。空気遠近法で青く溶けていくような山(ヴェスヴィオ山)の表現は、私たちにとって馴染み深い富士山の佇まいと非常によく似ているのだ。マルケは当時の他の画家の例に漏れず、日本の浮世絵に大きな関心を抱いていたという。
《マルセイユの馬》1916年 ボルドー美術館
《マルセイユの馬》も、マルケ独特の遠近感を感じさせる興味深い作品だ。手前の岸(前景)、川(中景)、向こう岸以降(遠景)の3つの帯に画面は分かれており、前〜中景では一点透視の遠近法が使われているのが建物のラインで分かる。ところが奥の方では建物も船ものっぺりと簡略化されており、同じような遠近法では描かれていない。中〜遠景で繰り広げられているのは、色彩を使った空気遠近法(ざっくり言えば、遠くが青い)である。風景の中に散りばめられた赤色を辿って見ると、わかりやすい。前景の子どもから中景の煙突、遠景の船体……と遠くなるにつれて、赤が青っぽく霞んでいくことで奥行きが生まれるのだ。このハイブリッドな遠近法が、マルケの「厳密にリアルではないけど、どこかで見たような端正な風景」を生み出しているのかもしれない。
《ル・ピラ》1935年 ボルドー美術館
展示室内でひときわ目を惹く《ル・ピラ》は、マルケの故郷すぐそばの海岸を描いたもの。グレーが多い会場の中で、この一作だけが、まるで発光しているように明るい。解説によると、いい思い出が無いため故郷を避けていたというマルケが、長い時を経てついにその場所の「魅力を再発見した喜び」に満ちた作品なのだという。海面のブルーの繊細なグラデーションを、ぜひ近くで堪能してみてほしい。
小品にも注目!
《壁の影、ルーヴル美術館》1905-06年頃 パリ、個人蔵(協力:パリ、ギャルリー・ド・ラ・プレジダンス)
会場内にたまに現れる、ごく小さいサイズの作品が鑑賞のいいアクセントになっていたのでピックアップしたい。例えば第1章にある、大胆な色面で構成された画面がカッコいい《壁の影、ルーヴル美術館》。タイトル通り、ルーヴル美術館の壁面に落ちたシャープな影を、バーンと鮮烈な赤色で描いている。奥の簡略化された建物の表現といい、空に点々と残る筆致といい、小さいながらフォーヴィスムの挑戦がぎゅっと詰め込まれたような作品である。
《ヴェネツィア》1936年 ブザンソン美術考古博物館、パリ国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)より寄託
こちらは第2章で見られる《ヴェネツィア》。サイズからして、画家が船上で制作した作品らしい。当初、数多の画家が描いてきた(手垢に塗れた)名所・ヴェネツィアを描く気は無かったというマルケだが、訪れてみたが最後、どっぷり4ヶ月も滞在して描きまくることになったのだとか。この小さな作品も、波に揺られながらどうしても描きたくて筆を取ったのかな、なんて想像すると微笑ましい。
マルケ最晩年の連作と、じっくり向き合う
左《ポン=ヌフとサマリテーヌ》1940年 ひろしま美術館、右《ポン=ヌフ、曇天》個人蔵(協力:ギャルリーためなが)
ヨーロッパ各国、北アフリカ……戦火を避けながら世界中で水辺の風景を描いてきたマルケは、晩年、パリのアトリエから見えるセーヌ川の景色を描き続けた。本展のクライマックスにあたる第4章では、セーヌ川と橋(ポン=ヌフ)、行き交う車たちを見下ろした同構図の連作を5点まとめて鑑賞することができる。対岸に描かれているドーム屋根の建物は、現在も営業中のサマリテーヌ百貨店。マルケは自分のアトリエから見える景色を「パリ随一の眺め」と称していたという。
《雪と緑色の空、パリ(ポン=ヌフ)[冬のパリ(ポン・ヌフ)]》1947年2月 上原美術館
1947年、病と闘いながら描かれた《雪と緑色の空、パリ(ポン=ヌフ)》が、章の最後に掲げられていた。マルケはこの制作から数ヶ月後に72才で世を去っている。ポン=ヌフの風景の橋部分をクローズアップしたような縦長の画面で、キャンバスを斜めに横切るように、道が右上の消失点へ向かって伸びていく。対岸は曇り空に溶けるように描かれていて、道の先がどうなっているのかは判らない。描き続け、最晩年を迎えた画家の心情が込められているようにも感じられて、胸が熱くなった。
日本の洋画への影響
展示風景
コラム的な「海を渡ったマルケ 日本における受容と影響」のコーナーでは、マルケの表現を「日本の文人画にも似た」「実に簡単な、しかも意を得た」ものだ、と紹介している1912年の芸術雑誌を見ることができる。なるほど文人画……抑制の効いた色彩と独特の遠近感がそう思わせるのかもしれない……と納得である。また、マルケに大きな影響を受け、「あまりにマルケ」と評されたという日本人画家・難波慶爾の《横浜》も参考図版で見ることができて面白い。本当に、あまりにマルケである。
素描の名手、マルケ
会場風景
さて、実はマルケにはもうひとつ「偉大な素描家」という側面がある。最終章である5章では、マルケの素描や挿画をじっくりと堪能しよう。個人的にすごく楽しいセクションだったので、展示順を無視して冒頭で紹介しようか迷ったほどだ。
展示風景
マルケのことを、親友であるマティスは「我らが北斎」と呼んだという。なるほど、ごく少ない筆の動きで描かれる人や動物の姿はハッとするほど生き生きとして時にユーモラスで、北斎漫画と近いものを感じる。こんなにも簡潔なのに、動きだけでなくその内面まで捉えているかのようである。
《幸福な男》1904年 ボルドー美術館
イチオシはこの《幸福な男》。見ているとこちらまでニヤニヤしてしまうようなご機嫌ぶりである。ちなみに素描作品は会期中に展示替えがあり、《幸福な男》は前期のみの展示なのでご注意を。代わりに後期では《マルセイユ、地中海の港》が見られるそうで、そちらもとても気になる。
この章では他にも、マルケと小説家だった妻マルセルの共作本『アラブの小さな村』なども展示されている。最終章にして見応えのあるセクションなので、余力を残して鑑賞を進めてくるのがおすすめだ。
マルケを知って、どんどん好きになる
ミュージアムショップでは様々なマルケ関連グッズが販売されていたが、中でもタオルハンカチが可愛すぎて、思わずシャッターを切ってしまった。マルケの素描《幸福な男》《自画像》《山羊》をそれぞれデザインしたナイスな逸品である。
タオルハンカチ(各種税込2,200円)
また、本展の公式図録も良カタログなのでぜひ本棚に並べておきたい。作品紹介のほか、7本ものマルケ論考、さらに加えて「マルケとマティス 往復書簡 1899年ー1948年」が掲載されているところがすごくいい。マルケとマティスのおよそ50年にわたる手紙のやり取りが親しみやすい言葉で訳されており、変な言い方だが「このふたり、本当に仲良しだったんだな……」としみじみ感じさせてくれるのである。興味がある方はショップで手に取ってみてほしい。
SOMPO美術館外壁フォトスポット
本展の作品リストの所蔵先欄をチェックしてみたら、愛知、静岡、群馬、東京など津々浦々の美術館名が並んでいた。会場に集まった90点のマルケ作品たちは、フランスからやって来たものが半分以上を占めるが、意外なことに日本国内からも結構な数が集結していたのだ。つまり日本の美術館はわりとマルケを所蔵しているし、日本のアートファンはマルケをどこかしらで見かけている可能性が高い。それなのに自分はマルケについてこれまでほとんど知らなかったと思うと、ちょっと恥ずかしいし、勿体ないことだったなとも思う。
たっぷりと湿度を含んだグレーの風景、北斎を思わせる当意即妙な筆使い、今回の会場でマルケの作品を見れば見るほど、日本との親和性の高さを感じた。マルケは2016年のパリでの大規模な回顧展以来、再評価熱が著しく高まっているという。本展で35年ぶりのスポットライトを浴びている今こそ、私たち日本のアートファンもマルケの作品と向き合い、大きな拍手を送るべきなのではないだろうか。アルベール・マルケに触れるなら、今がこれ以上ないチャンスであることは間違いない。
『アルベール・マルケ展』は12月13日(日)まで、SOMPO美術館にて開催中。
文・写真=小杉美香
イベント情報
会期 2026年9月22日(火)―12月13日(日)
前期:11月1日(日)まで、後期:11月3日(火・祝)から
会場 SOMPO美術館
休館日 月曜日(ただし10月12日、11月23日は開館)、9月24日、10月13日、11月24日
開館時間 10:00–18:00(金曜日は20:00まで) ※最終入場は閉館30分前まで
観覧料 一般(26歳以上) 事前購入券1,800円 当日券2,000円
(税込) 25歳以下 事前購入券1,100円 当日券1,200円
高校生以下無料
・年齢は入場時点、25歳以下の方は入場時に生年月日が確認できるものをご提示ください
・事前購入券は手数料がかかる場合があります
・購入方法の詳細は美術館ホームページをご確認ください
特別協賛 SOMPOホールディングス
協賛 DNP大日本印刷
特別協力 ボルドー美術館、損保ジャパン
協力 日本航空、ヤマト運輸
後援 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ、新宿区
ご利用料金:1台700円(税込)
※アプリ配信はありません